××年三月十日
ベイチェスターコモン
かつては港湾業で栄えた街、ベイチェスター。レンガ造りの倉庫や歴史あるキャンパスとガラス張りの高層ビルが共存する不思議な街。他民族で構成され、若者が多く、活気に溢れた巨大な都市だ。
この街の主要産業が港湾業からITやAI関連業に代わっても、港は今でも人々の生活や文化に深く根付き、街の地下に張り巡らされた地下水道は重要なインフラとして機能している。
リアムは公園の駐車場で車窓から街を眺めて、いつもと変わらぬ光景に辟易していた。この街で事件が起きない日はない。
スリ、万引き、交通違反などは見慣れたもの。街のあちこちで小競り合いが起きているが、誰も止めようとはしない。警察は賄賂無しには動かないし、役立たずに金を渡す馬鹿もいないからだ。
リアムを乗せたセダンの横に別の車が着くと、それと入れ替えに運転席からアランが降りていく。そうして間を開けずに後部座席のドアが開くと、今度はリアムの隣に女が乗り込んできた。
髪が揺れる度に、華やかさの中に薄らとスパイスが感じられるローズの香り。セリアだ。
「お待たせしてごめんなさいね」
シートに腰を落ち着けて、セリアは脚を組む。黒いサイハイブーツの裾からは、鈍い銀色の義足がチラリと覗いている。
ふふっと、笑い声が漏れた。
慌てて視線を上げるリアムを、セリアの大きな瞳が射抜く。
「えっち」
「……すみません……」
義足を眺めていたことを咎められて、リアムは謝罪して何度も瞬きしながら視線を落とす。脚を見ていたこともそうだが、心の中で警察という組織を馬鹿にしている自分を恥じたのだ。
セリアは、胸元から掌サイズの薄いコンパクトのような端末を取り出す。通信相手は、リアムには見る前から分かりきっていた。
「やあ。アルゴスの目。私の親愛なる友」
甘ったるい声。リアムは、思わず舌打ちしそうになるのを堪える。
腰まで届く銀髪に、時折金色に輝く瞳。中性的な顔立ち。二人の前に投影されたその人物は、優雅に紅茶を楽しんでいる。彼の傍には、エリザという名のアンドロイドの姿もあった。
ウラジーミル・A・アシュケナージ。その姿を前にして、リアムは嫌悪感が沸々と込み上げてくるのを感じている。アシュケナージという男の人間性と、彼の発した言葉がそうさせるのだ。
アシュケナージがそうであるように、リアムもこの関係を「友」と考えた事はなかった。彼らは利害関係が一致しているだけであって、セリアという存在が繋がなければ、この瞬間にも彼らの関係は無となる。
「さて。議員の娘は保護されたのかな?」
アシュケナージの言葉は質問ではなく、警察の責任を追及している。
セリアが頭を下げるのを見て、リアムは口を挟んだ。
「調査中ですよ。リーディングした情報を元に、僕の友人たちも動いています」
「そうだね。魂の測定。特別な力だ。君の手はムネーモシュネーの加護を受けているのだろうね」
リアムは嫌味から「友人」という言葉を口にしたが、アシュケナージには全く効果がなかった。勿論、リアムにも想像できていたことではあるが。
アシュケナージは満足するように頷いて、リアムの名を呼ぶ。
リアムは、それには応えない。
「リアム。君は特別だ。君には、とても期待している。他の『目』と協力し、街の平和維持に貢献したまえ。……いずれ、君の望みにも手が届くだろう」
意味深な笑顔を残して、アシュケナージは通信を切った。
リアムは窓の外を見て、小さく舌打ちする。
リアムの望み。探している物。それを手にするためには、アシュケナージの下で仕事をするしかない。「特別」や「期待」といった言葉は空っぽで、その実は上下関係を再認識させられただけだ。
再びセリアと二人の空間に戻っても、リアムにはまだアシュケナージの気配が感じられるようだった。
「リアム君」
左膝に手を置かれて、リアムは思わずセリアの方を見た。
「ごめんなさいね。こんな仕事ばかり。あなたの気持ちを知らない訳でもないのに……」
セリアが口の端をキュッと噛むのを見て、リアムは言いかけた言葉を飲み込む。
セリアはリアムではなく、前方の虚空を見つめている。僅か数秒前、そこに何があったかを思えば、リアムにはただ腹立たしかった。
セリアの言う「気持ち」は、リアムが知って欲しいと思うそれとは別のものだ。それを分かっていても、リアムは否定も訂正もしない。リアムもまた、セリアの気持ちには気付いている。
ブーツに隠れたセリアの義足。銀色の血液で動き、人の自然な動きを再現する魔法の脚。この街でそれを手に入れるために、セリアがそれ相応の犠牲を払ったのだということは想像に難くない。
「……仲間と合流することになっているので」
リアムが下車を匂わせてそっと脚を持ち上げると、セリアの手がスルリと逃げていく。
「送らせましょうか? 車、修理中でしょう?」
「いえ。流石に怖いですから」
セリアの後ろの窓には、アランが鬼のような形相でへばり付いている。このまま彼に運転を頼めば、ここが新たな事件現場になりかねない。
「進展があったら連絡します」
「ええ。お待ちしているわ」
「それじゃあ。アランにも宜しく伝えてください」
出来るだけ窓の外を見ないように努めて、リアムは背を向けてドアを開く。降りる間際、彼は左手を引かれて振り向いた。
「また、事務所にお伺いしてもいいかしら? あなたの淹れてくれたコーヒーが飲みたいの」
「勿論。……喜んで」
精一杯の余裕を込めてリアムが笑顔を見せると、セリアは微笑みで返した。
閉まるドア。
アランはギリギリという歯ぎしりが聞こえるほど威嚇しながら、最後までリアムを睨み付けて運転席に乗り込んでいく。
やがて二台の車が走り去っていくと、後には土埃と虚しさだけが残った。
リアムは繰り返し、セリアに触れられたことを思い返している。
ふと視線を落とした先には、薄手の革手袋をした手。特別な力を宿したそれは、使い方によっては人を傷つける道具にもなり得るものだ。
セリアは、手袋越しであれば能力が発動しないことを知っていたのだろう。リアムは、自分をそう納得させようとした。そうでなければ、思考が巡り続けてしまう。
セリアは微笑んでいた筈なのに、本当は泣いていたのではないか。なにか伝えたいことがあるのではないか。そんなことばかりが浮かんで、リアムの頭を占領していくのだ。
MWから、着信を告げる振動。リアムが見ると、相手はトウマだった。
「――そんで? 俺たちを呼び出した探偵は、一体全体何処をほっつき歩いてるって?」
「てー?」
ケラケラと、レイの笑う声。
「トーマ。僕は探偵なんかじゃないって」
「みたいなもんだろ? なあ、レイ」
「うん! トウマ大好き」
「俺もだぞー。レイ」
(なんだ、このバカップル)
電話の向こうから聞こえてくる爽やかな笑い声は、いつの間にかリアムの頭からセリアの姿を追い出している。
リアムが二人の居場所を尋ねると、彼らは既に事件現場付近に到着していることが分かった。
「こっちも直ぐに向かうよ。……ところで、エリオットは?」
「おっさん? さあな。化けてたら、すれ違ってても分かんねえ」
「分かんねー」
「それもそうか」
電話を切ると、リアムは公園の中を歩き出した。
真昼時の空は雲一つなく澄んでいる。上空では風が強いのか、鳥が流されているように見えた。
「……バラの匂いがする」
ふと鼻に蘇る香り。
リアムの頭には、またセリアの笑顔が浮かんでいた。