星を掴め ―― 嗤われた【重力魔法】、時間も光も支配して最強になった 作:朝凪小夜
クロトが倒れた。
私の腕の中で全てを圧し潰す力を放って力尽きて、眠るように。
私はその寝顔を、見下ろしていた。
――ようやく。
長い狩りが終わろうとしていた。あの、六つの夕暮れからずっと追いかけてきた光が。今。私の腕の中で、目を閉じている
だがまだ、終わってはいない。
最後の仕上げが、残っていた。
クロトを安全な岩陰に寝かせた。
そして、立ち上がった。
まだ決戦は終わっていない。支配者は倒れただが、大珠はまだ誰のものでもない。獲らなければ。この聖点を。私たちの
――いいえ
私の手で。
支配者を失った魔物たちは統率を失い、散り散りになっていた。もう、脅威ではない。私は残った魔物を光で掃討していった。クロトが遺した戦果のその仕上げを。
大珠へ、私は歩いていった。
力の渦巻く巨大な聖点その中心に、手を触れる。教会の作法に則って、女神の名において、私はこの聖点の支配を宣言した。
光が。応えた。
大珠が私の支配を受け入れた。セルフィリアが私のものになった。
――いいえ。
正確には、違う。
この聖点を獲る戦果のほとんど全てはクロトのものだった。あの子が支配者を倒した。あの子が、竜を、狼を、異形を、都市の総力すら越える戦果で薙ぎ払った。私はその隣で光を放っていただけ。
勲一等は本来、クロトのもの。
庶民の身で貴族の勲功すら覆す誰の目にも明らかな圧倒的な戦果それを挙げたのはクロトだった。
でも。
クロトは倒れている。
意識を失って、療養が必要な体で、この決戦の締めくくりに論功行賞の場に、あの子は立てない。
だから
――代わりに私が立つ。
これが二重の簒奪の始まりだった。
一つ目の簒奪。それはクロトが成したこと。庶民が貴族の勲功を奪う。ヴェルドー家が何年もかけて狙ってきた、セルフィリア。それを、庶民の冒険者が横から掻っさらう。あの経済の理。圧倒的な個人戦果を挙げた庶民は貴族の武功を覆せる。クロトはそれを誰の目にも明らかな形で成し遂げた。
ヴェルドー家の目論見は砕けた。あの男が率いた討伐隊は、支配者を倒せずに押し返されていた。倒したのはクロトだから、勲功はクロトのもの。ステラの箔付けは不発に終わる。
これが一つ目の簒奪。庶民が貴族から奪う。
そして二つ目の簒奪。
――その庶民の戦果を私が奪う。
難しいことではなかった。
クロトは倒れている。決戦の締めくくりを継いだのは私。大珠に支配を宣言したのは私。教会の記録にこの聖点の支配者として名を刻まれるのは。
――私。
私は教会に近い光魔法の使い手。女神の力に連なる者だから、私の言葉は通る。あの決戦のいちばん最後を継いで大珠を獲ったのは私だと、そう記録される。
クロトの戦果はもちろん、無視はされない。あれほどの働きをなかったことにはできない。だからクロトも英雄として記録される。
でも。
この聖点の支配者として婚姻と栄光を手にするのは。
――私。
クロトが遺した全部を、私が受け取る。あの子が倒れているあいだに。あの子の戦果を、あの子の勲功を、私の手の中で少しずつ私のものに作り替えていく。
罪悪感は、なかった。
だって、私がいなければ、クロトはそもそもここまで来られなかった。依頼を選んだのは私。段取りを組んだのは私。あの子の空っぽの器に理由を注いだのは私。あの子をこの決戦まで連れてきたのは全部、私。
だから、この戦果は私のものでもある。
――そう、私は自分に言い聞かせた。
言い聞かせなくても良かったのかもしれない。私はとうに手段を選ばない覚悟をしていたのだから。
クロトは都市に運ばれ、療養に入った。
器の拡大に体が追いつかなかった。体、命に別状はないのだが、目を覚ますまでに時間がかかる。医者はそう言った。
――医者は知らない。
あの子が力を失って倒れたのではないことを。逆に、あの子の器があの決戦で桁違いに拡大して、そのあまりの拡がりに肉の体が一時的に追いつけずにいるだけだということを。
私には分かっていた。あの子は回復すれば、また重力を振るえる。
――いいえ。
倒れる前より遥かに強大な力を振るえる。あの支配者をたった一人で圧し潰したあの子。回復したあの子は、もうこの世の誰の手も届かない。貴族も、教会も、剣星ですら、あの子には指一本触れられない。そういう超越した存在にあの子はなっていた。
誰にも手の出せない存在。
その存在を今、私が、この手で介抱している。眠るその顔を見下ろしている。世界の誰も届かないあの子にただ一人私だけが触れている。
私はあの子の枕元に何度も通った。
眠るクロトの顔を見つめながら私は思った。
この子は目を覚ましたときどう思うだろう。
自分の戦果が私のものになっていることを知ったら、裏切られたと思うだろうか、私を恨むだろうか。
――いいえ。
私は知っていた。
この子は恨まない。
この子は勲功になど興味がない。あの子が聖点を目指したのは、勲一等が欲しかったからではない。誰にも見下されない自由が欲しかったから。そして――ほんの少しの意趣返しがしたかったから。
その二つはもう果たされた。
クロトは支配者を倒した。都市の総力すら越える戦果を挙げた。あの子はもう誰にも見下されない。あの子を嬲ったあの男の目論見も砕けた。ステラの箔付けは不発。あの男の討伐隊はクロトの後塵を拝した。
クロトの望みは果たされた。
勲一等が誰のものになろうとあの子にはどうでもいいことだった。
だからあの子は私が戦果を受け取っても恨まない。むしろ
――感謝するだろう。
「あとを引き継いでくれてありがとう」と。
自分が倒れたあとの、面倒な後始末を私が全部やってくれたと、そう思うだろう。
あの子は最後まで私をかけがえのない相棒だと信じたまま。
私の簒奪を感謝と受け取る。
目を覚ましたのは半月ほど後だった。
私が枕元にいるときにクロトはうっすらと目を開けた。
「……ルーチェ」
掠れた声であの子は私の名を呼んだ。
「気がついたのね……よかった」
私はあの子の手を握った。あの子はぼんやりと天井を見つめてそれから思い出したように。
「支配者は……セルフィリアは……」
「大丈夫よ」
私は微笑んだ。
「あなたが支配者を倒したの……あとは私が全部やったわ。セルフィリアは獲れた……あなたの望み通り、ヴェルドー家の目論見も砕けた。ステラの箔付けは不発よ」
クロトの目にかすかな光が宿った。
「……そうか」
あの子は呟いた。
「……勝ったのか、俺たちは」
「ええ、勝ったのよ」
私は頷いた。
勝った。私たちが。
――いいえ。
勝ったのは、私。
でもあの子はそれを知らない。
「俺たちが勝った」と信じている。
かけがえのない相棒と二人で勝ち取ったのだと。
それからクロトは少しずつ回復していった。
医者は、決戦の代償であの子はもう以前のようには力を振るえないかもしれない、と心配そうに言っただが、それは誤りだった。あの子の器は傷ついたのではない、拡がったのだ。体がそれに追いつきさえすれば、あの子は倒れる前を遥かに超える力を取り戻す。
――回復したあの子はこの世で並ぶ者のない超越者になる。
それを私は知っていた。あの子自身はまだ気づいていないけれど。
――でも。
皮肉なことに、その超越者になるはずのあの子はもう上を目指す気がなかった。
「別にいいさ」
あの子は笑って言った。
「もう目指すものは果たした。誰にも見下されない。あの男にもざまあみろって言ったようなもんだ……これ以上強くなる理由もない」
その言葉を聞いて私は安心した。
あの子はもう上を目指さない。強くなる理由を失った。空っぽになったあの子に私が注いだ理由、それももう果たされた。
世界の誰にも手の出せない力を持ちながら、あの子はその力をもう振るう気もない。ただ私の隣で穏やかに生きるそれだけを望んでいる。
――なんていい子。
誰も手の出せない超越者が、私の腕の中で牙を抜かれた獣のように穏やかに丸まっている。その力を私のためだけに眠らせて。
だからこれからあの子には新しい理由が必要になる。
そしてその理由も私が用意している。
――私
あの子がこれから生きていく理由、それに私自身がなる。あの子はもう私なしでは生きられない。戦いも、暮らしも、心も。全部私に依存しきっている。そしてあの前夜、体もあの子は私に差し出した。
あとは、あの子の心が完全に私のものになれば。
ある日。
療養するクロトの枕元で私はそれを見た。
眠っているクロトの寝顔、その口元がかすかにゆるんで私の名を呼んだ。
「……ルーチェ」
夢の中で、あの子は私の名を呼んだ。
安らかな顔で、まるで私の隣がいちばん安心できる場所だと言うように。
息を呑んだ。
――芽生えている。
あの子の心に、私への想いが芽生え始めている。
かつてステラに向けられていたあのまっすぐな想い、それが今少しずつ私の方へ向き始めている。あの子は気づいていない、まだ自分の心が私を求め始めていることに。
でも私には分かった。
あの子の夢の中の微笑み、あの子の寝言、あの子が私を呼ぶその声の響き。それは相棒への感謝でも依存でもなかった。
もっと深い想い。
好意の欠片。
それがあの子の心に芽生えていた。
私は眠るその頬にそっと触れた。
――全部、手に入れた。
あの子の戦い、あの子の暮らし、あの子の心。そして、あの子の体全部、私のものになった。あの子はもう私なしでは生きられない。そしてあの子の心も今私を求め始めている。
あの六つの夕暮れからずっと追いかけてきた光。
誰も価値を知らなかったあの歪んだ光。それを私だけが見ていた。私だけのものにしたいと願った。
その願いが今叶おうとしている。
ステラはまっすぐで何もしなかった。だからあの子の恋を得た。私はまっすぐではいられなかった。だからあらゆる手を使った。あの子の恋を砕き、空白を作り、依存を植え、体を繋ぎ、そして心まで手に入れた。
卑劣だと言われるだろう、簒奪だと、踏みにじりだと。
構わない。
私は勝ったのだから。
論功行賞の日が来た。
王都の大聖堂で、セルフィリア討伐の功労者たちが女神の名において叙勲される。
その中心に私は立っていた。
クロトはいなかった。
まだ療養の身。あの決戦の代償で長く立っていることも難しい。だからあの子はこの場に来られなかった。
代わりに私が立っていた。
セルフィリアの支配者を討ち、大珠を獲った功労者として。クロトの隣で戦い、あの子が倒れたあとを継いで、決戦を締めくくった者として。
叙勲の宣言が読み上げられる。
セルフィリアの大珠、その支配権。それに伴う栄光と莫大な金子。そして庶民の身から貴族に連なる地位。
それらが授けられる。
――クロトと私に。
だが、クロトはここにいない。療養で伏せているのだから。あの子のぶんの栄光も、あの子のぶんの金子も、地位も、当面は共に聖点を獲った私が預かることになった。
私が手配した教会の伝手を使って、クロトが療養しているあいだ、あの子の戦果と栄光を私が管理するという形を。
誰も疑わなかった。
だって、私はあの子のかけがえのない相棒。あの子が倒れたあとを継いだ功労者。あの子の栄光を私が預かるのは当然のこと。
そして。
もう一つ。
この叙勲に伴って、私は教会にある届け出をしていた。
婚姻の届け出。
クロトと私の。
「決戦の前夜、私たちは夫婦の契りを交わしました」と。
「クロトは療養中ですが、回復すれば正式に婚姻を結びます」と。
あの前夜、私がクロトに差し出した体、あの子が受け取った私の初めて。
「責任を取って」と私が言ったあの冗談。
「ずっと傍にいて」と。
あれは冗談ではなかった。
あれは婚姻の約束だった。
クロトは「ああ、責任取るよ」と言った。
冗談に冗談で返すように。でも、あの言葉は契約だった。逃げられない約束。
私はそれを教会に届け出た。証人も立てた。あの決戦の夜を。クロトが私の初めてを受け取ったことを。
あの子が「責任を取る」と誓ったことを。
もうあの子は逃げられない。
叙勲が終わり、人々が引いていく大聖堂に私は一人残された。
高い天井。差し込む光。女神の像。その静寂の中で私は手に入れたものを数えた。
セルフィリアの支配権。莫大な金子。貴族に連なる地位。栄光。
そして。
クロト。
あの子の戦い、暮らし、心、体、そして婚姻の約束。全部、私のものになった。
あの子は私なしでは生きられない。あの子の心は私を求め始めている。あの子は私を妻として迎える。私が差し出した体の「責任」を取るために。
全部、私の思い描いた通りに。
窓の外を見上げた。
空が青かった。
あの六つの夕暮れ。都市の外れでクロトが小石を持ち上げた、その掌の周りで光が歪んで輝いた。誰も気づかなかった。私だけが見ていた。
綺麗だと思った。
あの光を私だけのものにしたいと願った、どうしようもなく重くなったその願い。
長い道のりだった。
あの子の恋を砕くためにステラが堕ちるのを見ていた。あの子をあの宴に連れて行った。あの子が吐いて、泣いて、壊れるのを私は背中をさすりながら喜んでいた。空っぽになったあの子に理由を注いだ。依存を植えた。決戦の前夜、体を繋いだ。そして倒れたあの子の戦果を奪った。
全部、この日のため。
あの歪んだ光を私だけのものにするこの日の。
私は笑った。
誰もいない大聖堂で一人。
声を上げて笑った。
勝った。
私は勝ったのだ。
ステラは剣星になった。都市の誇りに。あの圧倒的な力でクロトの恋を得た。でもあの子はそれをぬるま湯の中で腐らせた。何もしなかった。手を伸ばさなかった。だから、失った。
私は違う。
私はまっすぐではなかった。器もステラほど大きくはなかった。剣星のような輝きもなかった。でも、私はあらゆる手を使った。手段を選ばなかった。全部を賭けた。
そして、勝った。
掴めなかった剣星の代わりに、全部をあの子に与えて、あの子の全部を奪った。あの子の心のいちばん深いところに私はいる。
あの子はもう私のもの。
どんな手を使っても。私はそう決めていた。あの夕暮れの光を見たあの日からずっと。
そして私は掴んだ。
あの光を、この手で。
笑い声が大聖堂に響いて消えた。
私は窓の外の青い空を見上げていた。
クロトは今頃、療養の床で眠っているだろう、私の名を呼びながら安らかな顔で。私が彼から何を奪ったのかも知らずに。私が彼に何を与えたのかも知らずに。ただかけがえのない相棒との絆を信じて眠っている。
――それでいい。
知らなくていい。
あなたはただ私の隣で眠っていて。私の名を呼んでいて。私を信じていて。
それで私は満たされる。
あなたを掴んだ。私だけのものにした。誰にも渡さない。あの宴でステラを奪ったあの男にすら、あなたの心の欠片ひとつ渡さない。全部私のもの。
あの子はこの世で並ぶ者のない超越者になった。支配者を単独で討ち、剣星すら越え、回復すれば貴族も教会も誰もあの子には手が出せない、本来なら、あの子はこの世界の誰の手も届かない天の高みにただ一人君臨するはずの存在。
その超越者を私が掌の中に握っている。
最も大きな器を与えられた剣星でもなく、最も根源の力を与えられたあの子自身が、意のままにするのでもなく、ただ平凡な器しか持たない私が、あの天の高みの存在をまるっと腕の中に閉じ込めて檻に囲っている。
女神が与えた資質でも、生まれの身分でもない私が手にしたのは、私の執着と私が選んだ手段だけ。それだけで私は世界でいちばん高い場所にいるはずのものを私だけの腕の中に囲い込んだ。
こんな倒錯があるだろうか。
誰も届かない光を、誰にも届かないままにして、私ただ一人の腕の中に閉じ込める。あの子がその檻をいちばん安らげる場所だと信じたまま。
これからずっとあの子を私の腕の中に閉じ込めて生きていく。優しく決して逃さないように。
あの子がそれを幸せだと信じたまま。
――永遠に。
私はもう一度微笑んだ。
今度は静かに満ち足りた笑みで。
――勝った。
その実感を噛み締めながら。
私は愛する人の待つ療養の床へと歩き出した。
私だけの光のもとへ。