GATE×PEACE GEAR―門の向こうの観測者―   作:最上 イズモ

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第1話 門が開いた日

最初に聞こえたのは、悲鳴ではなかった。

 

音だった。

 

金属が軋むような。

 

地面の奥で巨大な歯車が、無理やり一枚ずつ噛み合わされていくような。

 

そんな、現実には存在しないはずの音。

 

イズモ「……ん?」

 

銀座四丁目。

 

休日の人波の中で、最上イズモだけが足を止めた。

 

横断歩道を渡る人。

 

スマートフォンを見ながら歩く人。

 

家族連れ。

 

観光客。

 

誰も気づいていない。

 

だが、イズモの視界には既に異常値が並んでいた。

 

空間座標偏差。

 

局所重力場の微小変動。

 

電磁環境には説明不能なノイズ。

 

そして何より――。

 

イズモ「空間が……接続される?」

 

次の瞬間。

 

空気が震えた。

 

銀座の街並みの中に、それは現れた。

 

巨大な建造物。

 

石造りの門。

 

道路を押し潰して出現したそれを、人々は最初、イベント用のセットか何かだと思った。

 

スマートフォンを向ける者さえいた。

 

イズモは動かなかった。

 

ただ、見ていた。

 

門の中央。

 

暗闇。

 

そこに、微かな動き。

 

一つ。

 

二つ。

 

十。

 

イズモ「……人型多数」

 

熱源。

 

馬に似た大型生物。

 

金属製防具。

 

刃物。

 

隊列。

 

その情報が意味するものを理解した直後だった。

 

門から、騎馬兵が飛び出した。

 

悲鳴が上がった。

 

人々が一斉に走り出す。

 

押される者。

 

転ぶ者。

 

状況を理解できず立ち尽くす者。

 

先頭の騎兵が剣を抜いた。

 

イズモ「……敵対行動を確認」

 

まだ、攻撃しない。

 

目的が分からない。

 

言語も分からない。

 

所属も分からない。

 

だが。

 

振り下ろされた剣の先に、幼い子供がいた。

 

そこまでだった。

 

イズモ「《Elemental Symphony》」

 

空気が鳴った。

 

魔法陣ではない。

 

少なくとも、後に特地の魔術師たちがそう呼ぶものとは構造が違っていた。

 

光の線が幾重にも走る。

 

風。

 

大気圧。

 

路面を構成する鉱物。

 

空気中の水分。

 

周囲に存在する複数の要素が、一つの演算体系へ組み込まれていく。

 

イズモ「局所圧力場形成。出力、最低」

 

騎兵の剣が止まった。

 

正確には。

 

振り下ろす腕ごと、見えない何かに受け止められていた。

 

兵士「――!?」

 

馬が竿立ちになる。

 

だが、転倒しない。

 

風が馬体の姿勢を支え、そのまま横へ押し流した。

 

騎兵は道路へ投げ出される。

 

受け身など取れない。

 

本来なら頭部を打ちつけてもおかしくない勢いだった。

 

地面に触れる寸前。

 

落下速度が急激に減衰した。

 

どさり。

 

兵士が尻から路面へ落ちる。

 

イズモ「一人」

 

背後。

 

第二の兵士。

 

槍。

 

イズモは振り返らなかった。

 

足元の舗装材が小さく割れる。

 

飛び出した石片が槍の穂先ではなく、柄を正確に叩いた。

 

槍が兵士の手から飛ぶ。

 

イズモ「二人」

 

三人。

 

四人。

 

そこで敵側も異変に気づいた。

 

号令が飛ぶ。

 

イズモには理解できない言語だった。

 

だが、意味は推測できる。

 

目標変更。

 

おそらく、そんなところだ。

 

弓兵がこちらへ向いた。

 

イズモ「……まあ、そうなるよね」

 

弦が鳴る。

 

数十本の矢。

 

イズモは右手を上げた。

 

風が巻いた。

 

矢は途中で失速した。

 

落下。

 

何本かは向きを変え、無人の車道へ刺さる。

 

一本だけ。

 

回転しながらイズモの顔へ飛んできた矢を、彼は二本の指で止めた。

 

しばらく矢を見る。

 

イズモ「鉄……ではない?」

 

確認したかったが。

 

後にする。

 

目の前には、それどころではない人数がいた。

 

イズモ「全周辺民間人へ。聞こえる人は建物内へ退避してください」

 

誰も反応しない。

 

当然だった。

 

周囲は悲鳴と怒号で溢れている。

 

イズモ「……音声だけじゃ無理か」

 

視界内に避難経路を組む。

 

敵部隊。

 

民間人密度。

 

転倒者。

 

道路状況。

 

地下への入口。

 

使用可能な建物。

 

そこへ警察官が駆け込んできた。

 

警察官「君! そこから離れろ!」

 

イズモ「それはちょっと難しいです」

 

警察官「何を――」

 

イズモ「左から来ます」

 

警察官「え?」

 

巨大な影が地面を横切った。

 

咆哮。

 

空を見上げた人々が、再び悲鳴を上げる。

 

翼。

 

鱗。

 

長い尾。

 

絵本やゲームの中にしか存在しないはずの生物。

 

ワイバーン。

 

その背には兵士が乗っていた。

 

イズモ「航空戦力までいるの……?」

 

ワイバーンが急降下する。

 

進路上には逃げ遅れた人々。

 

イズモの表情から、僅かに力が抜けた。

 

ため息。

 

イズモ「撃ち落としたら死ぬしなぁ」

 

警察官「は?」

 

イズモ「すみません。ちょっと下がっててください」

 

一歩。

 

前へ。

 

ワイバーンが迫る。

 

数十メートル。

 

二十。

 

十。

 

イズモ「空気流制御」

 

風向きが変わった。

 

ワイバーンの右翼だけに、横方向から強烈な風が当たる。

 

体勢を崩す。

 

騎手が叫ぶ。

 

だが、それだけでは終わらない。

 

今度は左から。

 

下から。

 

正面から。

 

風が次々と方向を変える。

 

墜落させるためではない。

 

速度を削る。

 

揚力を残す。

 

地面へ叩きつけない。

 

翼を破壊しない。

 

逃げ場だけを削っていく。

 

巨大なワイバーンが、まるで見えない手に誘導されるように道路へ降ろされた。

 

最後に足が路面へ触れる。

 

ずしん。

 

周囲の車が揺れた。

 

ワイバーンは混乱している。

 

だが、生きている。

 

騎手も同様だった。

 

イズモ「よし」

 

警察官「……よし?」

 

イズモ「事故なし」

 

警察官「いや待て」

 

イズモ「待ちます?」

 

警察官「そういう意味じゃない!」

 

再び号令。

 

今度は門の向こうから、大量の兵士が出てくる。

 

イズモは黙った。

 

多い。

 

数百。

 

その後ろにもいる。

 

こちらの治安組織が即応できる規模ではない。

 

しかも、人間だけではない。

 

見たことのない大型生物。

 

亜人と思われる個体。

 

詳細不明。

 

イズモ「……侵攻、か」

 

ここで初めて。

 

彼はそう定義した。

 

ならば。

 

優先順位も変わる。

 

第一。

 

民間人保護。

 

第二。

 

侵攻戦力の進行停止。

 

第三。

 

可能なら生存状態で拘束。

 

第四。

 

門そのものの観測。

 

イズモ「殺傷は……まだ不要」

 

両手を広げた。

 

演算領域を拡張。

 

道路。

 

建物。

 

大気。

 

地下構造。

 

水道。

 

電線。

 

車両。

 

都市という環境そのものを読み取る。

 

使える。

 

だが。

 

イズモ「都市インフラへの直接干渉は禁止。二次災害リスクが高すぎる」

 

使えるものと。

 

使っていいものは違う。

 

その区別を外せば、もっと簡単だった。

 

地面を割ればいい。

 

門の前を焼けばいい。

 

酸素を奪えばいい。

 

敵陣だけを超高温にしてもいい。

 

数百人程度。

 

処理そのものは難しくない。

 

だが。

 

それでは駄目だった。

 

イズモ「《Elemental Symphony》」

 

光が広がる。

 

敵軍の最前列が身構えた。

 

何かが来る。

 

そう判断したのだろう。

 

正しい。

 

ただし。

 

彼らの想像していたものとは違った。

 

イズモ「第一障壁、形成」

 

門の前。

 

空気が歪んだ。

 

騎兵が突っ込む。

 

馬の脚が止まった。

 

兵士が叫ぶ。

 

後続が押し寄せる。

 

それでも進めない。

 

目には何も見えない。

 

ただ、前方へ進むほど空気そのものが重くなる。

 

走れない。

 

剣を振ることもできない。

 

呼吸はできる。

 

倒れもしない。

 

だが、進軍だけが不可能になる。

 

イズモ「第二障壁」

 

さらに後方。

 

今度は退路ではない。

 

部隊を分断するための壁。

 

指揮系統を崩す。

 

騎兵と歩兵。

 

弓兵。

 

大型生物。

 

それぞれを別々の区画へ閉じ込める。

 

イズモ「第三――」

 

そこで止めた。

 

頭部に熱。

 

処理負荷。

 

まだ許容範囲。

 

しかし。

 

長時間維持は避けるべきだ。

 

イズモ「……一人でオーケストラやるものじゃないな、これ」

 

遠くから。

 

違う音が聞こえてきた。

 

車両。

 

多数。

 

サイレン。

 

そして。

 

さらに重いエンジン音。

 

警察だけではない。

 

イズモはそちらを見る。

 

隊列を組んだ車両。

 

迷彩服。

 

自衛隊。

 

イズモ「到着したか」

 

その頃には、銀座の様相は異様なものになっていた。

 

逃げる民間人。

 

倒れた兵士。

 

道路へ降ろされたワイバーン。

 

門。

 

そして。

 

その門から溢れ出した数百の兵士を、不可視の壁だけで押し止めている一人の青年。

 

当然。

 

自衛隊側から見ても。

 

誰が味方なのか、分からなかった。

 

隊員「前方に人影一名!」

 

隊員「民間人か!?」

 

隊員「違う! 敵部隊の真正面だぞ!」

 

隊員「何だあれ……」

 

イズモは振り返った。

 

銃口がいくつかこちらを向く。

 

それ自体を責める気はない。

 

この状況なら当然だ。

 

両手をゆっくり下ろす。

 

ただし障壁は維持する。

 

イズモ「こちらに敵対意思はありません」

 

隊員「その場から動くな!」

 

イズモ「了解」

 

止まる。

 

数秒。

 

奇妙な沈黙。

 

門の向こうからは怒号。

 

こちらには自衛隊。

 

その間でイズモだけが、普通に立っていた。

 

隊員「所属を言え!」

 

イズモ「……所属」

 

少し困った。

 

ピースギアと言って通じるはずがない。

 

そもそも、この世界で活動許可を受けた覚えもない。

 

イズモ「この世界の組織には所属していません」

 

隊員たちの緊張が増した。

 

イズモ「最上イズモ」

 

隊員「外国人か?」

 

イズモ「日本語名です」

 

隊員「身分証は!」

 

イズモ「ありません」

 

最悪の回答だった。

 

自分でも分かった。

 

イズモ「……説明すると長いです」

 

隊員「何者だ」

 

イズモは少しだけ考えた。

 

人間。

 

間違いではない。

 

ただ、それだけでは説明不足になる。

 

機械。

 

それも違う。

 

AI。

 

なおさら違う。

 

だから。

 

最も正確な名称だけを答えた。

 

イズモ「AIH」

 

隊員「……AI?」

 

イズモ「似てますけど違います」

 

隊員「何が違う!」

 

イズモ「だから説明すると長いんですって」

 

そのとき。

 

門の向こうで何かが光った。

 

イズモの表情が変わる。

 

全員がそちらを見る。

 

遠距離攻撃。

 

投石機ではない。

 

炎。

 

魔法らしき反応。

 

イズモ「伏せて!」

 

直後。

 

火球が飛来した。

 

自衛隊員たちが反応するより早く。

 

イズモは左腕を前へ突き出した。

 

イズモ「水分収束。断熱層展開」

 

火球が空中で爆ぜた。

 

爆炎が左右へ流れる。

 

熱だけが不自然なほどこちらへ届かない。

 

アスファルトに火の粉が散る。

 

イズモはそれを見た。

 

炎を見る。

 

門を見る。

 

もう一度、炎を見る。

 

そして。

 

ほんの僅かに目を細めた。

 

イズモ「……魔法?」

 

数値は取れている。

 

だが。

 

既知の物理現象だけでは説明しきれない。

 

未知のエネルギー。

 

未知の変換過程。

 

未知の文明。

 

ならば。

 

結論を急いではいけない。

 

門の向こうには。

 

敵だけがいるとは限らない。

 

イズモ「これ……壊さない方がいい」

 

隊員「何?」

 

イズモ「門です」

 

銃声が響き始めた。

 

自衛隊の反撃が始まる。

 

敵軍が崩れる。

 

圧倒的な火力差。

 

倒れる兵士。

 

馬。

 

異形。

 

イズモはそれを見ていた。

 

必要な反撃だ。

 

ここは都市。

 

背後には民間人がいる。

 

戦わなければ被害が増える。

 

理解している。

 

理解しているからこそ。

 

イズモは再び、門を見た。

 

その向こう。

 

まだ見えない世界。

 

そこには軍隊がある。

 

国家がある。

 

おそらく。

 

兵士ではない人間もいる。

 

家族も。

 

生活も。

 

街も。

 

歴史も。

 

文化も。

 

そして。

 

こちら側と同じように。

 

戦争を望んでいない者もいるはずだ。

 

イズモ「……まず、観測しないと」

 

誰にも聞こえない声だった。

 

やがて。

 

銀座を襲撃した軍勢は鎮圧される。

 

多数の死傷者。

 

破壊された街。

 

そして。

 

日本という国家が、それまで存在すら知らなかった異世界。

 

後に『特地』と呼ばれる場所へ続く門。

 

だが。

 

この日の記録には。

 

もう一つ。

 

政府関係者たちを長く悩ませる存在が残ることになる。

 

所属不明。

 

国籍不明。

 

身分記録なし。

 

未知の技術、あるいは能力を保有。

 

数百名規模の敵軍を単独で足止め。

 

飛行生物一体を無傷に近い状態で捕獲。

 

確認された殺害人数。

 

――ゼロ。

 

監視カメラの映像を見た一人の官僚が。

 

小さく呟いた。

 

「……こいつは、何なんだ?」

 

誰も答えられなかった。

 

その頃。

 

当の本人は。

 

警察と自衛隊に囲まれながら。

 

渡されたペットボトルの水を飲んでいた。

 

イズモ「事情聴取……長くなりそうだなぁ」

 

門の向こうでは。

 

帝国がまだ知らない。

 

自分たちが侵攻した世界に。

 

銃でも。

 

戦車でも。

 

戦闘機でもない。

 

もっと扱いに困る存在がいたことを。

 

敵ならば、倒せばいい。

 

味方ならば、利用すればいい。

 

だが。

 

そのどちらにもなる気がない者を。

 

国家は、どう扱えばいいのか。

 

その答えを。

 

日本も。

 

帝国も。

 

まだ持っていなかった。

 

――『門』が開いた、その日。

 

二つの世界の間に。

 

一人の観測者が立った。

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