PROJECT CRUCIBLE ―彼女たちは兵器になる― 作:炎迅無頼気
「……あんたが、ホルンにあんなことをしたの?」
スピーカーから聞こえた女の声に、サイラッハは黒い頭部装置を睨みつけたまま問い返した。声が震えていることは自分でも分かっていたが、取り繕う気にはならなかった。
「ホルンはどこ?生きてるの?答えて!」
『あら。最初に聞くのは自分のことじゃないのね』
「そんな話してない!あの子は今どうなってるの!」
室内にいる白い防護衣の者たちは、サイラッハの声など聞こえていないかのように黒い装置の周囲で作業を続けていた。数秒の間を置いて女の声が返ってくるまで、サイラッハの脳裏には、黒い機体の中央で血色を失っていたホルンの姿が何度も浮かんでは消えた。
『今は休ませているわ』
「……今は?」
『あれだけ働いてもらったんだもの。疲れた身体には、ちゃんと休息が必要でしょう?』
その言葉を聞いた瞬間、サイラッハの中へほんの僅かに生まれかけた安堵が、すぐに別の感情で塗り潰された。
「働いてたんじゃない!ホルンが望んでやってたことじゃないでしょ!」
固定具へ繋がれた手首を引くと、金具と寝台が鈍い音を立てた。
ホルンが生きているのかという問いに、この女はまだ明確には答えていない。
休ませているという言葉が本当なら、少なくともあの戦場を生き延びている可能性は高い。だが、目の前の者たちが自分へ何をしようとしているのかを考えれば、その言葉を額面通り信じることなどできなかった。
「ホルンに会わせて」
『今は無理ね』
「じゃあ声だけでも聞かせて。何でもいい。本人が生きてるって分かるものを――」
『サイラッハ』
それまでより僅かに柔らかな声で名前を呼ばれ、サイラッハの言葉が止まった。
『あの子のことを大切に思ってるのね』
「……当たり前でしょ」
『大丈夫よ。あなたのことも、ちゃんと大切にしてあげるから』
その言葉を向けられた途端、サイラッハの背筋へ冷たいものが走った。ホルンをあの状態にした人間から向けられる「大丈夫」という言葉ほど、信用できないものはなかった。
「いらない。そんなの、あたしはいらないから。ホルンから手を離して」
『ふふ。元気ね』
「笑うな!」
声を荒らげた時には、すでに通信は切れていた。何度呼びかけても女からの返答はなく、残ったのは白い防護衣の者たちが装置を確認する小さな作動音だけだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その日のうちに、サイラッハの拘束が一度外された。
両手首を留めていた固定具が開いた瞬間にも、サイラッハはすぐには動かなかった。右脚の痛みがどこまで残っているか、肩をどの程度動かせるかを確かめながら、寝台の周囲に立つ四人の位置を視線だけで追う。
『移送を開始します』
一人が腕へ手を伸ばした。
その指先が触れる直前、サイラッハは身体を起こした。伸びてきた腕を外側へ払い、反対側から掴もうとした相手の肩を押して寝台から降りる。右脚に一瞬だけ痛みが走ったが、体重を支えられないほどではない。
正面の扉までは数メートル。そこへ向かって踏み出したところで背後から腕を掴まれた。
「どいて!」
身体を捻って振りほどこうとすると、さらに反対側から肩を取られる。
サイラッハは足を止めず、相手の腕を支点にして進路を変えたが、三人目が腰へ回り込んだことで動きを止められた。
『身体機能、移送基準を満たしています』
「そんなこと聞いてない!」
相手を振り切ることだけに集中していたわけではなく、開いた扉の向こうへ視線を走らせ、廊下の幅や曲がり角、そこに立つ人影の数を覚えていく。今すぐは無理でも、逃げられる隙が見つかれば何度でも試すつもりだった。
だが、白い防護衣の者たちはサイラッハへ怒鳴り返すことも、殴りつけることもなく、ただ必要な分だけ力を使って身体を運び続けた。その扱い方は、捕虜を連行しているというより、決められた場所まで荷物を移しているようにしか見えず、不気味だった。
いくつかの隔壁を通り、大きな扉の前まで来たところでサイラッハは再び足を止める。低い作動音とともに扉が左右へ開き、その向こう側にあったものを見た瞬間、抵抗するために張っていた力がほんの一瞬だけ抜けた。
「……何、これ」
広い整備区画の中央に、黒い四脚兵器が置かれていた。
ホルンを組み込んでいた機体より胴体はやや高く、その左右には巨大な板状の機構が並んでいる。幾重もの装甲と発光部を重ねたそれらは、巨大な盾を縦に伸ばしたような形をしていた。
ただ、サイラッハが見ていたのはそこではない。
機体中央には、人間一人分の空間が空いていた。上部には先ほどまで自分の部屋に置かれていた黒い頭部装置があり、その下に首と背中を沿わせる構造が続き、胸郭を受ける支持部、骨盤を固定する大型の機構、左右へ伸びる腕の保持部が並んでいる。
さらに下には、脚を深く折り畳んだ状態で収めるための複雑な構造が左右対称に配置されていた。
骨盤の位置も、背中の長さも、膝をどこまで曲げられるかという数字も、拘束されていた間に何度となく測られた。その理由が、目の前にある機体の形と重なっていく。
「……あの時、これを……」
最後まで言葉にならないまま、白い防護衣の者が腕を強く引いた。
サイラッハは我に返ったように身体を引く。
「待って」
『搭載工程を開始します』
「待って!」
機体へ近づけられた瞬間、恐怖が怒りを押し退けるように込み上げた。
掴まれた腕を力任せに引き、片側の拘束を一瞬だけ振り解く。そのまま出口へ走ろうとしたが、別の二人に強い力で身体を止められた。
「離して!そこには行かない!」
肩を振り、足を踏ん張り、使えるものは全て使って機体から距離を取ろうとする。さっきまでなら、どうすれば相手の重心を崩せるかを考える余裕があったが、今は違った。
目の前にある空間へ身体を収められれば、何が起きるのかを知っている。ホルンは黒い装置に顔を隠され、機械の中央で四肢を固定され、自分の意思とは無関係に身体を使われていた。
それが、今度は自分へ行われる。
「嫌……そんなの嫌!」
誰も答えないまま身体を持ち上げられ、機体中央へ運んでいく。
「降ろして!」
最初に骨盤が機体中央の支持部へ当てられ、左右から黒い保持具が閉じる。腰を捻った瞬間、それまでなら逃がせたはずの力がそこで完全に止まり、後ろへ身体を引くことも、前へ逃れることもできなくなった。
骨盤を押さえられただけで、身体全体を使った逃げ方のほとんどを奪われる――以前の測定で腰の位置まで執拗に確認された理由が、今さらになって嫌になるほど明瞭になった。
「……最初から……!」
『骨盤主固定、正常』
その「正常」という言葉が、サイラッハにはひどく歪んで聞こえた。
「……何が正常なの!?」
続いて胸の下に支持部が入り、背中側から機構が押し上げる。
頭から骨盤までを真っ直ぐ伸ばすように体幹を保持され、僅かに後方へ反らされたところで胸郭の固定具が閉じた。呼吸そのものはできても、腹に力を入れて身体を丸めることはできず、体幹を使った抵抗まで奪われる。
両腕へ手が伸びた時、サイラッハは反射的に肘を胸元へ引き寄せた。
「腕は――!」
腕さえ自由なら、固定具へ手を掛けることも、相手を押し退けることもできる。
それが今、自分に残された最後の大きな抵抗手段だった。
右腕が上方の保持部へ持ち上げられる。
「待って、そこは……!」
手首の拘束が閉じ、上腕も別に固定された。
続いて左腕――指先を握ることだけはできるものの、それ以上はどう力を込めても機械の中で吸収されてしまう。
サイラッハは歯を食いしばって腕を引き続けたが、やがて肩へ余計な負荷が掛かるだけだと理解して力を緩めざるを得なかった。
『上肢固定、正常』
今度は何も言い返さなかった。
呼吸だけが段々と荒くなっていく。脚に手を掛けられた時、怒りより先に身体が強張った。
「それ以上は――」
抵抗する脚を押さえ込まれ、膝を深く曲げられていく。踵が徐々に太腿の裏へ近づいていった。
「待って、もう……っ!」
それでも膝は事前に測定された可動域の限界まで正確に曲げられ、左右それぞれの黒い受け部へ収められた。その角度には見覚えがあり、以前の測定で何度も確認された、自分の膝の最大可動域と一致していた。
その事実に気づいた途端、サイラッハは声を失って唇を強く噛んだ。
あの時に測られていたのは、単なる身体能力ではなかった。
どこまでなら壊さず折り畳めるのか、その限界だった。
大腿と下腿へ保持具が閉じ、踵は太腿裏へ密着したまま動かなくなった。
もう立つことも、蹴ることも、床へ足をつけることもできず、脚という形は残っているのに、それが自分をどこかへ連れていくためのものではなくなっていた。
そして、そこで作業が終わることはなかった。
機体下部から、黒い箱状の機構が上がってくる。
折り畳まれた両脚の間を通り、骨盤の下部へ近づいてくるそれを見て、サイラッハの表情が強張った。
「……それ、何」
機構は太腿を避けるように位置を微調整し、骨盤下に幅広い支持面を合わせていく。
逃げようとして腰へ力を入れても、固定された身体は動かなかった。
やがて骨盤下に触れた支持面は意外なほど強く押しつけてこない。僅かに冷たい感触が広がり、次いで身体の形を探るように細かな圧力が左右へ移っていくと、そのまま体重を分散させる位置を見つけたのか、接触面がゆっくりと密着した。
硬い金属へ押しつけられるというより、むしろ長時間同じ姿勢でいても身体を傷めないよう必要以上に丁寧に支えられており、その配慮が何のためなのかを考えるほど気味が悪かった。
腰の左右へ小さな接続部が触れ、軽い刺激が走る。
「っ……!」
刺激そのものはすぐに消えたが、その後も骨盤下からは微かな振動と温度の変化が絶えず伝わり、自分の身体が機械側の管理へ取り込まれたことだけは嫌でも分かった。
続いてモジュール内部で低い振動が始まり、支持面の圧力がごく僅かに変化する。接触していた冷たさも次第に消え、機械側が自分の体温へ近づいていった。
『生命維持モジュール、接続』
サイラッハの呼吸が一瞬止まった。
「……生命維持……?」
『循環補助系、正常』
『水分管理系、接続』
『代謝管理系、接続』
『体圧管理、開始』
骨盤下の支持面が再び僅かに動き、圧力の掛かっていた場所を自動的にずらす。
一時的に身体を固定するだけなら、栄養も水分も循環も体圧まで管理する装置など必要ない。長くこの姿勢のまま生かしておくことを前提にしているのだと理解した瞬間、サイラッハの喉が引きつった。
「これ……ずっ、と……?」
その先を口にすることはできなかった。
答えの代わりに頭上で大きな機構が動き、サイラッハが顔を上げると、黒い頭部装置が自分へ向かって降りてきていた。
それまで荒れていた呼吸が、一瞬だけ止まった。
「……それは、やめて」
反射的に首を引こうとするが、胸郭も骨盤も動かない。
装置は止まらず、角を避けるために作られた左右の切り欠きが、ぴたりと自分の頭部へ合っていく。
「お願い。それだけは……」
不意に、作業員の一人が髪を持ち上げた。
「髪に触らないで!」
そこだけは反射的に強い声が出た。
頭を振ると、指からこぼれた髪が肩へ落ちる。それでも別の手が再び髪を拾い、機械へ巻き込まれないよう左右へ分けて後方の開口部へ逃がしていった。
自分で時間をかけて整え、乱れれば自分の手で直してきた長い髪。それが今は、本人の意思など関係なく、機械の可動部へ干渉しないためのものとして持ち上げられ、必要な方向へ流されていく。
顔は隠され、身体は固定され、それでも長い髪だけはホルンの時と同じように機械の外へ残される。
その光景を想像した瞬間、目元が僅かに熱くなった。
『頭部位置を調整』
「待って――!」
後頭部が支持部へ押さえられる。
最後まで首を動かそうとしたが、装置はその僅かな動きまで位置補正して追ってきた。
「お願い、やめ――」
黒い装置が閉じた瞬間、視界は完全な暗闇へ変わり、何度瞬きをしても何一つ戻ってこなかった。
「……っ、外して!」
声を上げた直後、さらに異変へ気づく。
作業員の足音も固定具の動作音も、広い整備区画に響いていた機械音も消えており、外界の音そのものが遮断されていた。聞こえるのは自分の呼吸と声、それから頭部装置の内部へ直接流される音声だけだった。
『頭部入力ユニット、接続完了』
その言葉を聞いた瞬間、数日前の街路が鮮明に蘇った。黒い四脚兵器の中央にいたホルンへ向かって、自分は何度も名前を呼び、聞こえているなら答えてほしいと叫び続けていた。
「……じゃあ……あの時……私が何回呼んでも……」
そこから先は声にならなかった。
ホルンが無視していたのでもなければ、返事をする余裕がなかったというだけでもない。自分の声そのものが、最初から一度も届いていなかったのだ。
「……ホルン……」
暗闇の中で名前を呼んでも、当然何も返ってこなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
『初回励起試験を開始します』
どれほど時間が経ったのか分からないまま、管理音声が突然流れ、サイラッハは反射的に身体を強張らせた。
「……何をする気なの」
『低出力入力を開始』
「説明くらい――」
言葉の途中で頭部装置の奥から何かが流れ込み、頭の奥から首を抜け、背中を通った感覚が胸や腹へ一気に広がり、さらに両腕と折り畳まれた脚の奥まで走っていく。
「っ……!」
以前、寝台の上で受けた低出力測定とはまるで違った。皮膚を刺激されているのではなく、身体の中にある何かを、自分以外の力で直接動かされている。
「な……何、これ……!?」
『神経同期、不安定』
『左右出力差を検出』
『入力を低下します』
負荷は弱まったものの完全には止まらず、そのまま再同期の処理へ移っていく。
『再同期を開始』
「もういい……止めて!」
数秒後に入力が再開され、次に何が来るのか分からない恐怖からサイラッハは反射的に全身へ力を込めた。
その瞬間、左の肩甲部へ負荷が偏り、背中の奥を押し潰されるような感覚が走る。
「っ……痛い!」
『筋緊張による同期乱れを確認』
『左右補正を実行』
入力の流れが変化し、左へ集中していた負荷が弱まると、今度は左右へ均等に分散していった。その補正まで本人の意思とは無関係に行われる中、サイラッハは息を整えようとしたものの、次に何が身体へ入ってくるのか分からない恐怖がどうしても呼吸を浅くする。
『神経同期、上昇』
『変換出力を確認』
『上背部出力カプラーへ接続』
肩甲部の奥で先ほどとは逆の感覚が生まれ、全身を通った何かが背中へ集まったあと、そこから左右へ引き抜かれていく。
「っ……」
『防護投射ユニット、待機』
『投射を開始します』
その瞬間、左右の肩甲部から引かれる感覚が一気に強くなった。
「うっ……!」
何かを持たされているわけではないのに、両肩へ巨大な重りを吊り下げられたように身体が重くなる。数秒後には機体全体を通じて低い衝撃が伝わり、外の音は一切聞こえなくても、骨盤を固定する機構と背中の支持部が同時に僅かに震え、その直後に左右へ流れていた出力が大きく跳ね上がった。
『試験弾、弾着』
『防護率、八十九パーセント』
何かを防いだのだと理解するまで、少し時間がかかった。外で何が起きたのかは見えなくても、その衝撃を受け止めた力が自分の身体から引き出されたものであることだけは分かる。
「……今の、私で……?」
『防護出力を上昇します』
負荷がさらに増す。最初は固定具を引くだけの力が残っていたが、十秒、二十秒と続くにつれて腕へ込められる力が少しずつ弱くなり、喉が乾き、呼吸を一度整えなければ次の言葉を出せなくなっていく。
「……まだ、やるの……?」
『生体消耗度、Grade 1』
『運用継続可能』
管理音声にとって、それはサイラッハがどう感じているかとは何の関係もない判定だった。性能低下がまだ許容範囲に収まっているというだけで、本人が続けたいかどうかなど項目に含まれていない。
再び機体に先ほどより重い衝撃が伝わり、骨盤下の生命維持モジュールが僅かに支持位置を変えて身体へ集中した圧力を分散する。同時に、上背部から流れ出す負荷がさらに増えた。
『防護率、九十四パーセント』
『規定出力到達』
怒鳴ろうとしても声量が出ず、身体の芯は重く、指を握ろうとしても思った通りの速さでは動かなかった。
『皮膚血色、基準値より低下』
『毛髪光沢、低下』
『毛髪彩度、低下を確認』
その報告を聞いた瞬間、サイラッハの呼吸が乱れた。
「……髪……?」
自分の肌も長い髪も見ることはできなかったが、街路で目にしたホルンの変化を思い出せば、何が起きているのかは分かった。機械側が強く働くほど、今度は自分の身体から血色と色彩が失われている。
「嫌……そんなの……」
言葉に力が残っていないまま、防護投射だけは続いていく。
『防護投射、継続』
返事をする気力すら削られ始めた頃、サイラッハの呼吸が大きく乱れ、それに伴って身体を通っていた流れが一瞬だけ偏った。
『左右出力差、増大』
『同期乱れを検出』
負荷が少し弱くなったことで、サイラッハは荒い息の中から、何が起きたのかを遅れて理解した。自分が呼吸を崩し、身体を強張らせた時だけ、何かしらの出力が乱れている。
「……今ので……?」
『入力低下』
ほんの数秒だけ身体が楽になったものの、すぐに管理音声が続く。
『再同期を開始』
『補正値を適用』
左右の流れが再び整えられ、機械は自分が乱したものを当然のように元へ戻していった。
その時、サイラッハの中にホルンも同じことを試したのではないかという考えが浮かんだ。身体の使い方で同期を乱し、少しでも出力を落とそうとしたが、その抵抗への対処までこの機械側に蓄積されているのかもしれない。
「……ホルン……」
それ以上は声にならなかった。
『生体消耗度、Grade 2』
『規定維持時間、達成』
『防護投射を停止します』
肩甲部から引かれていた重苦しい感覚がようやく消え、サイラッハは大きく息を吸おうとして途中で咳き込んだ。全身が重く、指先を動かすことさえ面倒に感じるほど身体から力が抜けている。
『初回防護試験、成功』
『RECOVERYへ移行します』
「……終わったなら、外して」
返答はない。
「聞こえてるよね……ここから降ろして……」
『生命維持優先』
骨盤下へ密着しているモジュールが静かに作動し、支持面の圧力が再び僅かに変化した。
『水分補正』
『循環管理開始』
『神経回復工程へ移行』
機械は身体を楽にする方向へ勝手に調整していくのに、骨盤も胸郭も腕も脚も固定されたままで、頭部装置も開かず、視界も外の音も戻ってこない。
「……休ませるって……」
それだけ口にして、サイラッハは言葉を失った。
女がホルンについて使った「休ませる」という言葉は、解放することを意味していなかった。回復させるというのも、次にまた使える状態まで戻すという意味でしかなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
次の励起が始まった時、サイラッハは管理音声より先に気づいた。
頭部装置の奥で作動の感覚が変わり、頸部から背中へ入力が来る直前に身体が勝手に強張る。
「……また」
『生体状態、Grade 0』
『第二次防護試験を開始します』
入力が始まり、サイラッハはすぐに前回との違いへ気づいた。身体の中を通る感覚が僅かに滑らかになり、左右の肩へ分岐する時も最初ほど強い偏りが生じない。
『神経同期、前回試験比で改善』
前より苦しくないことに一瞬だけ安心しかけたが、すぐに別の恐怖が押し寄せる。
自分の身体が入力へ慣れ始めたのか、それとも機械側が前回の記録を基に調整したのか、そのどちらかではなく両方なのかもしれない。いずれにしても、喜べる変化ではなかった。
『前回同期乱れ補正値を適用』
サイラッハの表情が強張る。
「……前回……?」
前と同じように身体を強張らせ、呼吸を僅かにずらしてみるとアーツを使った時に感じるような出力は揺れたものの、前ほど大きくは崩れなかった。
『補正範囲内』
乱れはすぐに均される。
前回偶然起こした同期乱れと、それを生じさせた身体反応まで記録されている。同じやり方は、もうほとんど通じなかった。
「……最悪」
『防護投射を開始します』
負荷が始まり、前より身体が受け入れやすくなった分、最初の数十秒は確かに楽だった。だからこそ、いつまで経っても終了の合図が来ないことへ気づくのも早かった。
「……まだ続くの?」
『防護維持時間、前回比百二十パーセントへ設定』
その管理音声を聞いたサイラッハは何も言えなくなった。
同期が改善したことで生まれた余裕を、休ませる方向へ使うつもりなどさらさらなく、その分だけ維持時間を伸ばすつもりなのだ。
『投射継続』
規定時間は伸ばされ、次の試験では出力そのものが引き上げられ、さらにその次では複数回の衝撃を続けて受け止める試験へ変わった。
機体へ重い振動が走るたび、左右のユニットに流れる出力が増え、サイラッハの身体は少しずつ重くなる。初回ほど同期は乱れない代わりに、今度はその余裕を使い切るまで長く運用されるようになった。
呼吸が荒くなれば入力が調整され、血色が落ちれば記録され、髪の艶が失われても機械側が許容範囲と判断する限り試験は続き、回復すればまた次が始まる。
数えるのが億劫になるほどの回数の試験が終わった頃には、サイラッハは自分よりも機械の方が自分の身体を詳しく知っているのではないかと思うようになっていた。
どの程度の呼吸の乱れなら同期へ影響し、どこへ力を入れれば出力が偏り、どこまで疲労すれば声が掠れ、あと何分回復させれば通常値へ戻せるのか、その全てが記録され続けている。
「……最低……」
ある試験の終了後、サイラッハは力の抜けた声で呟いた。
管理音声は答えない。
『神経同期、安定』
『左右防護投射、安定』
『長時間維持基準、達成』
続いて、これまでとは違う報告が流れた。
『第一世代広域防護試験機、運用条件を満たしました』
サイラッハは暗闇の中で目を開く。
『機体識別――B2-S1《サイラッハ》』
聞き慣れたコードネームだったため、一瞬だけ自分が呼ばれたのだと思った。だが、それは機体識別として読み上げられている。
四本の脚も、左右の巨大な防護投射ユニットも、生命維持モジュールも、その中央へ固定された自分自身さえも含めて、一つの兵器としてその名前を与えられていた。
しばらく何も言えなかったサイラッハは、一度だけ呼吸を整えた。疲労で掠れていた声だったが、その一言だけは本人が自分自身を確かめるようにはっきりと発した。
「……それは、私の名前だよ……」
『B2-S1《サイラッハ》』
管理音声は何の躊躇もなく、もう一度同じ名称を読み上げる。
『運用可能』
その言葉を聞いた時、サイラッハはようやく理解した。
これまで行われていたのは、単に自分を使った実験ではなかった。
実験そのものはこれで終わりだが、代わりに自分を中央へ組み込んだ兵器が完成品として運用可能になったのだと。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
整備区画から離れた管理室で、一台の端末が静かに画面を切り替えた。
白い防護衣を着た人影が操作盤へ触れる。
《B2-S1 初期運用試験》
《結果:成功》
《広域防護プラットフォームとして運用可能》
表示された記録が保存されると、それまで閉じられていた別のファイルが自動的に開いた。
《次期生体ユニット選定》
画面中央には、一人の女性の個体記録が表示される。
《識別名:BAGPIPE》
《生体アーツユニット適合予測:高》
《対象指定:完了》
白い手袋に覆われた指が操作盤に触れると、画面下部に新しい項目が追加された。
《確保計画:実行準備》
【挿絵表示】
B2-S1《SAILEACH》
PROJECT CRUCIBLE第一世代応用機2号機。
サイラッハ本人を《生体アーツユニット》として組み込み、通常アーツユニットでは維持困難な高強度防壁を展開する四脚式広域防護機。