PROJECT CRUCIBLE ―彼女たちは兵器になる― 作:炎迅無頼気
Case01 ホルン:砲身直下の彼女
ホルンが消息を絶ってから、五週間が過ぎていた。
ロドスがようやく掴んだ確かな手掛かりは、先行捜索班をまとめて吹き飛ばしかねない一発の砲撃という、歓迎とは到底呼べない形で彼らの前に現れた。
街路の奥が白く膨らんだ瞬間、先鋒オペレーターのサイラッハは何が起こるのかを考えるより先に身体を動かしていた。軍旗を抱え込むように身を沈めながら背後の三人へ叫び、ほとんど同時に右手の煉瓦造りの建物が轟音とともに弾け飛ぶ。
「伏せて!」
建物の角は崩れたのではなく、巨大な何かで抉り取られたように消失していた。壁材だった煉瓦や石片が土煙と一緒に街路へ叩きつけられ、遅れて押し寄せた衝撃が髪と旗布を激しく煽る。頬を掠めた破片に熱を感じながら、サイラッハはすぐ背後へ振り返った。
「みんな、無事!?」
三人分の返事が重なったことで一度は胸を撫で下ろしかけたものの、偵察担当のオペレーターが崩れた壁材の下に片脚を挟まれているのが見えた。直撃ではないらしく意識ははっきりしていたが、立ち上がろうとした途端に顔が歪む。
「サイラッハさん、俺は大丈夫です。それより前を──」
「大丈夫な人はそんな顔しないよ。少しだけ我慢して」
軍旗を地面へ置き、近くにいたもう一人と二人で瓦礫へ手を掛ける。ヴィーヴルの膂力をもってしても軽くはなかったが、二人で持ち上げれば負傷者の脚を抜く程度の隙間は作れた。すぐに医療担当が身体を引き寄せ、簡単な状態確認を始める。
出血は少なく、意識にも問題はないものの、このまま歩かせるべきではない。そう判断したサイラッハが口を開こうとしたところで、街路の先から先ほどの砲撃とは異なる低い機械音が響いた。
一定の周期を刻む重い駆動音だった。何か巨大な機構が動くたびに石畳から微かな振動が伝わり、その間隔は少しずつ短くなっている。
「医療担当と一緒に下がって。西側の交差点まで戻ったら、後続班へ連絡して。ここに大型兵器がいるって伝えて」
「でも、サイラッハさんはどうするんです?」
まだ土煙の向こうに姿すら見えない相手を振り返り、サイラッハは一瞬だけ考えた。
本来なら全員で後退するべきだろう。四人はこの区域を制圧するために派遣された部隊ではなく、痕跡を確認して後続へ繋ぐための先行班に過ぎず、未知の重火器を相手にその役割を越えて戦う理由はなかった。
しかし、負傷者を抱えた三人が先ほどと同じ砲撃に追われれば、逃げ切れる保証はない。
「私が少し引きつける。その間に行って!」
「一人で残るつもりですか!」
「彼を連れて下がりながら、残りの三人で守って。私はここで足止めする」
いつもなら最後に笑ってみせたかもしれないが、今はそんな場面ではなかった。なおも迷っている相手へまっすぐ視線を向け、サイラッハは声を少しだけ強める。
「お願い。急いで」
元ヴィクトリア軍人らしい響きが混じった言葉に押されるように、三人はようやく頷いた。負傷者を左右から支えて来た道を戻り始め、その姿が交差点の角へ消えるまで確認してから、サイラッハは地面へ置いた軍旗を拾い上げた。
ホルンの捜索が始まってから、すでに五週間になる。当然、ロドスもその間ただ待っていたわけではなく、最後に確認された行動記録から可能性のある経路を洗い、現地での聞き込みと偵察を重ねてきた。
何度も空振りを重ねた末、数日前になってようやく、この廃棄区画の周辺で身元不明の大型輸送車両が複数回目撃されていたことが分かった。今日の先行調査も、その情報を確かめるためのものだった。
五週間探し続けたホルンへ繋がるものが、本当にこの先にあるかもしれない。だからといって焦って命を捨ててよい理由にはならないが、何も確かめず引き返すつもりもなかった。
サイラッハは街路の中央へ進み、軍旗を両手で構えた。
「さあ……来るなら、こっちにして」
二発目の砲撃は来ず、代わりに土煙の奥から重量物が石畳を踏み砕く音が近づいてきた。車輪でも履帯でもなく、複数の接地点が一定の間隔で地面を叩き、そのたびに周囲の瓦礫が小さく震えている。
やがて風が粉塵を押し流し、その向こうから黒い脚部が一本姿を現した。
続いて二本目、その反対側にも同じ構造が二本。太い金属フレームと分厚い装甲板を組み合わせた四脚が、地面すれすれまで低く構えた胴体を支えていた。
軍用兵器というより、サイラッハの頭へ最初に浮かんだのは巨大な工業機械だった。可動部も装甲も必要以上に太く、滑らかな曲面で覆うような洗練もない。何かを美しく見せるより、要求された機能を成立させることだけを優先したような無骨な構造の上に、機体全長の大半を占める長大な砲身が載っている。
先ほど建物の一角を消し飛ばした光景が脳裏へ戻り、サイラッハは知らず呼吸を止めた。
「……あれを撃ったの?」
姿を見てしまえば、むしろ納得できた。だが、問題は砲そのものではなく、機体中央に黒い装甲とは明らかに異なるものが見えていた。
最初に目へ入ったのは布地だった。その隙間から生身の腕が覗き、さらに視線を追えば、人間一人分の身体が機体の中央へ組み込まれていることが分かる。
操縦しているのかと考えたのは、ほんの一瞬だった。
違う。
座席らしいものがなく、両腕は左右別々の機械構造へ固定され、脚も自分の身体を支えるための位置には置かれていない。胸郭は機体中央の奥へ押し込まれ、骨盤は別の固定部によって高い位置へ保持されたまま全身を機体へ嵌め込まれており、顔面は黒い頭部装置によって完全に覆われていた。
操縦桿を握る手も、機体を操作する動作も見当たらない。人間が機械に乗っているのではなく、その身体が存在することを前提として、機械の方が組み上げられている。
そう理解した途端、サイラッハの背中に何か冷たいものが走った。
さらに目を凝らすと、頭部を覆う黒い装置の後方から長い髪が流れ落ちている。
その色には覚えがあった。
髪の間から覗くループスの耳も、骨盤の後方から伸びる一本の尾も、五週間探し続けた相手を思い出すには十分すぎる特徴だった。
「……ホルン?」
呼びかけへの反応はなく、代わりに黒い四脚兵器の上部で砲身が軋みながらゆっくりと旋回を始める。
「ホルン!」
先ほどより強く声を張っても、中央へ固定された身体に目立った変化はなかった。聞こえていないのか、答えられない状態なのか、それどころか生きているのかさえ、この距離と顔面を覆う装置のせいで判断できない。
その可能性が頭を過ぎった瞬間、喉の奥が急に狭くなった。
「私よ、サイラッハ!聞こえてるなら返事をして!何でもいいから!」
返答の代わりに巨大な砲口がこちらへ向き、サイラッハはその動きと中央に固定された身体を交互に見た。
頭を上げないのではなく、上げられないのかもしれない。腕も脚も本人が自由に動かせるようには見えず、それどころか、あの身体そのものが機械の中央構造として扱われているとしか思えなかった。
理解が追いつくにつれ、最初の驚きとは別の熱が胸の奥から急速に込み上げてくる。
「何を……したの」
漏れた声が震えた。
誰へ問いかければいいのかも分からない。目の前の機械に思考力があるのか、それを作った者が遠くからこちらを見ているのかさえ判断できなかったが、だからといって黙っていられるような光景でもなかった。
「何をしたの……!ホルンに何をしたの!!」
怒声が瓦礫の街路へ響き渡っても、兵器は何の反応も返さず、内部の低い駆動音だけを徐々に高めていく。
怒りのまま飛び込むわけにはいかなかった。そこにいるのが本当にホルンなら、機体に無闇な攻撃を加えることで彼女自身を傷つける可能性がある。だが何もしなければ、先ほど街路を吹き飛ばした主砲が今度はこちらへ向けて放たれる。
腹の底から込み上げる怒りと嫌悪を自覚しながらも、それに判断まで奪わせまいと、サイラッハは一度深く息を吸って軍旗を構え直した。
砲身の基部でアーツの光が強くなる。
「……撃たせない!」
軍旗を振り抜くと、長い旗竿が回転しながら街路を飛び、四脚兵器の前方へ突き立った。広がった旗布の周囲を淡いアーツの光が走り、接地していた前脚の動きが目に見えて鈍る。
その隙を逃さず、サイラッハは瓦礫を踏み越えて真正面から外れるように走った。砲撃を正面から受ける必要はなく、後続部隊が到着するまで足を止め、射線をこちらへ集められれば十分だと考えていた。
ところが、最初の数秒でその見積もりを改めることになった。
鈍っていた前脚が持ち上がり、黒い巨体が低い重心を保ったまま横方向へ移動する。あれほどの主砲を背負っているにもかかわらず姿勢制御は想像より遥かに速く、サイラッハの移動へ追従するように砲身まで旋回を再開した。
「っ……思ったより、ずっと動ける!」
旗による妨害が通じていないわけではなかったが、この機体を完全に止めるには足りない。サイラッハは崩れた壁の陰に滑り込み、そこから改めて中央部を窺った。
ホルンらしき身体は、最初に見た位置から変わっていない。腕にも脚にも機体を操作しているような動きはなく、その状態のまま四脚兵器だけが歩き、姿勢を変え、次の射撃へ移ろうとしていた。
やはり操縦しているのではないのだと考えたところで、それならなぜ人間の身体をあそこへ固定する必要があるのかという疑問が浮かぶ。
答えを探すように見つめていたサイラッハは、機体中央で起きた小さな変化に気づいた。
頭部を覆う黒い装置の周囲から淡い光が走り、それが頸部から背中、腰へ向けて広がっていく。単純に装甲表面を伝う配線ではなく、中央に固定された身体を避けるどころか、その人体を経由することを前提としているような光の流れだった。
その直後、ホルンの身体にも変化が現れた。
肌に残っていた血色が薄れ、機体の隙間から流れていた長い髪も、砲身側のアーツの光が増していくのとは反対に、少しずつ艶を失っているように見える。
ここからでは距離があるうえに、交流があるとは言えサイラッハ自身も失踪直前のホルンを毎日のように見ていたわけではない。それでも五週間、記録写真や映像を何度も見返してきた目には、今の変化を単なる光の加減として映らなかった。
砲身基部の発光がさらに強くなったのとほぼ同時に、中央へ固定された身体が一度だけ強張った。自発的に身じろぎしたようには見えず、外側から何かを流し込まれ、それに身体そのものが反応したような不自然な硬直だった。
偶然だと思いたかった。
だが、頭部装置から頸部へ走った光は、ホルンの身体を避けなかった。背中を通り、腰へ集まり、そこから機体側へ抜けていく。
まるで──。
「……まさか」
言葉にしたくなかった。
「ホルンを……使ってるの?」
声を抑えようとしたものの、最後まで平静にはできなかった。
答える者はいない。それでも機体だけは彼女の理解を待つことなく射撃準備を続け、中央へ固定された身体から奪うように集めた光を、主砲へ送り込んでいるように見えた。
「ふざけないでよ……!」
奥歯を噛み締めたサイラッハは、何も持っていない右手を強く握り込んだ。
人間を捕らえているだけでもなく、無理やり兵器に乗せているだけでもない。もし今見たものが正しいのであれば、あの機械はホルン自身の身体に何かを流し込み、その結果を砲撃へ利用しているのだ。
しかも、この姿が今日初めて作られたものだとは思いにくかった。
拘束が強すぎて動けないだけなのか、それとも動く力そのものを奪われているのか、サイラッハには判断できない。ただ、砲撃準備が始まる以前から肌の血色は薄く、長い髪も本来の艶が乏しい。少なくとも、今この場で初めてあの機械へ組み込まれた人間には見えなかった。
五週間──そのすべてではないにしても、もし何日も、何度も、この状態で使われていたのだとすれば。
「……こんなことを、ずっと……?」
考えた瞬間に胃の奥がひどく冷えたが、怒りに任せて叫び続けている暇はなかった。砲口の奥へ集まる光は彼女の感情など待ってはくれず、サイラッハは無理やり視線を兵器全体へ戻した。
あれを壊すのではなく、まず止めなければならない。砲撃を許せば、そのたびにホルンの身体へ何らかの負荷がかかるという事実が見えてしまった以上、先ほどまでとは戦う理由そのものが変わっていた。
前方へ突き立った軍旗の周囲で、アーツの光が弱まり始める。
サイラッハは遮蔽物から飛び出すと、機体の前脚近くまで一気に距離を詰め、地面へ突き立っていた旗竿を掴んで引き抜いた。その勢いを殺さず四脚兵器の側面へ回り込み、中央の人体から最も離れた前脚の関節部へ狙いを定める。
脚部であれば、ホルンらしき身体を直接巻き込まずに済む。破壊するほど強く打つ必要もなく、動きを崩して砲身の向きを逸らせれば、それだけでも射撃を遅らせられる可能性があった。
旗竿を振り抜き、前脚の関節部へ打ち込む。
金属同士がぶつかる鈍い音とともに手首まで強い衝撃が返ってきた。装甲そのものを割るには足りなかったものの、四脚の一つがわずかに沈み、砲身の軸が狙っていた方向から外れる。
装甲を破壊できなくても姿勢を乱すことはできると判断したサイラッハは、そのまま同じ箇所へ二撃目を入れようとした。
しかし、四脚兵器の反応の方が速かった。
後脚が位置を変え、低い胴体そのものが回り込むことで前脚への追撃を拒む。サイラッハが距離を取り直そうとした頃には、主砲の基部が再び彼女の動きを追って旋回していた。
中に乗っている人間が操縦しているなら、一瞬の判断の遅れくらいは期待できたかもしれない。しかしこの機体にはそれがなく、中央にいるホルンの意思など最初から必要としていないのだとすれば、なおさら嫌悪感が込み上げてくる。
「どこまで勝手なのよ……!」
吐き捨てるように言った直後、砲口の光が弾けた。
サイラッハは横へ飛び、地面へ身体を投げ出す。ほとんど同時に背後で凄まじい爆発が起こり、熱風と破片が背中を叩いた。
直撃こそ避けたものの、衝撃だけで身体が地面を転がり、肺から空気が押し出される。それでも街路の後方には、先ほど三人を逃がした交差点があることを思い出し、痛む身体を起こした。
今の一撃は自分を狙った。
ならば、このまま注意をこちらへ引きつけておけば、少なくとも後退した三人へ砲口を向けさせずに済む。
サイラッハは荒くなった呼吸を整えながら軍旗を拾い直し、土煙の向こうに立つ黒い四脚兵器を睨んだ。
まだ逃げるわけにはいかない。少なくとも、あそこにいるのが本当にホルンなのか、それすらまだ確かめられていないのだから。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「…………」
外の光は一度も見えておらず、音も同じだった。砲撃の轟音も、四脚が石畳を踏む音も、ましてや外から自分の名前を呼ぶ声があったとしても、頭部を覆う黒い装置の内側までは何一つ届かない。
ホルンに与えられているのは、暗闇と自分自身の身体感覚、それから管理回線を通じて一方的に流される音声だけだった。
身体の奥を、また強い負荷が通り抜けていく。
最初の頃は、その感覚が来るたびに全身へ力を込め、何とか流れを拒もうとした。意味があるかどうかも分からないまま腕を動かそうとし、膝を伸ばそうとし、頭を引き抜こうとしていた時期もあったが、力任せに抗うことだけは、もうやめていた。
頭部は固定され、胸を起こすこともできず、腰は決められた高さから下がらない。強く折り曲げられた膝にも、自分の意思で伸ばせるほどの遊びはなく、どこへ力を入れれば固定が緩むのかという試行錯誤も、とうに一通り終えていた。
無意味だと分かった抵抗へ、残った体力を使う理由はない。
生命維持装置は必要な水分も栄養も与え、呼吸も循環も管理している。ひどく消耗すれば入力を止められ、眠らされることさえあった。
その仕組みのおかげで生き続けられているという事実は、そのまま次の運用へ耐えられるところまで回復させられているということでもあった。
初めの頃、その意味を理解した時には吐き気がした。
回復させてもらっているのではない。壊れないところまで戻し、また同じことをするために維持されているだけだった。
何度目の起動なのか、正確な数を数えることは途中でやめた。外が見えず、昼夜も分からない環境では睡眠を挟むたびに時間の感覚が少しずつ崩れていく一方、入力の上がり方と身体を通る負荷、その後に返ってくる機体振動の組み合わせだけは嫌でも覚えていった。
今も、身体へ起きていることは同じだった。
頭部側から押し込まれた何かが頸部から脊柱を通って全身へ広がり、身体の奥を焼くような負荷を残しながら、最後には腰の辺りからまとめて奪われていく。
その直後、固定された身体全体へ大きな振動が返ってきたことで、ホルンは恐らく主砲が発射されたのだと判断した。
何を撃ったのかも、誰へ向けたのかも分からない。自分の身体を使われているにもかかわらず、その結果だけは何一つ知らされないという事実が、何度経験しても一番腹立たしかった。
『変換効率、許容範囲。生体反応、継続運用可能。主砲再充填を開始』
聞き慣れた管理音声が暗闇へ響いたものの、ホルンはすぐには答えなかった。
別に喉が乾いているわけではない。それすら機械が勝手に管理している。ただ、声を出すことにも僅かな労力が必要で、何を言っても相手がまともに返答しないことは、これまでのやり取りで嫌というほど理解していた。
以前なら、もっと何度も問い詰めていた。ここはどこなのか。誰の命令なのか。何を目的としているのか。自分をどうするつもりなのか。
何度問うても返ってきたのは、神経同期率や入力値を読み上げる無機質な報告ばかりだったため、今では必要な時にしか口を開かない。
「……今、何を撃ったの」
久しぶりに出した声は、思っていたより低く掠れていた。
当然のように返答はなく、予想していた通りの沈黙が続く。それでも慣れたからといって腹が立たなくなったわけではなく、ホルンは一度だけ浅く息を吸ってから、もう少し強い声を出した。
「聞こえているんでしょう……答えなさい……」
それだけでも、喉より先に身体の奥へ疲労が響いた。
ホルンは目を閉じたまま、怒鳴り続ける代わりに先ほどの入力を思い返す。開けていたところで何も見えない目より、今は自分の身体の感覚から拾える情報の方が重要だった。
負荷が最大になった直前、ほんの僅かだがアーツの感覚に揺らぎがあった。自分が意図的に呼吸と筋緊張をずらした時、一度だけ入力が弱まったようにも感じている。
偶然である可能性は残るものの、それでも試す価値はあった。そうやって可能性を一つずつ拾う以外に、今の自分にできることはない。
『神経同期補正。入力再調整』
管理音声が響いたことで、ホルンは先ほど感じた揺らぎが完全な錯覚ではなかった可能性を考えた。
疲労で途切れかけた思考を一度ゆっくり呼吸して繋ぎ直し、すぐに二度目を試したい衝動を抑える。以前なら続けて抵抗したかもしれないが、今はそうしない。
連続して同じことを繰り返せば、機械側もこちらの意図をより早く学習する。
「……好きに、使えると思わないで」
声を張る力は残っていなかったが、その言葉だけは口にした。
身体は重く、固定された関節には鈍い痛みが残り、何度回復を挟んでも疲れが完全に消えたという感覚は久しくない。長時間同じ姿勢に置かれ続けているせいか、以前なら意識しなかった筋肉にまで常に重さが残り、眠ったはずなのに目を覚ましても身体が軽くならないことにも慣れ始めていた。
怖くないわけでもなかった。
次にどこへ運ばれるのか、自分の身体で何をされるのか、いつになれば自由に身体を動かせるようになるのか。考え始めれば、軍人であることとは何の関係もなく、本能的な恐怖は今でも胸の奥から湧いてくる。
それでも、その恐怖まで相手へ明け渡すつもりはなかった。
今の自分に残っている力が以前より少ないのなら、少ないなりに使えばいい。意味のない抵抗で削るのではなく、本当に機会が来た時のために残しておく。
暗闇の中で、ホルンは次の入力を待ちながら、先ほど感じた僅かな同期の乱れをもう一度思い返した。
声を上げ続けるだけの余力は、とっくに削られている。
それでも、考えることまではまだ奪われていなかった。
【挿絵表示】
B2-H1《HORN》
PROJECT CRUCIBLE第一世代試験機1号機。
ホルン本人を《生体アーツユニット》として組み込み、通常アーツユニットの限界を超える瞬間変換容量を得る四脚式重砲撃機。