GATE×PEACE GEAR―門の向こうの観測者― 作:最上 イズモ
# 幕間 伊丹耀司
## ―銀座で見たもの―
その日、伊丹耀司は休日だった。
しかも。
かなり重要な休日だった。
伊丹「……頼むから、今日だけは何も起きるなよ」
誰に言ったわけでもない。
銀座の人混みを歩きながら、ただ願った。
目的地は同人誌即売会。
自衛官としての職務も。
上司も。
訓練も。
今日は全部関係ない。
ただのオタクとして過ごす。
そのはずだった。
音がした。
腹の奥まで響くような、低い音。
伊丹「……?」
工事。
ではない。
事故。
とも違う。
人々も足を止め始めた。
視線の先。
いつまで経っても見慣れることのない銀座の街並みに。
あるはずのない巨大な石造りの建造物が立っていた。
伊丹「なんだ……あれ」
セットにしては大きすぎる。
イベントにしては、周囲の警備がない。
そして。
門が開いた。
最初に現れたのは馬だった。
鎧。
槍。
剣。
その後ろから次々と武装した人間が現れる。
伊丹「……は?」
映画撮影。
そう思ったのは、ほんの一瞬だった。
騎兵の剣が。
逃げ遅れた男へ振り下ろされた。
血が飛んだ。
悲鳴が上がる。
伊丹の頭から休日が消えた。
伊丹「全員逃げろ! 建物の中へ!」
周囲の人間がこちらを見る。
伊丹「走れ! そっちじゃない、地下へ! 押すな!」
考えるより先に声が出ていた。
自衛官だと名乗る暇もない。
子供の手を引く。
転んだ女性を起こす。
パニックを起こして動けなくなった男の肩を押す。
背後で馬蹄。
金属音。
悲鳴。
伊丹「警察は……!」
いる。
だが足りない。
あまりにも突然すぎた。
しかも。
敵は人間だけではなかった。
空に影。
伊丹は顔を上げた。
翼。
巨大な爬虫類のような何か。
伊丹「ドラゴン……?」
正確には後にワイバーンと呼ばれる存在。
だが、この時の伊丹にそんな知識はない。
ファンタジー作品なら知っている。
実物を見る予定など人生設計には一切入っていなかった。
伊丹「冗談だろ」
そのときだった。
道路の中央に。
一人。
立っている。
伊丹「……おい」
若い男。
少なくとも外見上はそう見えた。
周囲の全員が逃げている中。
そいつだけが逆方向を見ていた。
敵軍を。
伊丹「何やってんだ! 逃げろ!」
聞こえていないのか。
男は動かない。
騎兵が向かっていく。
伊丹「まずい!」
走ろうとした。
だが。
剣が止まった。
伊丹「……?」
何かに当たった。
ように見えた。
だが。
何もない。
騎兵の腕だけが、空中で完全に止まっている。
次の瞬間。
馬が横へ流された。
転倒。
――しない。
明らかにバランスを崩していた。
それなのに。
見えない何かに支えられたように速度を落とし、兵士だけが道路へ落ちた。
しかも。
妙にゆっくり。
伊丹「…………」
理解が追いつかない。
二人目が槍を構える。
男は振り返りもしない。
舗装が弾けた。
小石。
それが柄へ当たった。
槍が飛んだ。
伊丹「なんだ、あれ」
拳銃でもない。
爆発物でもない。
何より。
攻撃しているように見えるのに。
相手が死んでいない。
さらに弓。
大量の矢。
男へ向かう。
伊丹「危な――」
矢が落ちた。
空中から。
唐突に。
まるで。
そこだけ風が壁になったように。
そして一本。
男の顔面へ飛んだ矢。
男は。
それを指で止めた。
伊丹「…………いやいやいや」
今日は休日だ。
イベントへ行くはずだった。
なのに今。
異世界みたいな軍隊が銀座へ侵攻して。
ドラゴンみたいな生物が飛んでいて。
知らない青年が矢を素手で止めている。
伊丹「情報量多すぎだろ……」
また悲鳴。
現実に引き戻される。
伊丹「こっちだ! 走れ!」
考察は後。
今は民間人。
伊丹は再び避難誘導へ戻る。
ただ。
どうしても視界の端から。
あの青年が消えなかった。
今度は空から例の生物が降下してくる。
明確に群衆を狙っていた。
青年が空を見る。
何かを言った。
聞こえない。
次の瞬間。
翼が傾いた。
巨大な飛行生物が横へ流される。
伊丹「撃った?」
違う。
発砲音はない。
血もない。
翼も壊れていない。
飛行生物は空中で何度も進路を変えながら。
最後には。
道路へ着地した。
伊丹「……着陸させた?」
墜落ではない。
着陸。
生きている。
乗っていた兵士も。
伊丹は無意識に足を止めた。
異常だった。
強い。
という意味だけではない。
戦場で。
あそこまで明確に。
相手を殺さないよう力を使っている。
伊丹「なんなんだ、あいつ」
敵軍が増え続ける。
門から。
何百人。
その青年一人ではどうにもならない。
そう思った。
直後。
敵軍の動きが止まった。
伊丹「……は?」
前進できていない。
先頭の馬が必死に脚を動かす。
兵士が押す。
だが。
進めない。
何か巨大な透明の壁がある。
それも。
ただ遮断しているだけではない。
兵種ごとに分断されているように見える。
騎兵。
歩兵。
弓兵。
巨大生物。
互いに合流できない。
伊丹「一人で……?」
やっている。
どう見ても。
あの男が。
伊丹は少しだけ恐怖を覚えた。
もし。
今の力を。
こちらへ向けたら。
銃でどうにかなるのか。
戦車なら。
航空機なら。
その疑問が浮かんだ時点で。
伊丹は自分の考えを振り払った。
今はそんな場合じゃない。
遠くからサイレン。
そして聞き慣れたエンジン音。
自衛隊。
伊丹「ようやく来たか」
安堵。
だが。
同時に。
嫌な予感もした。
あの青年を見れば。
当然。
所属不明。
能力不明。
武装不明。
敵味方不明。
銃口を向けられる。
伊丹「……揉めるなよ」
揉めた。
当然だった。
隊員「その場から動くな!」
青年が振り返る。
驚く様子もない。
青年「こちらに敵対意思はありません」
隊員「所属を言え!」
少し間。
青年「この世界の組織には所属していません」
伊丹「おいおい」
最悪の言い方である。
案の定。
銃口が増えた。
青年「最上イズモ」
隊員「身分証は!」
イズモ「ありません」
伊丹「さらに悪化させてるぞ……」
遠くから見ていても分かる。
本人に悪気がない。
ただ。
回答がいちいち不審人物の模範解答だった。
隊員「何者だ!」
イズモ「AIH」
隊員「AI?」
イズモ「似てますけど違います」
隊員「何が違う!」
イズモ「だから説明すると長いんですって」
伊丹「……」
妙に普通だ。
会話だけ聞けば。
その辺の若者と大差ない。
だが。
背後には数百人規模の敵軍が。
見えない壁に捕まっている。
伊丹「ギャップ酷いな」
その瞬間。
門の奥。
光。
伊丹は反射的に声を上げた。
伊丹「来るぞ!」
火球。
魔法。
そんな単語しか浮かばない何かが飛んでくる。
イズモ「伏せて!」
自衛隊員たちが姿勢を落とす。
イズモが腕を伸ばした。
爆発。
炎が広がる。
だが。
こちらへ来ない。
爆炎だけが。
透明な壁に沿うように左右へ流れる。
伊丹「…………」
何度目だろう。
言葉が出なくなるのは。
銃声。
自衛隊が戦闘を開始する。
敵兵が倒れていく。
銃弾と。
剣。
あまりにも大きな技術差。
当然の結果。
侵略者だ。
市民を殺している。
反撃しなければならない。
伊丹にも分かっている。
なのに。
あの青年。
イズモだけは。
倒れていく敵兵を見ながら。
何とも言えない顔をしていた。
否定しているわけではない。
止めてもいない。
ただ。
見ている。
伊丹には。
それが妙に引っかかった。
***
戦闘が落ち着いた頃。
伊丹は。
なぜか現場に残っていた。
結果的に。
避難誘導をやり続け。
警察官へ情報を渡し。
自衛隊員ともやり取りして。
休日だったはずなのに。
完全に仕事だった。
伊丹「俺のイベント……」
今頃。
欲しかった本は売り切れているだろう。
伊丹「……いや、生きてるだけマシか」
そう思うことにした。
少し離れた場所。
例の青年。
最上イズモ。
警察官数名。
自衛官数名。
当然囲まれている。
事情聴取中。
なのに。
本人は。
ペットボトルの水を飲んでいた。
イズモ「……」
伊丹「…………」
目が合った。
イズモが軽く会釈する。
伊丹も。
何となく会釈を返した。
沈黙。
先に話したのは伊丹だった。
伊丹「君」
イズモ「はい?」
伊丹「さっきの」
イズモ「?」
伊丹「なんで殺さなかった?」
周囲の隊員が伊丹を見る。
イズモも。
少しだけ目を瞬いた。
イズモ「……殺す必要、ありました?」
即答だった。
伊丹「いや」
イズモ「止められるなら、それでいいでしょう」
伊丹「……まあ」
イズモ「こっちを殺そうとしてたのは事実です」
声の調子は変わらない。
イズモ「だから止めた」
ペットボトルを持ったまま。
門を見る。
イズモ「でも」
少し間。
イズモ「止めることと、殺すことは別なので」
伊丹は返事をしなかった。
できなかった。
理想論。
そう片づけるのは簡単だ。
現実の戦場では。
そんな綺麗事が通らないこともある。
今日だって。
多くの人が死んだ。
自衛隊の反撃がなければ。
もっと死んでいた。
だが。
目の前に。
その理想論を。
実際にやってのけた男がいる。
数百人を止め。
飛行生物を落とさず。
敵兵を一人も殺していない。
伊丹「……面倒そうなやつだな」
イズモ「よく言われます?」
伊丹「疑問形なのかよ」
イズモ「初対面なので」
伊丹「そりゃそうだ」
少しだけ。
笑った。
まだ。
伊丹は知らない。
この青年と。
門の向こうへ行くことになることを。
テュカ。
レレイ。
ロゥリィ。
ヤオ。
様々な人物と出会い。
帝国と。
日本と。
諸外国と。
神々と。
そして。
戦争そのもののあり方に。
この青年が。
何度も首を突っ込むことになることを。
この時の伊丹耀司にとって。
最上イズモとは。
銀座にいた。
よく分からない。
異常に強くて。
異常に殺さない。
変な男。
ただ。
それだけだった。
伊丹「ところで」
イズモ「はい」
伊丹「AIHって結局なんなんだ?」
イズモ「あー……」
イズモは空を見た。
イズモ「説明すると長いです」
伊丹「それ今日何回目だよ」
銀座には。
まだ硝煙が残っていた。
その向こうで。
異世界へ続く門だけが。
何事もなかったかのように。
静かに開いていた。