星を掴め ―― 嗤われた【重力魔法】、時間も光も支配して最強になった 作:朝凪小夜
夜が明けた。
掃討戦が始まる。聖点の支配者との本当の決戦が。
朝の光の中であらためてその支配者を見て
俺は総毛立った。
夜の闇の中で見たあの影。それが朝の光に晒されてその全貌を現していた。
巨大という言葉では足りなかった。
小山ほどの体躯だが、それはただ大きいだけではなかった。全身が捻じれていた。竜の鱗のような装甲の下から、無数の触腕がうねうねと蠢いている。その一つでさえ俺の体躯を超える。頭部は一つではなかった。いくつもの顔が捻じれた首の先で、てんでばらばらの方向を睨んでいる。五や十ではない。そのどれもが目を持っていた血のように赤い無数の目がこちらを見ている。
これが、この地を支配していたもの。
竜も、狼も、異形も全部、こいつの下僕こいつへの道を塞ぐ露払い。
真の敵
その無数の赤い目が一斉に俺を捉えた。
支配者が咆哮した。
いくつもの顎から同時に放たれたその声は、音ではなかった。衝撃だった。大気が震え、岩が砕けた。とっさに時間遅延の領域を全身にまとってその衝撃をかろうじて凌いだ。
そして、支配者の触腕が動いた。
無数のうねる触腕。その一本一本が竜の胴ほどの太さ。それが鞭のように俺めがけて振るわれた。
速い。
あの巨体からは信じられない速さ。俺は領域を張ってその触腕を鈍らせた。だが、聖点の最も濃い力を宿した支配者。その力は俺の時間遅延を押し破ろうとしてくる。双頭の竜の比ではなかった。
「くっ……!」
触腕の一撃が俺の領域をかすめて、すぐ横の岩を粉砕した。
まともに食らえば即死。
これまでのどの魔物とも次元が違った。
「クロト!」
ルーチェの光が走った。支配者の触腕を灼く。だが灼かれた触腕は黒い瘴気を噴き上げてすぐに再生した。
「くっ…再生する……!」
ルーチェが焦りの声を上げた。
支配者は大珠の力を全身に宿している。傷つけてもすぐに再生する。並の攻撃では倒せない。ヴェルドー家の討伐隊も遠くでこの支配者に挑んで押し返されていた。ステラの剣すらこの再生する巨体を仕留めきれずにいた。
絶望的だった。
どれだけ傷つけても再生する。無数の触腕。無数の赤い目。禍々しい瘴気。この化け物をどうやって倒す。
――だが。
俺の中で何かが冷たく澄んでいた。
昨夜。俺は触れた。あの力の片鱗に。密度を一点に集束させる、光すら閉じ込める、全てを圧し潰す真の重力の檻。
もし、あれを完成させられたら。
再生する暇も与えずにあの支配者を丸ごと圧し潰せる。
俺は魔力を練り始めた。
これまでの全部を注ぎ込んだ。石ころを持ち上げたあの日から、時間を遅らせ、光を曲げ、魔物を倒し、強化を吸収し、膨れ上がってきたその全部を。
密度を集束させる。一点に、極限まで。
昨夜は不完全だった。真の檻には至らなかった。だが今の俺は違う。この決戦でさらに強化を吸収した。根源の力が研ぎ澄まされている。
もっと深く。もっと狭く。もっと強く。
俺の掌の先、支配者のその巨体の中心に俺は一点を定めた。
そこに密度を集束させていく。時間が遅れる。光が曲がる。空間が歪む。もっともっと密度が上がっていく。
支配者が何かを感じ取ったように無数の赤い目で俺を睨んだ。全ての触腕が俺めがけて殺到する。
「――ルーチェ! 抑えてくれ! 少しでいい!」
「――ええ!」
ルーチェの光が舞った。殺到する触腕を片端から灼き鈍らせ、俺への到達をほんのわずかに遅らせる。
その、わずかな時間で。
俺は完成させた。
密度が臨界を超えた。
支配者の巨体の中心。そこに生まれた一点が。
崩壊した。
いや、崩壊ではない。収縮だ。その一点が無限に近い密度に達した瞬間、周囲の全てを引きずり込み始めた。
空間が、歪む光が、その一点へ吸い込まれていく。まっすぐ進むはずの光が、曲がって、曲がってその一点から出られなくなる、ただ黒い。黒の極点。
――事象の無限大の地平線
光すら出られない真の重力の檻。
それが支配者の体の中心に生まれた。
支配者が絶叫した。
無数の顎から、無数の悲鳴が。だがその悲鳴すらあの一点に吸い込まれて消えていく。
支配者の巨体が歪み始めた。
あの小山ほどの体躯が、中心の一点へ引きずり込まれていく。無数の触腕が再生する間もなく、あの一点へ飲み込まれる。竜の鱗のような装甲がひしゃげ潰れ、無数の赤い目が一つまた一つあの一点へ吸い込まれて消えていく。
再生?
させない。
再生するそばから全てをあの一点が飲み込んでいく。逃げ場はない。あの事象の地平からは光すら出られない。ならばあの支配者も出られない。
禍々しい瘴気も、血のような赤い目も、うねる触腕も、全部全部あの一点へ圧縮されて。
そして。
支配者が消えた。
小山ほどの巨体が丸ごとあの一点に飲み込まれて、圧し潰されて消滅した。
あとには何も残らなかった。
しんと静まり返る。
俺の掌の先で生まれた事象の地平が、役目を終えたようにゆっくりと閉じていく。
俺はそれを呆然と見つめていた。
倒した。
聖点の支配者を、あの再生する化け物を、都市の総力すら押し返した真の敵を。俺は倒した。この一撃で。
――俺は、至った。
石ころ使いと嗤われた俺が。
時間を遅らせ、光を曲げ、そしてついに全てを圧し潰す一点を事象の地平を創り出した。
光すら出られない檻。時間も光も全てを俺は支配した。
石ころ一つ持ち上げるのに汗だくになっていたあの日からここまで来た。
誰も届かなかった力。誰も知らなかった原理。それを俺はこの手で掴んだ。
胸の火がごうと燃え上がった。最高の高揚が俺を満たした。
俺は最強になった。誰にも見下されない。誰にも踏みつけられない。時間も光も支配する圧倒的な力。
これが俺の求めた自由だ。
だが。
その絶頂の瞬間。
俺はふと気づいた。
俺が今創り出したこの力。
光すら出られない檻事象の地平それは。
――自由の対極だった。
俺は自由を求めた。誰にも見下されない。誰にも縛られない。どこへでも行ける自由を。そのために力を求めた。頂を越えた。
なのに、俺が至ったその力は。
光すら閉じ込める。全てを逃さない。この世で最も逃げ場のない檻を創る力だった。
自由を求めた果てに、俺は最も逃げられない檻をこの手で創り出していた。
なんて皮肉だ。
俺は笑いを漏らしそうになった。
光すら閉じ込める力。
その力が皮肉にも俺の隣にいるあの光を支配し返せる唯一の力であることを。
俺はようやく思い当たった。
昨夜ふと思ったあの考え。「この光の使い手を俺は閉じ込められるのだろうか」と。
できる。
今の俺なら。ルーチェの光すら、あの事象の地平に閉じ込められる。この世でただ一人あいつの光を支配できる。
だが。
俺はその力をルーチェに使う気はなかった。あいつは俺の相棒だ。昨夜全部を俺に与えてくれた女だ。閉じ込める理由なんてない。
だが。
その皮肉に思い浸る暇はなかった。
極大質量圧縮。全てを圧し潰す一撃。それは俺の持てる力の全てを注ぎ込んだ一撃だった。
石ころを持ち上げたあの日から積み上げてきた全部、この決戦で吸収した強化の全部、それを一点に集束させて放った。
その反動が。
今俺の体を襲い始めていた。
視界がぐらりと歪んだ。
膝から力が抜けていく。掌が震える。魂が器から溢れ出そうな感覚。俺の体が、俺の器が、この途方もない力に耐えきれずに悲鳴を上げていた。
「……あれ」
呟いた。
体が動かない。地面が近づいてくる。いや、俺が倒れていくのだ。
最強になったはずなのに。
全てを手に入れたはずなのに。
なぜ俺は今こんなにも力尽きて倒れていくのか。
遠くで誰かが俺の名を呼んでいた。
ルーチェの声だった。
その声を聞きながら俺の意識はゆっくりと闇へと落ちていった。
――光すら出られない闇へと。
自分で創った檻の中へと落ちていくように。
俺は倒れた。