筋肉無双~みんなはいつも俺に笑顔を向ける~ 作:ビスケッチュⅡ世
菅沼丈はごく普通の、というには少々頑丈すぎるサラリーマンだった。
毎日電車に揺られて――いや、電車でも微動だにせず、周りの人からは壁代わりにもたれられていたが――出勤。
「おはようございます!」
「遅いよ!菅沼くん!早く会いたかったよ!!」
「はい!!」
怒号飛び交う超体育会系の会社だったが、それも精神修養だと思えば苦ではなく。
常に飛び込み営業で走り回り、空気椅子でデスクワークをこなしつつ、毎日遅くまで残業をしていた。
会社の離職率は高かったが、彼は無遅刻無欠勤。
ついたあだ名は『防波堤』。
「大丈夫だ、俺が謝っとくから」
後輩のやらかした失敗で客先から理不尽に怒られても、彼は黙って耐え、次の日は何事もなかったかのように出社してきた。
「しんどい時は誰にでもありますよ、俺がやっておきますから」
誰かが休めば、黙ってその仕事を引き継いでやるし、自分からトラブルや重荷に突っ込んで解決していく節があった。
自然、上司も部下も、同僚も彼を頼もしく思った。
「菅沼くんがいるおかげで、この会社は少しずつ余裕ができてきてる。この調子でいけば、こんな状況を変えて、もっと良い会社にできるかもしれないな。どうだ、たまには二人きりで気分転換に出かけないか?君のためなら休みくらいいくらでも作るよ。いいじゃないか、な?」
「先輩、私菅沼先輩がいるからこの会社やれてますよ!やめる時は絶対教えてくださいね。無断でやめると私、何するかわからないですよ。えへへ。冗談じゃないですからねこれ。」
「丈、お前すげえよな……この前の休み、引き継ぎも適当だったのにやってもらってごめん、ありがとう。今度何かおごるから今度こそ絶対に連絡先教えて?あと位置情報交換アプリ入れない?」
彼は、みんなの笑顔を見て、はにかんだように笑うだけだった。
彼にとって、ありとあらゆる困難はトレーニングの一環に過ぎなかった。
日々の小さな楽しみは、トレーニングがてら走った先で入るお店の料理。
誰かに食べてほしいという意思で作られたそれは、彼にとってはそれだけで尊いもので、おいしいお店を見つけるのもひそかな趣味だった。
そして、同時に彼は知っていた。
自分はたまたまそれに耐えられる身体と精神を持って生まれただけだということを。
自分が笑えるのは、ただそういう人間だからだ。
でも、みんなが笑えるのは、そういう状況を作るのに自分が少しでも貢献できているからだ。
だから、彼はみんなの笑顔が好きだった。
そして……少し、うぬぼれていたのかもしれなかった。
俺なら助けられる、と。
「――!!」
目の前には、松葉杖をつきながら横断歩道をわたる女の子と、それに迫るトラック。
運転手は恐らく過労だろう、気を失っているようだった。
その状況を、既に走り始めた身体で認識する。
女の子を弾き、自分も避けるのが最も安全なルートだとわかっている。
だが、それでは自分の力で女の子が大けがをするかもしれない。
それに、その場合はトラックが暴走し、誰かほかの人を害するかもしれない。
ならば、手段は一つだけだった。
「間に合わせる」
トラックと女の子の間に割り込み、両手を広げてトラックへ突っ込む。
通常であれば無謀、無意味な行動と非難されてしかるべきだろう。
しかし彼に限ってその非難は当てはまらなかった。
「ッ……オオオオオオオオッ!!!!」
トラックの衝撃が全身に走る。
足から逃がしきれない衝撃は骨を砕き、筋肉を裂く。
それでも……驚いたことに、彼は間違いなくトラックを受け止めていた。
トラックが徐々にその速度を落とし、女の子も逃げたことを確認したその瞬間――
――後続車がトラックへ衝突した。
「――」
……そこまでだった。
そこが、人間である菅沼丈の限界だった。
足が空中に浮き、頭から道路に落ちるその一瞬で、空を見上げた。
「ここは……」
気づくと、丈は魂のような状態になっていた。
俯瞰して自分を見ている。
喪服を着て泣き崩れる人々。
学生時代の友人たち、会社の人々。
自分が助けた女の子。
――みんな、泣いていた。
「君は……最後まで君だったんだな……クソ!!こんなことなら無理やりにでも休みを取らせておけば……!君が死ぬくらいなら会社を潰すべきだった……!!!」
「先輩。うそですよね。まだ生きてるんでしょ?だって、だって、先輩が死ぬなんて想像できないですよ。……私は先輩だけいればよかったのに……先輩……先輩……」
「……俺が……守ってやるべきだったのに……俺が……俺だけが……」
それは、丈にとっては生まれてきて初めて味わう感情だった。
嫌だ。
自分が死ぬのは仕方ない。力不足だったのは自分の責任だ。油断したのも自分の責任だ。
でも、みんなが泣くのは違うじゃないか。
「――俺は、みんなに泣いてほしくない。わらってほしい。」
届かなかった。
もう、届かなかった。
視点が浮く。上へ、上へ。
みんなが遠くなっていく。
あがいても、もう、手遅れだった。
(もし、次があるのなら。)
ずっとずっと上に上がっていって、すべてが真っ白になったとき。
(今度こそ、俺を含めたみんなを、笑顔にしたい。)
――そうして、俺は、ジョーとしてこの世界に立っていた。