コチコチと規則正しい時計の音。
リアムの事務所の壁には、前の住人が残していった和国製の古い時計が掛けられている。他の和国製品に漏れず、メンテは殆ど不要で誤差もない。何より、リアムはその見た目が気に入っていた。
木製の、温かみのあるカーブ。クリーム色をした文字盤。書体が気取ったローマ数字ではなく、視認性重視なのも良い。針は煤のような黒で、細さも長さもバランスも全てが美しいのだ。
そんなレトロな美術品が正確に時を刻む中で、リアムと彼の仲間たちはソファで神妙な顔を突き合せていた。
「だーかーらぁ! 私が、キャサリン・レッドだって言ってんの!」
向き合って置かれた二台のソファの真ん中で、人形が声高に宣言する。ローテーブルの上に立つそれは、自分よりも何倍も大きな生き物に囲まれているとは思えない程に堂々として見えた。
「……夢に出そ」
エリオットが呟くと、人形――キャサリンは彼を睨み付ける。勿論、実際に人形の表情が変化しているわけではないのだが、しかし目には確かな力が感じられた。
エリオットは耐えきれずに目を逸らすと、事務所の壁に向かって煙草の煙を吐き出した。
エリオットの向かいでは、レイがトウマの陰から人形を見つめている。その表情は、初めて見るものを警戒している時の猫のようだ。レイの体は黒い霧を纏ったままだが、無意識なのかもしれない。
「……では、ミス・レッド」
「ケイトで良いわ」
「分かりました。ケイト。あのう。……どうして、此処にいらしたんでしょうか?」
必死な作り笑い。迷惑そうな様子を隠しきれないリアムの言葉に、トウマは天井を見上げ、エリオットは顔を背けたまま同意した。
「は? ダメなの?」
「いえ。ダメというか。そもそも、ちょっと状況が分からな過ぎて」
「私だって分からないんだけど! 大体、あんた! 外開きのドアをあんな風に開けてさ! 危ないっての!」
「まあまあ。そんな風に声を荒げないでください」
「はああ? 私が悪いの? あのねえ! 私だって、こんなこと言いたくないの! 困ってるのよ。分かる? 困ってるの!」
「ああ……。ケイト。どうして警察に行ってくれなかったんですか……?」
本音を吐き出すリアム。トウマは聞かなかったことにして、エリオットは静かに笑っている。
キャサリンは部屋を追い出された後、何処からか拾ってきた木の棒でガンガンとノックをし続けた。その激しさは、大家にも匹敵する程。
根負けしたリアムによって再び部屋に迎え入れられた時、キャサリンは髪を振り乱して手が付けられないほどに怒り狂っていた。可愛らしかった彼女は、まるで呪いの人形のように変わっていたのだ。
「オーケイ。取り敢えず、話をまとめようぜ。あんたは、キャサリン・レッド。レッド議員の一人娘。だよな?」
トウマが話を切り出すと、キャサリンは気持ちを落ち着けた様子で深く頷いた。名前を呼ばれたこと、人として扱われたことで冷静さを取り戻したのかもしれない。
「そうよ。イケメン。その通り。な~んだ。話が分かる人もいるみたいね?」
キャサリンは腕を組むと、チラリとリアムの顔を見る。
意地悪なその視線に、リアムは顔をムッとさせた。人は見た目じゃない。顔のことは関係ないのだ。
「それで、ケイトはどうやってここまで? というか、君は……君の体はどうなってる?」
「そんなに沢山聞かれても困るわ。これだからヘンタイは……」
やれやれと首をすぼめて、キャサリンはため息を漏らす。それから彼女は、リアムの質問に答え始めた。その内容は、次のようなものだ。
事件が起きた時、キャサリンは大学に向かっていた。時間、送迎の車、運転手、それらは全ていつも通り。キャサリンにとっては、何時もと同じ朝の始まりだった。
日常が崩れたのは、それから十数分後のこと。キャサリンが異変に気付いた時には、既に車は不審車両に囲まれていたのだという。
「男に銃を突きつけられたのは覚えてるの。その後、気付いたら、私はもうマーシーだった」
キャサリンは、身につけているドレスの裾を摘まんで俯く。彼女は、幼い頃から一緒に暮らしている人形を常に持ち歩いていたのだという。その名が、マーシー。
「セリアさんが送ってきたのは、その『マーシー』のドレスだったのか」
マーシーのドレスの千切れた部分と、リアムがリーディングに使用した布きれは一致した。リアムが映像の中で見たドレスの色が違っていた理由は、これだったのだ。
それからキャサリンは、マーシーの中に入ってからのことを話しだす。彼女は何か強く惹かれるものを感じ取って、それに導かれるようにここまでやって来たというのだ。その過程は、過酷だったと。
「今ハッキリ分かったけど、多分、私はドレスの切れ端に惹かれたのね。きっと、これもマーシーの一部なんだわ」
リアムから布きれを受け取ると、キャサリンはそれを抱きしめた。人形であるはずなのに、その姿には幼い子供の姿が重なって見えている。
キャサリンを眺めるうちに、リアムの中では同情が込み上げていた。銃を突きつけられるという恐怖を体験し、体は人形となり、その原因すら分からない。不安は、大変なものだろう。
大切な人形を抱きしめることで一時の安心を得る少女のことを思い、リアムはキャサリンの手助けをしたいと考えるようになった。
「リアム」
向かいに座っていたトウマが、外に出るように合図する。
リアムは、トウマの後を着いて部屋を出た。
「今すぐ、あの女に連絡しろ。娘は見つかった。俺たちの仕事は終わりだ。そうだろ?」
外階段の手すりに凭れて、トウマはリアムの顔を見ずに言った。
「体の方を見つけるのは、そりゃ警察の仕事だ。あの人形を引き渡して、報酬を受け取って終了。いいな?」
トウマと同じように、リアムも彼の顔を見ずに首を横に振った。二人は横に並んで、トウマは足下を、リアムは空を眺めている。
「お前だって気付いてるだろ。あれは、間違いなくギフトだ。レイが警戒してるのが証拠だよ。レイは、人一倍鼻が利く」
「ケイトが能力者ってこと?」
「自覚がないのか、発現したてか……。一つ確かなのは、独特の感覚があるってことだ」
トウマの言葉に、リアムも覚えが無いわけではなかった。リアムや仲間たちは、ギフトと呼ばれる能力を持っている。リアムのサイコメトリーやトウマの青い炎がそれだ。
ギフトを持つ者は、能力者とそうではない者との区別がつく。その不思議な感覚を共鳴と表現する者もいれば、惹かれ合うのだという者もいる。トウマが言っているのは、これのことだ。
ギフトが何故発現するのかは未だ明らかになっていないが、血液に秘密があるという説がある。そのため、能力者は輸血治療を初めとした制限を受けることが少なくない。
彼らは、以前はギフテッドと呼ばれていた。しかしその単語が持つ本来の意味を保護するため、この国ではストレイと名を改めている。そこに侮蔑の意が込められている事は、悲しいほど明らかだ。
「あの階級の人間で能力者は珍しいからな」
「なんだよ。自分のこと?」
「ばーか。違えよ」
口の端で笑って、トウマは目を伏せる。
リアムはそれを横目で見て、それから少し後悔した。
ギフトを持たない者はイノセンスと呼ばれ、彼らの血は保護されている。イノセンスのほとんどが上流階級に属していることが始まりだとされているが、今ではそれも定かで無い。
「ありがとう。トーマ。だけど……」
恐らく、どうあっても嫌なものを見る。それを予感して、トウマは手を引くように言ったのだ。その優しさに気付いて、リアムは感謝からトウマの顔を見た。
トウマの横顔は、もうリアムの言葉の先を理解して笑っている。本当は、彼も同じことを思っていた。
「オーケイ。ま、お前はそういう男だよな。分かってる」
「トーマ。ありがとう」
「気にすんな。さあ、戻ろうぜ。そろそろ、レイが限界だ」
気合いを入れろと、トウマがリアムの背中を叩く。
「レイに、暴れないように言ってよ」
「寂しがり屋なのさ。可愛いもんだろ?」
「バカップルって自覚ないよなぁ。あ、だからバカップルなのか」
リアムが大げさにため息を吐くのを見て、トウマは笑う。
二人が事務所に戻ろうと外階段の扉を開けた時、リアムのMWに着信を告げる振動が響いた。相手はセリアだ。
リアムが通話を繋ぐと、セリアは少しの間を置いて重苦しい様子で口を開いた。
「リアム君。議員の娘が帰宅したわ――」
リアムとトウマは、思わず顔を見合わせた。