1-1 グッモーニン ミスター
1 Welcome to the Paradise City
ベイチェスターは、人間の見本市みたいな所だ。様々な人種。民族。多様な性。そして、イノセンス、サイボーグ、ストレイ。
混ざり合うのではなく、区別するのでもなく、個が集まって共存するこの街を、パラダイスのような場所だと言う人もいる。
パラダイス――そんなものが、本当にあるのなら。
1-1 グッモーニン ミスター
××年三月十日
ブラクストン地区 チェスナッツ通り
マーシャル調査事務所
部屋中に鳴り響くコール音で、リアム・マーシャルは目を覚ます。体中が痛いのは、昨日もデスクで寝落ちしたからだ。顔を伏せたまま左手を伸ばして通話ボタンを押すと、電話機からは女性の姿が投影された。
「アロー? お目覚め? それとも、今度こそ過労死?」
クスクスと悪戯っぽく笑って、女は髪を掻き上げる。豊かな金髪に、はちみつ色の瞳。細身の黒いスーツに身を包んだその女は、名前をセリア・ヴィジェ=ルブランといった。
「いえいえ。健康そのものですよ。おかげさまで」
口にして直ぐ、リアムは自分の捻くれた性格を恨んだ。嫌味っぽい口調は悪気があってのことではないが、悪い癖だという自覚もある。
多少の気まずさもあって、リアムはそろそろと顔を上げた。長めの前髪から覗くブラウンの瞳は、セリアと壁時計とを交互に眺める。時刻は、十時を過ぎたところ。完全に寝坊だ。
事務所の中は、昨夜の騒ぎの跡が残されたままだった。ローテーブルにはスナックの袋や皿が置かれ、灰皿代わりの小さな缶には吸い殻が山を作っている。
(また片付けもしないで……)
自分が仕事をしている横で騒いでいた仲間のことを思い出すと、リアムは頭痛を覚えた。それは苛立ちのためか、寝過ぎたためか、或いはそのどちらでもあるのかもしれない。
「それで? すみません。えっと、なんでしたっけ?」
「嫌だわ。忘れちゃったの?」
「……すみません」
「あら。いいのよ。約束なんて、していないもの」
ソファに腰かけてティーカップを口元に運びながら、セリアは白い歯を見せる。
リアムは困って眉を下げたが、その実、救われたようにも感じていた。嫌味を吐いた事が、小さな意地悪で帳消しになった気分だ。それは、セリアなりの優しさだった。
「そろそろ着く頃よ。今、そちらに向かっている筈だから」
「なにか送ってくれたんですか? 目覚めのコーヒー?」
「そうだったら良かったんだけど」
リアムの疑問に応えるように、彼の言葉に合わせて事務所のドアが大きな音を立てて開く。直後、廊下の奥からは、ネイビーのスーツを纏った長身の男が現れた。彼は、小包を抱えている。
眼鏡の奥にギラギラした瞳を隠したその男の名は、アラン・シモンズ。セリアの下で働いているアランは、彼女の熱狂的なファンとしても有名だ。
「やあ。シモンズさん。あなたが届けて……」
「警部! 僕は届けましたからね! あなたの元に帰りますからね!」
アランはズカズカと近付くと、リアムの顔に小包を押し付けて小走りに去っていく。廊下の奥の開け放されたドアからは、向かいにあるエレベーターのドアがガタガタと開閉するのが見えた。
「ミスタ・シモンズがごめんなさいね」
「いえ……もう慣れたので。ところで、これは?」
「お察しの通りよ。また、見て貰いたいの。今朝の事件はご存じ?」
「いえ、全く。……というか、どれの事です?」
許可を取ってから、リアムは小包を解いていく。何重にも保護されたその中には、プラスチック製のケースに薄汚れた赤い布切れが一枚収められていた。
「議員の娘が誘拐されたわ。被害者はキャサリン・レッド。十二歳。車は港で発見されたけれど、娘はまだ見つかっていないの」
セリアが詳細を送ると言うと、ほどなくしてリアムの腕時計型のデバイス――通称MW(ムウ)には着信を告げる振動が響く。画面をタップすると、そこには幾つかのファイルが届いていた。
被害者の顔写真を選択すると、MWからはキャサリン・レッドの姿が投影されて空中で歩き始める。映像は三六〇度自由に確認でき、体付きから歩き方の癖まで全て確認可能だ。
ありとあらゆるものがデータ化され、共有され、利用されるようになっても、人間はまだ個であり続けている。そんな世界の中で、リアムは人間の残した思いや記憶に触れることができた。
残留思念――。人間の強い感情や記憶は、物や場所に残る。リアムは素手で触れることによって、それを読み取ることが出来るのだ。彼は所謂、サイコメトリストと呼ばれる能力者である。
「子どもが絡む事件は嫌なんですよね」
「ごめんなさいね。でも、分かって。一刻を争うの」
「分かっています」
覚悟を決めると、リアムは左手の手袋を外してプラスチックケースから取り出した布きれに触れた。指先には、ビリビリと電気が走るような痛みがある。
リアムが意識を集中させていくと、彼の頭には極彩色の映像が渦のように押し寄せて流れ込んできた。幾つかの断片を組み合わせたような、拙く短い映画を強制的に見せられている感覚だ。
「……誰が選んだの? こんなドレスで……」
「ママに……。マーシーの……」
「そうよ。ペンダントを取りに行きたいの。……あのシトリン……」
「どうしたの? 道が……。どうして……」
他愛もない会話の後、突然、車が止まる。
銃撃。
後部座席のドアが、勢いよく開く音。
その直後に、リアムは目の前が白くなっていく。キャサリン・レッドは、ここで気を失ったのだ。
跳ね起きるように顔を背けて、リアムは触れていた布切れから手を離した。能力を使った後は、いつも眩暈に襲われる。時には、船酔いのように地面がグルグルと回り続けて、寝込むほど。
「赤茶けたレンガにガラスの三角屋根……地下鉄の入り口……これ、CMストリートですね。沿岸警備隊の直ぐ傍だ。あんな所で、よくやるな」
「流石ね。それは現場に残されていたものよ。車はコンテナターミナルで発見されたけれど、引き上げ作業が遅れているの」
コンテナターミナルと聞いて、リアムはそれを奇妙だと感じた。誘拐現場となった交差点とは、かなり距離が離れている。人通りが多いあの場所で、目撃情報が無いとは考えにくいのだが。
「窓の外に黒のセダン。後ろもいる。三台かな。運転手も多分グルだ。それから……」
リアムは一度、自分を落ち着かせるために深呼吸した。足元がふわふわと浮くようだ。目を閉じると多少は楽に感じられたが、眩暈が消えるわけではない。
「セリアさん。これって被害者の物ですよね?」
「どういう意味かしら?」
「違うんですよね。服。黒い服を着ていた筈なんですよ。こんな赤じゃなかった」
リアムは映像を思い出すために意識を集中させようとしたが、同時に襲ってきた吐き気にそれを邪魔されてしまう。
セリアは情報をまとめながら、別の人間にも電話をかけている。漏れ聞こえたその会話が耳に入ると、リアムの吐き気は耐え難いものになった。
「アシュケナージの仕事ですか、これ」
「あら、ご名答」
眩しいセリアの笑顔に、リアムは胸やけを覚えた。
口にするのも嫌な名前。ウラジーミル・A・アシュケナージ。
街を牛耳る大企業。腐敗しきった政治家。飢えた軍人たち。そのどれにも属さず、誰にも頭を垂れず、実力だけでこの街に君臨する帝王。この街でアシュケナージに逆らうことは、死と同義だ。
よろよろと手を伸ばすと、リアムはセリアと通話を繋いだままMWで二人の男に電話を掛ける。そのうちの一人は、スリーコールで反応した。
「――よう。リアム。俺の至福の時を邪魔する気か?」
「気かー?」
電話から投影されたのは、トウマ・ブルームフィールド=マツモトという青年とレイという名の少女だ。二人は黒い大型のバイクで湾岸沿いを駆けている。
和人の血を引く彼らは黒髪に同色の瞳をしているが、日に焼けた肌のトウマと違い、レイは日に焼けたことのないような白い肌。腰まで届く髪を靡かせて、レイはトウマに笑顔で抱き着いている。
「仕事なんだよ。仕方ないだろ」
「溜息つくなよ。ブスだぜ?」
「だぜー?」
レイは、よくトウマの真似をしている。それはこの国の公用語を覚える学習手段でもあり、また、相手を煽るためにしていることもあった。
「まあ、いいさ。どこでも行ってやるよ。ところで、おっさんはどうした?」
セリアから送られてきた資料をトウマにも展開しながら、リアムはもう一つのコール先を睨む。エリオット・スミス。一向に出ようとしないが、彼がどこで何をしているのかはお見通しだ。
リアムは繋がらない電話を一度切ると、レイから電話をかけてくれるようにと頼む。
レイは面倒臭がっていたが、トウマから同じ事を頼まれると、彼女は二つ返事で了承した。言うまでもなく、その様子はリアムをさらに不機嫌にさせる。
「おう! 嬢ちゃん、どうした?」
ワンコールで反応したエリオットは、上機嫌だ。モニターをオフにして電話に出ているために映像は投影されていないが、彼の後ろからはスロット台が発する独特な騒音が漏れている。
「結構、勝ってるみたいだね? 今日こそ返して貰えるのかな? 飲み代は」
リアムの声を聴いて、電話の向こうからは「うげっ」という呻き声。エリオットはリアムの着信を無視して、違法カジノでスロット三昧だったのだ。
エリオットは持病の治療で病院にいるのだと主張したが、それを信じる者はいない。
「それじゃあ、引き受けて貰えるかしら?」
電話から、セリアの声。依頼という名目だが、実質拒否権がないということは皆が分かっている。
吐き気を堪えて立ち上がると、リアムは仲間との通話を切ってくたびれたコートに袖を通す。デスク後方の窓ガラスを鏡の代わりに、彼はボサボサの髪を軽く整えた。
「リアム君。仕事の前に会いたいの。車は手配しておいたから」
「車……?」
セリアとの通話が切れた直後、リアムの後方で勢いよくドアが開く音がした。恐る恐る振り返ると、そこには不機嫌なアランが立っている。
「喜べ、マーシャル。お迎えだぞ……!」
腸が煮えくりかえっているアランに気圧されて、リアムは何も言えずに車に乗るしかないのだった。