星を掴め ―― 嗤われた【重力魔法】、時間も光も支配して最強になった 作:朝凪小夜
それから俺の日々は目まぐるしく変わった。
ルーチェと組んで、本格的に冒険者としての仕事を始めた。今まではギルドの帳面付けとたまの雑用でその日暮らしをしていた。だが聖点討伐を目指すならそれでは話にならない。実戦の経験も、稼ぎも、装備も、何もかもが足りていなかった。
ルーチェはその全てを心得ていた。
「まずは珠地域の浅いところから。低級の魔物を相手に経験を積みましょう。あなたの魔法が実戦でどこまで通用するか。それを確かめないと」
ルーチェの言葉に従い、俺たちは都市の外れの珠地域の縁へと足を運んだ。
珠地域。聖点の力が大気に滲むその縁。街の外壁を出てしばらく歩くと、空気が変わるのが分かった。どこか密度の濃いぴりぴりとした気配。それが聖点の力だとルーチェは言った。この気配のずっと奥いちばん濃い場所に支配されていない聖点が眠っている。
そしてそこで俺は一つの事実を思い知ることになる。
俺の重力は珠地域では化ける。
街中でガレンやドグを相手にしていたときとは比べものにならなかった。珠地域の魔物は聖点の力で強化されている。だがその強化された力こそが俺の重力の格好の的だった。
最初に相対したのは狼のような低級の魔物だった。聖点の力で常の獣より一回り大きく目を赤く光らせたそいつが俺に向かって地を蹴った。
俺はその通り道に領域を張った。
鈍った。
街でガレンの拳を鈍らせたときとは比べものにならない深い鈍り方だった。魔物の突進が水飴どころか、まるで泥の中に突っ込んだように大きく減速する。俺はその隙にあらかじめ持っていた鉄杭を無防備な首筋に突き立てた。
魔物が崩れ落ちる。
「……効く。街のときよりずっと」
俺は掌を見つめて呟いた。声が震えていた。
「魔物は聖点の力で強化されてる。その力にあなたの重力は効くのね」
ルーチェが静かに言った。
「そうらしい。……ただの石ころにはあんなに苦労したのに。聖点の力が絡むと俺の魔法は別物になる」
「妙じゃないわ」
ルーチェは首を横に振った。
「あなたの力がそういう力だってこと。……根っこの深いところに届く力なのよ。きっと」
根っこの、深いところ。
その言葉を俺はしばらく噛み締めていた。うまくは言えない。だがルーチェの言葉は俺の力の正体の一端を掠めている気がした。光を見て掴んだあの手がかりと繋がっていた。俺の重力はただの物には効かない。だが聖点に由来する力――根源に近いものには強く効く。
石ころ使いと嗤われた俺の力は。この聖点の力に満ちた場所でこそ本領を現す。
誰も来ない河原で俺は三年間違った場所で力を磨いていたのかもしれない。俺の力の本当の戦場はここだったのだ。
もう一つ珠地域で分かったことがある。
魔物を倒すたびに。俺は少しずつ強くなっていた。
最初は気のせいかと思った。だが日記をつけ記録を重ねるうちに確信に変わった。魔物を沈めるたびに体が軽くなる。魔力の井戸がほんの少しずつ広く深くなる。領域を張れる回数が増えていく。あの雨上がりの水たまり程度だった井戸が少しずつ泉に近づいていく。
「これも、聖点の力か?」
俺が尋ねるとルーチェは頷いた。
「そう。……聖点で強化されたものを倒すと、その力のいくらかが近くにいる者に回るの。倒した者に宿るのよ。だから冒険者は珠地域で戦うほど強くなる。私もこの二年そうやって力をつけてきた」
なるほどと俺は思った。
ルーチェがこの二年でこれほどの地盤を築いた理由。それもこれで腑に落ちた。珠地域で戦い続け、強化を吸収し続けてきた。だからルーチェは今、俺よりもずっと強い。
実際、そうだった。ルーチェの光魔法は俺の重力とは比べものにならないほど洗練され、実戦慣れしていた。低級の魔物程度なら俺が領域を張るまでもなく、ルーチェの光の一撃で片がつくことも多かった。その光は澄んで静かでそして鋭かった。まっすぐに伸びて魔物を正確に貫く。二年の研鑽がその一撃一撃に宿っていた。
俺はまだルーチェの背中を追いかける側だった。
だがそれでいい。今はそれで。
俺は確かに伸びていた。魔物を倒すたびに光を曲げる精度が上がり、領域を張る速さが増し、扱える力が大きくなっていく。その伸びていく手応えは石ころを磨いていた頃の比ではなかった。あの頃指一本ぶんの高さに半日一喜一憂していた俺が。今は魔物を一日に何体も沈めている。
そして俺の伸びは――ルーチェのそれより速い気がした。
根拠はない。ただルーチェが一体倒すあいだに俺が二体三体と倒せば。俺のほうが多くの強化を吸収する。そのぶん速く伸びる。今はまだルーチェの背中は遠い。だがこの伸びの速さならいつか。
いや。今はそんな先のことはいい。
この道の先に。
聖点がある。それだけで十分だった。
順調だった。何もかもが。
力は伸び稼ぎもできルーチェという心強い相棒がいる。討伐に向けた準備は少しずつ確実に整っていった。
だが。
夜一人ねぐらに戻ると。俺の胸にはいつもあの遠い庭園が蘇った。
崖の際の境目。丘の上の貴族たちの中で微笑む黒い髪の女。緑の目は遠すぎて見えなかった。俺の知るまっすぐな笑顔とは違う令嬢の微笑み。
ステラ。
俺がこれだけ力をつけても。聖点への道を進んでも。あいつには許嫁がいる。叙勲がある。名門への輿入れが待っている。俺があいつのものになるなんてことはない。
それは変わらない。
どれだけ俺が強くなっても。あの崖の際で思い知った事実は覆らない。届かない。声も手もそしてたぶんこの想いも。
なのに。
俺はまだ聖点を目指している。
何の、ために。
その問いに、俺はいまだにはっきりと答えられずにいた。あいつを取り戻すため。そう言うには道が遠すぎる。あいつは俺のものにはならない。分かっている。それでも俺の足は聖点へと向いている。
――同じ頂を見上げている。
それだけだと俺は思った。あいつが聖点を目指すなら。俺も目指す。同じ道の上に立っている。たとえ遠く離れていても。それだけが俺とあいつを繋ぐ、細い、細い糸だった。
その糸を手放したくない。ただ、それだけのことなのかもしれない。
馬鹿げている。
自分でもそう思う。届かない相手を追い続けて。何になる。何が得られる。答えなんてない。ただ追わずにはいられない。俺の中の、あの始末に負えない性分がどうしても聖点を諦めさせてくれない。
諦める理由ならいくらでもある。身分。許嫁。叙勲。届かない距離。母の口癖じゃないが、諦める理由は掃いて捨てるほど揃っている。
だが俺の中の火は。
まだ消えていなかった。
ある夜、ルーチェと二人で討伐の計画を練っていたときのことだ。
俺たちは木箱の上に地図を広げ、候補となる聖点の位置やそこに至るまでの道のりを確かめていた。灯りの中でルーチェの金の髪が静かに揺れていた。
「クロト」
ふとルーチェが地図から顔を上げて俺を見た。
「あなたは、なぜ聖点を獲りたいの?」
俺はその問いにすぐには答えられなかった。
なぜ。自分でも答えの出ない問いだった。ステラのためと言うには遠すぎる。だがステラ以外の理由なんて俺にはなかった。
「……分からない」
俺は正直に言った。
「あいつのためなのは確かだ。でも、あいつは俺のものにはならない。それは分かってる。……なのに、俺は聖点を諦められない。理由が自分でもよく分からないんだ」
ルーチェは俺の言葉を静かに聞いていた。碧い目が俺をじっと見つめている。
そして。
「……いいのよ、それで」
ルーチェはそう言った。
「理由なんて後から分かればいい。今はただ進めば。……私がいるから」
その言葉は優しかった。
届かない想いを抱えてそれでも聖点を目指す。そんな傍から見れば馬鹿げた俺をルーチェは否定しなかった。ただ隣にいて進めばいいと。私がいるからと。
俺はその言葉に救われる思いがした。
行き場のないこの衝動を。届かないと分かっているこの執念を。ルーチェだけは責めなかった。憐れまなかった。ただ隣で支えてくれた。
「……ありがとう、ルーチェ」
俺はそう言った。
ルーチェは微笑んだ。いつもの静かな微笑み。
俺はただ隣に心強い相棒がいることに安堵していた。届かない星を追いかけるこの孤独な道に。たった一人じゃないということに。
その夜俺は日記に書いた。
『第二百四十一日。討伐の準備着々と。力も伸びている。ルーチェのおかげだ。……あいつには届かない。分かっている。それでも俺は聖点を目指す。理由はまだ分からない。だがルーチェが言ってくれた。理由は後から分かればいいと』
その一行を書いて俺はペンを置いた。
窓の外には星が出ていた。
遠い、遠い光。手の届かない頂のそのまた向こう。
いつかあそこまで。
届かないと知りながら。それでも俺はその光を見上げていた。