××年三月十日
チャールズフォードタウン地区
レッド議員宅付近
チャールズフォードタウンは、まるで別の街のようだ。このエリアの空が下品な企業広告で埋められる事はないし、観光客も殆ど訪れない。橋向こうのノースエンドとも、湾を挟んだ向かいのイーストベイチェスターとも異なる雰囲気が漂うこのエリアでは、サイボーグはネズミよりも少なく、ストレイはまず見かけないだろう。
建物の屋根に腹這いに寝そべって、リアムとトウマはレッド議員宅と周辺の様子を伺っていた。キャサリンはまだ気絶していて、反応がない。彼女は、小さく呼吸を繰り返している。
議員宅付近までやってきた彼らだが、そこからが問題だった。正面は警察とマスコミの数が多すぎて断念せざるを得ず、敷地内に潜入するためには、裏口か、他を探すかといったところだ。
「このまま屋根伝いに二階から入るか?」
「地下は? 地下水道から敷地内に入れたりしない?」
「無理だな。金持ちは、その辺抜かりないさ」
(トーマが言うなら、そうなんだろうな)
高級住宅地に関しては、トウマの方が圧倒的に詳しい。
トウマの顔を横目で見て、リアムは不思議な思いを抱いた。トウマの顔は単に整っているだけでなく、育ちの良さを感じさせる。自分とは真逆だと、リアムは自虐的に笑った。
トウマはリアムが小さく笑うのを不思議そうに見て、それからキャサリンがまだ眠っている事を確認してから声を潜めて言った。
「リアム。……ジェームズ・レッドとトマス・ムーアはグルだ」
「……そっか」
コートの内側で眠る少女の事を思いながら、リアムは短く返す。
トウマの言葉は、リアムにそれほど大きな驚きを与えなかった。不自然な程の目撃情報の少なさや、事件発生後の初動など、警察が関与していたのであれば納得もいく。
そもそも、事件現場を訪れたトウマとレイの元に警察が駆けつけたのも、二人が起こしたイザコザの処理というよりは、セリアが行っている捜査の邪魔をする意味合いが強かったのだろう。
トウマはリアムの心情を察して、一度視線を外した。しかし直ぐに思い直して視線をリアムに戻し、再び口を開く。
「リアム。なにを見た?」
真剣な目。トウマは、リアムがキャサリンに対して能力を使った事を確信している。
リアムは、地下水道での出来事を思い出す。アランを振り切って地下に逃げ込んだ直後、リアムは手袋を外した状態で偶然キャサリンに触れていた。
リアムは言葉に迷って、何度も口を開こうとしたが全て無駄に終わった。伝えるべき言葉が出てこない。
「ふたり、なにしてる?」
真後ろから声がして、二人は振り向く。そこには、レイの姿があった。レイはしゃがみ込んで、リアムとトウマを不思議そうに見ている。
おいでとトウマが手を差し伸べると、レイは嬉しそうに二人の間に寝転んだ。
「ぜんぶ、キレイしてきた」
「偉いぞ~。レイ」
「うん。トウマ大好き」
「俺もだぞ~。レイ」
(ええ……今……?)
引いているリアムの隣で、レイは頭を撫でられて満足げだ。
リアムはアランたちの無事を祈って、無意識に耳を澄ませる。救急車らしきサイレンは、聞こえてこないようだが――。
「そうだ。レイに聞きたい事があるんだ」
「えー」
レイは、リアムに向けて露骨に嫌そうな顔をした。今に始まったことではないが、彼女はトウマの前でだけ猫を被っている節がある。
「電話で言ってた事か? リアム」
「そうなんだ。レイ。人以外のギフト能力者を見たことは?」
レイはリアムのコートの膨らんでいる部分をチラリと見て、それから嫌そうに頷いた。
「リアム。考えてること、そのとおりと思うよ」
彼らには、その言葉で十分だった。
頬を、風が刺していく。リアムはコートの襟を持ち上げて、首を窄めた。寒気を覚えるのは、季節のためばかりではない。
重苦しさに捕らわれて、トウマも口を噤んだ。皆は同じ事を考えているが、それを口にすることを避けている。
キャサリンの大切な友人である、人形のマーシー。彼女こそが、キャサリンとマーシーを入れ替えた張本人の可能性がある。
皆が考えていることは、その先のこと。つまり、戻る方法だ。仮に能力発動が偶然であるならば、再度の入れ替わりも何らかの偶然に頼らざるを得なくなる。
キャサリンが能力者であるならば、話は早かった。意思を持たない人形や偶然に頼る必要が無いからだ。
「あっち、いつまでもつか、分かんない? かも」
突然、レイがポツリと呟く。その言葉は、リアムとトウマを急かす。誘拐計画が頓挫した以上、レッド議員は次の手を打つことだろう。急がなければ、キャサリンの肉体が危ない。
「これはつまり、緊急事態ってやつだな。リアム」
「……何する気さ?」
嫌な予感を覚えて、リアムは無意識に二人から体を離そうとする。しかし彼のコートの裾は、いつの間にかレイにガッシリと捕まれていた。
「一先ず、混乱に乗じて屋敷に入れ。おっさんのことだ。どうせ、もう潜入済みだろ。合流して、ケイトの体を探せ」
「混乱? あのさ」
「屋敷周りのマスコミと警察が邪魔だな。どうする? レイ」
トウマはリアムには応えず、レイに向かって微笑みかける。
「んー。キレイ、しちゃう?」
「そうだなー。レイは天才だなー」
頭を撫でられて、レイは嬉しそうに足をパタパタさせている。それから彼女は手首を返すと、雑にリアムを宙に放り投げた。
コートの中のキャサリンを必死に抱え、リアムは荒っぽい着地を覚悟する。逆さまになった世界では、屋根の上でイチャつくバカップルとその片割れの手から空に向かって放たれた黒い光線。
空を裂いて走る光。
空気を叩き付けるような低い音。
瞬きする間もなく、辺りは一瞬で豪雨になった。レッド議員の自宅周辺を切り取るように光柱が取り囲み、真昼時のように空が明るくなって雷が鳴り響き、大量の雨が降り注いでいる。
警察やマスコミは大慌てで議員宅から離れ、空を見上げては理解できないといった様子で首を傾げた。ほんの数歩、離れただけ。それだけで、別の国かと思うほどに天気が違うのだ。
「――レイのいう『キレイ』って、洗濯かな……」
屋敷の庭。運良く木に引っかかったリアムは、疲れた顔で空を見ている。辺り一面ずぶ濡れだ。レイにとっては、汚れを全て洗い流したつもりなのかもしれない。
(こんなに降らして、平気なのかな)
リアムはトーマの姿を思い浮かべる。炎の能力者の多くは、水や雨が苦手な事が多いのだが。
降りしきる雨の中、目を凝らして勝手口を探すと、リアムは素早く木から下りて屋敷の中に駆け込んだ。
二人が飛び込んだ先はキッチンだった。広い室内の中央にある調理台の陰に隠れると、リアムはコートの内側を覗き込む。
「ケイト。ケイト!」
コートの中に話しかけると、キャサリンは僅かに顔を横に振って、それからパチリと目を開いた。
「リアム……? なあに? ……朝なの?」
人形の短い手を小さく動かして、キャサリンは目元を拭うような仕草を見せる。どこか舌っ足らずで、まだ寝ぼけているようだ。
キャサリンの無事を確認して安堵したのも束の間。リアムは、視線を感じて素早く身を翻した。
「おう。元気そうねぇ」
リアムの視線の先には、エリオットの姿があった。彼は緩みきった表情で調理台の上にあぐらを掻いて、口の端には煙草を咥え、右手にはビール瓶を手にしている。
「エリオット! 何やってたんだよ」
「ヤニ吸ってんの。急にあんなんなったから、優しくてダンディーなお兄様が見に来てやったんでしょうが」
エリオットは窓の外を指している。ギフトによるものとしか思えない天気の急変を見て、彼は仲間が屋敷にやってきたことを察し、唯一の侵入経路であるキッチンまでやってきたのだ。
「なにがダンディーだよ。飲んだくれ!」
「あら~失礼しちゃう。……てかお前、連れてきたのか」
リアムのコートの内側にいるキャサリンに気付いて、エリオットは顔を顰めた。いずれ自宅に戻す事に変わりはないが、今はタイミングが悪い。
エリオットの表情から彼が既にキャサリンの体を見つけたのだと察して、リアムは彼女の元に連れて行くように迫った。
「キャサリンに、キャサリンの体に……ややこしいぜぇ~」
「今は、そんなこと言ってる場合じゃないだろ」
「そんなこと言ったってよう。お前、大事だろ。まあ、あっちはマーシーって呼ぶか」
「エリオット」
会話で誤魔化そうとしている事に気付いて、リアムがエリオットを睨む。
エリオットは心底嫌そうな顔をしたが、そうするしか無いのだと割り切って、ダラダラとした足取りでキッチンの奥へ向かった。
屋敷に配置された警官たちは天気の急変に戸惑い、彼らの一部は本部と無線でやり取りしている。その後ろをスルスルと潜り抜けて、エリオットは屋敷の奥へと進んでいく。
まるで存在を消しているかのようなエリオットの動きに驚きながら、リアムもコソコソと物陰に隠れながら後を追った。コートの内側からは、キャサリンの緊張が伝わってくるようだ。
屋敷の二階。一番奥の部屋の前に辿り着くと、エリオットはリアムに目で合図した。
遅れて辿り着くと、リアムは呼吸を整えてドアノブに手を掛ける。
開いたドアの向こう。椅子の上に腰掛けて、窓の外を眺めている少女が一人。
「……マーシー?」
リアムのコートの胸元から顔を出して、キャサリンは人形の名を呼んだ。
ピクリと肩を震わせ、少女は時間を掛けて振り向く。凍り付いた能面のような表情。ぎこちない挙動。それは、正に人形だった。