××年四月十一日
ブラクストン地区 チェスナッツ通り
カフェ・クラウン
クラウンは、事務所からそう遠くない場所に位置しているカフェだ。朝食が人気だが、朝から晩まで人の出入りが絶えることはない。焼きたてのオムレツに、フルーツたっぷりのパンケーキ。どれも絶品だ。
入り口の直ぐ隣のソファに腰掛けて、セリアは背面の窓から通りを眺めている。落ち着いた色合いの赤い窓枠と、磨かれたガラス。そこに映り込むセリアの姿は、街をまるで映画のワンシーンの様に見せている。
セリアの正面では、リアムが先程からコーヒーを飲んでばかりいた。マーブル模様の白いテーブルを眺め、セリアが腰掛けている黒いソファ、赤茶けたレンガの腰壁に白い壁紙と視線も定まらない。
不意に、二人の視線がぶつかる。
ドキリとするリアムの隣から、料理を載せた皿がヌッと突き出された。店員のアレサはセリアに愛想を振りまきながら皿をテーブルに置くと、去り際にリアムの背中をバンッと叩いて激励していく。
コーヒーをこぼしそうになって、リアムは口元を袖口で拭った。
「可愛いお店ね。よく来るの?」
「ええ。まあ。事務所から近いので」
目の前に置かれた二枚の皿。リアムはカリカリのベーコンを乗せたバーガーで、セリアの前にはエッグベネディクト。リアムの皿は普段よりも随分とピクルスが多いが、これはアレサなりの何かのサービスだろうか。
セリアが食べ始めたのを見て、リアムも慌ててフォークを手に取った。フォークがカツンと皿の縁に当たって、ピクルスが一つ、皿の外へ逃げていく。
リアムは努めて何も気にしていない振りを装いながら、コソッとピクルスを皿に戻した。何時もは何も考えずに食べている料理が、今日は食べ慣れないコース料理のようだ。
料理を口にしたセリアが、「美味しい」と言って微笑む。
その一言でリアムはホッと胸を撫で下ろし、店の奥のカウンターで待機していた店員達は笑顔になる。リアムは気付いていないが、セリアのメニューは彼のものよりも贔屓して大分丁寧に作られていた。
「普段、こっちの方には来ないですか?」
リアムの事務所同様に、警察署はここからそれほど離れてはいない。
「そうね。普段は、簡単に済ませてばかりよ。毎日サンドウィッチとか」
「毎日ですか?」
「スムージーの日もあるわ」
リアムは、セリアが冗談を言ったのだと思って笑う。
セリアはそれ以上続けなかったが、彼女の言葉は決して冗談ではなかった。仕事が忙しいということもあるが、それ以上に、彼女は食事に対して興味がないのだ。
「カップルが多いのね」
「本当だ。たまたまかな」
「皆、パンケーキを食べてる」
「ああ。有名なんですよ、ここの。フルーツ山盛りで、女性に人気みたいで」
「あなたも?」
「いえ。僕は食べたことないな」
「どうして?」
尋ねられて、食事するリアムの手が止まった。どうしてかと尋ねられても、大した理由など存在しない。これまで、パンケーキを注文したことがない。それだけだ。
「特に理由は……。あ、でも、一人だと注文しにくいのかな。トーマはレイが居るし、エリオットは……あいつは、一人でもバクバク食べそうだけど。男一人で甘い物は、ちょっと」
答えてから、リアムは不意に妙な気持ちになった。意図の分からない質問に、馬鹿正直に答える自分。そんな自分を、セリアは意味深な目で見ている。
いっそのこと、甘い物が苦手だとか、パンケーキは嫌いだとでも言えば良かったのかもしれない。それが無難な回答に思えて、リアムは胸のモヤモヤを目の前のピクルスにぶつける。
「今は、一人じゃないわ」
セリアはナイフとフォークを使って、オランデーズソースとポーチドエッグの乗ったパンを上品に切り分けて口に運ぶ。
赤い唇の奥にパンの欠片が消えていくのを眺めながら、リアムはセリアの言葉の意味が理解出来ずに動きを止めていた。
そうして、リアムがようやく口を開こうとした瞬間に、隣のドアが開いて彼から言葉を奪っていく。店を出て行く人と、入れ違いに入店してきたグループ。その三人の若い女性は観光客のようで、慣れない様子で店員に話しかけている。
気まずくなってリアムがコーヒーに逃げると、同じタイミングでセリアもカップに口を付けた。
口元をカップに隠したまま、目が合う二人。
ほんの数秒見つめ合い、セリアが笑う。
つられて、リアムも笑った。気まずさは嘘のように消えて、不思議と先程までよりもリラックスしている。
「……完全に、聞き忘れてました」
リアムは、セリアが訪問した理由を尋ねる。緊張のあまり、彼は大事な事を聞き忘れたままだった。
「聞きたい?」
「え? はい」
リアムが何も考えずに頷くのを見て、セリアは少し惜しむような表情を見せる。しかし、彼女は直ぐに気持ちを切り替えると、リアムのMWに資料を送信した。
リアムは食事する手を止めて、MWで受信したファイルに目を通す。HR1253-25。電子部品のようだ。
「簡単に言えば、リミッター解除を可能にするための部品ね」
「そんなことが可能ですか」
「出来ないわ。真面なら」
セリアは一呼吸置いてから、話を続ける。
「それ自体は、以前から存在していたの。ただ、殆ど利用価値がなかったから、見向きもされないオモチャだった」
資料には、ここ最近になってアングラでの取引が激増し、価格も数十倍に跳ね上がったとある。
「危険な代物……ですか」
資料にはそのようにあるが、リアムには今一理解が出来ずにいた。リミッター解除について、彼には知識がない。
「リミッターはね、絶対に解除出来ないようになっているの。どうしてだと思う?」
「他人に危害を与える?」
「それもあるわ。でもね、もっと単純な理由。生身の部分が付いていけないのよ」
補う為に装着しているパーツが原因で本体が壊れたら意味がないと、セリアは嗤う。彼女の目は、サイハイブーツの下に隠した義足に向けられている。
「リミッターは、構造上、絶対に解除出来ない。……ところが、最近になって、それの改造品が出回り始めたのよ。通称クレドネ。相当、腕の良い技師に違いないわ」
資料に寄ればクレドネは元のHR1253-25と同じ見た目、重さをしていて、外見からは判別が不可能とある。だが中身は大分改造されているようで、一度開くと部品を全て元の様に収めるのは至難の業らしい。
クレドネを装着したサイボーグが既に二桁近い事件を起こしており、警察はこの部品の流通元を押さえて罪に問う姿勢だ。
「……分かりました。それで、今回はどれを?」
リアムが手袋を外そうとすると、セリアがそれを目で制した。
「嫌だわ。仕事だなんて言った?」
「いえ。でも」
「あなたは、いつも親切にしてくれるでしょう? だから、私も同じようにしてあげたいと思ったの」
「親切に……ですか」
意図が読めないリアム。
笑顔のセリア。
「ねえ。車の修理は、終わったの?」
「修理――」
サッと血の気が引くのを覚えて、リアムは息を飲む。彼は、胸ポケットに意識を向けていた。そこには、デイヴの修理工場前で拾った血の付いた鍵が入っている。
上手い言葉を見つけられずに、リアムはまたコーヒーに逃げた。
セリアも同じようにカップを手にしたが、今度は二人の視線が重なる事はない。リアムはデイヴとFFの事で頭が一杯で、セリアはそんな彼の様子を観察している。
「あの、セリアさん。あのですね」
「残念。時間切れみたい」
セリアが、子供のようにペロッと舌を出す。彼女の真後ろのガラス窓には、長身の男――アラン・シモンズが目をギラつかせながら張り付いてリアムを睨み付けている。
セリアはコーヒーを飲み干すと、胸元から革製の薄いカードケースを取り出した。
支払いだと気付いて、リアムは直ぐにケースを仕舞うように促す。元々ここは誘った自分が払うつもりだったが、恋敵のアランに見られているということもあって、リアムは少し格好付けたかったのだ。
「ありがとう。……そうだわ。そういえば、明日から捜査で少し忙しくなるの」
流石のリアムも、この言葉の意味には気付く。
席を立つセリアを、リアムはぎこちない笑顔で見送った。
「また、お邪魔するわ」
「勿論です」
「今度は、あなたのコーヒーをご馳走してね」
リアムが頷くと、セリアは笑顔を残して店を出て行った。
窓の外では、アランがセリアを車へ誘導している。アランは去り際に勝ち誇った顔でリアムを睨んだが、リアムはセリアばかり見ていて、それには気付きもしなかった。
「いい女だね」
窓の外を見て惚けているリアムの後ろに立って、アレサが言う。
カウンターの奥に居る店員達も、セリアが店を出た途端に彼女の美貌を湛えてキャッキャと学生のように騒ぎだした。
「最高だろ? あれで、実はちょっぴり短気でさ。喧嘩したら男より強いし。泣き虫な所もあるんだよ」
アレサは、再びリアムの顔を見た。
「いい女だね」
リアムの表情を見て、アレサは微笑む。彼女の二度目の言葉には、先程よりも感情が籠もっていた。
「また連れてきな」
アレサに渡された明細を見て、リアムはカードを取り出し掛けた手を止めた。
「アレサ。間違えてるよ」
リアムは大げさに、テーブルの上を指す。明細には、四人前ほどの食事内容が記載されている。
「間違いなもんかい。あんたんとこの髭面の分だよ」
「……はあ?」
リアムは、アレサが指す方を見た。店の奥。二人掛けの小さなテーブル。その上には、食事を終えた皿が積まれている。
「あいつ……居た?」
「何言ってんだい。ずっと居たじゃないの」
「……あの野郎……!」
思い浮かぶのは、憎たらしいエリオットの顔。
アレサの訝しむような目に催促されて、リアムは仕方なく彼のカードを手渡した。