GATE×PEACE GEAR―門の向こうの観測者― 作:最上 イズモ
ロゥリィ・マーキュリーは、血の匂いには慣れていた。
死にも。
戦にも。
命が失われる瞬間にも。
エムロイの使徒として歩いてきた年月を考えれば、それは珍しいものではない。
だからこそ。
森の中に残った痕跡を見た瞬間。
ロゥリィ「……変ねぇ」
足を止めた。
焦げた木々。
炎龍の臭い。
砕けた岩。
抉られた地面。
戦いがあった。
それ自体は、すぐに分かる。
問題は。
その戦い方だった。
ロゥリィは大きなハルバートを肩に担いだまま、地面へしゃがみ込む。
人間の足跡。
複数。
見慣れない車輪の跡。
そして。
炎龍。
ロゥリィ「ふぅん……」
炎龍の爪が地面へ深く食い込んでいる。
その前方。
地面だけが不自然に崩されていた。
炎龍が踏み込み。
支持を失い。
体勢を崩した。
そこまでは読める。
ロゥリィ「罠……?」
違う。
事前に掘った形跡はない。
術式も。
魔法陣も。
精霊術の痕跡とも違う。
戦闘中。
炎龍が足を乗せた瞬間だけ。
地面が崩れている。
ロゥリィの赤い瞳が細くなる。
その少し先。
別の跡。
巨大な何かが押し付けられたように、砂と小石が数本の線を描いている。
けれど。
そこには何もない。
壁も。
岩も。
建造物も。
炎龍が真正面から何かへ突っ込み。
減速した。
そんな痕跡。
ロゥリィ「……面白いわね」
さらに歩く。
血。
炎龍のもの。
少量。
傷を負わせている。
だが。
追撃した形跡がない。
炎龍は飛び立った。
方角も分かる。
そして。
追う者はいなかった。
ロゥリィ「逃がしたの?」
首を傾ける。
炎龍と戦える者がいる。
傷つけるだけの力もある。
追い詰めるだけの数もある。
なのに。
殺していない。
偶然ではない。
飛び立った方向。
その前だけ。
人間の配置が薄い。
包囲の穴。
わざと。
開けた。
ロゥリィ「……あらぁ」
唇が。
少し。
持ち上がった。
戦って。
勝って。
それでも。
殺さなかった。
そんな者はいる。
聖職者。
理想家。
臆病者。
殺しを嫌う者。
けれど。
これは少し違う。
炎龍へ攻撃している。
傷を負わせている。
必要なら。
戦うことを躊躇していない。
殺せないのではない。
殺さなかった。
ロゥリィ「どんな顔して戦うのかしら」
好奇心。
それだけで。
進路を変えるには十分だった。
***
村へ近づく。
人の気配。
多い。
見たことのない服装の兵士。
見たことのない道具。
見たことのない車両。
ロゥリィは木の陰から。
しばらく眺めた。
武器。
形は奇妙。
だが。
戦場の痕跡と結びつければ分かる。
強力な飛び道具。
ロゥリィ「門の向こうの人たちね」
噂は。
既に流れ始めている。
アルヌス。
異世界から来た軍。
帝国軍が。
まるで紙のように崩された。
彼女の興味を引くには。
十分な話だった。
しかし。
今。
ロゥリィが知りたいのは。
軍そのものではない。
あの。
奇妙な戦い方をした誰か。
村を見る。
兵士。
住民。
負傷者。
救護。
その中。
一人。
妙に。
浮いている者がいた。
ロゥリィ「……」
若い。
黒っぽい髪。
兵士たちと似た装備。
でも。
武器がない。
剣も。
槍も。
あの奇妙な筒も。
持っていない。
左肩。
包帯。
負傷。
なのに。
村の端。
焼け残った木を。
真剣に眺めている。
ロゥリィ「……あれかしら」
その青年。
木の表面へ手を近づける。
触れない。
ただ。
何かを見ている。
しばらく。
そして。
一人で呟く。
イズモ「炭化深度が……いや、熱伝達だけじゃ説明つかないな」
知らない言葉。
だが。
声。
妙に普通。
炎龍と戦った戦士。
という感じが。
まるでしない。
その青年のところへ。
別の男が歩いてくる。
伊丹「また何か見つけたのか?」
イズモ「炎龍の火」
伊丹「昨日散々見ただろ」
イズモ「燃やされた後見るのと、飛んでくるの見るのは違う」
伊丹「そういうもんか」
イズモ「多分」
伊丹「多分なのかよ」
ロゥリィ「……」
思わず。
笑いそうになる。
あまりに。
想像と違う。
もっと。
冷たい人物か。
頑固な聖職者か。
あるいは。
力を誇る戦士か。
そう思っていた。
だが。
目の前にいるのは。
焼けた木を見ながら。
よく分からないことを考えている。
妙な青年。
ロゥリィは。
木陰から出た。
***
最初に気づいたのは。
イズモだった。
顔を上げる。
視線が。
真っ直ぐこちらへ向く。
ロゥリィ「……」
少し。
意外だった。
兵士たちは。
まだ気づいていない。
距離もある。
物音も。
ほとんど立てていない。
それなのに。
青年だけは。
正確に。
ロゥリィの位置を見た。
イズモ「伊丹さん」
伊丹「ん?」
イズモ「来客」
伊丹「は?」
ロゥリィが。
姿を見せる。
その瞬間。
空気が変わった。
兵士たち。
反応。
速い。
一斉に。
武器が上がる。
伊丹「全員待て!」
ロゥリィは。
止まらない。
ゆっくり。
歩く。
ハルバート。
肩。
そのまま。
伊丹「そこで止まってくれ!」
通じない。
でも。
声。
警告。
意味は分かる。
ロゥリィは。
数歩。
進んで。
止まった。
ロゥリィ「そんなに怖がらなくてもいいじゃなぁい」
伊丹「……言葉」
イズモ「分かる?」
伊丹「分からん」
イズモ「私もちょっとだけ」
ロゥリィの眉が。
僅かに上がる。
青年が。
こちらの言語で。
ゆっくり。
言葉を作る。
イズモ「あなた……敵?」
発音。
かなり怪しい。
ロゥリィ「まあ」
少し。
首を傾げる。
ロゥリィ「違うと思うわよ?」
イズモ「……たぶん敵じゃないって」
伊丹「たぶん?」
イズモ「語彙足りない」
伊丹「重要なところだぞ!」
ロゥリィ「ふふっ」
笑った。
それで。
さらに何人か。
銃を強く構える。
ロゥリィは。
気にしない。
視線。
青年。
イズモだけを見る。
ロゥリィ「あなた」
指。
向ける。
イズモ「私?」
ロゥリィ「炎龍と戦ったでしょう?」
イズモ。
止まる。
言葉。
解析。
聞き取れる単語。
炎龍。
戦う。
イズモ「炎龍?」
自分を指す。
ロゥリィ「そう」
イズモ「……昨日?」
ロゥリィ「ええ」
イズモ「戦った」
ロゥリィの笑みが。
深くなる。
見つけた。
ロゥリィ「どうして殺さなかったの?」
イズモ「……」
少し。
時間。
かかる。
ロゥリィは。
待つ。
イズモの視線が。
少し動く。
言葉を組み立てている。
イズモ「殺す」
自分。
首。
横。
イズモ「必要……ない」
ロゥリィ「必要がない?」
イズモ「逃げた」
山。
指す。
イズモ「村」
村。
指す。
イズモ「守った」
そして。
手。
開く。
イズモ「終わり」
ロゥリィ「……」
思った通り。
いや。
思っていたより。
ずっと。
単純だった。
ロゥリィ「炎龍よ?」
イズモ「知ってる」
ロゥリィ「人を食べる」
イズモ「うん」
ロゥリィ「村を焼いた」
イズモ「うん」
ロゥリィ「また来るかもしれない」
イズモ「うん」
全部。
肯定する。
それでも。
イズモ「昨日は」
少し。
言葉を探す。
イズモ「殺す必要なかった」
ロゥリィの指が。
ハルバートの柄を。
軽く撫でた。
ロゥリィ「変なの」
イズモ「……褒めてる?」
ロゥリィ「さあ?」
イズモ「分からん」
伊丹「何話してる」
イズモ「なんか変って言われた」
伊丹「正解じゃないか」
イズモ「伊丹さん?」
伊丹「何でもない」
ロゥリィ「ふふふ」
ロゥリィは。
一歩。
近づく。
兵士。
また動く。
イズモが。
右手。
少し上げる。
イズモ「待って」
日本語。
だが。
兵士たち。
止まる。
ロゥリィは。
その動きを見る。
命令。
ではない。
頼んだ。
でも。
彼らは。
一旦。
銃口を下げた。
完全ではない。
警戒は。
残っている。
ロゥリィ「あなた、あの人たちの偉い人?」
イズモ「?」
理解。
できない。
ロゥリィ。
兵士たち。
指す。
次。
イズモ。
上。
手。
階級を表現する。
イズモ「あ」
首。
横。
イズモ「違う」
伊丹。
指す。
イズモ「この人」
伊丹「何だ?」
イズモ「多分偉い人かって」
伊丹「俺?」
イズモ「違うって言った」
伊丹「正しいけど何か腹立つな」
ロゥリィは。
二人を見る。
関係。
上下。
単純ではない。
イズモには。
軍人特有の匂いがない。
規律。
命令。
そういうものに。
縛られている感じもない。
ロゥリィ「じゃあ」
さらに。
興味が湧く。
ロゥリィ「あなた、何?」
イズモ「……」
質問だけ。
理解したらしい。
青年は。
少し。
困った顔をした。
イズモ「それ」
日本語。
伊丹を見る。
イズモ「この世界でも聞かれるんだ」
伊丹「そりゃ聞かれるだろ」
イズモ「説明すると長い」
伊丹「またかよ」
ロゥリィ「?」
イズモは。
再び。
こちらを見る。
自分を指す。
イズモ「イズモ」
ロゥリィ「イズモ」
イズモ「AIH」
ロゥリィ「えーあい……?」
イズモ「……」
考える。
そして。
諦める。
イズモ「人」
ロゥリィが。
数秒。
青年を見る。
ロゥリィ「嘘ね」
イズモ「……」
発音。
分からなくても。
表情で。
伝わったらしい。
イズモ「なんで」
ロゥリィは。
一気に。
距離を詰めた。
隊員「!」
銃。
上がる。
だが。
イズモは。
動かなかった。
ロゥリィ。
目前。
顔。
近い。
イズモ「……近い」
ロゥリィは。
目を見る。
呼吸。
匂い。
鼓動。
確かに。
人間に近い。
でも。
違和感。
小さい。
それでも。
長く生きた使徒には。
僅かに。
感じ取れる。
ロゥリィ「あなた」
指。
胸。
軽く。
触れる寸前。
止める。
ロゥリィ「死の匂いが薄いのよ」
イズモ「……?」
言葉は。
分からない。
だが。
ロゥリィの顔。
笑っている。
怖がってはいない。
敵意。
ほぼない。
好奇心。
強い。
イズモ「伊丹さん」
伊丹「何」
イズモ「この人」
小声。
イズモ「めちゃくちゃ観察してくる」
伊丹「お前が言うな」
イズモ「私こんな距離まで行かない」
伊丹「そこは否定できん」
ロゥリィ「ねえ」
イズモ「?」
ロゥリィ「今度」
ハルバート。
軽く持ち上げる。
イズモの目。
僅かに。
変わる。
ロゥリィ「私とも遊んでみない?」
刃。
光。
イズモの視線が。
刃先。
足。
肩。
腰。
一瞬。
全部を見る。
戦闘姿勢。
ではない。
けれど。
いつでも動ける。
イズモ「……」
言葉。
ほぼ理解できない。
でも。
ハルバート。
笑顔。
指。
自分。
十分。
意味は伝わる。
イズモ「戦う?」
ロゥリィ「そう」
イズモ「嫌」
即答。
ロゥリィ「……」
伊丹「今なんて?」
イズモ「たぶん戦おうって」
伊丹「それで?」
イズモ「嫌って言った」
伊丹「即答か」
ロゥリィ「どうして?」
イズモ「必要ない」
ロゥリィ「強さを知りたくない?」
イズモ「……?」
ロゥリィ。
自分。
指す。
次。
イズモ。
拳。
ぶつける。
イズモ「あー」
理解。
イズモ「強さ?」
ロゥリィ「ええ」
イズモ「別に」
ロゥリィ「……」
今度こそ。
ロゥリィは。
目を丸くした。
戦士なら。
強さを比べたがる。
武人なら。
自らより強い者に興味を持つ。
少なくとも。
これほど力のある者なら。
そういうものだと。
思っていた。
だが。
イズモは。
本当に。
興味がなさそうだった。
イズモ「戦う理由ない」
ロゥリィ「……ふふ」
声。
漏れる。
ロゥリィ「ふふふふっ」
笑う。
肩。
揺れる。
イズモ「……?」
伊丹「何笑われてるんだ」
イズモ「分からない」
ロゥリィ「面白い」
顔を上げる。
ロゥリィ「あなた、とっても面白いわ」
イズモ「また変って言われた気がする」
伊丹「多分合ってる」
イズモ「……」
ロゥリィは。
ハルバートを。
再び。
肩へ戻した。
敵意。
消える。
少なくとも。
今は。
ロゥリィ「ロゥリィ」
自分を指す。
イズモ「……ロゥリィ?」
ロゥリィ「ロゥリィ・マーキュリー」
イズモ「ロゥリィ」
少し。
発音。
確認。
ロゥリィ「そう」
イズモ「よろしく」
意味は。
分からない。
だが。
差し出された。
手。
ロゥリィは。
見る。
握手。
この世界では。
見慣れない。
イズモが。
自分。
手。
ロゥリィ。
手。
示す。
ロゥリィ「こう?」
触れる。
握る。
イズモ「うん」
ロゥリィ「……」
温かい。
普通の。
人の手。
ますます。
分からない。
それが。
楽しい。
ロゥリィ「気に入ったわ」
イズモ「?」
ロゥリィ「しばらく一緒に行こうかしら」
イズモ「?」
ロゥリィ。
村。
自分。
イズモ。
歩く。
ジェスチャー。
イズモ「……一緒に来る?」
ロゥリィ「ええ」
伊丹「何だって?」
イズモ「たぶん同行したいって」
伊丹「……」
ロゥリィを見る。
ゴシック調の服。
巨大なハルバート。
見た目は。
少女。
でも。
どう考えても。
普通ではない。
伊丹「また濃いのが増えたな」
イズモ「私に言わないで」
伊丹「お前が拾ったんだろ」
イズモ「向こうから来た!」
ロゥリィは。
意味が分からないまま。
二人のやり取りを見て。
楽しそうに笑った。
***
少し後。
村。
簡易野営地。
ロゥリィは。
当然のように。
イズモの隣へ座っていた。
距離。
近い。
イズモ。
少し。
横へ。
ずれる。
ロゥリィ。
同じだけ。
詰める。
イズモ。
また。
ずれる。
ロゥリィ。
詰める。
イズモ「……」
伊丹「何してるんだお前ら」
イズモ「逃げてる」
伊丹「何から」
イズモ「ロゥリィ」
ロゥリィ「?」
伊丹「もう名前呼びかよ」
イズモ「名前しか分からない」
伊丹「なるほど」
ロゥリィは。
イズモの左肩。
包帯を見る。
指。
イズモ「?」
触れる前。
止まる。
ロゥリィ「炎龍?」
イズモ「あ」
イズモ「炎龍」
頷く。
ロゥリィ。
傷。
次。
山。
そして。
イズモ。
ハルバートの柄。
軽く叩く。
イズモ「……また戦おうって?」
ロゥリィ「ええ」
イズモ「嫌」
ロゥリィ「ふふっ」
イズモ「絶対分かってて言ってるでしょ」
伊丹「言葉通じてないだろ」
イズモ「雰囲気で分かる」
伊丹「お前らもう会話成立してない?」
イズモ「してない」
ロゥリィ「してるわよ?」
もちろん。
イズモには。
まだ。
全部は分からない。
それでも。
奇妙な形で。
意思は。
通じ始めていた。
炎龍を。
殺さなかった者。
死を司る神に仕える使徒。
本来なら。
相性がいいのか。
悪いのか。
誰にも。
分からない。
ただ。
一つ。
確かなこと。
ロゥリィ・マーキュリーは。
予定より。
ずっと早く。
最上イズモを。
見つけてしまった。
そして。
興味を。
持ってしまった。
イズモ「……伊丹さん」
伊丹「何だ」
イズモ「この人いつ帰るの」
ロゥリィ「?」
伊丹「知らん」
イズモ「えぇ……」
ロゥリィは。
その横顔を見て。
また。
楽しそうに。
笑った。