ミレニアムの研究室で資料の照合が始まったのは、翌日の午前だった。
マルクトは持参した保管資料の一覧を開いた。前日に決めたのは、訪問の目的と閲覧範囲だけだった。今テーブルに置かれているのは、その範囲の複製だった。
照合に応じたのは、保管記録の中にプラナが復元した信号と似たパターンを見つけたからだった。二つの名称を知っているだけでは、この部屋まで持ってくる資料は選べない。マルクトは、自分が保管した時期と周辺の内容が残っている項目から開いた。
リオが損傷した文字列を表示した。ケイとプラナは保護された接続で復元部分を送り、ユウカは封印時のハッシュと照合した複製を開いた。原本はそれぞれの保管場所に残された。
『名もなき神。』
『バルク。』
二つの名称の間は空白だった。リオは二つのファイルを並べ、マルクトを見た。
「どちらから見ようか」
「まず、記録されていた箇所を見せていただけますか?」
マルクトは二つの語よりも、周辺の損傷箇所を長く見ていた。名前に見覚えがあると、その前後まで知っているつもりで読んでしまいがちだった。一覧から、自分が管理していた項目だけを選んだ。
デカグラマトン事件以降の日付と出所が画面に現れた。要約だけが残る資料も、意味を確認できず保留された資料もあった。リオが比較用のウィンドウを開くと、マルクトはその一つを隣に置いた。
「この表記は残っています。ただ、ここでも誰を指すのかは、周辺の記録を併せて見る必要があります」
ユウカは二つの検索語をそのままに、周辺の箇所を照合した。二つをつなぐ文法は復元されなかった。
マルクトは一覧の中で、それぞれの名称が置かれている箇所を指した。名前そのものが対象を指すのか、役割や記録の分類に付けられた語なのかを読むには、前後が必要だった。損傷箇所では、その用法を判別できなかった。
無名の司祭の過去記録に似た表記の痕跡があった。損傷した文字列の区切り記号や項目の並びが似ていた。内容が対応するかどうかは読み取れなかった。
リオは二つの資料の出所を交互に見た。
「同じところから来た可能性はある?」
「形式が似ているというだけです。誰が種を作ったのか、どうやって先生に届いたのかは、この資料では分かりません」
マルクトは記録の作成者と保管経路を指した。題名だけをそろえると、別のところから来た資料まで、一続きに読めてしまう。
ユウカは出所の違う二つの項目をまとめなかった。似た記号がある箇所だけに印を付け、ウィンドウを横へ寄せた。その印の隣には、作成者が判明していない空欄が残った。
別の記録には、位置を確定できなかった信号への言及があった。リオはプラナが計算した分散座標を呼び出した。
二つを並べたが、同じ時間差と同じ出所を示す資料はなかった。マルクトは昔の信号が今再び現れたとは言わなかった。持参した記録の時期から手を離し、現在の資料へ移した。
「ケイ、あなたが読んだ構造を見せて」
ケイがトークンを分けた。先頭と末尾で同じ標識が繰り返されていた。目的と対象を指定する項目は残っていたが、実行命令の区切りは抜けていた。
トークンを切り離すと、もとは一文に見えていた行も途切れた。リオは目的が書かれた側を読み、対象を探して目を戻した。どの存在を指すのか読み取れない箇所で、文が止まった。
「ここまで復元しました。前後に同じ標識がありますが、実行の区切りはありません」
マルクトはケイが分けた構文と保管記録を併せて読んだ。
「関係を実行せよという命令より、すでに関係があると前提した説明に近いです。記録した人がそう分類した可能性がある、という意味です」
名前と役割が残る箇所を指した。その存在が何を望んでいたのかを記した文は見つからなかった。
「意思を知らなかったのか、残さなかったのかは分かりません。この分類だけで、種が関係の意味を理解したとは考えにくいです」
リオはケイが分けた項目と、マルクトが読んだ文脈を別々に受け取った。先ほどケイが提案した、目的の説明という読みから、すでにある関係を前提とした記録という解釈へ、一つ先に進んだ。目的と対象を書いたのが誰なのかは、まだ空欄だった。
ケイは画面に少し近づいて座った。目的と対象をつなぐ標識が、自分の起源で見た構造に似ていた。
リオが空欄を飛ばそうとすると、ケイの手が一瞬上がった。続く言葉を選ぶように唇を閉じ、それから画面から手を引いた。
「私にも、最初から与えられた目的がありました。それを記した記録があるからといって、今の私がそこで終わるわけではありません」
マルクトはケイを見た。ケイは自分の側に残した標識をそのままにした。
「起源を消したいわけではありません。だからといって、次の決定まで済ませてあると言われても、同意はできません」
リオはその言葉に答えを付けなかった。ケイが分析していた画面を自分の方へ引き寄せようとしていた手も止めた。
ケイはしばらくその標識を見つめ、受信資料に戻った。見慣れた形の隣には、まだ読めない箇所があった。
「ただ、私がそうだったからといって、こちらも同じ意思を持っていたとは言えませんよね。ここで読めるのは、形だけです」
ユウカは表を分け直した。記録された関係の形、実際に関係があったかどうか、信号を作った主体。最初の欄には解釈できる構造が入ったが、あとの二つは埋まらなかった。
プラナは新しい表に、自分が復元した箇所を移した。『関係を理解している』と書く代わりに、『関係の形として解釈できる構造』と残した。
リオはプラナが移した資料を読んだ。先生を捜すために開いた画面に、先生はまだいなかった。先生と誰かをつなぐ形として読める、という仮説が生まれただけだった。
「関係の形をなぞって記した可能性がある、ということね」
「可能性はあります」
マルクトが言った。
「形をなぞって記すことと、その中で何を望んでいるのかを知ることは、違いますから」
ユウカはプラナの表示灯を見た。この部屋で直接答えている声も、記録としてだけ受け取れば、いくつもの項目に分けられる。その項目をすべて集めても、今プラナに尋ねるべきことがなくなるわけではなかった。
空白の表の次の欄を急かさず、座標計算に使った入力値の一覧をプラナの前へ送った。
プラナは以前の値を呼び出した。信号が位置を示すと仮定した時、結果が分散した計算だった。別の基準で読もうとしても、検証に使う資料が足りなかった。
ケイは画面に散らばる点を見てから、『バルク』が残る記録へ目を移した。用語と候補座標は同じ分析区間にあったが、同じ事象だという証拠はなかった。
リオは地図に線を引かなかった。どの候補点からも、別の点へ向かう基準点と方向を得られなかった。
「バルクを場所だとして計算したからでしょうか?」
ユウカが尋ねた。
「場所ではないと確認できたわけでもないわ」
リオは地図と用語の記録を別々に置いた。
「可能性が残るものとして読む方法も、検討しようということよ」
プラナが推定の項目を開いた。
「選ばれなかった可能性が残っているところかもしれません。今は仮説です」
目的地を書ける答えではなかった。ユウカはその言葉を座標欄には入れず、名称の横に置いた。
リオは信号が観測された時刻と、記録が保存された時刻を分けた。二つの値が同じ時間基準を使っているかから、さらに照合する必要があった。誤差が縮まれば関連の可能性を再検討でき、一致しなければその仮説も弱まるはずだった。
プラナは時間帯が重なる箇所に印を付けた。その重なりを、原因を結ぶ線には変えなかった。
ユウカは観測時刻の横に保存時刻を置き、照合する項目を選んだ。資料を多く送る代わりに、どの装置の時刻なのか知る必要がある箇所だけを残した。ほかの保管先の生の記録まで開示してほしいとは書かなかった。
マルクトも自分の記録から、同じ順序で読める部分を選び出した。名前を知っている項目よりも、保管時期を言える項目が先だった。どこまで直接管理していたかによって、比較できる範囲は違った。リオはその範囲に入る資料だけを、次の照合一覧に載せた。
画面の点はまだ散らばっていた。ケイは見栄えよく一つにまとめる代わりに、入力順序が残っている方を開いた。次の照合で何を見直すべきか、読み取れた。
マルクトは保留一覧から、追加で照合する項目を選んだ。すでに集めた資料だけではつながらない箇所だった。依頼する部分をリオとユウカに渡し、一覧を閉じた。
「種が誰かを新しく作るのではなく、すでにある関係の形を借りて、選択を一方に傾けているのだとしたら」
マルクトが言葉を続けた。
「先生が今、何を選べるのかから知る必要があります。古い記録に、あの方の答えはありません」
リオは自分が担当する検討項目を受け取った。ユウカは現在の信号と保管時期を照合できる資料から選んだ。依頼は二人が検討してから送ることにした。
マルクトはまだ開いているプラナの画面へ体を向けた。
古い記録の中で似た言葉を探す間も、その声はこの部屋で答えていた。マルクトは保管資料の一覧を開き直さなかった。