星を掴め ―― 嗤われた【重力魔法】、時間も光も支配して最強になった 作:朝凪小夜
ルーチェという支えを得て。俺は辛うじて日々を取り戻した。
だが一つだけ。俺の中で宙に浮いたまま行き場を失っているものがあった。
聖点だ。
俺は聖点を目指していた。
石ころ使いと嗤われた頃から。時間を遅らせ、光を曲げ、魔物を倒し。全部聖点のためだった。聖点を獲って。身分の壁を越えて。ステラに近づくために。
だがそのステラは。もういない。
俺の恋した少女は消えて。残ったのは、あの男の腕の中で満ち足りている俺の知らない女だけ。俺が聖点を獲って身分を越えたところで。届く相手はどこにもいない。
なら聖点を目指す意味は。
もうないはずだった。
なのに。
俺はまだ聖点を目指していた。
奇妙だ。
目的は消えた。届く相手はいない。それでも俺の足は。惰性のように聖点へと向いていた。
討伐を続け。力を伸ばし。いつか聖点を。そういう生き方だけが。俺の中に残っていた。目的を失っても。その生き方だけは。抜け殻のように残っていた。
なぜ聖点を目指すのか。
その問いに。俺はやはり答えられなかった。
ステラのため?
――違う。あいつはもういない。
身分の壁を越えるため?
――越えてどうする。越えた先に何がある。
力を示すため?
――誰に。何のために。
どの答えも。しっくりこなかった。俺は聖点を目指す理由を失っていた。だが聖点を目指すその習慣だけは残っていた。
理由のない目標。
中身の抜けた器のような。それだけが俺の前にぽつんと残されていた。
力だけは着実に伸びていた。
皮肉な話だった。目的を失ったこの時期に。俺の重力魔法はいちばん大きく化けた。
空白のあいだも。抜け殻のあいだも。俺は討伐を続けていた。ルーチェが連れ出してくれたから。そして討伐を続ける限り。強化の吸収は止まらない。俺は確実に強くなっていた。心が空っぽのままで。
時間を遅らせる領域は。以前の何倍もの広さになった。光を曲げる精度も。狙った一点へ寸分たがわず。ルーチェの光を導けるようになった。魔物の強化された力が濃ければ濃いほど。俺の重力は深く効いた。
あるとき俺は。中級の竜の亜種を。ルーチェと二人で沈めた。
聖点討伐でしかお目にかかれないような強敵。それを二人で。歴戦のパーティでも束になって挑む相手を。俺が遅らせ。ルーチェが貫いて。
その竜の亜種は聖点の力を色濃く宿していた。だからこそ。俺の重力はこれまでのどの魔物より深く効いた。あの巨体の突進が俺の領域でぴたりと止まった。石ころ使いと嗤われたあの俺の力が。今や竜の動きを縫い止めている。倒したあと流れ込んできた強化は凄まじい量だった。俺はまた一段大きく跳ねた。強化が濃いものを倒すほど俺は速く伸びる。その好循環がこの時期はっきりと形になっていた。
都市はまた俺たちの噂で持ちきりになった。重力のクロトと光のルーチェ。あの二人ならいつか本当に聖点を獲るかもしれないと。
力は聖点に手が届くところまで。来ていた。
あとは目指すだけ。あとは挑むだけ。
なのに。
そのいちばん肝心の。「なぜ」が。俺の中から抜け落ちていた。
ある夜、俺はルーチェに尋ねた。
二人で地図を広げ。次の討伐の計画を練っていたときだ。ふと俺は手を止めて。
「なあルーチェ」
「なに?」
「俺は、なんで、聖点を目指してるんだろうな」
ルーチェが地図から顔を上げた。碧い目が俺を静かに見る。
「ステラのため、だったはずなんだ。あいつに近づくために。……でももうあいつはいない。俺の知ってた、ステラは。なのに、俺はまだ聖点を目指してる。力もついた。手が届きそうなところまで来た。……でも、なんでだ? 意味なんてないのに」
俺は自嘲するように言った。
「惰性なのかもな。目的を失っても。目指す習慣だけが残ってる。……馬鹿げてるよな。行く先も分からないのに歩き続けてる」
ルーチェはしばらく黙って俺を見ていた。
その碧い目の奥で。何かが静かに動いた気がした。だがそれがなんだったのか。俺には読めなかった。
やがてルーチェは。静かに微笑んで。言った。
「……理由なら、また見つかるわ」
「見つかる?」
「ええ」
ルーチェは地図の上の北の一点――セルフィリアの大珠を指でそっとなぞった。
「目標がそこにあるなら。理由は後からついてくる。……前にも言ったでしょう。理由は後から分かればいいって」
理由は後から分かればいい。
あの言葉を。ルーチェはまた口にした。
俺が目的を失って空っぽになるたびに。ルーチェはその言葉で。俺を繋ぎ止めてきた。理由は後から。今はただ進めばいい。私がいるから。
俺はその言葉に。また頷いた。
頷くしかなかった。だって。俺にはもう。自分で理由を見つける力なんて。残っていなかったから。
その夜ルーチェが帰ったあと。
俺は一人地図を見つめていた。
北の深奥。セルフィリアの大珠。俺がいつか目指すはずの聖点。かつてはステラに近づくための道だった。だが今は。
ただの目標だ。中身のない。
俺はその一点を見つめながら。考えていた。
人はなぜ動くのか。
欲しいものがあるからだ。渇きがあるから。届きたい場所があるから。だから足を動かす。
だが今の俺には。欲しいものがない。渇きがない。届きたい場所もない。
なのに、聖点だけが。そこにある。
空っぽの器のように。
――何かが注がれるのを待っている器のように。
俺はその宙に浮いた目標を見つめながら。ぼんやりと思った。
もし。
この空っぽの器に。誰かが新しい意味を。新しい理由を。注いでくれたなら。
俺はまた。歩き出せるのだろうか。
その注がれる意味が。かつてのステラへの想いのように純粋なものか。それとも。まったく別の何かなのか。
――そんなことは考えもしなかった。
俺はただ。空っぽの器を抱えて。誰かがそこに理由を注いでくれるのを。無意識のうちに。待っていた。
思えばこの頃の俺の暮らしは。奇妙な均衡の上にあった。
表向きは。何もかもが順調だった。
力は聖点に手が届くところまで伸びた。都市でも指折りの冒険者になった。かつて俺を蹴り嗤った連中はもうどこにもいない。隣にはルーチェというかけがえのない相棒がいる。二人で竜の亜種すら沈めるようになった。あとはセルフィリアを目指すだけ。
石ころ使いと嗤われた男がたどってきた道としては。これ以上ないほどの成り上がりだ。
だが。
その輝かしい道の底に。
ぽっかりと穴が開いていた。
ステラは失った。俺の恋した少女は消えた。目的は溶けた。何のために強くなるのかも分からない。生きる理由も渇きもなくした。残ったのはルーチェへの依存と。宙に浮いた聖点という空っぽの器だけ。
俺は頂に手が届くところまで登ってきた。
だがその頂を目指す理由は。もうどこにもなかった。
登れば登るほど。目指すものがなくなっていく。強くなればなるほど。その力を振るう先が消えていく。
――上を向いて登りながら。中身は空っぽになっていく。
それがこの頃の俺だった。
日記を開いた。
目標はある。セルフィリア。力も届くところまで来た。だが理由がない。書くべき決意も渇きも。俺の中にはもうなかった。
俺はしばらく白い紙を見つめて。それからたった一行だけ書いた。
『聖点だけが残った。力もついた。だがなぜ目指すのかは分からない。……理由が欲しい』
理由が欲しい。
空っぽの器が。渇いていた。中身ではなく。中身を注いでくれる何かを。理由そのものを。
俺はその渇きだけを抱えて。眠りについた。
こうして。上を向いて登りながら。中身は空っぽのまま。誰かがそこに何かを注ぐのを待つ姿で。暮れていく。
その隣で。金の髪が。静かに。微笑みながら。
その理由が注がれたとき。
俺がまた歩き出すその足取りが。かつてのステラへの想いのようなまっすぐなものではなく。
もっと昏く、歪んだ何かになることも。
俺はまだ知らずにいた。
ただ空っぽの器を抱えて。理由を渇望しながら。眠っていた。