××年四月十一日
ブラクストン地区 チェスナッツ通り
マーシャル調査事務所
「――成程な。そいつは、確かに困ったな」
MWから投影されたトウマが、白い歯を見せて笑う。表情と言葉に込められた感情が噛み合っていないのは、彼がレイに隠れて通話しているからだ。
ノースエンドとは海を挟んだ真向かいにあるグリーンパークは、まるで別の街を思わせるような静けさの中にあった。芝は整えられ、石畳は磨かれたように輝き、散歩している犬でさえどこか気品がある。静寂と心の平和を求める人々には、ピッタリの場所だ。
トウマは一面に広がる芝の上にピクニックシートを広げて、そこにリラックスした様子で横たわっている。彼のMWはバスケットの陰にあって、離れた所で鳥を眺めているレイからは死角になっていた。
「このままじゃ、明日には修理工場に警察が行くんだよ?」
「分かってる。……悪い。こっちも事情があるんだ」
コークを取り出しながらバスケットの陰に隠れて、トウマはリアムに弁明する。その表情は、直ぐにまた笑顔に戻った。
レイは興味津々な様子で、空を行く鳥を眺めている。高級ブティックでの買い物よりも、一流のレストランで食事するよりも、彼女はツーリングやピクニック、散歩など素朴なデートを好む。
そしてトウマも、そんな二人の時間を愛している。
「事情って言ったってさ。レイだろ?」
「それ以外にあるか?」
「あのさぁ……」
こんな時まで惚気るのかと、リアムは呆れて額を抑えた。
トウマはレイに呼ばれて、笑顔で手を振り返している。
「とにかく、明日までにあの腕章のチームを見つけて、事情を確認しないと」
「いや。やるなら、今夜までに、だな」
「……どういうこと?」
「夜は、映画に行く」
「あのさぁ……!」
リアムが思わず声を荒げると、トウマは慌ててMWを地面に押しつけた。呆れて小言を繰り返すリアムの声は、地面に向かって吐き出されている。
リアムの不満が一通り吐き出されてから、トウマはそっとMWに顔を寄せて小声で弁明し始めた。
「仕方ないだろ? 留守番させた埋め合わせさ。一人にしたから機嫌が悪いんだ」
「留守番ねえ」
リアムはレイが客人を放置して猫と遊んでいたことを思い出したが、それを口にはしなかった。自分の頼み方が不十分だったという反省もある。
「なんか、尻に敷かれてるって感じだ」
「そうか? まあ、それくらいの方がいいだろうな」
「……なんだかなぁ。発言までそれっぽいぞ? 結婚して色々諦めた男みたいなさ。奥さんに言えない物をガレージにコソコソ隠したり、二本目のビールは顔色伺いながら冷蔵庫から出してきたり」
リアムは自分がイメージする「妻の尻に敷かれる夫」について話したが、言い終わらないうちに、それがトウマには合わないような気持ちにもなっていた。
「そういうのはな、リアム。『諦めた』とは違うのさ」
「そういうもんか」
ふーんと、さも興味なさげに返す。そうしながらもリアムは、心の中ではトウマの言葉の意味を少しだけ理解している自分にも気付いている。
その人にしか分からない幸せ。世の中は、そういうもので溢れている。そしてリアムは、そういうものこそが「本当の幸せ」に一番近いところに存在しているように思うのだ。
幸せは手元にあって、天国のドアは直ぐ傍にある。多くの人々は、それを理解している。中には、見えない振りをしている人だって。
「でもさ、夜までにって言ったって、腕章以外に情報なんか無いよ。ああ、もう。仕事とレイと、どっちが大事なんだか……」
「レイだな」
「はいはい。だよね」
ブレない答えに、リアムも笑うしかない。そもそも、仕事とはいったものの、今回は依頼を請けた訳ではないのだ。
思えば、初めて会った時から、トウマはこの調子だった。いつも協力的で頼りになる親切な男だが、レイの事となると彼は様子がおかしくなる。
それでも、報酬が出ない今回のような一件でも、トウマは進んで協力してくれる心優しい男ではあるのだが。
「心配するな。リアム。腕章の方は、こっちで探しておく。それに、おっさんが居るだろ?」
「あの食い逃げ犯のこと?」
リアムの口調の変化に気付いて、トウマは笑う。二人の間に、また何か事件があった事を察したのだ。
リアムとエリオットは、よく喧嘩をしている。それは殆どが食べ物絡みで、喧嘩と呼ぶには些細な物事ばかりだ。
勿論、当事者は真剣なのだが、トウマやレイはそう思っていない。特にレイは、大の男二人が揉めている光景を眺めながら、ハムスターが食べ物を口に頬張る様子を思い出したりしている。
「探してるのはサイボーグだよ? それも、リミッター解除するような。あいつは戦えないよ。僕より力ないし」
「そうじゃないさ。リアム」
「……ああ。そういうことか」
トウマの言葉が意図するものに気付いて、リアムはようやく納得する。直前にあった食い逃げ事件に腹を立てるあまり、彼は自分たちのやり方を忘れていたのだ。
「そういうことさ。まあ、問題があるとしたら、おっさんの居場所が分からないって事くらいだ」
トウマは、MWからエリオットに送ったチャットを確認する。彼のメッセージは、まだ既読になっていない。
エリオットは、酒と煙草と賭け事をこよなく愛する自由人だ。いつも何処かでフラフラ遊んでいて、仕事の時も直ぐには出てこない。金が無いので仕方なさそうに現れるか、他のメンバーに見つかって連行されるかの二択だ。
「それは問題ないよ、トーマ」
言いながら、リアムはコートのポケットからカフェでくすねてきた安物のフォークを取り出して額に近付けた。彼の左手の手袋は、外されている。
リアムの言葉で、トウマも自分がとある事実を忘れていたことに気付く。探しものは、リアムの十八番だ。
「それでさ、ちょっと、トーマに頼みがあるんだけど……」
能力を使用する度に襲われる副作用で、リアムは目眩を覚えている。
リーディングして、見えたもの。
上機嫌な中年男が操作する、タブレットの端末画面。
カリカリのクロックムッシュにタップリのサラダ。
フルーツ山盛りのパンケーキに、エスプレッソ。
金髪の美女と食事する、癖毛頭の後ろ姿。
そして、MWに転送された一枚のチケット――。