続き書けたで候。
では、どうぞ∠( ゚д゚)/
中学校に入学してから、一週間が経った。
「水瀬君」
「ん?」
「消しゴム、落ちたよ?」
「あ、ほんとだ。ありがと」
「はい♪」
南さんから消しゴムを受け取り、筆箱へ戻す。
たったそれだけのことなのだが、一週間前の俺なら「南ことりが俺の消しゴムを拾った!?」くらいの衝撃を受けていたかもしれない。
今では普通に礼を言って受け取れる。
慣れというものは恐ろしい。いや、人間の適応力がすごいと言うべきか。
「……水瀬君?」
「いや、なんでもない」
消しゴムを見ながら妙なことを考えていたせいか、南さんが不思議そうにこちらを見ていた。
俺は誤魔化すように教科書へ目を落とす。
入学初日に、この世界が前世で知っていた『ラブライブ!』の世界だと分かってから一週間。
当然ながら、大事件なんて起きていない。
俺たちはまだ中学一年生だ。俺の知る物語が始まるのは、まだ何年も先になる。
高坂穂乃果、南ことり、園田海未。
後にμ'sを結成する三人も、今は普通の中学生として学校生活を送っていた。
三人は同じクラスではなく、南さんは俺と同じクラス。高坂さんと園田さんはそれぞれ別のクラスだった。
それでも幼いころからの付き合いだけあって、休み時間や放課後になると三人で集まっている姿をよく見かける。俺も入学初日に紹介されたので、廊下ですれ違えば挨拶を交わす程度にはなっていた。
「水瀬君」
「ん?」
「次って何の授業だっけ?」
「数学」
「あ、そっか」
南さんが納得したように頷く。
「……南さん、また忘れたの?」
「忘れたんじゃなくて確認だよ?」
「時間割、机の横に貼ってあるけど」
「水瀬君に聞いた方が早いかなって」
「俺、時間割表じゃないんだけど」
「ふふっ」
楽しそうに笑われる。
こういう何でもないやり取りも、最初のころはまともにできなかった。
仕方ないと思う。
前世で推していた女の子が突然隣の席に現れたのだ。普通に接しろと言われても、最初からできるはずがない。
それでも毎日顔を合わせて、授業を受けて、少しずつ言葉を交わしていれば嫌でも慣れてくる。
そして慣れてきたからこそ、俺は少しずつ気づき始めていた。
俺が知っている南ことりと、目の前にいる南さんは、同じだけど少し違う。
◇
「南」
「はい」
「この問題、解いてみろ」
「えっ?」
数学の授業中、先生から突然指名された南さんの肩が、分かりやすいくらいぴくっと跳ねた。
黒板には、少し前に先生が書いた問題が残っている。
「えっと……」
南さんは黒板を見たあと、慌てて自分のノートへ目を落とした。そしてもう一度黒板を見る。
困ったように眉を下げている。
……分かってないな。
「どうした?」
「い、いえ。えっと……」
俺は先生から見えないように、自分のノートの端を指先で軽く叩いた。
そこには、さっき自分で書いた途中式がある。
南さんがちらりとこちらを見た。
目が合ったので、俺は答えそのものではなく途中の数字を指す。
「あ……」
どうやら気づいたらしい。
「――です」
「正解。ちゃんと聞いておけよ」
「は、はい」
南さんがほっとしたように息を吐いて席に座った。
先生が黒板へ向き直るのを確認してから、少しだけこちらへ顔を寄せてくる。
「ありがとう、水瀬君」
「いや、合っててよかった」
「水瀬君が教えてくれたんでしょ?」
「答えまでは教えてないよ」
「それでも助かったよ」
「ならよかった」
小声で話していると、黒板に文字を書いていた先生の手が止まった。
「そこ、私語するな」
「すみません」
「ご、ごめんなさい」
二人揃って前を向く。
しばらくすると、隣から小さな声が聞こえてきた。
「怒られちゃったね」
「南さんが話しかけるから」
「水瀬君も返事したよ?」
「……それはそうだけど」
「ふふっ」
笑いを堪えている気配がする。
なんか納得いかない。
◇
授業終了のチャイムが鳴り、先生が教室を出ていった。
「びっくりしたぁ……」
その途端、隣から長い息が聞こえてくる。
見ると、南さんが机の上に腕を重ね、そこへ顔を伏せていた。
「そんなに?」
「だって、急に当てられたんだもん」
「授業なんだから、当てられることくらいあるって」
「水瀬君は平気なの?」
「平気じゃないけど……まあ、しょうがないかなって」
「むぅ……」
南さんが顔だけこちらへ向け、少し頬を膨らませた。
「じゃあ今度、水瀬君も当てられればいいのに」
「なんで?」
「そうしたら、ことりの気持ちが分かるから」
「別に分からなくてもいいかな……」
「もう」
南さんが笑う。
俺もつられて少し笑った。
こういう南さんを、俺は知らなかった。
前世でも南ことりについては、それなりに知っていたつもりだ。好きなものや得意なこと、μ'sでの活動。アニメも見たし、曲も聴いた。推しだったのだから当然だ。
でも、数学の授業で当てられて困ったり、先生に注意されたあとでこっそり笑ったりする姿までは知らない。
考えてみれば当たり前だった。
作品で描かれていたのは彼女の人生のほんの一部分でしかない。
今の南さんは毎朝学校へ来て、授業を受け、友達と話し、くだらないことで笑っている。
俺が知らない時間を、当たり前のように生きているのだ。
「水瀬君?」
「ん?」
「どうしたの?」
「何が?」
「ことりの顔、見てたから」
「あ……ごめん。ちょっと考え事してた」
「何かついてる?」
そう言って、南さんが自分の頬を触る。
「いや、何もついてないよ」
「そう?」
「うん」
少し不思議そうにしていたものの、それ以上は追及してこなかった。
「水瀬君って、たまにぼーっとしてるよね」
「そうかな」
「入学式の日もそうだったよ?」
「……あれは忘れてほしい」
「え~?」
「頼むって」
「どうしようかなぁ」
南さんが楽しそうに笑う。
前世の俺がこの光景を見たら、死ぬほど羨ましがるだろう。
……まあ、自分なんだけど。
◇
それから数日後。
「今日は家庭科室へ移動だからな。遅れるなよ」
授業を終えた先生がそう告げて教室を出ていった。
次の授業は家庭科。今日から裁縫の実習に入るらしい。
俺は机の中から教科書を取り出した。
「家庭科か……」
内容は布を使った簡単な小物作り。
俺にとっては、それほど珍しい作業じゃない。
何せ物心ついたころから、家にはミシンや裁ちばさみが当たり前のようにあった。実家の店を手伝っているうちに、針や糸の扱いも自然と覚えた。
「水瀬君、行こ?」
「うん」
南さんと一緒に席を立ち、家庭科室へ向かった。
◇
「では、始めてください」
先生の合図で実習が始まった。
指定された布を裁ち、印をつけてから縫っていく。
作業が始まって間もなく、教室のあちこちから声が上がった。
「糸通らねえ!」
「玉結びってどうするんだっけ?」
「先生、これ合ってますかー?」
ずいぶん賑やかだ。
俺は針に糸を通し、そのまま作業を進める。
このくらいなら難しくない。
いつもの癖で縫い目を揃えながら進めていると、隣から視線を感じた。
「……水瀬君」
「ん?」
顔を上げると、南さんが俺の手元を見ていた。
「どうしたの?」
「水瀬君、上手だね」
「そう?」
「うん。すごく慣れてる」
「まあ、家でよくやってるから」
「家で?」
「うん」
そこで俺も南さんの手元を見る。
縫い目は綺麗に揃っていて、手つきにも迷いがない。
「南さんも上手じゃん」
「ほんと?」
「俺より綺麗なんじゃない?」
「それは言いすぎだよ~」
口ではそう言いながらも、どこか嬉しそうだ。
「南さんも、こういうのよくやるの?」
「うん♪ 裁縫好きなの」
「へえ」
「小さいころからお洋服を見るのも好きでね。可愛い服を見ると、こういうの作れたらいいなぁって思うの」
「自分でデザインしたりもする?」
「するよ。まだそんなに上手じゃないけど」
そう話す南さんの声は、さっきまでより少し弾んでいた。
俺は数年後の彼女がμ'sの衣装を作ることを知っている。けれど今は、そんな未来の話よりも、目の前で楽しそうに服について話している南さんの方が気になった。
「水瀬君は?」
「俺?」
「うん。すごく慣れてるから。水瀬君も裁縫好きなの?」
「好きっていうか……小さいころからやってるから、慣れてるって感じかな」
「どうして?」
「うち、洋装店なんだよ」
「……ようそうてん?」
「服屋。仕立てとか、サイズ直しとか、リメイクとかもやってる」
南さんの手が止まった。
「水瀬君のお家、お洋服作ってるの?」
「うん。母さんがね。俺も手伝うけど」
「すごい!」
「ちょ、南さん。声大きいって」
「あっ……」
何人かの生徒がこちらを見る。
南さんは恥ずかしそうに肩をすくめて、小さな声で「ごめんね」と言った。
「いや、別にいいけど」
こちらも声を落として返す。
すると南さんは、すぐに気を取り直したようだった。
「ミシンとかもあるの?」
「あるよ。何台か」
「布も?」
「生地も色々ある」
「型紙も?」
「もちろん」
「トルソーも?」
「あるある」
「いいなぁ……」
分かりやすいくらい目が輝いている。
本当に服が好きらしい。
「水瀬君も、お洋服作れるの?」
「簡単なのなら。一から全部ってなると、まだ母さんには全然敵わないけど」
「でも、すごいよ」
「南さんもそのうち作れるんじゃない?」
「そうかな?」
「これだけ縫えるなら、練習すればできると思うよ」
南さんは自分の手元へ視線を落とした。
それから、少し嬉しそうに笑う。
「ありがとう、水瀬君」
「別にお礼言われるようなことじゃないけど」
「それでも♪」
「そっか」
俺も自分の作業へ戻る。
針を進めながら、なんとなく口元が緩んだ。
服の話をこんなに楽しそうに聞いてくれる同年代は、今まであまりいなかった。
南さんと話していると、不思議とこっちまで楽しくなる。
◇
家庭科の授業が終わっても、南さんの興味は収まらなかった。
「お店ってどんな感じなの?」
「そんなに気になる?」
「だって気になるもん」
家庭科室から教室へ戻る途中も、ずっとこんな調子だ。
「一階が店と作業場で、二階が家」
「お店とお家が一緒なんだ」
「そう。そんなに大きい店じゃないけどね」
「へぇ~」
やがて教室へ戻り、二人とも自分の席につく。
次の授業の準備をしていると、隣からまた声をかけられた。
「ねえ、水瀬君」
「ん?」
「水瀬君のお家のお店って、誰でも入っていいんだよね?」
「そりゃ大丈夫だよ。普通の店だし」
「そっか……」
そこで会話が途切れた。
何だろうと思って見ると、南さんが少し迷うように指先を合わせている。
「どうしたの?」
「えっとね……」
ちらっとこちらを見る。
「今度、見に行ってもいい?」
「うちの店に?」
「うん。お洋服とか、作ってるところ見てみたいなって」
「ああ、いいよ」
「ほんと?」
「別に問題ないし」
「やった♪」
ぱっと表情が明るくなった。
そこまで喜ばれると、なんだかこっちまで嬉しくなる。
「いつなら大丈夫かな?」
「店が休みじゃなければ大丈夫だと思う。南さんは?」
「今度のお休みとか」
「今週?」
「うん♪」
「分かった。じゃあ一応、家でも聞いてみる」
「ありがとう、水瀬君」
「うん」
南さんは満足したのか、次の授業の教科書を取り出し始めた。
俺も同じように机の中へ手を伸ばして――ふと止まる。
……待てよ。
南ことりが、うちの店に来るのか。
もちろん、ただ店を見に来るだけだ。実家とはいえ一階は普通の店舗だし、クラスメイトが来たって何もおかしくない。
何もおかしくない。
それは分かっている。
「……マジか」
「水瀬君?」
「あ」
横を見ると、南さんが首を傾げていた。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
「ほんと?」
「ほんとほんと」
「またぼーっとしてる」
「ちょっと考え事してただけ」
「ふふっ。やっぱり水瀬君って、たまに不思議だね」
「そうかなぁ……」
楽しそうに笑う南さんを見ながら、俺は小さく息を吐いた。
隣の席に南ことりがいる。
そんな日常に、本当の意味で慣れるには――まだ、もう少し時間がかかりそうだった。
また投稿します。
では、また∠( ゚д゚)