PROJECT CRUCIBLE ―彼女たちは兵器になる―   作:炎迅無頼気

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Case05 バグパイプ:走らない彼女◇

 

 

 目を覚ました時、最初に確かめたのは手だった。

 

 右手、左手。それぞれ指を一本ずつ曲げ、握り、また開く。次に足首を動かし、膝へ力を入れ、腹を固めてからゆっくり息を吸った。  戦いの後らしい全身の重さと、鎮静剤でも使われたのか頭の奥へ薄く残る鈍さはあったが、骨や関節を傷めた感覚はなく、どこか一箇所だけ鋭く痛む場所もない。

 

 そこでようやく目を開けた。白い天井が真上にあり、視界の左右を細い金属骨格が挟んでいた。病室の寝台にしては幅が狭く、代わりに肩から脚まで何箇所もの支持部が配置されており、手首と足首には幅の広い固定具が回されている。少し引けば遊びはあるものの、それ以上動かそうとすると固定具自体が追い掛けるように位置を変え、皮膚を締め上げることなく可動範囲だけを奪った。

 

 外套はない。着ているのは戦闘用のインナーだけで、土と汗にまみれていたはずの赤橙色の髪は洗われ、絡まりまで解かれて台の片側へ長く流されていた。あまりにも綺麗に整えられているせいで、自分が気を失っている間に誰かが身体へ触れ、服を脱がせ、髪まで洗ったという事実だけが妙に生々しく残る。

 

 白い作業服の人影が何人かいた。

 誰もバグパイプの顔を見ていない。端末を確認し、器具を運び、天井から垂れた多関節アームを動かしているだけで、目を覚ました捕虜に対する警戒も、興味も、声掛けもなかった。

 

「……隊長とジェーンは?」

 

答えたのは、室内にいる誰でもなかった。

 

『二人とも生きているわ』

 

 若い女の声だった。天井なのか壁なのか、発信元が分からない。バグパイプは首を動かせる範囲で左右を探したが、声の主らしい姿はどこにも見えなかった。

 

「……それと、一緒にいた三人は?」

 

『無事に離脱したわ』

 

 バグパイプはそこで一度だけ息を吐いた。

 

「二人は機械から外した?」

 

『いいえ』

 

 身体の疲労を忘れるには十分だった。

 手首へ一気に力を掛けると支持部が軋み、隣にいた作業員が端末へ手を伸ばしたが、こちらへ声を掛けることはない。

 

「じゃあ、それで生きてるって言わないで。二人を外してよ」

 

『嫌なのね』

 

「当たり前でしょ。あんたたちが何したか、うちが見てないとでも思ってる?」

 

 問い返しても、声はそれ以上答えなかった。  

 バグパイプは固定具をもう一度強く引こうとして、途中でやめた。あの道路で何本もの機械肢に捕まった時と同じで、力そのものなら負けていなくても、身体の各部を別々の方向へ押さえられれば踏ん張る形が作れない。

 ここで全力を使って疲れるより、外される瞬間を待つ方がまだいい。

 

 その判断をした直後、壁面の大型表示器が点灯した。

 

 映った光景には見覚えがあった。

 工業区の道路で、透明な壁へ破城矛を押し込んでいる自分。その後には黒い砲撃機と巨大な防護機の間へ走り込み、前脚へ穂先を叩き込んでいる姿が続いた。映像の端には数字と短い項目がいくつも並び、走行速度、加速、破城矛を振るった時の荷重、疲労した状態での動作、アーツ反応まで残されている。

 

 最後には、何本もの多関節アームへ捕まりながら、一本ずつ引き剥がそうとしている自分まで映った。

 

「……測ってたの?」

 

『ええ、少しね』

 

「あれは……試験なんかじゃない」

 

 すぐに返した声は、自分でも分かるほど低かった。

 

「隊長とジェーンを助けようとしてたんだよ。三人を逃がして、自分も帰ろうとしてた。うちはあんたたちのために走ったんじゃないし、あんたたちのために槍を振ったんでもない」

 

『知ってるわ』

 

 バグパイプの眉が僅かに動いた。

 

 弁解されるより、腹が立った。

 自分が何を守ろうとしていたのかも、あの時どれだけ本気だったのかも分かった上で、その時の身体のデータを拾われている。

 映像の中の自分は、サイラッハを組み込んだ機械へ何度も呼び掛けていたが、画面の横ではそのたびに発生した筋出力や姿勢変化だけが記録されている。

 

「……勝手に使わないで」

 

 今度は返事がなかった。

 

 代わりに、寝かされている台の左右から新しい支持部が動き始めた。

 

 最初の数時間、何をしようとしているのかは分からなかった。

 

 肩の下へ薄い受けが入り、肋骨の左右へ柔らかな支持材が寄せられ、腰と骨盤の位置も細かく変えられた。どれも身体を強く締めつけるものではなく、むしろ一点へ負担が集まらないよう慎重に位置を探しているらしく、右の腰骨へ硬い縁が当たると、すぐに例の声がした。

 

『そこ、当たってるでしょう?』

 

 バグパイプは答えなかった。

 

 数秒後、支持部がほんの僅かだけ内側へ入り、今度は明確に骨へ当たった。

 

『少し外へ』

 

 作業員が部品を取り外した。

 交換された新しい支持面はさっきより幅が広く、同じ場所へ戻されても圧が一箇所へ集中しない。次は左大腿、肩甲骨、脇腹と同じ作業が繰り返され、バグパイプの身体へ合わなかったところだけ機械側が削られたり、別形状へ交換されたりしていく。

 

 身体に合わせる。外す。作り直す。また身体へ戻す。

 

 服を仕立てる時なら分かる。

 靴でも、装具でも、自分の形へ合わせて調整することはある。けれど、バグパイプの背中に沿って伸びているものは服ではなく、指ほどの太さの金属骨格が何本も連結されたフレームだった。

 

 その日の終わり頃には、初めに感じていた腰の違和感がほとんど消えていた。

 

 それが何より気に入らなかった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 翌朝、目を覚ますと同じ場所にいた。

 身体は固定されたままだったが、夜の間に支持部がまた変更されたらしく、昨日まで呼吸するたび僅かに肋骨へ触れていた場所が、息を深く吸っても当たらなくなっている。骨盤の下には体重を広く受ける面が追加され、長く寝ていたはずなのに腰の痛みもほとんどなかった。

 

『眠れたみたいね』

 

 また声だけが聞こえた。

 バグパイプは目を閉じたまま答えた。

 

「ここで寝たいなんて言ってないよ」

 

『ええ』

 

 会話はそこで終わった。

 

 否定されない

 だからといって降ろされもしない。

 

 その日から、バグパイプは身体を機械へ預けすぎないよう意識して腹や脚へ薄く力を入れていたが、数時間も続ければ筋肉が先に疲れる。

 力が抜けるたび、機械は驚くほど自然に身体を受け止め、背中も腰も同じ位置へ戻してしまう。

 

 本人は馴染むつもりなどないのに、機械の方だけが日に日にバグパイプへ馴染んでいった。

 

 保持試験というものが始まった時も、詳しい説明はなかった。

 

 フレーム全体が正中線を軸としてゆっくり右へ傾き、身体の重さが腰と肩の片側へ移る。足裏にはまだ平らな板があったため、バグパイプは反射的にそこへ踏ん張り、右に滑り始めた骨盤を戻すよう腹へ力を入れた。

 

『姿勢反応を確認』

 

 短い報告が聞こえた。水平へ戻された時点で、バグパイプは次に何をするか決めていた。

 

 反対側へ傾けられても、今度は力を入れない。自分から反応を渡さなければ、少なくとも同じ記録は取れない。

 

 角度が増しても耐えた。

 

 肩へ体重が寄り、腰が支持面の中で滑り始めても腹を緩めたままにする。しかし傾斜がさらに深くなり、固定されていると頭では理解しているのに身体が横へ落ちる感覚が強まった瞬間、大腿と腹部が勝手に硬くなり、肩まで反対方向へ力が入った。

 

『反射反応を確認』

 

『生体姿勢補正、有効。機械側補正負荷、低下』

 

「……っ」

 

 息だけが漏れた。

 フレームはそのまま水平へ戻らなかった。

 

 落ちないように身体へ入れた力が、機械の姿勢補正へ利用されている。本人はただ反射的に踏ん張っただけなのに、その身体反応まで機械の機能として評価されていた。

 

 さらに回る。

 

「待っ――」

 

 声を出している間にも天井の位置が横へ移り、身体が九十度近く傾く。長い髪が肩から一斉に離れて下へ垂れ、腰まで伸びた毛束が自分の視界を横切った。

 

 腕は左右の保持部へ固定されているため、身体へ寄せられない。

 

 脚も姿勢を変えられない。

 

 人間一人を載せたまま、フレームだけが大きな機械部品のように回転している。

 

 作業員たちはその周囲を歩き、肩や腰の支持部に観測器具を当てていた。

 誰もバグパイプの姿勢を面白がっている様子はなく、こちらを見て笑う者さえいない。

 

 その後、フレームはさらに回った。

 

 完全に逆さになったと理解した時には、赤橙色の髪が頭部から床へ向かって長く垂れ、首筋から離れた毛束が視界いっぱいに広がっていた。身体は固定部へ支えられて落ちないが、重力の向きだけが完全に変わる。

 

 腕を動かして直すことはできない。膝を寄せることも、身体を丸めることもできない。

 

「戻して」

 

 バグパイプは低く言った。

 

『もう少しだけね』

 

 女の声は穏やかだった。

 スタッフの短い報告が続く。

 

『腰部支持、正常。肩部荷重、許容範囲』

 

 何が正常なのか分からないが、やがてフレームはゆっくり元へ戻され、髪が台の左右へ落ち着く。スタッフの一人が絡まった毛先へ手を伸ばした時、バグパイプはすぐに顔を向けた。

 

「触らないで。自分でやるから」

 

『今はできないでしょう?』

 

 声が返る。反論するより先に、右腕の固定がほんの少しだけ緩められた。

 

『指を開いて』

 

 バグパイプは動かなかった。

 手首周辺の圧が減っていて、普段より数センチは動かせる。視界の端には、支持部の脇に小さな金属ラッチがあった。

 

「……」

 

『バグパイプ?』

 

 返事の代わりに指を開いた。そのまま手首を捻り、素早くラッチへ指を伸ばす。

 

 届いた。爪先ではなく、指先が金属へ触れるところまで行く。

 

 だが、そこで止まった。ラッチは自分の側へ引くものではなかった。

 

 軸も、止め金も、解除するための取っ手も全部反対側を向いている。工具を差し込む溝も外側にあり、内側から触れられるのは何の役にも立たない平らな背面だけだった。

 

 隣の固定部を見る。ボルト頭も腰のロックも外側で、足側の機構も、作業員が立っている方向からしか解除できない。

 

 大型機械を触ってきたからこそ、それが偶然ではないことはすぐに分かった。

 

 整備する方法はあるし、壊れた時に外す方法もある。ただし、その全部が外から作業する者のために付いている。中にいる自分が能動的に外すためのものは、一つもなかった。

 

『もういいわ』

 

 手首の固定が戻された。バグパイプは指を握ったまま、何も言わなかった。

 

 髪はその後、スタッフの手で一本ずつ絡まりを解かれた。乱れたインナーの裾も元へ戻され、保持部へ布が挟まないよう皺まで伸ばされていく。

 

 腕も指もちゃんと動くというのに、自分の服を直すことさえ他人がやる。しかも、終わった後の方が着心地は良くなっていた。

 

 

 数日後、それまで足裏を支えていた板が外された。

 

 バグパイプは作業の順番を覚えていた。

 まず足首。次に下腿。それから膝周辺の保持ーーいくつものロックが解かれていくのを見ながら、呼吸だけは変えないようにした。

 

 固定が一気に減っている。もし別の試験台へ移すつもりなら、身体を持ち上げる直前が最も逃げ出せるチャンスがある。

 

 予想通り、右脚が自由になり、続いて左脚も自由になる。

 

 バグパイプは腰側の固定が緩むのを待った。

 

 ところがスタッフは、腰の固定には手を伸ばさなかった。

 

「……?」

 

 さらに、脚の左右にあった大きな支持枠が取り外される。

 

 身体を自由にするための作業ではない、そう気付いた頃には、空いた空間に部屋の端に待機していた黒い機械構造が運び込まれてきた。

 

「待って」

 

 バグパイプが膝を引こうとした瞬間、天井の機械肢が太腿と膝裏を支えた。脚そのものを傷めないよう丁寧に持ち上げながら、膝から先を後方へ伸びる機械の内側へ収めていく。

 

「外したんじゃないの!」

 

 足裏に床は戻ってこない。代わりに脛の左右へ新しい支持面が寄り、膝の角度を変えられない位置で固定された。

 

「これじゃ立てないでしょ」

 

 しばらくして、例の声が返った。

 

『ええ、そうよ』

 

 たったそれだけだった。

 バグパイプはその続きを待ったが、続きの返答は何もない。

 

 足はある。感覚もある。力を入れれば大腿もふくらはぎも動く。なのに、その足で立つための場所だけが消えていた。

 

 翌日には腕の周囲も変わった。

 それまでは肘を少しだけ曲げられたが、外側に機械構造が増えたことで可動範囲が狭くなり、やがて前腕は身体の左右へ沿わせる位置で固定された。指先だけはまだ自由に動き、握ることも開くこともできたが、その届く範囲には武器も工具も、操作するためのものも何一つ置かれなかった。

 

 何も持てない手と、どこにも着けない足。

 

 失ったわけではない。どちらも以前と同じように自分の身体に繋がっているが、一切の自由を許されていなかった。

 

 身体の横へ大きな装甲板が取り付けられた日だけは、バグパイプも黙って作業を見ていた。

 

 それまで、腰や腹の横には機械構造の隙間があり、作業員が通るたび自分の身体のどこまで見えているのか分からなかった。腕を寄せて隠すこともできず、自分から見えるのは胸元から腹、片側の腰の一部だけで、外からの見え方は確認しようがない。

 

 黒い装甲が左右から立つと、それらが隠れた。少なくとも、丸見えよりはマシだった。安心したと認めるのは癪だったため何も言わなかったが、肩の余計な力は少し抜けた。

 

 その状態でフレーム全体が前方へ動かされた。速度は大したことがない。

 

 何度か加減速を繰り返した後、少し強めの減速が入った瞬間、身体を支えている中央部が後ろへ僅かに沈んだ。腰もそれに合わせて数センチ動き、右の脇腹が新しく付いた側面装甲へ強く押しつけられる。

 

「っ……!」

 

『停止』

 

 痛みを感じた瞬間、即座に動きが止まった。装甲が開き、スタッフが腰の周辺へ観測器具を当てる。痛みはもう引いていたが、画面上の一部だけ色が変わり、間もなく短い報告が出た。

 

『接触圧、上限超過。衝撃吸収時の可動余裕不足。側面装甲案、棄却』

 

 バグパイプは横を向いた。

 黒い板が取り外されていく。

 

「……待って。それ、戻さないの?」

 

『戻さないわ』

 

「嫌なんだけど」

 

『そうね』

 

 あまりにもすんなり肯定されたため、続きが一瞬出てこなかった。

 

「だったら付けてよ」

 

『これを付けると、あなたが痛むの』

 

「それでも――」

 

 言い終わる前に、外された装甲が台車へ載せられ、部屋の奥へ運ばれていった。

 

 スタッフは代わりに腰の支持部を調整し、衝撃を受けた時に身体が少しだけ逃げられる空間を作っている。自分の身体を傷つけないために、自分が嫌だと言った形へ戻している。

 

 女は羞恥を理解していないのではない。

 理解して、その上で採用しなかった。

 

 バグパイプはもう一度腕を身体へ寄せようとしたが、前腕の固定はびくともしなかった。

 

 その頃になると、毎朝目を覚ますたび、自分の周囲から人間一人分の空間が少しずつなくなっていた。

 

 肩の横へ黒い梁が通り、腰より低い位置には大型の機械部品が追加され、脚側では重い駆動構造を床へ据える振動が続いている。頭側から前方へは太いレール状の部品が長く伸び、そこへさらに金属塊が組み付けられていった。

 

 何をするものか全部は分からない。

 

 ただ、農機や車両を扱った経験から、前方の構造が大きな往復運動をさせるためのものらしいこと、足側へ付いたものが相当に重い駆動装置らしいことまでは読み取れた。

 

 自分の身体に近い機械も増えていく。

 だが、自分が触れるためのものだけは増えなかった。

 

 右手から十センチほど先に金属部品がある。  左腕の外側には配線が通る。足元では大きな機械が組み上がっている。

 

 それでも、握れる場所も、踏めるものも、こちらから解除できる機構もない。何もかもが自分の周囲へ近づいているのに、自分から何かへ届く距離だけが変わらなかった。

 

 さらに何度か眠って起きた後、バグパイプは別の違和感へ気づいた。

 

 新しい試験台が来ない。最初は、一通り調整が終われば今のフレームから外され、完成した機械に自分も移されるのだろうと思っていた。そこが脱出の機会になる可能性も考えていた。

 

 だが、最初の日に右腰に合わせて削り直された支持部が、まだ同じ場所にある。

 

 逆さにされた時に肩を支えていた部品も残っている。

 

 足場を取り外した場所には大型の駆動部が付き、最初は細かった中央の骨格そのものが、いつの間にか周囲の機械を繋ぐ梁になっていた。

 

「……いつ?」

 

『何かしら』

 

 バグパイプは天井を見た。

 

「うちも二人みたいにするつもりなんでしょ。なら、いつ移すの?」

 

 返答まで、ほんの僅かに間があった。

 

『もう変えないわ』

 

「……何言ってんの。これ、試験用でしょ」

 

『これが本体になるの』

 

 言葉の意味がすぐには繋がらなかった、

視線だけを動かし、腰の支持部を見る。

 

 肩、腕、脚側。

 

 全部、最初から自分の身体へ合わせて作り直されてきたものだった。

 

 完成した機械へ移されるのではない。自分が横たわった場所を中心にして、完成するまで機械の方が増えていただけだった。

 

「……最初から?」

 

 女は答えなかったが、その沈黙は答えとして十分だった。

 

 頭の周囲へ新しい機械が入り始めた時、今までとは違う種類の緊張が背中を走った。

 

 角を避けながら左右から寄ってくる黒い構造。後頭部を受ける形に、頸部へ続く接続部。

 

 見覚えがある。工業区で見た、ホルンの顔を完全に隠していた黒い装置。そして、防護機の中央でジェーンの頭を覆っていたもの。

 

「……これ」

 

 身体を起こそうとしても腰が動かない。

 

「隊長もジェーンも、これされたの?」

 

 返事はない。頭の位置を合わせる支持部が後頭部へ触れる。

 

「ねえ。ジェーン、あの時……」

 

 バグパイプはそこで言葉を止めた。

 

 あの防壁越しに、何度も名前を呼んだ。

 槍を押し当てながら声を掛けても、ジェーンは反応しなかった。いや、反応出来なかったのだとしたら。

 

 頭部を覆う装置が、自分の耳元へ近づく。

 

「……うちの声、聞こえてなかったの?」

 

『動かない方がいいわ』

 

 返ってきたのはそれだけだった。

 

「答えて」

 

 視界の上側から黒い構造が降りてくる

 白い天井が少しずつ狭くなる。

 

「ジェーンは、あの時――」

 

 最後まで言えなかった。

 視界が細い線になり、それも消えた。

 

 ほぼ同時に、外の音がすべてなくなった。

 機械の駆動音も、作業員の足音も、工具が触れる金属音も聞こえない。自分の呼吸だけが内側から伝わり、胸の上下と脈拍が、暗闇の中で妙に大きく感じられた。

 

 その状態になって初めて、バグパイプは工業区で見た二人の沈黙を理解した。

 

 ホルンも。サイラッハも。

 

 すぐ外で何が起きているのか、本当は何も見えていなかったのかもしれない。誰かが呼んでいても、聞こえなかったのかもしれない。  自分も今、その中にいる。

 

『聞こえる?』

 

 女の声だけが暗闇へ届いた。

 

「……聞こえる」

 

 発した自分の声が外へ出ている感覚はなかった。それでも返答がある以上、こちらの声だけは拾われているらしい。

 

『じゃあ、少し動かすわね』

 

「やめて」

 

 そう言ってもやはり返事はなかった。

 

 身体の下から、低い振動が立ち上がった。

 

 最初は一種類だったものが、すぐに前後から異なる周期で重なり、背中から腰、固定された脚へ伝わってくる。大型車両の駆動系が動き始める時の感覚には覚えがあり、重量のある何かが自分を中心にして走り出したことだけは、何も見えなくても分かった。

 

 加速に伴って背中が支持面へ押しつけられる。

 

 足裏には床がない。いつもの癖で踏ん張ろうとしても、力を受ける地面そのものが存在せず、大腿と腰の筋肉だけが空しく硬くなった。

 

 進む。

 自分の脚は一歩も動いていないのに、身体全体が前へ運ばれていく。

 

 緩い旋回に入ったらしく横方向へ荷重が移ると、腹と腿が反射的に身体を支えようとした。

 

『姿勢反応、正常』

 

 管理音声が短く流れる。バグパイプは息を吐きながら意識して力を抜いた。

 

 何に使われているかを考えても仕方がない。少なくとも自分が何かを操っているわけではないことだけは、はっきりしていた。

 

 大型機械は好きだった。トラクターでもコンバインでも、動かせば機械の癖が手と足へ返ってくる。重い車体が自分の操作に応じて曲がり、止まり、働く感覚はよく知っていた。

 

 これは逆だった。機械の癖は身体へ伝わってくるのに、こちらから返せるものがない。

 

 どちらへ曲がったかは腰で分かる。加速したことも背中で分かる。けれど、曲がる前にそれを選ぶことも、止まりたい時に止めることもできない。どんな姿をした機械なのかさえ、自分には見えなかった。

 

 走行が終わっても、頭部装置は開かなかった。

 

 身体を固定する圧だけが少し緩み、しばらく静かな時間が続いた。外界の音がないため何分経ったのかも分かりにくく、バグパイプは呼吸の回数を数えながら待っていた。

 

「終わった?」

 

『走行はね』

 

 嫌な答え方だった。

 

「次は何」

 

 女ではなく、機械的な管理音声が返した。

 

『近接突破試験を開始します』

 

 何へ、と聞く前に駆動部が再び立ち上がった。

 

 先ほどより振動が強い。

 機体の重量がまっすぐ前へ押し出され、速度が徐々に上がっていく。前方では、製造中に見えた長い機構らしいものが低い周期で震えているらしく、その振動が頭部ではなく胸から腰の支持部へまで伝わってきた。

 

 大型機械を扱ってきた経験が、見たくない答えを先に出した。

 

 ただ走っている加速ではない。

 何かに衝突することを前提としたような、遠慮のない加速だった。

 

 バグパイプは身体から力を抜いた。

 傾斜試験の時のように、反射の情報を拾われたくなかった。腹を緩め、腿も、肩も、できるだけ支持部へ預ける。

 

 速度が上がる。

 固定部が少しずつ身体へ密着する。

 

 それでも力を入れない。

 外が見えないせいで、距離が分からない。あと百メートルあるのか、十メートルなのか、それとももう目の前なのか。

 音もないため、相手が壁なのか車両なのかさえ判断する材料がない。

 

 呼吸だけを整える。

 しかし前方から伝わる震えが変わった。大きな機構に荷重が掛かり、何かが張り詰めていくような細かな振動が増える。

 

 身体の方が先に危険を理解した。

 腹が一気に硬くなり、大腿へ力が入り、肩と腰が衝撃へ備えて支持部へ逆らう。

 

『予備緊張反応を確認』

 

「……っ」

 

 直後、頭部から頸部へ熱に似たものが流れ込んだ。それは自分でアーツを使う時の感覚ではなかった。何かを発動しようと考えてもいないのに、脊柱の奥から全身へ入力が広がり、胸、腹、腰、腕、脚を通り抜けるような負荷だけが増していく。

 

 全身の筋肉が強張ったところへ、最初の衝撃が来た。

 

 機体全体が何かへ真正面からぶつかり、背中と骨盤を受ける支持面が僅かに沈む。衝撃は一箇所へ集中せず身体全体へ分散されたが、それでも呼吸が一瞬止まり、固定された脚の先まで重い振動が走った。

 

 以前の側面装甲はない。そのため身体が支持部と一緒に数センチ逃げても、脇腹を硬い板へ打ちつけることはなかった。

 

 その事実が分かってしまうことすら腹立たしかった。

 

 第一の衝撃がまだ身体へ残っているうちに、前方の機構が動いた。

 

 低い振動が一気に鋭くなり、巨大な質量が直線的に前へ飛び出したような反力が中央フレームを通って返ってくる。

 肩から腰、大腿までが一度に後ろへ押され、さっきとは比べものにならない重い一撃を全身で受け止める形になった。

 

 破城矛を打ち込んだ時の反力に似ていた。

 

 当然、自分は腕を振っていないし、握ってすらいない。それなのに、身体へ返ってくる感触だけが、嫌なほど馴染みのあるものだった。

 

「……何、したの」

 

 誰も答えなかった。

 前方から伝わる機構が一度後ろへ戻り、機体そのものはなお前進を続ける。何かを押し抜けたのかもしれないが、外界を知る手段がない以上、それ以上は分からなかった。

 

 熱に似た何かの入力が少しずつ落ちる。やがて駆動も停止し、呼吸だけが暗闇へ戻った。

 

『近接突破試験、合格』

 

 管理音声が結果を読み上げる。

 

『生体負荷、Grade 0。B2-B1、運用可能』

 

 聞き慣れない識別が、自分に付けられたものだと理解するまで少し時間が掛かった。

 

「……B1?」

 

 返事はない。

 

 バグパイプは固定された右手を握った。

 試験は終わったらしい。機体から降ろしてもらえるとは思えない。それでも、せめて頭部装置くらいは開かれるのではないか。

 

 しかし頭部は依然閉じたままで、腕も脚も外れない。代わりに無機質な管理音声が続いた。

 

『回復工程へ移行します。次回運用、回復後』

 

 一瞬、言葉の意味を取り違えたかと思った。

 

「……次回?」

 

 女の声が戻ってきた。

 

『今日はもう休んでいいわ』

 

「違う。次って何」

 

 返答はすぐには来なかった。

 

「試験、終わったんでしょ」

 

『ええ』

 

「じゃあここから出して」

 

 バグパイプがそう言えば、身体を固定している圧が少し緩んだ。だが、それだけだった。

 

『疲れたでしょう?身体はちゃんと戻してあげるから』

 

「そんなこと聞いてない!!」

 

 声を荒らげても、頭部装置は開かなかった。

 入力は止まり、生命維持用らしい穏やかな脈動だけが腰の上で続いている。苦しくない位置へ作り直された支持部が、今度は休ませるために身体を正確に支え始めた。

 

 試験に耐えられたから終わるのではない。  耐えられたから、次もある。そして、その次もーーそれが何を意味するのかだけは、何の説明もなくても分かってしまった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 第一世代CRUCIBLE用の回復区画には、三機分の停止位置が設けられていた。

 

 最も奥には、長大な砲身を背負った黒い四脚重砲撃機が低く身を沈めている。機体中央にはホルン本人が強く屈曲した姿勢のまま固定され、顔は頭部入力装置へ完全に収められていたが、装甲の合間から残された身体と髪には生命があり、停止中の機体では生命維持系だけが一定の周期で作動していた。

 

 その隣には、左右へ巨大な防護投射装置を立ち上げた機体が置かれている。中央の深い位置に固定されたサイラッハも顔を見せず、長い金髪だけが機械の可動域から丁寧に逃がされ、回復工程に合わせて整えられていた。

 

 三番目の停止位置に、新しい車体がゆっくり収まる。

 

 低く長い楔形の機体。

 前方には小型の独立履帯が二基、後方にはそれより大きな履帯が二基。車体前部からは長大な破城杭が突き出し、その左右には近距離で使用する固定火器が短い砲身を覗かせている。

 

 バグパイプ本人は、その中央深部にいた。

 

 頭部は前方の入力装置へ完全に収納され、腕は車体左右へ沿って固定されている。脚も後方構造の中へ収まり、自分の足で機体を支える役目は持たない。

 

 それでも、人間そのものが隠されたわけではなかった。

 

 側面装甲を設けなかった開放部には、戦闘用インナーをまとった胸腹部から腰、片側の大腿に続く人体の柔らかな輪郭が、硬質な黒いフレームの間へそのまま残っている。赤橙色の長髪も切られず、巻き込まれないよう整えられた状態で長く流れていた。

 

 三機の間は数メートルしか離れていない。

 

 しかしホルンには、その隣にサイラッハがいることも、さらにその横へバグパイプが運び込まれたことも分からない。

 サイラッハも同じであり、バグパイプもまた、自分が探し続けていた二人のすぐ近くまで戻ってきたことを知る手段を持たなかった。

 

 施設側の表示が切り替わる。

 

《第一世代複合運用群:編成》

 

《H1:砲撃》 《S1:防護》 《B1:突破》

 

 続いて三機の状態表示が一つの管理欄へまとめられ、それぞれの生命維持系と回復進行が同じ運用単位として接続された。

 

《三機回復同期:開始》

 

 かつてそれぞれ自分の足で戦場へ立ち、自分の判断で武器を握った三人は、誰一人として人格も肉体も失っていなかった。

 

 自分が誰なのかも、何を守ろうとしていたのかも、覚えている。

 それでも今は、砲撃、防護、突破という機能を再び使えるようにするため、本人の意思とは無関係に身体を回復させられていた。

 

 静かな回復区画に、若い女の声が一度だけ流れた。

 

『おやすみなさい。今日はもう休みましょうね』

 

 三人の誰にも、すぐ隣にいる仲間の返事は聞こえなかった。

 

 代わりに三機分の生命維持装置だけが、それぞれ違う女性の身体を丁寧に守りながら、同じ区画で規則正しく動き続けていた。

 





【挿絵表示】

B2-B1《BAGPIPE》
PROJECT CRUCIBLE第一世代応用機3号機。
バグパイプ本人を《生体アーツユニット》として組み込み、機体そのものを破城兵装として運用する四履帯式生体アーツ破城機。
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