筋肉無双~みんなはいつも俺に笑顔を向ける~ 作:ビスケッチュⅡ世
「どこだここ……」
周りを見渡す。
澄み渡る風が吹く、草原だった。
草花の香りが頬を撫でる。
手と足を見る。ある。
グー、パー、グー、パー。
大胸筋を撫でる。
ムキッ、ムキッ。
うん、どうやら幽霊ではないようだ。
筋肉は一生の友達というが、まさか来世まで友でいてくれるとは。
思わず笑顔になる。
と、まだ状況を確認している最中にもかかわらず、早速この世界の洗礼が始まった。
「グルルルル……」
クマ型のモンスターが赤く目を光らせ、牙をむいて現れたのだ。
明らかに尋常な様子ではなく、ナワバリへの侵入者を排除する気満々だった。
「スパーリング相手ということか」
常識的に考えれば逃げるべきかもしれない。
だが、不思議なことに、ジョーには一切の恐怖がなかった。
筋肉が一切の緊張をしない。
ストレスを感じる場合には敏感に反応していたはずだ。
つまり、ジョーの身体は、この魔物を脅威として認識していない。
その事実に逆に戸惑っているジョーの様子を隙と見たのか、
クマ型モンスターが大きく右腕を振りかぶって、ジョーに迫る。
「グオオオオオ!!!」
風を巻き込んで振り下ろされるその一撃を、ジョーは避けようとして……
背後に回り込んでいた。
(足が……違う。身体が、動く……!)
そのまま踏み込み、掌底を放つ。
その動きは一瞬。
突き出す手の動きのあまりの速さで、空気と擦れた腕そのものが赤熱し……
気づけば、クマ型モンスターの胴体に、手形に焦げた穴が空いていた。
致命傷。
それでも、モンスターは振り返り、身体ごと倒れて最期の一撃を加える。
しかし……まるでつまようじが壁にもたれるがごとく。
ジョーはその一撃を防御すらせず受け止めた。
そうして、異世界に来て初めての戦闘は、終わったのだった。
「……」
余りと言えばあまりに手ごたえのない戦闘に、ジョーは状況を測りかねていた。
自分が強すぎたのか、相手が弱すぎたのか。
とはいえ、一応の戦闘力があることが分かったのは幸いだ。
命を賭してスパーリングをしてくれたモンスターへ、手を合わせる。
そこにあるのは、敬意と感謝であった。
「……」
ぐう。
腹が減った、と身体が訴える。
目の前のクマ型モンスターは、調理をすれば食べられそうだ。
「火を起こさねば……」
と、先ほど、手が高熱を帯びたことを思い出す。
瞬間移動のような回避といい、転生前の地球とはそもそもの身体スペックが違いすぎる。
試しに指パッチンをしてみると――
「燃えるものだな」
――あっけなく火の確保が完了した。
「……何か……切るものは……」
と、先のとがった石を探そうとして、ふと、伸ばした手が目に留まる。
「まさか……な」
試しに手刀を繰り出すと――
「切れるものだな」
――またもや、あっけなく刃物の確保が完了した。
文字通りの全身凶器である。
「さて……まずは、毛をむしるところからだな……」
調理を始めるジョー。
クマ型モンスターの毛はややチクチクしており、そのまま食べるにはやや厳しい。
獲物を余さず利用させていただくためにも、皮は分けるべきだろう。
きれいに肉と皮に分け、骨を集めて下拵えは万全。
あとは火にかけるだけ。
近くに川があったので、水はすでに汲んできて煮沸済だ。
「さあ……」
おいしそうなサシの入った赤身肉を切り分け、火にくべる。
次の瞬間。
そこには、真っ黒な謎の物質が出現していた。
硬質な光沢のあるそれは、見た目からして明らかに人間の食べ物という領域を超越しており、全くの無臭。
手に取ってみる。
「……嘘だ……」
わかる。これは、間違いなく、元はあの肉だ。
なぜかはわからないが、暗黒物質になってしまった。
花ひらくべき肉の花は、一足飛びにその存在を異次元に移し替えたのだ。
「……ッ」
それでも。
それでも、これは肉なのだ。
あのモンスターの命を、無駄にするわけにはいかない。
手が震え、つい取り落としたときに、下の小石が砕けたのは見なかったことにしよう。
「いただきます」
覚悟して、口に放り込む。
ガリリッ!
「……」
ゴリッ!ガリッ!!
「……」
無味である。
歯ごたえこそすさまじいが、全くの無味である。
うまいとか、まずいとか、そういう問題ではない。
これは、属する領域が食べ物ではない。
「……」
ゴリゴリがジャリジャリしはじめたあたりで、無理やり水と一緒に飲み込む。
少しだけ体力が回復したのを感じる……どうやら、カロリーにはなるらしい。
震えながら、残ったモンスター肉を振り返る。
また、ひとかけ赤身肉を切り、火にくべる。
もちろん当たり前だと言わんばかりに、ダークマターが鎮座していた。
「ああ……」
どうやら、この世界でもトレーニングはいくらでもできそうだ。
ジョーは何の涙かわからない涙を流しながら、すさまじい咀嚼音とともに食事を進めていった。
「……ごちそうさまでした」
次は、赤身肉をそのまま手に取り、かじろうとしてみたのだが……
「う……」
ダメだった。
血抜きがうまくできていないのか、かなりアンモニアと鉄臭い。
いわゆる公衆トイレに近い臭い。
それでも、少し口に含んでみる。
何とも言えない不快なぬめりが口の中に広がり、まるで吐瀉物だ。
思わず吐き出しそうになる。
嘔吐反射を筋肉で抑え込み、何とか飲み込んだが、口の中の不快な臭いが取れるまで何度も口をすすぐことになってしまった。
これなら、単に固いだけのダークマターの方がマシである。
身体状況の確認もしたいが、動き回った挙句カロリー不足で行き倒れだけは避けねばなるまい。
まずは、きちんと食べられる食料の確保、拠点の構築が必要だ。
クマモンスターの皮を良く洗って干し、簡易的な風呂敷にする。
ダークマターを詰め込んで準備完了。
周りを見渡すと、地平線の向こうに森らしき影があるのがわかった。
都合のいいことに、川はその森から流れてきているらしい。
大まかな目測だが、半日もあればつくだろう。
ジョーは軽々と荷物を持ち上げると、目的地に向かって走り出した――
――と思ったら、既に到着していた。
「……ム……?」
聞こえてくるゴオオオという音に後ろを振り返る。
半日、と思った距離である。
そこを一瞬で移動すれば、その衝撃は当然……
「川を……広げてしまった……」
ジョーはしまったとばかりに手を額に当てた。
少し意識して動かしただけでコレだ。
「……制御トレーニングも、必要だな……」
早速、崩した川へ向かい、土木工事を始めるのだった……。
一番近い箇所から修繕を始める。
爆弾でも爆発したのかと思われるような踏み込みの跡。
川の隣がかなり間隔をあけてボコボコになっている。
散らばった土砂をせっせと集めながら、元に戻していく。
しかし、これが意外とトレーニングになった。
例えば、土砂をぎゅっと握ってしまうと……
「……鉱石になってしまった……」
優しく、優しく、すくい上げ、埋め戻す。
そして、またすくう。
……ただ、これを繰り返す。
続けること、およそ12時間。
「ふう……終わった」
ダークマターの残りを口に放り込む。
「ん……」
携帯性に優れたカロリー源ではあるが、
相変わらず無味無臭でこの世のものとは思えないほど固い。
早くこれに代わる食べ物を見つけないと、トレーニング効率が落ちることは避けられまい。
適度な楽しみ、休憩は、トレーニングの秘訣である。
あたりはすっかり暗くなっていた。
拠点を作るはずが、大幅ロスだ。
それでも、収穫はあった。
石を拾い、握りこむ。
「握りこもうとする筋肉を、さらに別の筋肉で上から抑え込むイメージだ……」
口にすると、腕がやや細く形状変化するのが分かる。
「……こういうのを見ると、本当に異世界という感じだな」
以前の感覚なら全く別の圧縮された鉱石ができるところだったが……
「よし」
石は欠け一つなく、きちんと原型を保っていた。
こうして、ジョーは筋肉抑制とでも言うべきその技術を体得したのだった。