××年三月十日
バックベイ地区 ベリー通り
初春の夜風は、肌を刺す。コートの襟を立てて首をすぼめ、リアムは建物の陰に身を潜めている。彼の視線の先にあるのは、有名な宝飾店だ。
「ここで合ってる?」
リアムが小声で尋ねると、彼のコートの内側がモゾモゾと動いた。それは次第に登っていき、コートの襟元から小さな顔が飛び出す。
「そう! あの店よ」
目的地を前に、キャサリンの声は弾んでいる。
それと対照的に、リアムは気後れして小さく息を漏らした。宝飾品に興味のない彼ですら知る、世界的な有名ブランド。老舗の高級店にクタクタになった安物のコートで向かうのは、気が引ける。
しかし、リアムにとっては幸いなことに、店は直に閉店時間になろうとしているところだった。今ならば、客もそれほど多くはないだろう。
リアムが入店すると、女性の店員が笑顔で近付いてきた。彼女は慣れた様子でリアムに用向きを伺う。
「ペンダントを受け取りに来たんです。知人の代わりに」
リアムは巧い言い訳も思いつかず、胸元からキャサリンが指示するまま言った。
「ペンダントでございますね。かしこまりました。失礼ですが、お名前を伺っても宜しいでしょうか?」
「はい。えっと、キャサリン・レッドという女の子です」
「かしこまりました。こちらにどうぞ」
店員は、笑顔でリアムを店の奥に招いていく。
(……随分あっさりだ。もう少し疑われたり、通報されたりするかなと思ってたんだけど……)
(自分のものを取りに来ただけだもの。通報なんかされないわ)
(普段はそうだろうけどさ)
リアムとキャサリンは小声で会話しながら、店員の後を追う。
やがて二人は店の奥にある小部屋に通されると、椅子に腰掛けて待つようにと伝えられた。店員は、品物を取りに行くという。
部屋には、商談用のテーブルと椅子が二脚用意されていた。インテリアは上品だが、客を持てなすような部屋とはイメージが異なる。
リアムが用心していると、また別の店員が現れて彼の前に紅茶とクッキーを用意して部屋を出ていった。店員たちは皆が笑顔で、とても親切だ。
ティーカップを満たす紅色の液体と、そこから薄く立ち上る湯気。それらを眺めるうちに、リアムはすっかり気が抜けて椅子に体を深く預けるようになっていった。
(ここのクッキー、美味しいのよ。毎日、デメテル本店の焼き菓子を運ばせてるって)
キャサリンは興奮した様子で、リアムの胸元から顔を出して跳びはねている。人形だから食べられないと、とても残念そうだ。
リアムは冷え切った体を紅茶で温めながら、キャサリンの声に耳を傾ける。甘いものはそれ程好きではないが、「デメテル」という店の名前には覚えがあった。数ヶ月待ちは当たり前の人気店だ。
(ケイト。先に確認しておくよ。ペンダントを受け取ったら、君を自宅につれて行けば良いんだよね?)
(そうよ。多分、マーシーともう一度会えば元に戻れると思うの。……多分、ね。でも、その前にペンダントは受け取っておきたいのよ)
(分かった。君の家のことは、みんなが調べてくれているから……)
小声で会話する二人の後方から、ドアの開く音。
キャサリンは急いでリアムの服の中に戻り、リアムはティーカップを持ち直した。親指と人差し指で摘まむのが正式な作法だと思い出して、必死にそれを再現しようと試みている。
「お~ま~え~か~っ!」
呼ばれて顔を向けると、リアムの後ろにはアラン・シモンズ刑事が立っていた。彼のネクタイには、クッキーの屑らしき小さな粒がポツポツと付いている。
「あ~。……ですよね?」
リーディングで得た情報はセリアに渡しているのだから、店に警察が張っていてもおかしくないのだ。そう思い直して、リアムは妙に納得した。
リアムの悟ったような態度を見て、アランは眉間に皺を寄せる。ただでさえセリアの傍から引き離されて不機嫌な上に、不審者と聞いて駆けつけた先には知人がいたのだから仕方がない。
アランはリアムのコートの襟元にグイと腕を伸ばしたが、それは空を掴んだ。リアムは滑るように椅子から降りてテーブルの下を潜り、反対から顔を出している。
「先ずは話を」
「聞くか!」
「ペンダントを受け取りに来ただけなんです」
「知らん!」
「相変わらず強引だなあ」
言いながら、リアムはさりげなく部屋を見回す。ドアは一つだけ。しかも、アランの後ろに位置している。仮に突破できたとしても、店員の目を盗んで外に出ることは難しいだろう。
「分かりました! 降参! 出ます!」
「殊勝な心がけだな。さっさと来い!」
リアムは両手を挙げて、敵意がないことを示す。
キャサリンはリアムのコートの内側で、必死になって彼のシャツに引っ付いている。
「全く、どうしてこんな事をしなければならないんだ……」
ブツブツ言いながら近付いてくると、アランはリアムの首根っこを掴んで引きずるように部屋を出た。
リアムは抵抗せず、すれ違った店員たちに笑顔を向けながら店の外へと運ばれていく。
店員たちは最後まで慣れた様子で、決して笑顔を崩そうとはしなかった。その様は、正にプロフェッショナルといったところか。
店の外に出ると、角を曲がって、アランは路地に入った。そこには少し歩いた先に車が一台駐まっているだけで、他に人の姿はない。
アランは十分に警戒しながらリアムに前を歩かせ、自分は通りへ戻る道を塞ぐようにして立つ。
「話は署で聞くぞ。一先ず車に乗れ! ……と、その前に」
何処からとも無く手錠を取り出すと、アランは容赦無くリアムの両手を拘束した。その時、アランはリアムの左手の手袋が外れていることに気付く。リアムは、いつの間にか手袋を口に咥えている。
車に乗せられる訳にはいかないと、リアムはアランから逃れて彼と向き合った。
「おい。お前、その手袋」
「ストップ!」
手袋を右手に持ち直し、拘束された手を前に突き出して、リアムはアランを制止する。
「近付かないでください。近付くなら、考えがある」
「何を言う。……ああ、可哀想なマーシャル。警察が単独で動く訳がないだろう?」
アランが呆れた様子で合図を送ると、路地の奥、パイン通りの方面からは、制服姿の警官が三人駆けてきた。
前方にはアラン。後方には警官たち。今、リアムの意識は、アランの後ろに広がるベリー通りに向けられている。
「近付くなら、あなたが昨日の夜に何をしていたか言う」
「馬鹿か。そんなことが……」
アランは、リアムのむき出しになった左手を見た。確かに、リアムにはサイコメトリーという能力がある。ここに連れてくるまでに、リアムはアランに触れたのかもしれない。
しかし、だからといって、リアムの能力が万能ではないこともアランには分かっていた。
「よく聞け、マーシャル。そんな脅しが利くと思うか?」
「警告はしたよ」
「分かった。分かった。話は署で……」
「アラン。あんたは昨日、深夜に自宅の洗面台の前でセリ……」
特定の人物の名前が出そうになった瞬間、アランが大慌てでリアムの口を塞ごうと覆い被さった。
リアムはそれをサッと避けると、アランの脚を引っかけて転ばせ、路地の出口に向かって一目散に駆けていく。
アランは完全にバランスを崩して、駆けつけた警官三人の上に倒れ込んだ。傍にあったゴミ箱や小さな植木鉢を巻き込んで、辺りは滅茶苦茶な様相だ。
リアムは振り返らずに通りを駆け抜けると、やがて見えてきた石橋から飛び降りてキャサリンを庇いながら河川敷を転がっていった。
春の夜。川岸を抜けていく風は冷たく、辺りには人影もない。
「……ケイト。無事……?」
逃げ込んだ地下水道の中。MWのライト機能をオンにしてランタン代わりに灯しながら、リアムはコートの内側に向かって訪ねた。
ケイトの返事はない。
リアムが不安になってコートの内側を覗き込むと、キャサリンは中で目を回して伸びていた。
リアムは、コートの前を開いてキャサリンを腕に抱きあげる。この時、彼はうっかり左手でキャサリンに触れてしまい慌てて手を離した。
「……リアム……?」
「ケイト! 良かった。大丈夫? ごめんね、無理させて」
「本当よ! もう! バカバカ!」
両手をバタバタと動かして、キャサリンはリアムの頬をペチペチと叩く。
リアムは謝りながら、されるがままになっている。能力を使った代償として目眩に襲われていて、動けないというのもあった。
やがて落ち着いてくると、キャサリンの目には困った様子のリアムが映った。怒るでもなく、呆れるでもなく、ただ困ったように笑う。そんな姿を見るうちに、キャサリンは不思議な感情を抱いた。
「なによ。ばか。……ヘンタイ」
キャサリンは、リアムの頬に額を当てて呟く。
リアムはキャサリンが頭突きしたのだと勘違いして、困り果てて笑った。