星を掴め ―― 嗤われた【重力魔法】、時間も光も支配して最強になった 作:朝凪小夜
翌朝、俺はギルドに向かった。
昨夜のことを、忘れたわけじゃない。崖の際で見た、あの遠い庭園。届かない微笑み。許嫁。叙勲。胸に開いた穴は、まだ塞がっていない。
だが、その穴の底で、小さな火が、消えずに残っていた。
聖点を獲れば、何かが変わる。昨夜、そう思った。ただの思いつきだ。輪郭もない。だが、確かめずにはいられなかった。確かめもせずに諦めるのは、俺の性分に合わない。二百日、そうやって生きてきた。
ギルドの受付には、マレナがいた。今日も赤茶けた髪を無造作に束ねて、帳面をめくっている。
「よう、クロト。ずいぶん早いね」
「聞きたいことがある」
「なんだい、あらたまって」
俺は、カウンターに手をついた。
「聖点を獲るって、どういうことだ」
マレナが、めくっていた帳面から、顔を上げた。片眉が、少し上がる。
「……藪から棒だね。聖点を獲る、ねえ」
「仕組みを知りたい。誰が、どうやって、何のために獲るのか。獲ったら、どうなるのか」
マレナは、しばらく俺の顔を見ていた。それから、帳面を閉じて、カウンターに肘をついた。
「あんた、昨日、貴族街の方に行ってたって、噂を聞いたよ」
俺は、答えなかった。マレナは、それで察したらしい。小さく、息を吐いた。何か言いたげな気配があったが、それを飲み込んで、代わりに、話し始めた。
「まあ、いい。教えてやるよ。どうせ、下層のガキでも、夢に見る話だ」
「聖点ってのはね、力の塊だ」
マレナは、指で、カウンターの上に、見えない点を描いた。
「地脈って、力の流れがある。この大地の下を、血みたいに、力が巡ってるのさ。その流れの上に、ぽつ、ぽつと、力が溜まって、塊になった場所がある。それが聖点。人が珠って呼ぶやつだ。そこじゃ、生き物は力を得る。体力も、魔力も、な。人間だけじゃない。獣も、魔物も、みんなだ」
「魔物も」
「そう。だから、珠地域には魔物が集まる。力を求めてね。竜だの、狼だの、そりゃあ厄介なのが、うようよしてる。しかも、聖点の力を浴びて、どんどん強くなる。冒険者ってのは、元をたどれば、その魔物を相手にする稼業さ」
俺は、頷いた。そこまでは、なんとなく、知っていた。だが、マレナの口から、順序立てて聞くと、頭の中で、ばらばらだった断片が、少しずつ、位置に収まっていく。
「で、問題はここからだ」
マレナは、声を、少し落とした。
「まだ誰も支配していない、新しい聖点を見つけて、そこの魔物を全部片付けて、支配下に置く。そうすりゃ、その聖点の力は、支配した者のものになる。力の湧く土地を、丸ごと手に入れるってことだ。……分かるかい。これが、どれだけの価値か」
分かる。分からないはずが、ない。
力の湧く土地。そこに人を住まわせれば、みんな力を得る。強い兵が育つ。豊かな都市ができる。聖点一つが、そのまま、一つの領地の、富と力の源泉になる。この都市そのものが、大昔に、誰かがそうやって獲った聖点の上に、築かれているのだ。
「だから、聖点の発見と支配は、一攫千金なのさ」
マレナは、そう言って、にやりと笑った。
「見つけて、獲れば、無一文の庶民が、一夜にして、領地持ちの英雄になれる。……もっとも、そう簡単な話じゃ、ないけどね」
「簡単じゃない、というのは」
「二つ、ある」
マレナは、指を二本、立てた。
「一つ。聖点の支配には、女神の力がいる。正確には、教会の力だ。魔物を片付けただけじゃ、聖点は手に入らない。教会が、女神の名において、支配を認めて、初めて、その土地は、獲った者のものになる。だから、聖点を獲るには、必ず、教会が絡む。……逆に言やあ、教会に睨まれたら、どんな戦果を挙げたって、聖点は手に入らないってことさ」
教会。俺は、その言葉を、頭の隅に、留めた。女神の名において、支配を認める。力を斬り拓くのは剣でも、それを「誰のものか」と決めるのは、教会だ。妙な仕組みだと思った。だが、この世界は、そういう仕組みで回っているらしい。
「二つ目は」
「二つ目が、本題さ」
マレナは、立てた指を、一本に、折った。
「聖点を獲る討伐ってのは、たいてい、貴族が主導する。金も、人も、装備も、貴族が出す。そりゃそうだ。庶民に、そんな大掛かりなことを仕切る力は、ない。……で、獲った聖点の勲功は、誰のものになると思う」
「……貴族の、ものか」
「そういうことだ」
マレナは、肩をすくめた。
「率いた貴族の武功になる。金を出し、人を率いた者の手柄だ。末席で魔物を斬った庶民の冒険者なんざ、日当をもらって、それで終わりさ。夢の一攫千金は、結局、貴族の懐に入る。……これが、世の中の、仕組みってやつだ」
俺は、カウンターの木目を、見つめた。
やはり、そうか。
力の湧く土地。一攫千金。だが、その果実は、庶民の手には、渡らない。仕切るのは貴族。手柄も貴族。庶民は、日当をもらう駒に過ぎない。身分の壁は、こんなところにも、きっちりと引かれている。魔物と戦って命を張るのは庶民、甘い汁を吸うのは貴族。よくできた仕組みだ。誰にとって、よくできているのかは、言うまでもない。
昨日の、あの門の衛兵の、鼻で笑う顔が、頭をよぎった。
「……なら」
俺は、顔を上げた。
「庶民が、手柄を獲る方法は、ないのか」
マレナは、俺の目を、じっと見た。それから、ふう、と、長い息を吐いた。
「……一つだけ、ある」
「覆せるのさ」
マレナは、そう言った。
「率いた貴族の武功。それが、原則だ。だが、原則には、例外がある。……もし、その討伐で、最初から最後まで、圧倒的な戦果を挙げた庶民がいたら。誰の目にも明らかに、そいつがいなけりゃ聖点は獲れなかった、ってほどの働きをした庶民がいたら」
マレナの声に、力が、こもった。
「その手柄は、覆せる。貴族の武功を、庶民が、奪い取れる。教会も、女神の名において、そいつの功を認めざるを得ない。……勲一等を、庶民が、掻っさらう。そういう、例外だ」
俺の、心臓が、跳ねた。
「めったに、ないけどね」
マレナは、すぐに、付け加えた。
「圧倒的な戦果、なんて、そう簡単に挙げられるもんじゃない。竜や狼がひしめく聖点で、貴族の兵を差し置いて、庶民一人が、群を抜く働きをする。……普通は、無理だ。だから、一攫千金は、たいてい、貴族の懐に消える。歴史をひっくり返しても、そんな庶民は、両手で数えられるかどうか、さ。でも、理屈の上では、道は、ある。ゼロじゃあ、ない」
ゼロじゃ、ない。
その言葉が、俺の胸の、あの穴の底で、燻っていた火に、風を送った。
俺は、しばらく、動けずにいた。
頭の中で、いくつもの断片が繋がっていく。昨日、聞いた話。剣星は、聖点を獲る。名門に嫁ぐための、箔として。庶民の血に武功で箔をつける。
庶民が、聖点の戦果で、武功を得る。
同じことだ。
ステラがやろうとしていることと、マレナが今、話したことは、同じ理屈の、上にある。庶民が、聖点で圧倒的な戦果を挙げて、身分の壁を押し上げる。あいつは、その頂点の例だ。剣星という途方もない力で、それを成し遂げようとしている。
なら。
俺にも、できるんじゃないか。
いや、と、すぐに、心の中で、自分に突っ込む。剣星と、石ころ使いを、同じ天秤に乗せるな。あいつの力と、俺の力とでは、比べるのもおこがましい。
だが。それでも。理屈の上では、同じ道だ。
「マレナ」
俺は、掠れた声で、言った。
「もし、庶民が、聖点で、勲一等を獲ったら。……その庶民は、どうなる」
「どうなる、って」
「身分は。扱いは。……貴族に、伍せるのか」
マレナは、俺の顔を、まじまじと、見た。
その目に、何か、危ういものを見るような色が浮かんだ。だが、それでも、答えてくれた。
「……伍せる、だろうね。勲一等の英雄なら。爵位が下りることもある。少なくとも、貴族が、無下にはできない相手にはなる。門前払いされて鼻で笑われる、そんな身分じゃなくなるさ」
門前払いされて鼻で笑われる、そんな身分じゃなくなる。
俺は、ゆっくりと、息を吐いた。
昨日、俺を虫のように追い払った、あの門。俺の言葉が、意味を持たなかった、あの境界。あそこを、越えられる。庶民のままで、越えられる。聖点を、獲れば。勲一等を、掻っさらえば。
その、途方もない、しかし、確かに存在する、細い道が。
今、俺の目の前に、一本、伸びていた。
「やめときな、クロト」
マレナの声が、俺を、現実に引き戻した。
見れば、マレナはめずらしく真剣な顔をしていた。冗談めかした色は、消えていた。
「あんたが何を考えてるか、だいたい分かるよ。あんたの魔法は、確かに、大化けした。ガレンを沈めて、ドグを退けた。大したもんだ。……でも、聖点討伐は、そんな次元の話じゃない。竜だ。狼の群れだ。魔物がひしめく、地獄だ。歴戦の冒険者だって、簡単に死ぬ。あんたの、その、遅らせる魔法一つで、どうにかなる場所じゃないんだよ」
正しい。
マレナの言うことは、何一つ、間違っていない。今の俺の力では、聖点討伐の末席にすら、加えてもらえないだろう。加えてもらえたところで、竜の一撃で、あっさり死ぬ。
分かっている。
「ああ。分かってる」
俺は、頷いた。
「今の俺じゃ、無理だ。すぐには、無理だ。……でも」
俺は、顔を、上げた。
「道があるって、分かった。それだけで、いい」
マレナは、俺を、見つめていた。何か言いたげに、口を、開きかけた。だが、結局、何も、言わなかった。ただ、諦めたように、そして、どこか眩しそうに、目を細めた。
「……あんたは本当に、変わってるよ」
「よく言われる」
俺は少しだけ笑った。
礼を言ってギルドを出た。
外はよく晴れていた。丘の上の貴族街の塀が遠くに白く光っている。昨日俺を拒んだあの境界。
だが今日は昨日とは違って見えた。
越えられない壁じゃない。越える道のある壁だ。途方もなく、細く、険しく。たぶん命を懸けなきゃたどり着けない道。だが確かに、そこにある道。
俺は拳を握りしめた。
聖点を獲る。勲一等を掻っさらう。庶民のまま身分の壁を越える。そうすれば――あの崖の際の境目を越えて、あいつのいる場所まで。
いや。
俺はそこで自分の考えを少し止めた。
あいつには許嫁がいる。叙勲がある。名門への輿入れが待っている。俺がどれだけ力をつけてもあいつが俺のものになるなんてことはない。それは昨日思い知った。
なら俺は何のために聖点を獲るのか。
……分からなかった。
あいつを取り戻すため、と言うにはあまりに遠すぎる。届くなんて思えない。それでも俺の中の何かが聖点へ向かおうとしていた。理屈じゃない。あいつが遠ざかったと知ったその途端に俺の足はあいつの向かう先へ向かおうとしている。
この行き場のない衝動の本当の名前を俺はまだ知らずにいた。
ただ一つ。
あいつが聖点を目指すなら。俺も聖点を目指す。
その一点でだけ俺とあいつはまだ同じ道の上に立っている気がした。たとえ遠く離れていても。同じ聖点という頂を見上げている。それだけで今はよかった。それだけが俺とあいつを繋ぐ細い糸だった。
俺は白く光る遠い塀をもう一度だけ見上げて。
それからねぐらへの道を歩き出した。
磨くべきものは山ほどある。時間はいくらあっても足りない。
――だが俺の足取りは昨日よりもずっと確かだった。