星を掴め ―― 嗤われた【重力魔法】、時間も光も支配して最強になった 作:朝凪小夜
目標ができた。
それだけで俺の日々は。まるで別のものに変わった。
空っぽだったあいだ。俺はただ体を動かしているだけだった。討伐に行っても。魔物を倒しても。何も感じなかった。
だが今は違う。
俺はセルフィリアを目指していた。ヴェルドー家より先にあの大珠を獲る。圧倒的な戦果で。誰にも見下されない自由を手に入れる。そして――あの俺を嬲った連中に。ほんの少しの仕返しを。
その目標が。俺を突き動かした。
朝目を覚ますと。体に力がみなぎっていた。空っぽだった胸に。火が灯っている。今日も強くなろう。明日も。セルフィリアに届くために。あの連中の目論見を砕くために。
俺はまた渇いていた。
あの石ころ使いの頃のように。渇きが。俺を前へ前へと押し出した。
力の伸びは。凄まじかった。
目標を失っていたあいだも。俺は強くなり続けていた。だがそれは惰性の成長だった。今は違う。明確な目標に向かって。俺は貪欲に力を求めた。
より深い珠地域へ。より強い魔物へ。ルーチェと二人で挑んだ。
強い魔物ほど。聖点の力で濃く強化されている。そしてその濃い強化ほど。俺の重力は深く効いた。俺の力は根源に近い。聖点に由来するものにこそ強く作用する。だから強敵を相手にするほど。俺の重力は冴えた。
そして倒すたびに。強化を吸収する。俺はまた強くなる。強くなれば、より強い敵に挑める。より強い敵を倒せば、より多くの強化を吸収する。
昇り龍のように。俺の力は。加速度的に。膨れ上がっていった。
かつて指一本ぶんの石を持ち上げるのがやっとだった。その俺が今は。牛ほどの岩喰いを遅らせ、圧し留める。竜の亜種の突進を掌一つで縫い止める。時間を遅らせる領域は部屋一つを覆うほどに広がった。光を曲げる精度は、どんな死角へも寸分たがわず届くほどに研ぎ澄まされた。
強くなるその手応えが。空っぽだった俺の胸を。日ごとに満たしていった。かつて日記に指一本の伸びを記録して喜んでいたあの頃の渇きが。何倍もの大きさで。俺の中に戻ってきていた。目標があるだけで。世界はこんなにも色を取り戻すのか。俺はその目まぐるしい変化に。半ば酔っていた。
「……すごいわ、クロト」
ある討伐のあと。ルーチェが荒い息を整えながら言った。
「この数ヶ月で。あなた別人みたいに強くなった。……前のあなたも強かったけど。今はその比じゃない」
「お前のおかげだ」
俺は掌を見つめながら答えた。
「目標ができた。……それだけでこんなに違う。空っぽだった頃が嘘みたいだ」
ルーチェは微笑んだ。その碧い目が。俺を見つめている。
「……ええ。あなたは変わったわ。いい目をするようになった」
いい目。
俺はその言葉に。少し引っかかった。
いい目とは。どんな目だろう。ステラに届こうとしていた頃の俺の目とは。何か違うのだろうか。あの頃あいつは。俺の目をこんな風には言わなかった。ただ静かに見ていた。だが今あいつは。満足そうに。まるで自分が丹精した何かが。ようやく望んだ色に染まったのを確かめるように。「いい目をするようになった」と。
だがその引っかかりを。俺は深く考えなかった。
目標があって。力が伸びて。日々が充実している。それで十分だった。俺はまた歩き出せている。それだけで良かった。
だが時折。
夜一人になると。
ふと思うことがあった。
この火は。なんだろうと。
石ころ使いの頃の火とは。何かが違う気がした。あの頃の火は。ステラに届きたいというまっすぐな熱だった。あいつのあの風に散る黒髪を追いかける。ただそれだけの。純粋な渇き。
だが今の火は。
もっと昏かった。
誰にも見下されない。あの連中を見返す。あの男の目論見を砕く。ざまあみろと言ってやる。……その火には。どこか澱んだ色が混じっていた。ステラを追いかけていた頃のあの透明な熱とは。違う何か。
傷から生まれた火だった。
あの夜宴で。あの男に虫けらのように嬲られた。その屈辱。その痛み。それが今の俺の燃料になっていた。
だが。
それでもいいと俺は思った。
昏くても。澱んでいても。火は火だ。俺を前へ進ませてくれる。空っぽの俺をまた歩き出させてくれる。それで十分だった。
――どんな火であろうと。
燃えていれば。それでいい。
俺はその火の出どころを。深く問わなかった。問えば何か認めたくないものに。行き着く気がして。だから俺は。ただ火にすがった。
セルフィリアへの道は。しかし簡単ではなかった。
「問題は、時期よ」
ある夜、ルーチェが地図を広げながら言った。
「ヴェルドー家の討伐隊は。もう動き始めてる。装備を揃え。人を集め。……セルフィリアへの出発は。そう遠くないわ」
「先を越されたら」
「終わりね。あの男がセルフィリアを獲れば。ステラの箔付けは成る。あなたの目論見も。全部水の泡」
俺は地図の北の一点を睨んだ。
セルフィリア。ヴェルドー家と俺。同じ獲物を狙っている。だが向こうは大規模な討伐隊だ。金も人も装備も桁が違う。俺とルーチェ二人だけで。あの討伐隊より先に。あの最大級の聖点を獲る。
無謀だった。
誰が聞いても。二人でセルフィリアを獲るなど。死にに行くようなもの。ステラにもそう言われた。マレナにも。
だが。
「……やれる」
俺は呟いた。
「二人でも。やれる。俺の重力と。お前の光と。……竜すら沈めてきた。セルフィリアだって」
ルーチェは俺を見た。碧い目が。静かに。しかし確かに。輝いていた。
「……ええ。やりましょう」
あいつは頷いた。
「あなたと私なら。できる。……あの男より先に。セルフィリアを獲るのよ」
その夜。
俺は日記に書いた。
『力は順調に伸びている。ヴェルドー家の討伐隊が動き出した。先を越される前に。俺たちも動く。……無謀かもしれない。二人でセルフィリアを獲るなど。でもやれる。俺にはルーチェがいる。目標がある。火がある。……もうあの空っぽの俺じゃない』
書き終えて。俺はペンを置いた。
もうあの空っぽの俺じゃない。
それは確かだった。俺はまた歩き出している。前を向いている。目標に向かって。力を伸ばして。日々が充実している。
空っぽだった頃を思えば。今の俺は。生きているという実感があった。
だが。
俺は気づかなかった。
その生きている実感の中心に。もうステラはいなかったことに。
あの風に散る黒髪も。あのまっすぐな笑顔も。俺を突き動かしていたあの透明な想いも。今の俺の中には。なかった。
代わりにあったのは。
昏い火。傷から生まれた意趣返しの欲。そして――その火を灯し育て方向づける。金の髪の気配。
俺はまた歩き出した。
だがその足は。
かつてステラへ向かっていたあの道とは。まるで違う方向へ。
俺は。自分の意志だと信じて。力強く。踏み出していた。