××年四月十一日
「呪われてんだ。これは、呪いなんだわ……」
「もう良いって。何回目だよ」
立ち止まって天を仰ぐエリオットの肩を叩いて、リアムは歩くようにと急かす。
試合途中で投手が怪我で交代してから、エリオットはずっとこの調子だ。魂が抜けた様子で空を見上げては、呪いという言葉を口にしている。
結局、エリオットは、最後まで試合を観ることが出来なかった。二回にエースがマウンドを降りてからは救援投手による継投が始まったのだが、それはもう酷いものだったのだ。
初めは打たれる度に悔しがっていた観客も、点差が五を超えた辺りからポロポロと帰り始めた。十を超えた頃には、もうヤジすら飛ばない葬式ムード。味方の援護もなく、打線は沈黙。
試合途中でカメラがダグアウトを捉えた時、選手の多くは無言でヒマワリの種を口に運んでいた。その姿は言い様のない物悲しさに満ちて、口の悪い実況者ですらコメント出来なかったほど。
エリオットも、七回までは粘った。だが、その後も虐殺のような試合は続き、かつて覚えのないような点差のスコアボードを見た時に心がポキリと折れてしまった。
エリオットが「もう観れねぇ」と弱音を吐いたのを切っ掛けに、リアムは彼を球場から外に連れ出した。しかし、ショックのあまりエリオットが座り込んだため、結局彼らは試合が終わるまで球場の傍に居たのだった。
「あいつなしに、俺たちはどうしたらいい……?」
エリオットが遂に街灯に止まる鳥に話しかけるのを見て、リアムは呆れを通り越して彼を心配するようになった。
「……なんとかなるよ」
「うん……」
ぐすんと、エリオットが鼻を鳴らす。
リアムは仕方無く、少しだけエリオットに歩幅を合わせてやった。
落ち込んでいるエリオットと、それを気遣うリアム。二人はトロトロと歩いて、途中で立ち止まって煙草を吸ったり、肩を叩いて慰めたりしながら目的地を目指した。
そんな事情もあって、二人が目的地のグロール修理工場に着いたのは十六時を過ぎた頃のこと。工場の屋根に夕日が刺さるのを眺めながら、二人は裏手に回った。
「一応聞いておくけど、覚えてる?」
積まれたスクラップの隙間に隠れて、リアムはエリオットの顔を見ながら手順を確認させようとした。
エリオットは、コクリと頷く。
「……大丈夫だよな?」
リアムの問いに、エリオットはまた頷いた。それから彼はしゃがんだまま物陰を移動していき、次に現れた時、その姿を体格の良いサイボーグに変えていた。
変装したエリオットは、黒い革ジャンに腕章を巻いている。腕章には、リアムがリーディングで確認したようなマークは無かった。柄が見えにくいようにするためか、ワザと少しずらされている。
(相変わらず、どうなってんだか……)
普段はダメな男だが、変装技術だけは目を見張る物がある。リアムはエリオットに任せて、物陰に身を潜めたまま事態が動くのを待った。
エリオットは裏口にズンズン歩いていくと、ドアをガンガンと叩く。
返事は、直ぐにはなかった。
しかし、五分程して遠くの窓からFFが顔を出すと、彼は直ぐに裏口に向かって駆けてきてエリオットを連れ出した。
「……なに? 工場には来ないでって、言ったはずだよ」
積まれたスクラップと工場に背を向けて、FFはエリオットを路地に誘導する。冷めたような口調は相変わらずだが、今の彼は少し早口だ。
リアムは近付いてきた二人に気付かれないように、裏を通って彼らとは距離を取った。そうしてエリオットのMWを通じて二人の会話を聴きながら、物陰で息を殺し、二人の様子を伺う。
彼らの目的は、FFの口からHR1253-25に関連する情報を引き出すこと。そして、顧客のサイボーグを探し出すことだ。
「用事なら、分かるだろう?」
変装したエリオットの声は、聞き取りにくいほど極端な低音だ。流通している声帯パーツの中でも、このタイプの物は一部に人気があるらしい。
「……いつもの人じゃないね」
「説明が必要か?」
「……いいよ。分かってる。……でもさ」
「なんだ?」
FFは俯いて、手を握ったり、開いたり繰り返す。
「……悪いんだけどさ、これで……最後にして貰える?」
「どういうことだ?」
エリオットが食い気味に尋ねると、FFは口の端を噛んだ。しかし、直ぐに決意した様子で顔を上げる。
「……ちゃんとしたいんだ。……真面目に働きたい」
「ほう?」
エリオットは、間を置いた。彼は、リアムから事前に聞かされていたHR1253-25の名称を一瞬ど忘れしたのだ。
「――あのブツを、どうするつもりだ?」
どうしても名前が思い出せず、エリオットは誤魔化した。
何も知らないFFは、ドキリとした様子で肩を揺らす。
「……あんた達には感謝してる。でも、もう……嫌だ。真っ当に生きたい」
「出来ると思うか?」
「生きたい。……ここで働きたいんだ」
「こんな汚ねえ工場で、か?」
「汚くない。ここで……あの人から、学びたいんだ」
FFは、エリオットの目を見ながらハッキリとそう言った。強い意志を宿した彼の瞳は、僅かに濡れて輝いて見える。
リアムは、言葉を呑む。FFがデイヴを尊敬している事には気付いていたが、彼がこうも自分の気持ちをハッキリ言葉にするとは思ってもみなかったのだ。
そしてエリオットも、何故か同じ感動に当てられていた。彼は何も事情を知らないのだが、目の前の若者の真摯な思いに胸を打たれたのだ。人は歳を重ねるにつれ、涙もろくなっていく。
「……笑わせるぜぇ」
クククッと笑って、エリオットは目元を手で押さえて天を仰ぐ。あまりの馬鹿さ加減に呆れている様子を装いながら、その実、エリオットは貰い泣きした涙を隠している。
その時、FFの後方でドアが開いた。工場に戻ってこない彼を気にして、デイヴが探しに来たのだ。
慌てて振り返るFF。
デイヴは、FFと傍に立つサイボーグに気付く。
「FF? おめえ、そいつは……」
「おいおい。お前、Kかよ?」
デイヴの声に被さって、今度はエリオットの後ろからサイボーグが姿を現す。小柄で引き締まった体に、目立つ義眼。彼の腕には、ドクロと炎が描かれた腕章が巻かれている。本物の売人だ。
エリオットに声を掛けた売人は、直ぐに自分が間違いを犯したことに気付いた。用心深く動きを止めた彼の視界には、取引には居ないはずの老人の姿も映り込んでいる。
「なんだ、お前ら! 出て行け!」
怒鳴りながら、どんどん前に出てくるデイヴ。
エリオットは既に姿を消した後で、リアムもどさくさに紛れて路地の奥へと走っている。
「デイヴ。これは……」
弁解しようとするFFの陰で、売人は上着に手を滑り込ませた。
デイヴが、FFの名を叫ぶ。
空気を裂く音。
宙を舞う二発分の薬莢。
FFを庇ったデイヴが、静かに地面へと沈み込んでいく。
「デイヴ!」
FFに抱えられながら、デイヴは右腕を押さえていた。撃たれた彼の義手からは、黒煙が細く立ち上っている。
デイヴを撃った売人は、脇目も振らずに路地を走り抜けていく。
「わあっ!」
「気をつけろ!」
路地の出口で通行人と衝突してよろめき、売人は捨て台詞を吐いて再び走り出す。彼は離れた場所に駐めていたバイクに跨がると、一目散に逃げていく。
「お前が、だよ。……トーマ? どう?」
腰を押さえながら立ち上がると、リアムはMWに話しかけた。
「――追えてるぜ。リアム」
「ばっちりー」
MWからは、上機嫌なトウマとレイの声。
発信タグを付けることに成功したと分かり、リアムは安堵から軽く息を吐き出した。タイミングはギリギリだったのだ。
集まってきた近隣の住人達を適当に言いくるめて帰らせると、リアムは二人の元へ向かう。彼らの会話が聞こえる距離までリアムが戻った時、デイヴは既に応急処置を済ませた後だった。
「……デイヴ。ごめん。あのさ、本当は……あの……」
「さっさと戻れ。FF。まだ仕事が残ってる」
デイヴは先に立ち上がり、工場へ向かう。
「……戻れないよ」
FFは項垂れて、頭を抱えた。彼は、デイヴの腕が撃たれた責任を感じている。自分の行いが原因で尊敬している技師の大事な腕を傷つけたのだから、それがショックでない筈がなかった。
「戻れ」
「でも」
「さっさと戻れ」
「……だって、あんたの大事な腕が!」
「それは、お前だ」
照れくさそうに「馬鹿野郎」と付け足すと、デイヴはそそくさと工場に戻っていく。彼は最後まで顔を見せなかったが、耳と首は真っ赤に染まっていた。
FFは涙でグシャグシャになった顔を袖で荒っぽく拭うと、デイヴの後を追って行く。
「ねー? おじさん、なんで泣いてるのー?」
路地を抜け、事務所に向かう道すがら、リアムは子供らに囲まれて顔をクシャクシャにしているエリオットの姿を見つけた。
そうして、地べたに座るエリオットと目を合わせた瞬間、リアムも思わず貰い泣きしてしまう。
子供達は大の男が泣いている姿に引いて、何も言わずに去って行った。
リアムとエリオットは、何方となく肩を組んで歩き出す。その足は、飲み屋に向かっている。彼らは、少しベタな感動ストーリーに滅法弱かった。
*
「――思った通り、こっちに向かってるな」
MWに届く売人の位置情報を確認すると、トウマはバイクを降りて目の前の倉庫へと歩き出す。彼の後ろには、着替えとメイクを済ませたレイの姿もある。
扉の前には、二人のサイボーグが待機していた。一人はトウマに気付くなり腰を抜かし、もう一人は言葉を失って立ち尽くす。彼らの武装は、いつの間にかアイスクリームのように溶けて地面に落ちている。
トウマが手を当てると、扉は熱を帯び、彼の手を中心にゆっくりと融解し始めた。
「折角、着替えたんだ。待っててくれ。レイ。五分だ」
MWで時間を確認してから、トウマはレイの方へ顔を向ける。
レイの目には、眩しい笑顔で振り向く恋人と、溶けた扉の向こうで恐怖に慄くサイボーグ達の姿が映っていた。