星を掴め ―― 嗤われた【重力魔法】、時間も光も支配して最強になった 作:朝凪小夜
ルーチェが力を貸してくれるようになってから、俺の検証は一段加速した。
ルーチェは近いうちに、と言った通り、数日と置かずにまた倉庫を訪ねてきた。今度は珠地域の地図や討伐の記録の写しを抱えて。
「これが、この辺りでまだ支配されていない聖点の候補。……といっても、噂や断片的な記録を繋ぎ合わせたものだけど」
ルーチェは木箱の上に地図を広げた。金の髪が灯りに揺れる。俺はその地図を覗き込んだ。
聖点討伐に必要な知識は山ほどあった。魔物の生態。地形。教会の手続き。装備。討伐隊の動き。俺一人ではどこから手をつけていいか見当もつかなかったものが、ルーチェの持ち込む情報で少しずつ形になっていく。
やはり、この二年ルーチェが積み上げてきたものは本物だった。冒険者としての地盤。伝手。知識。俺が石ころを磨いていたあいだに、ルーチェはこんなにも遠くまで来ていた。俺の道楽とルーチェの備え。同じ二年でこれほど違うことをしていたのかと少し可笑しくなった。
「助かる。本当に」
「気にしないで。……それよりクロト」
ルーチェは地図から顔を上げて俺を見た。
「あなたの魔法、私に見せてくれない? 時間を遅らせるっていう。二人で戦うなら、あなたの力を私もちゃんと知っておきたいの」
もっともな話だった。
相補戦力。俺の重力とルーチェの光。二人で戦うなら互いの力を知っておくべきだ。
「ああ。見せる。……といっても、地味だけどな」
俺は掌にいつもの領域を張った。目には見えない拳一つ半ほどの時間の薄まった空間。そこに小石を放り込む。
小石が鈍った。落ちる速さを失い、水中を漂うように、ゆっくりと床に落ちる。
「これが時間遅延だ。俺の領域に入ったものは遅くなる。……戦いでは相手の攻撃や踏み込みをこれで鈍らせる」
ルーチェはその光景をじっと見ていた。碧い目が小石の遅い軌跡を追っている。
その反応は俺が見せてきた他の誰とも違った。
マレナは面白がった。ガレンやドグは得体が知れないと恐れた。だがルーチェは。ルーチェはただ静かに見入っていた。まるでずっと昔から知っているものを久しぶりに見るように。
「……綺麗ね」
ルーチェは小さく呟いた。
俺は少し意外に思った。
「綺麗か? ただ遅くなるだけだぞ」
「そう。……ただ遅くなるだけ。でも綺麗」
ルーチェはそう言って微笑んだ。だがその微笑みはいつもの静かな微笑みと少し違って見えた。もっと深いどこか遠くを見るような。
俺はその微笑みの意味を掴みかねた。だが悪い気はしなかった。俺のこの誰にも評価されなかった力を綺麗だと言ってくれる。ステラの「すごいものになる」以来俺の力をまっすぐ肯定してくれる言葉を俺は久しく聞いていなかった。だからそれは素直に嬉しかった。
「ルーチェ。お前の光も見せてくれ」
俺が言うとルーチェは頷いて掌に光を灯した。
澄んだ静かな光。倉庫の薄暗がりの中でそれはふわりと周囲を照らした。
その光を見ているうちに俺の中に一つの思いつきが生まれた。
光。
俺は時間を遅らせられる。空間をいじれる。では光はどうだ。光もこの世界を進むものの一つだ。それもいちばん速く進むもの。ならば俺の領域は、光にも何かするんじゃないか。速く進むものほど俺の領域では大きく鈍る。光ほど速いものが俺の領域に入ったら――何が起きる。
「ルーチェ。その光動かせるか? 俺の方にまっすぐ飛ばせるか」
「……こう?」
ルーチェが掌の光を俺の方へ細く伸ばした。一筋の光の線がまっすぐ俺に向かって伸びてくる。
俺はその光の線の通り道に領域を張った。
そして。
光が曲がった。
俺の領域に入った瞬間。まっすぐ伸びていた光の線が、ぐにゃりと進路を曲げた。俺の掌を中心にしたその空間で、光はまるで見えない何かに押されるように、弧を描いて逸れていった。
俺は息を止めていた。
光が。曲がった。
「……今の、見たか」
「見たわ」
ルーチェの声も掠れていた。
もう一度。俺は震える手で領域を張り直した。ルーチェがまた光を伸ばす。その光が俺の領域に入る。
曲がる。
間違いない。俺の領域は光を曲げる。時間を遅らせるだけじゃない。空間をいじる。その空間を通る光の進む道すら捻じ曲げる。
俺は日記のことも忘れて、ただその光を何度も曲げ続けた。角度を変え、領域の密度を変え、光の入る位置を変える。そのたびに曲がり方が変わる。密度を上げれば鋭く曲がる。薄くすれば緩く逸れる。規則がある。ここにも規則がある。曲げるたびに、背筋をあの悪寒と高揚が駆け上がった。
これは何だ。
時間遅延のときと同じだ。俺はまた誰も知らない場所に足を踏み入れている。重力が光を曲げる。そんな話は教会の記録にも貴族の書物にも聞いたことがない。
だが一つ妙なことがあった。
俺は以前、河原で日の光を曲げようとしたことがあった。検証の一環で。だがそのときは何も起きなかった。日の光は俺の領域をまっすぐ突き抜けていった。曲がりなどしなかった。
なのに、ルーチェのこの光は曲がる。
同じ光のはずだ。なのに、なぜ。
俺はその違いをしばらく考えた。そして、一つの答えに行き当たった。
ルーチェの光はスキルの光だ。聖点で授かった力。女神の力に近いとされる光魔法。
つまり――ただの光じゃない。聖点に由来する光だ。
俺の重力はただの日の光には効かなかった。だが聖点由来のこの光には効く。
それは俺の力について一つの輪郭を与える発見だった。
俺の重力はただの物にはたいして効かない。だから石ころを持ち上げるのが精一杯だった。あれほど魔力を食ったのもそれでだ。ただの石は俺の力と相性が悪い。だが聖点に由来するものには――強く、効くんじゃないか。
俺の重力はこの世界のいちばん根っこにある力だ。時間や空間や光。そういう世界の根源に近いもの。だから同じく根源に近い聖点の力にこそ深く噛み合う。ただの石ころみたいなありふれた物には逆に噛み合わない。
もしそうなら。
聖点討伐で、聖点の力で強化された魔物や敵。それらに俺の重力は。
俺はその先を考えて、ぞくりとした。
石ころ使いと嗤われた俺の力は。ひょっとすると――聖点でこそ、本領を発揮する力なんじゃないか。誰も来ない河原じゃなく、竜や狼のひしめくあの地獄でこそ。
「クロト」
ルーチェの声に俺は我に返った。
見れば、ルーチェは掌の光を消して俺を見ていた。碧い目が俺の顔をじっと見つめている。その目には俺が初めて見る何かがあった。
驚きでも恐れでもない。もっと静かで深い何か。
喜びに近い気がした。だがそれにしてはあまりに静かでそしてどこか痛みのような色も混じっていた。俺にはその感情の名前が分からなかった。
「あなたの魔法、やっぱりすごいものになったのね」
ルーチェは静かに言った。
「……いや、まだ何が起きてるのか、自分でも分かってない。曲がるってだけで」
「ううん」
ルーチェは首を横に振った。
「すごいものよ。……ずっとそうだった。あなたの魔法はずっと綺麗ですごいものだった。誰も気づかなかっただけ」
その言葉に俺はふとあることを思い出した。
子供の頃。俺が石ころを持ち上げてみんなに笑われていた頃。ステラは「いつかすごいものになる」と言ってくれた。ルーチェは――ルーチェは何と言っていただろう。
思い出せなかった。
ルーチェはいつも静かであまり言葉にしない子だった。だが今思えば。あいつはいつも俺が石ころを持ち上げるのを少し離れた場所からじっと見ていた気がする。ステラが隣でけらけら笑いながら「すごいすごい」とはやし立てるその後ろで。ルーチェはいつも静かに俺の手元を見ていた。
「ルーチェ」
「なあに?」
「お前、昔から俺の石ころをよく見てたよな」
ルーチェの碧い目が一瞬大きく開いた。
そして。
ルーチェは微笑んだ。今度はいつもの静かな微笑みだった。だがその目の奥に俺の掴めない深い場所がまた揺れた気がした。
「……見てたわ。ずっと」
ルーチェは言った。
「あなたが石を持ち上げると。その周りで光が少しだけ歪むの。夕陽があなたの手のところできらきらって。……誰も気づかないくらいわずかに」
俺はその言葉になんとも言えない気持ちになった。
光が歪む。子供の頃から。俺の重力がそのときから光を曲げていた。誰も気づかないほどわずかに。だがルーチェはそれを見ていた。ずっと。今日俺が初めて発見した「光の湾曲」を。ルーチェは何年も前から俺の手のひらの周りで見ていたのだ。
「そんな昔から……気づいてたのか」
「気づいてたわ」
ルーチェは静かに頷いた。
「私だけね」
私だけ。
その言葉をルーチェはずいぶん静かに言った。だがその静かさの底に何かずっしりと重いものが沈んでいる気がして――俺は一瞬返す言葉に詰まった。
だがそれもすぐに忘れた。
幼馴染が俺の力のいちばん最初の輝きをたった一人見ていてくれた。ステラでもなく他の誰でもなくルーチェだけが。それは悪い気はしなかった。むしろ温かいものとして俺は受け取った。誰にも見えなかった俺の宝物を、一人だけ同じように綺麗だと思って見ていてくれた人がいた。それだけのことだと俺は思った。
俺はただ光が曲がるという新しい発見に夢中だった。そしてその発見を隣で同じように喜んでくれる幼馴染がいることがただ嬉しかった。
その夜俺は日記に書いた。
『第二百十九日。重力は光を曲げる。ただし聖点由来の光に限る。俺の力は聖点に関わるものにこそ強く効くのかもしれない。ただの物には効かず根源に近いものにこそ効く。……大きな手がかりだ。聖点でこそ俺は本領を出せるのかもしれない』
そしてその下にもう一行。
『ルーチェは子供の頃から俺の力の光の歪みを見ていたらしい。あいつだけが。……不思議なやつだ』
その一行を俺はなんの気なしに書いた。