黒犬。バスカヴィル。
漆黒のバイクが、街の中を縫うように駆けて行く。夜の闇に紛れ、昼は太陽の下で濡れたように艶やかに光る。その妖しくも美しい姿は、製造されなくなった今でも人々の心を掴んで離さない。
「頼むから、落ちるなよ」
「無理かも……。落ちたら拾って」
「おいおい……」
力ない返答に、トウマは背中に凭れているリアムにチラリと視線を送った。
デイヴのガレージ前で拾った鍵。血が付いたそれをリーディングして、リアムは副作用の目眩に苦しんでいる。
もう直ぐで事務所に着くと励ましながら、トウマはひたすら最短距離でリアムの事務所を目指した。
リアムは目を閉じて完全に脱力し、トウマの背中に体を預けている。こんなにもトウマの背中が頼もしく思えるのは、初めてだ。
「腕に、腕章。ドクロと、炎みたいな」
忘れないうちにと、リアムは鍵から読み取った映像の一部を口にする。
「腕章か。そういうのは、サイボーグの連中が好む。特に、チームを作って、抗争ごっこしてるような奴らが」
トウマには、リアムが言うようなドクロと炎の腕章には覚えがなかった。少なくとも、彼に喧嘩を売りに来たことのある不良グループではない。あまりにありふれた柄で、記憶に残らなかっただけかもしれないが。
二人がアパートの前に着くと、外階段ではレイが野良猫と遊んでいた。レイは階段の一番下に腰掛けて、リンゴを齧りながら地面の上に転がる白猫を撫でている。
レイは二人が戻ったことに気付くと、パッと顔を輝かせた。
「おかえりさま!」
「ただいま。レイ。手伝ってくれ」
トウマが後ろを指すと、レイはトコトコとバイクに歩み寄り、リアムをヒョイッと持ち上げる。
「リアム-? しんだー?」
「……生きてるよ……」
それ以上は言い返す気力も無く、リアムは無抵抗で運ばれて、階段に座らされる。目眩は大分収まっているが、ぞんざいな扱いに対する抗議から目はまだ開いていない。
「トウマ。大好き」
「俺もだぞー。レイ」
(こいつら、人が体調悪いってのに……)
目を閉じていても、リアムにはトウマに頭を撫でられて喜ぶレイの姿が浮かぶ。あまりに何時もの事で忘れかけていたが、この二人は典型的なバカップルだ。
「そのリンゴ、どうしたんだ?」
「おばば、くれた」
(僕には冷たいのに……?)
レイが「おばば」と呼ぶ大家を思い出しながら、リアムは思わず口元に力が入る。毎月末に爆音でドアをノックしながら現れては、家賃を回収して去って行く老女。彼女から小言を言われる事はあっても、食べ物を貰った事など一度もない。
リアムが薄く目を開くと、彼の足下には白猫がいた。
ちっちっと、リアムは手を出して猫を呼ぶ。
猫はリアムをチラリと見て、それからムクリと起き上がり、興味なさそうに街へと消えていった。
猫にすら冷たくあしらわれる自分を思うと、虚しさよりも悲しさが増す。動物は人より敏感だから仕方が無いのだと自分に言い聞かせたが、それでもリアムの心は晴れない。
一通りレイを構ってから、トウマはようやくリアムの傍へ寄った。
「リアム。さっきのリーディングの件」
「分かってる。ちょっと待ってね」
目頭を押さえて呼吸を整えてから、リアムは目を開く。それから彼は、先程トウマにも伝えた腕章のイメージから詳細に話すことにした。
「こんなの?」
レイの体から現れた黒い霧が、空中で模様を描く。それは、リアムが伝えたイメージに近いものだ。
レイは、黒い霧を自在に操る。普段はナイフや鎌などの武器として使われる事が多いが、彼女の気分次第では何にでも変えることが可能だ。
レイの能力は、黒い霧だけではない。彼女は時に水を操り、雨を降らせたこともある。それが本当はどのような力によるものなのか、レイ以外は誰も知らない。
リアムが更に細かな部分を伝えると、レイはそれを模様に反映させていった。そうして出来上がった絵をMWで撮影すると、リアムはそれをトウマにも共有する。
「覚えがないな。新しく出来たチームかもしれない。これ、おっさんにも送るぞ」
「トーマが知らないのに、エリオットに分かるかな」
つい先日の出来事を思い出して、リアムは顔をムッとさせる。冷蔵庫の奥に隠しておいたビールを、エリオットに飲まれたのだ。普段は買わない、少し値が張る特別な物だったというのに。
リアムが不機嫌になった理由を察して、トウマは笑う。その事件が発覚した時、彼も事務所にいたのだ。
「何が切掛けになるか分からないさ。情報は共有してこそ意味がある。だろ? ところで、その鍵については何か見えたか?」
「ああ、これね」
胸ポケットの鍵に意識を向けて、リアムは眉を下げた。
「何の鍵かは、全然分かんない。分かったのは、FFが割と物騒なお友達と付き合いがあるって事くらいかな」
路地裏の様な場所と、男達の怒鳴り声。コンクリートの上に転がる幾つかの金属製のパーツに、体への衝撃。焦げた臭い。立ち去る集団の背中と、腕に巻かれた腕章――。
「真面目そうに見えたけど」
リアムは、FFがオイル漏れの件で何か言いかけた事を思い出す。ベテランのデイヴが諦めている症状について、FFは何か別の考えを持っているようだった。
トウマのバスカヴィルについて触れた時の様子を思い出しても、FFがマシンや仕事に対して強い興味や熱意を持っている事は確かだろう。
「典型的なミスコミュニケーションだよ。あの二人、言葉が足りないんだ」
「ああ、そう思う。FFも、デイヴの腕は認めてる筈だ」
バスカヴィルが動くと知った時に口にした、「凄い」という言葉。二回目に発せられたそれは、マシンに対してではなく、デイヴに向けられたように思うのだ。
「やきもきしちゃうな。本音で話せば、一発で解決するのにさ」
「そう簡単でもないんだろ。……息子の事もあるしな」
リアムはトウマが珍しくため息を漏らすのに気付いたが、それ以上は触れなかった。彼の発した「息子」という言葉が気になるのが本音だが、あの場にそれらしき人物がいなかった事も事実だ。
「どうしようかな、これ。また一週間後には行くから、その時に返せば良いかな」
「事件性は?」
「う~ん……。正直、分からないんだよね。確かに殴られたような感覚はあったけど、不思議と一方的に脅されてるような感じじゃなかった。強制されてるっていうよりは……」
「物騒な友達相手に、お小遣い稼ぎ」
「だとしたら、デイヴには言わない方が良いと思うんだよね」
リアムに同意して、トウマは頷く。
彼らは、警察ではない。基本的に、他人の生業が合法か違法かは関係がないのだ。勿論、例外もあるが、今回はFFの身に危険が迫っているようにも思えない。お節介は、しないに限る。
「今すぐ、俺たちに出来る事はなさそうだな」
トウマはレイを呼んで、バイクのエンジンをかける。
レイは大喜びで後ろに跨がって、トウマにピタリとくっついた。
「ありがとうね。色々。助かるよ」
「いいさ。必要になったら呼んでくれ」
トウマは爽やかに笑って、バイクを走らせ始める。
「……あ。リアム。人、きてる」
去り際、思い出した様子でそう言って、レイは手を振った。リアムは暫く二人を見ていたが、彼らが曲がり角に消えた頃になって、ようやく言葉の意味を理解する。
「えっ? お客さん?!」
もっと早く言ってくれと心の中で叫びながら、リアムは階段を駆け上がった。
思い返せば、リアムが帰宅した時にレイは既に階段の下に居た。客人は、長いこと放って置かれた事になる。急な来客に備えて留守番を頼んだというのに、これでは意味がない。
(次は、ちゃんと部屋で待っててって頼もう)
自分の依頼の仕方も良くなかったと反省しながら、リアムは事務所のドアを思い切り開いた。
「すみません! お待たせし……」
ドアを開けた先。廊下の奥にあるリビング兼事務所のソファで、待つ人物。
「おかえりなさい。遅かったのね」
窓の外を眺めていたその人物は、長い脚を組み替えながらゆっくりとリアムの方へ振り向いた。
「……セリアさん!」
「お邪魔しているわ。リアム君」
セリア・ヴィジェ=ルブラン。豊かな金髪に、はちみつ色の瞳。義足をサイハイブーツの下に隠したその訪問者は、妖しく微笑んでいた。