星を掴め ―― 嗤われた【重力魔法】、時間も光も支配して最強になった 作:朝凪小夜
どれくらい空っぽのままだっただろう。
ひと月か。ふた月か。抜け殻のような日々が続いた。
だが人は空っぽのままではいられないらしい。少しずつ俺の中にまた何かが戻ってきた。
まず、戦いの冴えが戻ってきた。
空っぽのあいだも討伐だけは続けていた。ルーチェが連れ出してくれたから。惰性で体を動かしているうちに。少しずつ俺の重力魔法にもまた切れが戻ってきた。
時間を遅らせ。光を曲げ。魔物を沈める。
その動作のキレは。以前よりむしろ増していた。空白のあいだも強化の吸収は続いていた。俺は確実に強くなっていた。抜け殻のまま。
だが。
その戦いの冴えは。
俺一人のものではなかった。
俺が遅らせ。ルーチェが貫く。俺が光を曲げ。ルーチェが死角を突く。俺たちの戦い方は。もはや二人で一つの生き物だった。俺の遅らせる力は。ルーチェの貫く光があって初めて意味を持つ。ルーチェの光は。俺の遅らせる力があって初めて活きる。
俺一人では。俺は魔物を遅らせることはできても。倒すことはできない。
ルーチェがいて初めて。俺は戦えた。
戦いの冴えが戻ったということは。ルーチェと二人で戦うその形が。俺の体に深く染み込んだということだった。
俺はもう。一人では戦えない体になっていた。
石ころ使いの頃。俺は一人で戦っていた。誰の助けもなく。時間を遅らせその一拍で自分の身を守る。それが俺の戦いだった。孤独で貧しくても。一人で立っていた。
だが今の俺の戦いは。ルーチェの光がなければ成立しない。俺がどれだけ鮮やかに魔物を遅らせても。それを貫く光がなければ。ただ遅らせて終わりだ。俺の力はいつのまにかあいつの光を前提にした力になっていた。半分の力に。もう半分は金の髪が握っている。
次に暮らしが戻ってきた。
いや。暮らしはそもそも崩れていなかった。俺が抜け殻のあいだも。ルーチェが全部回してくれていたから。依頼の選別。装備の手配。情報の収集。段取りの組み立て。俺が何もできなくても。ルーチェがいる限り。俺の暮らしは回り続けた。
俺が立ち直ったとき。俺の暮らしは完全にルーチェを中心に回っていた。
俺はもう自分で依頼を選べなかった。ルーチェが選んでくれる。俺はもう自分で段取りを組めなかった。ルーチェが組んでくれる。情報も装備も人脈も。何もかもルーチェが。
俺はただ戦うことだけを。いや戦うことすらルーチェと二人で。
俺の暮らしの何もかもが。ルーチェを前提にしていた。
あいつがいなければ。俺の暮らしは。一日も回らない。
そして、心が戻ってきた。
これがいちばん大きかった。
空っぽになった俺の胸。ステラを失い目的を失い何も欲しくなくなったあの空白。その空白が。少しずつ埋まっていった。
何で埋まったか。
ルーチェだった。
朝、目を覚ますと。ルーチェが訪ねてくる。その金の髪を見ると。俺は、ああ今日もあいつがいると。安堵した。討伐で隣にあいつの気配を感じると。俺は生きていると。実感できた。夜あいつが帰っていくとき。俺はまた明日と。明日を待てるようになった。
ルーチェがいるから。
俺は朝を迎えられた。明日を待てた。生きていけた。
空っぽだった俺の胸に。ルーチェの存在が。ぎっしりと。詰まっていた。
それを俺は。
絆だと思った。
――絆。
そう思った。
喪失のどん底で。ルーチェだけが俺の傍にいてくれた。何も要求せず。ただ変わらず。隣にいて支えてくれた。抜け殻の俺を見放さずに。ずっと。
これが絆でなくてなんだ。
俺は心の底からルーチェに感謝していた。
ステラを失って。目的を失って。俺は全部なくした。だがルーチェが残ってくれた。あいつがいたから。俺は崩れずに済んだ。あいつがいたから。俺はまた立ち上がれた。
かけがえのない幼馴染。
喪失の底で俺を繋ぎ止めてくれた命綱。
俺にとってルーチェはもう。そういう存在になっていた。
「お前がいてくれてよかった」
俺は何度もそう言った。心から。
「お前がいなかったら、俺はとっくに駄目になってた。……ありがとう、ルーチェ。本当に」
ルーチェはそのたびに。柔らかく微笑んで。「そんなことないわ」と言った。「私がいなくてもあなたは大丈夫よ」と。
だが俺は知っていた。
そんなことない。俺はルーチェがいなければ駄目だ。戦いも暮らしも心も。何もかもあいつがいて初めて成り立っている。あいつがいなければ。俺はもう。
――一人では立てない。
その事実を。俺は感謝と共に受け入れていた。
ルーチェなしでは立てない自分を。それを情けないとも思わなかった。むしろそんなかけがえのない相手がいることを。幸せだと思った。
俺は気づいていなかった。
俺が「絆」と呼んでいるものが。
傍から見れば。
依存以外の何ものでもなかったことを。
戦いも暮らしも心も。俺の何もかもが。ルーチェ一人に依存しきっていた。あいつがいなければ戦えず、暮らせず、生きていけない。それは絆という美しい言葉で呼べるような対等なものではなかった。
俺はルーチェに。寄りかかりきっていた。全体重を。
そしてあいつは。
その俺の全体重を。静かに受け止めて。微笑んでいた。
「私がいなくても大丈夫」と言いながら。
俺があいつなしでは立てないことを。誰よりもよく知りながら。
喪失は俺から全部を奪った。
ステラを。目的を。生きる理由を。
だがその空っぽになった場所に。ルーチェがすっぽりと収まっていた。
俺の世界の中心。かつてステラがいた場所。そこに今はルーチェがいた。
それを俺は。喪失から立ち直った証だと思っていた。新しい絆を得たのだと。
だが違った。
俺は立ち直ったのではなかった。俺はただ寄りかかる先を。ステラからルーチェへ。すり替えられただけだった。
届かない星を追う渇きから。隣の温もりにすがる依存へ。
その夜、俺は久しぶりに日記を開いた。
抜け殻のあいだずっと書けずにいた日記。その白いままのページに。俺はペンを走らせた。
『再開。もう日にちは数えていない。……ステラのことは遠くなった。俺の目指していたものも分からなくなった。だが俺にはルーチェがいる。あいつがいてくれる。それだけで俺はまだ生きていける。……絆というのはこういうものを言うのかもしれない』
その一行を書いて。俺はペンを置いた。
かつてこの日記は。俺が一人で時間の秘密を掴んでいく探究の記録だった。日にちを数えて。一日ごとの伸びを刻んで。誰にも頼らず一人で上へ登っていく。その証だった。
だが今、俺は書いている。日にちも数えず。目指すものも失ったまま。ただ「ルーチェがいれば生きていける」と。
一人で立っていた男の探究の日記は。誰かがいれば生きていけるという寄る辺の告白に変わっていた。それを俺は絆と呼んで。何一つ疑わなかった。
絆というのはこういうものを言うのかもしれない。
なんの疑いもなく。俺はそう書いた。
ただ心強い幼馴染との絆に。感謝していた。
――純粋に。