窓ガラスが、風でカタカタと揺れている。日が暮れて、辺りには早くも夜の匂いが立ちこめていた。
まだ肌寒い夜を迎えるために部屋のストーブには火が入れられ、その上に置かれたポットは蓋をカチカチと鳴らして湯が沸いたことを知らせている。
リアムは立ち上がってストーブまで行くと、カップを五つ用意して紅茶のティーバッグを一つずつ放った。背中で重苦しい空気を受け止めながら、彼はポットの湯をカップに注いでいく。
仲間たちの姿は、変わらずソファにあった。彼らと客人は、ローテーブルの上に投影された球状モニターの映像を眺めている。
先程から、どのメディアでも繰り返し一つのニュースを大々的に報じていた。それは、事件の多いこの街では異様な光景だ。
「――パパ」
ローテーブルから、消え入りそうな声。そこには人形となったキャサリンが両脚を伸ばしてペタンと座っている。彼女の目は、リポーターに囲まれたジェームズ・レッド議員に釘付けだ。
「ご息女が誘拐の被害に遭っていたという事ですが、それは事実でしょうか?」
画面外から嫌に白い手がマイクレコーダーを伸ばして、レッド議員に迫る。指先のテカテカした赤いエナメルが光を幾つも拾って、それは彼らの無遠慮さと相まって不愉快さを増幅させた。
レッド議員は深く息を吐いて顔を手で拭ってから、静かに、深く頷いてみせる。
「……事実です。ですが、娘は既に無事に帰宅しています。本件についてご尽力いただいた市警の皆様には、言葉がありません」
そう言って何度も感謝の言葉を述べると、レッド議員は後ろを振り向いて警備の人間に声を掛ける。それから程なくして、画面には黒いドレスを着たキャサリン・レッドが姿を現した。
レッド議員は娘のキャサリンを抱き上げて、何度も頬にキスを贈る。二人の後ろには母親のマレーナ・レッドが立っていて、緊張した面持ちで二人を見つめていた。
周囲からは、拍手が起こる。小太りの男――画面に表示されたテロップによれば、トマス・ムーア警部とある――が現れてレッド議員と握手を交わすと、それはより一層大きなものとなった。
「あ、悪っりぃ」
脚を組み替えるフリをして、エリオットが靴の先をローテーブルの端にコツンと当てる。振動で旧式の投影機の映像は乱れて、そのまま途切れた。
リアムはソファに戻ると、皆に熱い紅茶で満たされたカップを手渡す。寒がりのレイは真っ先に受け取って、トウマの上着に包まりながら両手を温める。
リアムは他にするのと同じように、キャサリンの前にもカップを置いた。この時、エリオットとレイは、キャサリンの纏う空気が僅かに変化したことに気付く。
リアムは特に深く考えて行動した訳ではなかったが、しかしその行動がキャサリンとの関係を動かす大きな一歩となった。
「パパ。ママ……。どうして……」
震える声。それはこれまでのキャサリンのものとはまるで異なり、年相応の幼さを感じさせた。人形であるが故に表情こそ変わらないが、少女が泣いているのだということは明らかだった。
「……ねえ。少し眠りたいの。……一人になりたいわ」
振り絞るように言葉を吐いて、キャサリンはテーブルの上に立ち上がる。リアムは無言で頷くと、腕にキャサリンを抱いて二階に上がった。
ベッドに連れて行って寝かせると、リアムはキャサリンの上に毛布を掛けてやる。人間用のベッドでは、人形はあまりに小さく、か弱く見えた。
寝かせて直ぐに、キャサリンは静かになった。小さな寝息を立てていなければ、ただの人形にしか見えないことだろう。
「おー。おー。こりゃあ、お冠だねえ」
リアムが階下に戻ると、エリオットとトウマがニュースを確認しているところだった。映像の中では端にセリアの姿が見切れていて、彼女は微笑みながら拍手を送っている。
セリアがアシュケナージからの小言――であれば良いのだが――を受けているのは容易に想像できて、リアムは胸にチクリと刺さるものを覚えた。
「んーで? どうするよ? これで、あのお嬢ちゃんを警察に引き渡すのは出来なくなった訳だ」
エリオットはマグカップを持ち上げて、チビチビと紅茶を口に運ぶ。彼のマグカップに描かれた金髪の美女は、悩ましげなポーズでウインクしている。
「そもそも、あっちのケイトは何者なのかな? マーシー?」
「現状、人形と入れ替わった可能性が高いな。問題は、戻るのかってことだ。こればっかりは、俺たちのギフトでどうにかなるものじゃない」
トウマの言葉に、レイがコクリと頷く。
「気をつけた方がいいよ。こっちが壊れたとき、あっち、戻れないかも」
レイの言葉で、リアムとエリオットは寒気を覚えた。キャサリンが宿ったままの状態で、あの人形が壊れたら――。
気軽に抱っこしていた自分を思い出すと、リアムは掌に嫌な汗をかく。
「でもなあ。法則的に言やあ、戻る時にも接触が必要な可能性は高いだろ? どうすんの? あっちのお嬢ちゃん、攫ってくるか?」
「この警備で? 無理じゃない?」
「ま、時間経過で戻る可能性だってある。祈ろうぜ。……ところで、リアム。さっきのチップ、いいか?」
トウマの言葉で防犯カメラに残されていたデータチップの存在を思い出して、リアムはポケットからそれらを取り出した。
トウマはリアムの手からチップを受け取りながら、ニュース映像の小太りの男――トマス・ムーア警部に見覚えがあると言う。
「こっちのチェックは俺とレイでやる。しばらくは他に出来ることもなさそうだしな。また連絡する」
トウマは、レイの頭をポンポンと軽く叩いて合図する。
レイはカップをテーブルに置いて立ち上がると、直ぐにトウマと連れだって玄関へと向かった。
「そいじゃあ、俺もちょっくら出かけてくるかねぇ」
紅茶を飲み干すと、エリオットは立ち上がってボサボサの髪をかき上げた。
「議員のとこ?」
「そうねえ。色々だわな~」
「エリオット。……飲みに行くなよ?」
エリオットは一瞬立ち止まったが、それから直ぐに無言で走り去った。
ガランとした部屋の中。ソファに体を深く預けて、リアムはテーブルに並んだカップを眺める。大きさも柄もバラバラ。皆がそれぞれ持ち込んだものだ。
ふと誰かに見られているように感じて視線を向けると、それはエリオットのカップだった。描かれた美女はピッタリした膝上のワンピースを着ているが、カップが温められるとビキニ姿になるのだ。
一体何処で売られているのだろうと呆れながら、リアムはエリオットのカップを持ち上げる。すると持ち上げたカップの隙間から、階段を降りようとしているキャサリンの姿が目に入った。
「ケイト!」
レイの言葉が蘇って、リアムは腕を広げながら慌ててキャサリンに駆け寄る。
ケイトはリアムの声に驚いて足を滑らせ、そのまま彼の腕の中に飛び込むようにして収まった。
「ビックリした~」
リアムはキャサリンを抱えて、その場にヨロヨロとへたり込む。
「それは、こっちの台詞よ!」
「ごめん、ごめん。起こしちゃった? 呼んでくれれば、上まで迎えに行ったのに」
リアムが抱き上げて目線を合わせると、キャサリンは少し頬を赤らめた。とはいえ、今の彼女は人形なので、明らかな変化があった訳では無かったが。
「別に、こんな階段くらい……。そんなことより! あんたが、一人になるのを待ってたの!」
無表情な筈の人形が、何故か今はツンと口を尖らせて拗ねているように見える。
「そっか。ケイト。僕に、何かお手伝い出来ることがありますか?」
階段に座らせると、リアムはキャサリンと向き合ってそう尋ねた。彼は少女の言葉から、覚悟を感じ取っていた。
依頼主として、一人の人間として扱われているのだと感じて、キャサリンは満足そうに微笑む。
「どうしても、行きたいところがあるの。私を連れて行ってちょうだい!」
「勿論。よろこんで」
小さな手を優しく包むようにして、リアムはキャサリンと握手を交わした。