星を掴め ―― 嗤われた【重力魔法】、時間も光も支配して最強になった 作:朝凪小夜
ルーチェが俺のねぐらを訪ねてきたのは、聖点のことを真剣に考え始めて数日後の夕暮れだった。
ルーチェとは、この二年、ステラほど疎遠にはなっていなかった。時折、街で顔を合わせれば、言葉を交わす程度には。だが、こうして、向こうから、俺のねぐらを訪ねてきたのは、初めてだった。
倉庫の戸を叩く音がして、開けると、そこに、ルーチェが立っていた。
金の髪が、夕陽を受けて、燃えるように輝いていた。長い髪を、緩く編んで、肩に流している。その髪の色は、この都市では、めずらしい。だから、幼い頃から、ルーチェは、どこにいても、目立った。人混みの中でも、あの金の髪を探せば、すぐに見つかった。夕暮れの逆光の中で、その輪郭が、金色に縁取られている。誰が見ても、美しい娘に育った、と思うだろう。
そして、その目。
碧い、澄んだ目だ。空の色を、そのまま閉じ込めたような。だが、ただ澄んでいるだけじゃない。その奥に、何か、静かな深さがある。子供の頃から、ルーチェのこの目に見つめられると、俺は、心の底まで、見透かされているような気がした。
「久しぶり、クロト」
ルーチェは、柔らかく、微笑んだ。
整った顔立ちだった。すっと通った鼻筋。薄い唇。全体に、線が細く、儚げで、それでいて、芯の強さを感じさせる。ステラが、まっすぐな陽の光だとしたら、ルーチェは、静かな、月の光だ。子供の頃から、そう思っていた。
綺麗な娘だと、俺は、素直に、そう思う。思うが――それだけだ。ステラを見たときのような、胸が締めつけられる感じは、ない。ルーチェの美しさは、俺にとって、澄んだ月や、綺麗な光と、同じ種類のものだった。美しいと、認める。だが、焦がれはしない。それが、ステラと、ルーチェの、俺の中での違いだった。
「……ルーチェか。どうした、こんなところまで」
「あなたの噂、聞いたわ」
ルーチェは倉庫の中をちらりと見た。石だの、鉛の錘だの、鉄くずだの、俺の検証の道具が散らばっている。その散らかりようを見ても、ルーチェは眉一つ動かさなかった。むしろ、その散らかりを懐かしむような目で見ていた。
「ガレンを沈めて、ドグを退けた。石ころ使いが大化けしたって。……ううん」
ルーチェは俺をまっすぐに見た。碧い目が俺を捉える。
「大化けじゃない。あなたは、やっと、みんなに追いついてもらえたのね。私は、ずっと前から知ってたけど」
私は、ずっと前から知ってた。
なんてことのない幼馴染の励ましの言葉だ。俺はそう受け取って少し照れた。
「……買いかぶりだよ。ただ、諦めが悪かっただけだ」
「その諦めの悪さを、私は知ってるって、言ってるの」
ルーチェはそう言って微笑んだ。
「まあ上がってくれ。狭いけどな」
「お邪魔します」
ルーチェは迷いなく俺のねぐらに足を踏み入れた。まるで何度も来たことがあるみたいに自然な足取りで。初めてのはずなのに。
ルーチェのスキルは光魔法だ。
これもめずらしいスキルだった。聖点で授かった力。光を操る。教会でも光魔法の使い手は重んじられる。女神の力に近いとされるからだ。実際、ルーチェは教会にもそれなりの伝手があると聞く。
ルーチェは木箱に腰を下ろすと、掌に小さな光を灯してみせた。
夕暮れの薄暗い倉庫の中に、その光はふわりと浮かんで、周囲を柔らかく照らした。温かい光じゃない。冷たくもない。ただ静かで澄んだ光。ルーチェの目の色によく似ていた。
「相変わらず、綺麗だな。お前の光は」
俺が言うとルーチェはほんの少し目を見開いた。それからその光をふっと消した。
「……クロトは昔からそう言ってくれるわね」
「言うだろ。綺麗なものは綺麗だ」
俺にとっては、それはただの事実だった。ルーチェの光は綺麗だ。ステラの剣が鮮やかなのと同じくらい当たり前の事実。だがそう口にする俺の声に特別な熱はない。俺自身、それをなんとも思っていなかった。綺麗なものを綺麗だと言う。それ以上でも以下でもない。
だがルーチェはその俺の言葉に、なぜか、少しのあいだ黙り込んだ。碧い目が掌の光の消えた場所を見つめていた。何を考えているのか俺には読めなかった。
ルーチェはそういうところがあった。ふと、こちらの分からない深い場所に沈み込む。子供の頃からそうだった。ステラが感情を全部顔と体に出す子だったのに対して、ルーチェはいつも静かで底が見えなかった。
「クロト」
やがてルーチェは顔を上げた。
「あなた、聖点を目指してるでしょう」
俺は息を呑んだ。
「……なんでそれを」
まだ誰にもはっきりとは言っていない。マレナには聖点の仕組みを尋ねただけだ。目指すとは口にしていない。
ルーチェは静かに微笑んだ。
「分かるわよ。あなたが貴族街に行ったことも。ステラのことも。……そして、あなたが次に何を考えるかも」
俺は少し驚いていた。
ルーチェは全部分かっていた。俺が崖の際で何を見たか。何を知ったか。そしてその先で俺が何を目指し始めたか。俺自身、まだ輪郭の掴めないその衝動の行き先を、ルーチェはもう見抜いていた。
昔から勘のいい奴だった。俺はそう思って納得した。ルーチェはいつも俺のことを俺より先に分かってしまう。子供の頃からそうだった。それだけのことだ。
「聖点を獲る。それが、あなたがステラのいる場所に近づける、たった一つの道だから」
ルーチェの声は穏やかだった。責めるでも憐れむでもない。ただ事実を述べるように。
「身分の壁を越えるにはそれしかない。庶民が、圧倒的な戦果で勲一等を掻っさらう。……そうでしょう」
「……ああ」
俺は認めるしかなかった。ルーチェの言葉は、俺のまだ言葉にならない考えをそのまま言い当てていた。
「無謀だって、分かってる」
「今の俺じゃ聖点討伐の末席にも加われない。竜や狼の地獄だ。歴戦の冒険者でも死ぬ。……マレナにもやめとけって言われた。それでも」
「それでも、やるのね」
「ああ」
ルーチェはしばらく俺を見ていた。碧い目が静かに俺を捉えている。
そして。
「なら私が手伝う」
ルーチェはそう言った。
「……手伝う?」
「あなた一人じゃ無理よ。でも私となら違う」
ルーチェは木箱から立ち上がった。夕暮れの光の中で金の髪が揺れた。
「私、この二年冒険者としてそれなりに地盤を固めてきたの。信頼できるパーティの伝手もあるし、珠地域の情報も集めてる。装備も、教会との繋がりも。……聖点討伐に必要なものを少しずつ揃えてきた」
この二年。冒険者として地盤を固めてきた。聖点討伐に必要なものを揃えてきた。
俺はその用意周到さに素直に感心した。俺が河原で石ころを磨いているあいだルーチェはこんなにも先を見て着々と備えを進めていたのか。俺とはまるで器の違う話だ。
「すごいな、お前」
俺は正直に言った。
「俺が石ころ相手に、うんうん唸ってるあいだに、そんなに先のことまで考えてたのか」
「……ええ。まあね」
ルーチェは少しだけ目を伏せた。碧い目が一瞬俺には読めない色を宿した気がした。だがそれはすぐにいつもの静かな微笑みの下に隠れた。
「私、昔からそういうの得意なの。先のことを考えるのが」
先のことを考えるのが得意。なるほどと思った。ルーチェは昔から俺やステラよりずっと大人びていた。俺たちがその日のことしか考えていないあいだも、ルーチェだけは静かにずっと先を見ていた。そういう奴だ。
差し伸べられた手を疑う。そんな余裕はそもそも今の俺にはなかった。幼馴染が俺を信じてくれて手を貸してくれる。無謀な道に一人じゃなく二人で挑める。ルーチェの光魔法と俺の重力魔法。相性だって悪くないはずだ。これ以上ありがたい話があるか。
「頼む」
俺は頭を下げた。
「お前がいてくれるなら心強い。……正直、一人じゃどこから手をつけていいか分からなかった。助かるルーチェ」
ルーチェは俺の下げた頭をしばらく見ていた。
その顔にどんな表情が浮かんでいたのか。頭を下げていた俺には見えなかった。
だが顔を上げたときルーチェはいつものように柔らかく微笑んでいた。
「任せて。あなたを必ずあの場所まで連れて行くから」
あの場所まで。
ステラのいる場所まで。
夕暮れが闇に変わる頃にルーチェは帰っていった。倉庫の戸口で振り返りもう一度微笑んで。
「また来るわ。近いうちに。……準備の話をしましょう」
金の髪が夜の闇に溶けていく。その後ろ姿を俺は戸口で見送った。
心強い味方ができた。
『第二百十三日。ルーチェが力を貸してくれることになった。光魔法と重力魔法。二人でなら聖点も夢じゃないかもしれない。……いい幼馴染を持ったものだ』
その夜俺は久しぶりに穏やかな気持ちで日記を書いた。