「マーシー!」
リアムの懐から飛び出たキャサリンが駆け寄ると、マーシーは両手を広げて彼女を受け入れようとした。だが距離感や力加減が掴めないのか、マーシーの手は空を掴む。
キャサリンは気にする様子無く、自分からマーシーの懐に飛び込むと彼女の胸元に顔を寄せた。
マーシーは、少し遅れてキャサリンを抱きしめる。瞬きをしない横顔。表情こそ変化がないが、彼女たちが互いを大切に思い合っている気持ちはリアムとエリオットにも伝わっていた。
「マーシー! やっぱり、あなたなのね。無事で良かった!」
人形の小さな手が、少女の頬をペチペチと叩いている。
それから一呼吸置くと、キャサリンはマーシーの腕の中でクルリと回転してリアムに顔を見せた。
「連れてきてくれて、本当にありがとう!」
あのキャサリンが、素直に礼を述べている――リアムの困惑は、それが真の原因ではなかった。
リアムが心に抱く不安を察して、エリオットが彼を肘で小突く。すると、ようやく、リアムはキャサリンに笑顔を返した。
二人の男たちは、同じ不安を抱いている。キャサリンとマーシー。入れ替わった二人が接触しているというのに、彼女たちの身に変化は見られない。
そして、もう一つ。マーシーは、完全に意思を宿して見える。やはり彼女は、ただの人形ではないのだ。
「ケイト。再会したばっかりなのに、ごめん。君が襲われた時の……マーシーと入れ替わった時のこと、もう少し詳しく聞けるかな?」
少女達の変わらない表情を交互に見ながら、リアムは出来るだけ二人を刺激しないように言葉を選んだ。
ギフトには、発動条件がある。それさえ分かれば、キャサリンを元の体に戻す事が出来るかもしれない。
「出来るだけ詳しく……」
シッと、エリオットが短い音でリアムの言葉を遮った。さらにエリオットは、リアムの注意を後方に向けさせる。部屋のドアは、開いている。
ドアから現れたのは、やつれた表情のマレーナだった。誰も伴わず、彼女は娘の様子を確認しに来たのだ。それは完全に予想外の出来事だった。
リアムとエリオットは警察を呼ばれる事を覚悟したが、不審者と遭遇したマレーナの悲鳴を飲み込ませたのは娘の声だった。
「ママ!」
「……ケイト……?」
母親の意識は、覚えのある娘の声に引っ張られている。
マレーナがケイトの元へ近付いていく隙に、エリオットは部屋のドアに駆け寄った。彼は、感動的な親子対面よりも逃げ道の確保に必死だ。最優先は、身の安全。命は、何よりも重い。
エリオットは、リアムに目で合図を送った。だが、リアムはそれに気付かない。幼さからくる経験不足と生来の性格とが、彼の目をドアから遠ざけている。
結局のところ、リアムはここで立ち去れるほど大人ではなかったし、エリオットはリアムを見捨てられるような性格でもなかった。
「ケイト……なの……?」
マレーナは人形を抱き上げると、確かめるように二度、三度と頬や髪を撫でた。その手は震え、言葉は懐疑的だったが、人形を眺める目には確信するような熱が籠もっている。
リアムは、安堵して息を深く吐き出した。同じ時、エリオットは、見ていられずに項垂れてため息を漏らす。同じ光景が、彼らには別のものに見えている。
「……そんな訳ないじゃない」
怒りに満ちた、マレーナの声。
マレーナは荒々しく人形を振り上げて、目の前に立つ娘の腕に押しつけた。床に叩き付けようとしたところを必死に堪えた様子だったが、それでも抱き続けることは出来なかったのだろう。
「ふざけているんでしょう……? ねえ? ねえ!」
マレーナは目の前に立つ娘の肩に手を置くと、彼女を激しく揺さぶった。キャサリンは人形の目を通して、母親の青ざめた表情を眺めることしか出来ない。
慌てて駆寄ろうとしたところでエリオットに肩を掴まれて、リアムは何故かと目で問いかける。エリオットは無言で首を横に振って、部屋から出るようにと促す。
二人のそんな短いやり取りの間に、マレーナはようやく屋敷に現れた不審者の存在を思い出したようだった。彼女は振り返って彼らを睨み付けると、開口一番、怒鳴りつけた。
「誰だ」か、或いは、「出て行け」か。マレーナの悲鳴のような言葉は部屋に反響して、それはほとんどただの音だった。
だがその音は、部屋に人を集めるには十分過ぎるものだった。
彼方此方から近付いてくる足音に、リアムは慌て、エリオットは身構える。
そうして、あっという間に、部屋には大勢の人間が姿を現した。それは妻の身を案じたレッド議員やメイド達で、その中にはムーア警部や彼の部下、そしてセリアの姿もあった。
「お前達! どこから入った!」
声を荒げるムーア警部の姿が、リアムとエリオットの視界でぼやけている。彼らのピントは、ムーアの後方で腕を組んで立ち、笑顔で怒りを押し殺すセリアの姿にあった。
(なにをしているの?)
セリアの笑顔から感じられる、無言の重圧。
(あら~。脱出、出来ちゃったか~)
エリオットは目を逸らして現実逃避しようとしたが、彼は直ぐに隣の男が不器用な事を思い出した。
「娘さんを、お連れしました」
リアムの言葉で、室内にはより一層の混乱が齎される。それは無理もないことだ。夜半に、娘の部屋に見知らぬ男達が現れた。しかも彼らは、既に帰宅した娘を連れて来たのだと言う。
「なにを言うの? 娘は、この子は、自分で帰ったのです」
マレーナの言葉は、ここにいる多くの人間が抱く疑問と同じものだ。
「いえ。夫人も、もうお分かりの筈です」
「やめて。あなた、なにを……」
「お気持ちは十分に。ですが、受入れてください」
マレーナとリアムは、真剣な顔で向き合っている。
その様子に、レッド議員とムーア警部は理解出来ないといった様子で半ば呆れの色を見せた。
「いい加減にしてくれたまえ」
レッド議員はリアムの前に歩み出ると、汚らしいものを見るような視線をチラリと寄越して、直ぐに娘に向き直った。
「全て、妻の言うとおりだ。娘は……確かに、この子は大変な目に遭った。だが、自分の脚で戻ってきたのだ。神様のお導きだ」
レッド議員の薄っぺらい言葉に、ムーア警部は頷いている。
この時、エリオットは、レッド議員がムーア警部の顔色を伺っていることに気付いた。レッド議員の声は僅かに上ずって、目元には緊張が見られる。これはつまり、「言わされている」のだ。
レッド議員は警官に向かってリアムとエリオットを確保するように合図すると、心配する素振りで娘を呼び寄せた。
その後ろでは、マレーナが顔を青くしている。
「……パパ」
祈るようなその小さな声は、部屋中に響き渡った。
レッド議員は、音を立てて息を飲む。彼は、自分を呼ぶ声が何処から聞こえたのか、もう気付いている。
ハハハと、乾いた笑い。
レッド議員は目を見開いたまま、人形に顔を寄せていく。
「パパ」
先ほどよりも、小さな声。寂しさと不安の入り交じるそれを耳にして、マレーナの目には涙が浮かぶ。
「……いい加減にしろ!」
レッド議員はカッと目を見開くと、人形の髪の毛を掴んでそれを振り上げた。
「ケイト!」
マレーナが悲鳴を上げて、夫の腕にしがみ付く。彼女の手は、夫の手の中にある人形へと伸びている。
妻の目が人形を通して娘を見ているのだと気付いた時、レッド議員の顔は蒼白になった。
声にならない叫びを上げ、レッド議員は妻を突き飛ばす。彼には、縋る妻の姿が化け物の様に見えている。
再び振り上げられる手。
悲鳴を上げる人形。
人形の元に駆寄ろうとする少女の姿。
母親の叫び。
「あなたが、いい加減になさい」
混沌とした室内を静めたのは、冷たい声。
レッド議員を制止しようと飛び出したリアム、数人の警官達を置き去りにして、彼らの前にはセリアの姿。セリアは、容赦無くレッド議員を義足で蹴り飛ばした。
レッド議員は壁に激突して、ズルズルと床にへたりこむ。
マーシーはレッド議員の手からこぼれたキャサリンをキャッチして、ぎゅうっと力一杯抱きしめた。
「それで? ちゃんと、説明してくれるんでしょう? リアム君」
乱れた髪を掻き上げてスカートの裾を直すと、セリアはリアムの方をチラリと見やる。
リアムはセリアではなく、抱き合うキャサリンとマーシー、それに駆け寄る母親とメイド長を見ながら頷いた。
セリアの後ろでは、伸びているレッド議員に、ムーア警部とその部下が近付いていく。彼らは議員を心配しているというよりも、なにか別のものを確かめようとしているようだ。
「それが、まず何から説明すればいいか……」
リアムがセリアに説明しようと口を開いた時、彼の肩をツンツンと突く者があった。エリオットだ。
一体何かと、リアムはエリオットの顔を睨む。エリオットは、無言で前方を指している。
不思議に思ってリアムとセリアがエリオットの指さす方を見ると、床で伸びているレッド議員の元に、少女がトコトコと歩み寄っていた。それは、キャサリンの体に入った人形のマーシーだ。
マーシーが抱いていたキャサリンは、既にマレーナの腕の中にあった。マレーナは、母親の顔を取り戻している。
マーシーは左手でレッド議員の体に触れると、それからムーアの腕を掴んだ。
「おい、君。一体……」
嫌な予感を覚えたのか、ムーアが腕を振り払おうとする。その直後、ゴトッという音を立てて、ムーアは床にひっくり返ってしまった。
部下達は大慌てで、ムーアの手首を掴んで脈を取ったり、瞳孔を確認している。
「……俺、すぅ~っごく嫌な予感がしてるんだけど~?」
「奇遇だね、エリオット。僕もだ」
娘を抱きしめて泣いている母親。
母親の胸に甘える娘。
親子の対面に涙するメイド達。
混乱している警官達。
不機嫌なセリア。
そして、彼らの前でむくりと起き上がるレッド議員とムーア警部。彼らは互いの顔を見つめ、自分の手や腹に触れ、そして再び見つめ合う。
嘘だと、言葉にならない男達の野太い悲鳴。レッド議員とムーア警部は泡を噴いて気絶し、周囲の警官達は大慌てで救急車を手配している。
セリアはMWでアランを呼び出すと、部下達にムーア警部の息が掛かった警官達を確保するようにと指示した。彼女は、元から議員と警部との関係を疑っていたのだ。
再び混乱を極める部屋の中。
エリオットは、味わいながらゆっくりと煙草の煙を吐き出した。
「取り敢えず、飯行くか~」
「金、払えよな」
目を合わせる二人。
それから、エリオットはサッと目を逸らした。