今回空戦シーン無しです、1話から4話の話全部よりこの5話のほうが長いです。自分でも何を言ってるかわからないです。
ずっと部屋の中でおじさん達が辛気臭い話する回です。
エスコン二次小説の姿か?…これが。
最初に聞こえてきたのは、何を言っているのかもよくわからない無線の音声だった。
船団の各艦は、損傷した艦艇をかばうように隊列を組み、サンサルバシオンの沿岸へ向けて航行していた。海は穏やかだったが、船内に穏やかな場所はなかった。通路には避難民が溢れ、毛布を敷いただけの床に横たわる負傷者もいる。食料の配給は日に日に細り、飲料水の残量を気にする乗員たちの声も、隠しきれないほど切迫していた。戦闘が終わったわけではない。いつまた敵が現れるかもわからない。それでも、目指す港に辿り着きさえすれば、少なくとも一度は息をつける。人々は、そう信じることで何とか不安を押し殺していた。
そのとき、艦内のどこかから、無線の音声が漏れ聞こえてきた。
「……繰り返す。メリトン軍港への入港は……認められない……」
雑音にかき消され、すべての言葉がはっきり聞き取れたわけではない。そもそも、避難民の多くは艦内通信の内容を直接聞ける立場にない。聞こえてきたのは、通信室の近くにいた者が耳にした断片だったり、通路を行き来する軍人たちの会話だったりした。
「今の、何だ?」
「メリトンがどうとか言ってなかったか?」
「通信の話だろ。俺たちには関係ないんじゃないか?」
最初は、誰も深刻には受け取らなかった。軍人たちの通信など、避難民にはわからないことばかりだ。航路の変更か、船団の配置についての連絡か、あるいは別の艦艇との調整かもしれない。疲れ切った人々には、わざわざ不安の種を探す余裕もなかった。
だが、艦内の空気に変化が生じた。
通路を足早に通り過ぎる水兵たちが、互いに声を潜めて何かを話している。普段なら冗談の一つも口にする若い乗員が、今日は妙に口数が少ない。士官らしい男が通信室から出てくるなり、待っていた同僚に顔を寄せ、短く何かを告げた。聞き取れたのは「メリトン」「入港拒否」「次の手」という、途切れ途切れの言葉だけだった。
そのうち、事情を察した者が出てきた。
「おい、今の話……メリトンに入れないってことじゃないのか?」
そう言ったのは、船内の片隅で子供をあやしていた中年の男だった。彼は軍人ではない。だが、以前にも似たような状況を経験していた。
前の戦争で、彼もまた避難民になったことがあった。
当時、エルジア軍の侵攻によって国境線は大きく押し込まれ、FCUは敗北の瀬戸際まで追い詰められた。戦線が崩れ、故郷を離れざるを得なくなった人々は、行き先も定まらないまま、各地を転々とした。彼自身も家族を連れて逃げ、いつ帰れるともわからない日々を過ごした。
あのときも、軍からの発表がある前に、現場の空気が変わることがあった。軍人たちの声が小さくなる。普段なら口にしない地名が、何度も聞こえてくる。誰かが「大丈夫だ」と言うほど、かえって大丈夫ではないことが伝わってくる。
彼は、そういう空気を知っていた。
「……嫌な感じだな」
男は、子供の頭を撫でながら呟いた。
「お父さん?」
「何でもない。大丈夫だよ」
そう答えた声は、自分自身に言い聞かせるようでもあった。
彼のような人間は、ほかにもいた。前の戦争で家を失った者。戦線の後退に伴って親類を頼り、ようやく生活を立て直した者。メビウス1の活躍によってISAFが逆転勝利を収めた後も、故郷に戻れず、別の土地で暮らし続けていた者。
あの戦争では、国そのものが消滅する一歩手前まで追い詰められた。国境が押し込まれ、各地の都市が陥落し、明日には自分たちの住む場所が戦場になるかもしれない。そんな恐怖を、彼らは実際に味わっていた。
だからこそ、軍人たちの些細な変化にも敏感だった。
「メリトンに入れないって、本当なのか?」
「いや、まだわからん。通信の一部を聞いただけだ」
「でも、軍人たちがあんな顔をしているんだぞ」
「何かあったんだろう……」
誰かが誰かに尋ね、聞いた者が別の人間に伝える。伝えられた話に、別の場所で耳にした情報が付け加えられる。最初は断片だったものが、短い時間のうちに、はっきりとした意味を持ち始めた。
メリトン軍港への入港を拒否された。
その言葉が船内に広まった瞬間、あちこちで声が上がった。
「何だって!?」
「じゃあ、俺たちはどこへ行けばいいんだ!」
「ここまで来たのに、入港できないっていうのか!」
「サンサルバシオンはFCUの友好国じゃなかったのかよ!」
怒声が響いた。誰かが壁を叩き、別の誰かが立ち上がって通路を塞いだ。事情を確かめようとする者が通信室の方向へ向かい、制止する乗員との間で言い争いが起こりかける。泣き出した子供を抱きしめる母親。顔を青ざめさせたまま、周囲の大人たちの話を聞いている少年。何も言わずに座り込んでいた老人が、ゆっくりと顔を上げた。
「またか……」
その老人も、前の戦争を知っていた。
ようやく戦争が終わり、これからは平穏に暮らせると思った。ところが、年月が経って再び戦火に巻き込まれ、今度はソトアから逃げることになった。前回の戦争では、メビウス1がISAFを勝利に導き、FCUは国家の崩壊を免れた。あの奇跡のような逆転勝利は、国民に大きな希望を与えた。
だが、英雄が戦争に勝ってくれたからといって、次の戦争が起きない保証はなかった。
そして、今度の敵は、以前のエルジアとはまた違う。ソトアの国内事情がどれほど悲惨なのか、避難民たちが正確に知っているわけではない。それでも、故郷を捨ててきた者たちには、今度の戦争が単なる領土争いでは済まないことが、肌で感じられていた。
「このまま海の上に放り出されるのか……?」
誰かが呟いた。
「水も食料も、もう長くは持たないんだぞ」
「じゃあ、どうすればいいんだよ!」
その問いに、答えられる者はいなかった。
戦闘に敗れたからといって、すべてが終わるわけではない。だが、逃げ延びた先にさえ居場所がないのだとすれば、いったい何のためにここまで生き延びてきたのか。
船団の中に、そんな絶望がじわじわと広がっていった。
誰もが、次の報せを待っていた。
この船団を率いるエンデュランスの艦長が、何を判断するのか。
今の彼らに残された望みは、それしかなかった。
____
「サンサルバシオン側からの回答、以上です。メリトン軍港への入港は認めないとのことです」
通信士の報告を聞き、エンデュランスの艦橋に沈黙が落ちた。
ジョン・ゴードン少将は、手元の資料から顔を上げた。艦橋中央の海図に目を向け、サンサルバシオンの沿岸部を見つめる。
「……そうか」
短く答えた。声に怒りはなかった。外交上の配慮を欠いた相手を罵ることも、通信士に不満をぶつけることもしなかった。ただ、組んでいた指をゆっくりと解き、海図に視線を落とした。
予想していなかったわけではない。
サンサルバシオンは中立国だ。FCUとは長年にわたる友好関係を築いてきたが、それが戦時における無条件の協力を意味するわけではない。まして、戦闘能力を残した軍艦と、大勢の避難民を乗せた船団である。軍港への入港を認めれば、ソトアからFCUへの軍事支援と見なされかねない。中立政策を掲げる政府が慎重になるのは当然だった。
だからこそ、外交交渉には望みをかけていた。
友好関係という最後の頼みの綱が、わずかでも状況を好転させてくれることを期待していたのだ。
その期待が裏切られたことに、ゴードンは苦いものを感じていた。拒否される可能性を半ば覚悟していたからといって、実際にそうなってほしかったわけではない。
燃料は不足している。食料と水の備蓄にも限りがある。損傷した艦艇は応急修理を必要とし、負傷者には十分な治療を受けさせなければならない。避難民を抱えた船団を、このまま海上に留めておくわけにはいかなかった。
次善の策を取るしかない。
「副長、進路を変更する。デルファイムへ向かえ」
「デルファイム、ですか?」
副長が思わず聞き返した。
「そうだ。航路を再計算してくれ」
「了解しました」
副長は答えたものの、釈然としない様子で海図に目を向けた。ゴードンは構わず、艦橋全体に聞こえる声で続けた。
「デルファイムはサンサルバシオン西部の民間港だ。軍港への入港が認められない以上、民間港で必要最低限の補給を受ける。軍用の設備は期待できんが、燃料と食料、水、それに負傷者の治療に必要な物資が手に入れば、当面の問題はしのげる」
言いながら、海図上の港に指を置いた。
「位置にも利点がある。デルファイムはエルジアとの国境に近い。ソトアが中立国の港を攻撃すれば、サンサルバシオンだけでなく、エルジアとの関係にも影響が及ぶ。少なくとも、連中にとっては気軽に手を出せる場所ではない」
説明は明快だった。声にも、判断にも、迷いがない。
あたかも、デルファイムへの寄港は既定路線であり、あとは船団をどう導くかという段階に入ったかのようだった。
「航海長、聞いたな。船団の速度と損傷艦の状態を考慮して、航路を組み直せ。急がせすぎて脱落する艦を出すな」
「りょ、了解!」
航海長は一瞬戸惑いを見せたものの、すぐに海図と航海計器へ向き直った。通信士は新たな連絡先を確認し、操舵員は針路変更の準備を始める。艦橋の各所で、慌ただしく声が飛び交い始めた。
もっとも、乗員たちの混乱が完全に収まったわけではない。メリトンへの入港を拒否された直後に、別の港への進路変更が命じられたのだ。デルファイム側との交渉がどうなっているのか、誰も知らない。
それでも、艦長の命令は命令だった。エンデュランスは進路を変え、船団もそれに続く。今は立ち止まっている余裕などなかった。
ゴードンは、乗員たちが動き出したのを確認してから、再び海図へ目を落とした。
どうにか、最初の一歩は踏み出せた。
だが、これは解決ではない。目的地を決めたにすぎず、肝心の入港許可すら得られていないのだ。
艦橋の乗員たちに、それを悟らせるわけにはいかなかった。
ゴードンは表情を変えず、次の報告を待った。
額を伝う汗がこめかみに達する。制服の襟元が、ひどく窮屈に感じられた。
*
副長は、航海長に進路変更を指示しながら、艦長の横顔を盗み見た。
判断が早すぎる。
メリトンへの入港拒否が伝えられてから、ほんのわずかな時間しか経っていない。普通なら、代替港の選定や外交ルートの確認、船団の航続能力の再評価など、いくつもの検討事項があるはずだ。それをゴードンは、ほとんど間を置かずに片づけてしまった。
まるで、最初からこうなることを見越していたかのように。
……いや、まさかな。
副長は内心で首を振った。
そもそも、彼はこの艦長にさほど期待していなかった。
ゴードンはFCU海軍中央から派遣されてきた人物だ。現場の叩き上げというより、中央の意向を受けて艦に乗り込んできた将校だった。着任当初、副長は彼を、上層部が現場に送り込んだ神輿のようなものだと考えていた。
実際、エンデュランスの運用実務は副長をはじめとする現場の将校たちが回していた。艦長には艦長としての役割がある。だが、少なくとも副長の目には、ゴードンが艦の運命を左右するような判断を自ら下す場面は、ほとんどなかった。
だからこそ、戦時昇進の話を聞いたときも、内心では呆れていたのだ。
開戦後の混乱のなかで、ゴードンは少将に昇進した。副長自身も中佐から大佐へと昇進している。
本来、少将ともなれば打撃群司令官として複数の艦艇を指揮する立場だ。副長自身も、いずれ艦長職を任されるものと思っていた。
ところが、FCU海軍は壊滅的な損害を受け、エンデュランス以外に指揮下へ置ける艦艇はなくなった。結果、ゴードンは少将になっても艦長のまま、副長も大佐になってなお副長のままだった。
打撃群司令官、ゴードン少将。
……何の冗談だ。
そんな肩書きを与えられたところで、指揮する艦が一隻しかないのなら、何が変わるというのか。結局、艦の実務を担うのは自分たちだ。そう半ば諦めていた。
だが、今のゴードンはどうだ。
入港拒否という、船団の行く末を左右しかねない報告を受けても、取り乱さない。代替案を即座に提示し、艦橋全体へ聞こえる声で、その合理性を説明する。乗員たちが不安を抱く暇もないほど、次々と指示を出している。
少なくとも、ただの神輿ではない。
副長は、ほんのわずかにゴードンへの評価を改めかけた。
しかし、すぐに別の疑問が浮かんだ。
……待て。デルファイムへの入港許可は、どうなっている?
副長は航海長への指示を終えると、ゴードンのそばへ歩み寄った。艦橋のほかの乗員に聞こえないよう、声を落とす。
「艦長。デルファイムへの入港許可は、すでに得ているのですか?」
ゴードンは海図を見つめたまま、わずかに顔を傾けた。
「いや。これからもらうんだよ」
「……は?」
副長は、思わず言葉を失った。
ゴードンは平然としていた。いや、平然としているように見えた。
「まずは向かう先を決める。話はそれからだ。動きもしないうちから交渉を始めても、こちらの切迫した事情を説明するだけで終わるかもしれん。少なくとも、こちらがデルファイムを目指していると伝われば、向こうも具体的な対応を検討せざるを得なくなる」
「しかし、先方が拒否した場合は……」
「そのときは、そのときに考える」
小声で返された言葉に、副長は唖然とした。
「……艦長、サンサルバシオン中央に、何か伝手はあるのですか?」
副長は、なおも納得できない様子で尋ねた。
ゴードンは海図から目を離さず、少し考えるように黙った。それから、何でもないことのように一人の名前を口にした。
その名は、副長も知っていた。
サンサルバシオン議会でFCU寄りの立場を取る有力議員。中立政策の維持を唱える政府方針とは距離を置き、FCUへの支援を公然と主張している人物だった。政府内での影響力も大きく、今回のような案件であれば、少なくとも話を通す窓口にはなり得る。
「……その方と、知り合いなのですか?」
副長は思わず声を上げた。
「若い頃、船に乗っていた時分にね。親善訪問で何度か顔を合わせた。だいぶ可愛がってもらったよ」
ゴードンは自慢するでもなく、ただ昔のことを思い出したように口にした。
「許可を出してもらえるかはともかく、窓口を作ってもらうところまではお願いできるはずだ……」
その言葉に、副長はしばらく返事ができなかった。
FCU寄りの議員に伝手がある。それ自体は、確かに中立派の議員よりは頼りになるかもしれない。だが、だからといって、政府の決定を覆せるとは限らない。まして、軍港への入港を拒否された直後である。
それでもゴードンは、その細い伝手を頼りに、許可のない港へ船団を向かわせている。
副長の脳裏に、ひどく不吉な比喩が浮かんだ。
ブタの手札しか持っていないのに、まだレイズを続けている。
しかも、本人だけは勝負を降りる気がない。手札を見れば誰がどう見ても勝ち目が薄いのに、場にチップを積み上げ、相手が怯んで降りることだけを期待している。
これは大胆さではない。危うさだ。
副長は、こめかみの奥に鈍い痛みを覚えた。
最初は気のせいだと思った。だが、痛みはすぐに脈打つように広がり、目の奥まで重くなる。副長は無意識に眉間を押さえた。
「……艦長」
「なんだ」
「それは、あまりにも……」
危険すぎる、と続けようとして、言葉を飲み込んだ。
艦橋の中央では、ゴードンが何食わぬ顔で海図を見つめている。表情は落ち着いている。声にも焦りは感じられない。だが、注意して見れば、額には脂汗が浮かんでいた。こめかみから流れた汗を拭う余裕すらないのか、彼はそのまま海図を見つめ続けている。
……この人も、必死なのか。
そう思った瞬間、先ほどまで抱いていた評価が、ほんの少しだけ変わった。
少なくとも、何も考えずに中央から送り込まれてきた人間ではない。状況を見極め、次の手を打とうとしている。乗員たちの不安を抑えるために、確定していないことまで確定しているかのように語る度胸もある。
だが、その度胸が、今や無謀さと紙一重になっている。
手札が悪いなら、普通は賭け金を抑える。ところがゴードンは、残された手段が少ないほど、さらに大きく賭けようとしている。まるで、ブタの手札でレイズを続ければ、いつか相手が恐れて降りると信じているかのようだった。
副長は本気で頭痛を覚えた。
これは指揮官としての資質なのか、それとも単に追い詰められた人間の悪あがきなのか。もはや、判断がつかない。
「……本当に、大丈夫なんでしょうね」
こめかみを押さえたまま、副長は尋ねた。
「大丈夫にするんだよ」
ゴードンは、今度こそ副長を見た。
その目には、疲労と焦燥が滲んでいた。それでも、声だけは揺らがなかった。
副長は、深々とため息をついた。
この人が打撃群司令官だなんて、やはり冗談としか思えない。
だが、今はその冗談に賭けるしかなかった。
____
しばらくして、船内放送が流れた。
『船団各艦に告ぐ。進路を変更し、サンサルバシオン西部のデルファイムへ向かう。繰り返す。次の目的地はデルファイムである』
放送は、軍艦だけでなく、避難民を乗せた輸送船や民間船にも伝えられた。
ただし、デルファイムへの入港許可が下りたわけではなかった。船団司令部が受け取っていたのは、あくまで入港を要請しているという連絡だけであり、サンサルバシオン側からの正式な回答はまだ届いていない。
その事実を知る者は、船内でもごく一部に限られていた。
船内のあちこちで、人々が顔を上げた。
「デルファイム……?」
「サンサルバシオンの港だろ?」
「そうだ。まだ行ける場所があるんだ」
誰かがそう口にすると、周囲から小さな安堵の声が漏れた。泣き疲れて眠っていた子供が、母親の腕の中で身じろぎする。壁にもたれていた老人は、聞き間違いではないかと確かめるように、近くの乗員へ顔を向けた。
「今度は、入港できるんですか?」
尋ねられた若い水兵は、すぐには答えられなかった。
「……そのために、向かっているんです」
嘘ではなかった。だが、許可が下りているわけでもない。
水兵はそれ以上何も言わず、通路の先へ歩いていった。
船団の進路が変わる。その知らせは、少しずつ人々の間に広がっていった。
もちろん、すべてが解決したわけではない。メリトンへの入港を拒否された直後だ。デルファイムでも同じことが起きるのではないか。民間港で十分な補給が受けられるのか。そもそも、入港許可が下りないまま港へ到着した場合、船団はどこへ向かえばいいのか。これほど多くの人間を抱えた船団が、無事に港まで辿り着けるのか。
不安は、むしろ新たな形を取って膨らんでいた。
それでも、少なくとも次の目的地は示された。何も決まっていないまま、海の上を彷徨い続けるわけではない。
「今度こそ、港に入れるといいな……」
「水が飲めるだけでも、ずいぶん違うはずだ」
「食料も、薬も……」
人々は、それぞれに希望を口にした。
その希望は、港そのものに向けられたものではなかった。
彼らが待ち望んでいたのは、港を開く誰かだった。閉ざされた扉をこじ開け、敵の砲火を押し返し、どうにもならない状況をひっくり返してくれる誰か。かつて、この国を救った英雄のような存在だった。
「メビウス1がいてくれたらな……」
誰かが、ぽつりと呟いた。
その名は、船内の空気に静かに広がった。
前の大陸戦争。FCUが敗北を重ね、戦線が崩れ、誰もが敗戦を覚悟していた時代。その流れをたった一人で変えた男。敵の大部隊を撃破し、絶望的な戦場を幾度も覆し、最後にはFCUを逆転勝利へと導いた、前大戦最大最強の英雄。
メビウス1。
その名を知らない者は、船内にはほとんどいなかった。
「メビウス1なら、こんな状況でも何とかしてくれたかもしれない」
「帰ってきてくれればいいのに……」
「もう一度、あの人が飛んでくれたら」
口にした者たちは、すぐに自分たちの言葉の無責任さに気づいた。
メビウス1がどこにいるのか、今も戦えるのか、生きているのかさえわからない。英雄だからといって、世界中の人間を救えるわけではない。まして、彼らが今乗っているのは、戦闘機ではなく、傷ついた艦艇と民間船の寄せ集めだった。
それでも、願わずにはいられなかった。
力を持たない者にできることは少ない。逃げること、耐えること、祈ること。そして、誰かが現れるのを待つこと。
それがどれほど身勝手で、無責任な願いであっても。
「英雄っていうのは、こういうときに来るものだろ」
疲れ切った男が、乾いた笑いを漏らした。
「そうだ。誰かが来て、全部ひっくり返してくれるんだ」
「メビウス1みたいな人が、また現れるさ」
言葉は軽かった。だが、その奥にある願望は重かった。
彼らは、自分たちの力だけではどうにもならない現実を知っている。デルファイムの港が開くかどうかすら、まだ決まっていない。だからこそ、現実を超える誰かを求めていた。
英雄の帰還を。
あるいは、新たな英雄の誕生を。
それは、戦場で戦う者たちよりも、戦う力を持たない者たちの方が強く抱く願いだった。
____
別の区画では、軍服姿の男たちが、船内放送について小声で話し合っていた。
そのうちの一人は、前の大陸戦争を知る下士官だった。彼は、メビウス1が戦場を駆け抜けた時代を、兵士として経験している。
当時、彼はまだ若かった。
敗走する部隊のなかで、誰もが敵の進撃を止められないと思っていた。補給は途絶え、弾薬は尽き、上層部からの命令も届かない。昨日まで隣にいた仲間が、翌日にはいなくなる。
そんな戦場に、たった一機の戦闘機が現れた。
最初は、ただの噂だった。
敵の大部隊を撃破した機体がいる。包囲された部隊を救ったパイロットがいる。絶望的な戦線を、たった一人で押し返している者がいる。
誰もが半信半疑だった。
だが、噂はやがて現実になった。メビウス1が飛んだ場所では、敵が退いた。彼が現れた戦場では、敗北が勝利へと変わった。兵士たちは、彼の姿を直接見なくても、無線に響く報告だけで士気を取り戻した。
彼は、戦争そのものを変えた。
そして、FCUを逆転勝利へと導いた。
戦後、メビウス1は表舞台から姿を消した。
公式には、彼の退役やその後の去就について、明確に語られたことはない。FCU上層部は、彼が一人で戦略級の価値を持つ存在だったことを理解していた。あまりにも多くの戦場で暴れ回り、戦況そのものを変えてしまった英雄だ。生死も所在も含め、その情報を敵に渡すわけにはいかない。
だから、彼がどうなったのかは、意図的に曖昧にされた。
世間には、今もどこかで戦っているという噂がある。すでに戦場を去ったという者もいる。死んだのだと断言する者もいた。
だが、軍人のなかでも、その真実を知る者はごく一部に限られていた。
この船内で、メビウス1がすでに五十を越え、とうに現役を退いていることを知っているのは、前の戦争を知るこの下士官だけだった。
「デルファイムか……」
隣にいた若い兵士が、期待を込めた声で言った。
「サンサルバシオンなら、中立国です。さすがに、民間船まで追い払ったりはしないでしょう」
「そうだといいな」
下士官は、曖昧に答えた。
「でも、軍港は断られたんですよね?」
「そう聞いた」
「なら、民間港なら大丈夫なんじゃないですか」
若い兵士は、そう言ってから、ふと声を落とした。
「……メビウス1がいたら、話は早いんでしょうけど」
下士官は、若い兵士の顔を見た。
「お前も、あの英雄を待っているのか」
「待っているというか……」
若い兵士は言葉を濁した。
「誰かが来てくれないと、どうにもならない気がして」
下士官は、すぐには答えなかった。
それは兵士として、あまりに正直な言葉だった。戦う者が、誰かに救ってほしいと願う。自分たちの力では足りないと認める。
だが、彼自身も同じ願いを抱いていた。
メビウス1が帰ってきてくれれば。
あのときのように、空から一筋の光が差し込めば。敵の進撃を止め、崩れかけた船団を守り、港の扉を開かせるほどの英雄が現れれば。
そんなことが起こるはずがないと、彼は理解している。
メビウス1は、もう五十を越えている。戦闘機に乗り、かつてのように戦場を駆け抜ける年齢ではない。少なくとも、軍の記録を知る彼には、それがわかっていた。
だが、その事実を若い兵士に伝えることはできなかった。
FCU上層部が、彼の退役も、その後の去就も、必死にぼかしている。メビウス1が今もどこかで戦えるのだという幻想は、敵に対する抑止であり、味方の士気を支える最後の神話でもあった。
それを、ここで壊す必要はない。
それでも、記憶のなかの英雄は、今も消えていなかった。
「……英雄は、いつも現れるわけじゃない」
下士官は、ようやく口を開いた。
「だが、現れてほしいと思うのは、悪いことじゃない」
「そうでしょうか」
「力のない者が、力のある者を待つ。それ自体は、無責任でも何でもない」
下士官は、通路の先へ目を向けた。
「ただし、待っている間に何をするかは別だ。英雄が来るまで、できることをやるしかない」
若い兵士は、黙って頷いた。
下士官はそう言いながらも、胸の奥で別の言葉を繰り返していた。
帰ってきてくれ、メビウス1。
もう一度だけでいい。
あのときのように、誰もが諦めた場所へ現れてくれ。
彼は、その願いを口にはしなかった。
口にすれば、あまりにも弱く、あまりにも身勝手なものに思えたからだ。
____
避難民を乗せた区画の片隅では、幼い少女が母親の袖を引いていた。
「お母さん、デルファイムって、どんなところ?」
「港のある街よ」
「海が見える?」
「ええ、きっとね」
「お魚、食べられるかな」
母親は、少しだけ笑った。
「食べられるといいわね」
少女は満足したように頷き、母親の膝に頭を預けた。
少し離れた場所では、数人の避難民が小声で話していた。
「メビウス1って、今も生きてるのかな」
「さあな。でも、あの人なら、どこかで戦ってるんじゃないか」
「帰ってきてくれればいいのにね」
少女は、その名前に反応して顔を上げた。
「メビウス1って、誰?」
母親は、娘の髪を撫でながら答えた。
「昔の戦争で、みんなを助けた人よ」
「強い人?」
「ええ、とても強い人」
「じゃあ、その人が来たら、もう逃げなくていい?」
母親は答えに詰まった。
メビウス1が帰ってくる。そんなことが本当に起きるのか、彼女にはわからない。そもそも、英雄一人にすべてを背負わせることが正しいのかもわからなかった。
それに、デルファイムの港が自分たちを受け入れてくれるかどうかさえ、まだ決まっていない。港へ着いたあと、再び海へ追い返される可能性もある。その先に待つ場所は、今の彼女には想像できなかった。
けれど、彼女自身もまた、その帰還を願っていた。
誰かが来てくれればいい。
誰かが、この恐怖を終わらせてくれればいい。
それがメビウス1でなくてもいい。彼のような人であればいい。絶望のなかで立ち上がり、誰もが諦めた場所で戦い、逃げるしかない人々に、もう一度だけ前を向く理由を与えてくれる英雄であれば。
「……そうなるといいわね」
母親は、娘を抱き寄せて答えた。
少女は、少し考えてから頷いた。
「じゃあ、メビウス1を待つ」
「ええ」
「ずっと?」
「……できるだけね」
母親は、娘の額に口づけた。
その言葉は、子供に向けた慰めであると同時に、自分自身への祈りでもあった。
____
船内では、少しずつ人々が動き始めていた。
水兵たちは、次の港に備えて物資の残量を確認している。軍医や看護要員は、負傷者の容態を確かめながら、残された医薬品をどう配分するか相談していた。避難民の世話を手伝う兵士たちは、空いた区画を探し、体調を崩した者を移動させている。
誰もが、デルファイムに着けば何とかなると信じたいのだ。
だが、彼らが本当に待っているのは、港だけではなかった。
港を開く者。
敵を退ける者。
絶望的な状況を、勝利へと変える者。
メビウス1のような英雄だった。
前大戦でFCUを逆転勝利へと導いた、最大最強の英雄。その記憶は、戦争を知らない子供たちにまで語り継がれている。彼がどれほどの敵を倒したのか、どれほど多くの部隊を救ったのか、話す者によって内容は少しずつ違っていた。
それでも、結論だけは同じだった。
あの人がいたから、勝てた。
あの人がいたから、助かった。
ならば今回も、誰かが現れてくれるはずだ。
そう思わなければ、耐えられない者が多すぎた。
燃料は限られている。食料も水も十分ではない。負傷者のなかには、これ以上の治療の遅れが命に関わる者もいる。船団が港へ辿り着くまでに、どれだけのものを持ちこたえさせられるのか、誰にもわからなかった。
しかも、デルファイムの港が開く保証はない。
船団が進んでいるのは、受け入れが決まったからではなく、ほかに向かえる場所がないからだった。
その事実を、艦橋の一部の者たちは知っている。だが、避難民たちに伝えれば、船内に残されたわずかな希望まで失われてしまう。
だから、誰も口にしなかった。
それでも、船団は進んでいた。
何も決まっていないまま海の上を彷徨い続けるよりは、行き先がある方がいい。
そして、行き先があるなら、そこへ英雄が現れるかもしれない。
そんな願いが、船内のあちこちで生まれていた。
子供を抱きしめていた母親が、ようやく肩の力を抜く。座り込んでいた老人が、顔を上げる。先ほどまで怒鳴っていた男も、今は黙って船内放送に耳を傾けていた。
不安は消えていない。
むしろ、デルファイムの港が開くかどうかという新たな不安が、希望のすぐ隣にあった。
だが、人は自分の力だけではどうにもならないとき、誰かの力を待つことでしか前を向けないことがある。
それが、どれほど無責任な願いであっても。
力なき者たちは、英雄の誕生を待っていた。
メビウス1の帰還を。
あるいは、彼に代わる誰かの出現を。
船団は、デルファイムへ向けて進み始めた。
その港が彼らを受け入れるかどうかは、まだ誰にもわからない。
希望を抱くには、十分な距離だった。
だが、絶望へ戻るにも、十分に近い距離だった。
そして、その小さな希望を本当のものにできるかどうかは、艦橋にいる一人の男の手に委ねられていた。
____
艦橋で方針を示したあと、ゴードンは副長とともに艦内会議室へ移っていた。通信回線がつながるまで、彼は落ち着かない様子で机の上の書類を整理していた。
必要な補給量。船団の規模。損傷艦の状態。負傷者の数。避難民の人数。
資料を並べ直しては、数字を確かめ、また別の書類に目を通す。すでに何度も確認した内容だった。それでも、手を止めていると余計なことを考えてしまう。
要求する物資を多くすれば、それだけ相手の負担は増える。少なくすれば、船団が必要とする支援を確保できない。
ゴードンがサンサルバシオン側に提示しようとしていた要求量は、かなり無理のあるものだった。燃料、食料、水、医薬品。損傷艦の応急措置に必要な資材まで含めれば、民間港で簡単に用意できるような量ではない。まともに考えれば、最初から断られてもおかしくなかった。
それでも、必要量を少なめに申告するつもりはなかった。
交渉の場で、相手がどこまで譲歩するかはわからない。最初から要求を削りすぎれば、最終的に船団が生き延びるために必要な量を確保できなくなる。逆に、あまりにも無理な要求を突きつければ、相手に拒否の口実を与える。
必要なのは、船団が本当に必要としている量を示したうえで、どこまでなら受け入れられるかを探ることだった。
そのためにも、まずは交渉の窓口を開かなければならない。
「回線がつながりました。先方は、サンサルバシオン政府の要人です」
通信士の報告に、ゴードンは書類を置いた。
「ありがとう。ここからは私が話す」
通信機の前に座り、制服の襟元を軽く整える。画面が切り替わり、見覚えのある顔が映し出された。
「……ゴードン大尉?」
第一声は、懐かしむような、少し驚いた声だった。
ゴードンは、思わず苦笑した。
「お久しぶりです。今は少将になりました」
「そうか、少将か……。いや、驚いたな。ずいぶんと久しぶりじゃないか。まさか、お前から連絡が来るとは思わなかった」
相手は、しばらくゴードンの顔を見つめていた。やがて、その表情が変わった。
「待て。先程海軍の報告で、FCUの船団がメリトンへ入港しようとしていると聞いた。まさか、お前がその船団にいるのか?」
「はい。現在、エンデュランスの艦長を務めています」
「……そうか。無事だったか」
相手は、心から安堵したように息を吐いた。
「よかった。本当によかった。報告を聞いてから、気になっていたんだ。FCUはかなり厳しい状況だと聞いている。戦線が崩れ、艦艇にも大きな損害が出ていると。お前も、ずいぶん苦労しているのだろう」
「ええ。まあ、楽な仕事ではありません」
「だろうな……。昔から、面倒な仕事を引き受けるのが好きな男だった」
相手は、懐かしむように笑った。
若い頃、ゴードンがまだ一介の海軍士官だった時代に、サンサルバシオンを訪問したことがある。
当時のゴードンは、今のような立場にいたわけではない。将来を嘱望されていたわけでもなく、特別な権限があったわけでもない。ただ、親善訪問の一員として訪れた先で、その人物と知り合った。
当時、相手もまた、今ほどの地位にいたわけではなかった。
だが、何度か顔を合わせるうちに、ゴードンは彼に気に入られた。若い士官のくせに物怖じせず、質問が多く、時には生意気な意見まで口にする。そんなところが面白かったのかもしれない。
相手は、折に触れてゴードンを食事に誘い、仕事の話を聞き、時には海軍の外から見た国際情勢について意見を交わした。
それは、政治的な取引というほどのものではなかった。
ただ、若い士官を少しばかり可愛がってくれた。それだけのことだ。
しかし、年月は流れた。
ゴードンは海軍中央で作戦計画や情報評価に携わるようになり、相手はサンサルバシオンの政界で地位を築き、今では政府内でも大きな影響力を持つ人物になっていた。
「……それで、今日はどうしたんだ?」
相手は、少し表情を引き締めた。
「お前がわざわざ私に連絡してくるからには、何かあるのだろう。しかも、こんなタイミングだ」
ゴードンは、船団の現状を説明した。
FCU海軍の艦艇と避難民を抱えた船団が、ソトアとの戦闘によって損傷し、補給を必要としていること。メリトン軍港への入港を拒否されたこと。現在、デルファイムへ向けて進路を変更していること。
そして、民間港で限定的な補給を受けられないかと考えていること。
話を聞き終えた相手は、深く息を吐いた。
「……なるほど。そういうことか」
「はい」
「お前も、ずいぶんと厄介なものを抱え込んだな」
「自分で選んだ仕事ですから」
「そういうところは、昔から変わらんな」
相手は、呆れたように笑った。
だが、その笑みは長く続かなかった。
「……ゴードン少将。正直に言おう。私としては、お前を助けたい。昔の誼もあるし、FCUが今、どれほど厳しい状況に置かれているかもわかっている。できることなら、船団を無事に港へ入れてやりたい」
「ありがとうございます」
「だが、私一人の考えで国を動かすことはできない」
相手は、画面の向こうで腕を組んだ。
「サンサルバシオンは中立国だ。FCUと長年の友好関係があるとはいえ、ソトアとの戦争に巻き込まれるわけにはいかない。軍港への入港を認めなかったのも、そのためだ。お前の事情は理解できる。だが、政府としては、そう簡単に方針を変えられない」
ゴードンは、黙って聞いていた。
「それでも、昔の誼がある。お前が頼ってきた以上、何もしないわけにはいかん。外務省の担当者と、デルファイムの港湾当局には話を通そう。なるべくお前の意見が通るように、私の方からも働きかける」
「助かります」
「ただし、確約はできない。窓口を作ることはできても、許可を出すのは政府だ。私ができることには限界がある」
相手は、少しだけ声を落とした。
「……それと、これはオフレコだが」
ゴードンは、表情を変えずに相手を見た。
「サンサルバシオンの中枢部は、ソトアの電撃侵攻に心底怯えている。あの陸上戦艦を見ただろう。あれは、我が国にとっても重要な脅威だ。通常の地上部隊とはわけが違う。あれが国境を越えてくれば、どこまで進撃を許すことになるのか、誰にもわからない」
「……ええ」
ゴードンは、静かに頷いた。
「そのために、国内ではソトアとの対立を避けるべきだという声が強まっている。中には、以前我が国を攻めてきたエルジアとの関係改善を叫ぶ議員までいるほどだ。ふざけた話だろう?」
相手は、苛立ちを隠さずに言った。
「かつて国境を越えてきた相手と手を結び、今、目の前で軍事力を拡大している相手を刺激しないようにする。政治というものは、時に理解しがたいことを要求してくる」
ゴードンは、相手の言葉を聞きながら、内心で考えていた。
陸上戦艦。
確かに、あれは目に見える脅威だ。巨大な砲塔と装甲を備え、地上を進撃するその姿は、一般市民にもわかりやすい。あれが国境を越えてくると考えれば、恐怖を覚えるのも無理はない。
だが、戦略的な意味で考えるなら、もっと厄介なものがある。
軌道上からの大規模攻撃。そして、超巨大輸送機。
陸上戦艦は、どれほど強力でも、基本的には地上を進まなければならない。進路も補給も必要になる。だが、軌道上からの攻撃は、こちらが守るべき場所を根本から変えてしまう。巨大な輸送機は、通常なら想定しない規模と速度で兵力を展開し、戦場の前提そのものを覆しかねない。
……政治家にとっては、国民に見せられる脅威の方が怖いのかもしれないな。
ゴードンは、そう考えた。
陸上戦艦なら映像に映る。国民にも説明できる。あれが来れば危険だ、と誰にでもわかる。
軌道爆撃や超巨大輸送機の戦略的な脅威は、専門的な説明が必要になる。目に見える恐怖の方が、政治の場では扱いやすいのだろう。
もちろん、だからといって、サンサルバシオンの恐怖が間違っているわけではない。彼らにとって、ソトアの軍事力が現実の脅威であることに変わりはない。
「……それでも、私は愛国者だ」
相手は、静かに言った。
「自分の国を守りたい。国民を戦争に巻き込みたくない。そのために、できる限りのことをしたいと思っている」
一度、言葉を切った。
「だが、己の思想と恩義だけで、国の方向性を曲げるわけにはいかん。私は政治家だ。個人的な感情だけで国を動かせば、それこそ国民に対する裏切りになる」
ゴードンは、画面の向こうの男を見つめた。
その言葉には、嘘がないように思えた。
昔の恩義を忘れたわけではない。ゴードンを助けたいとも思っている。それでも、国の利益と個人の感情を混同するわけにはいかない。相手は、そう考えているのだろう。
「……わかっています」
ゴードンは、静かに答えた。
「こちらも、貴国に中立政策を曲げていただきたいわけではありません。可能な範囲で、船団を維持するための支援をお願いしたい。それだけです」
「そう言ってもらえると助かる」
相手は、少しだけ表情を和らげた。
「支援の許可さえ下りれば、私の方から補給が滞らないよう、できる限り手配しよう。デルファイムには、私も知っている人間がいる。港湾当局との調整も、なるべく円滑に進むようにしたい」
「ありがとうございます」
「ただし、何度も言うが、許可を取るのが難しいのだ。今の政府は、ソトアを刺激することを極端に恐れている。軍事的な支援と見なされる可能性がある以上、簡単に首を縦に振ることはできん」
ゴードンは、頷いた。
「その点は理解しています。こちらも、要求する条件をできるだけ限定します。軍事施設の使用は求めません。滞在期間も必要最小限にとどめます。港湾当局の指示には従い、補給が終われば速やかに出港します」
「その条件なら、話を通す余地はあるかもしれない。外務省には、私から連絡しておこう」
「助かります」
相手は、最後にもう一度、ゴードンの顔を見つめた。
「……無理をするなよ、少将。お前は昔から、自分で何とかしようとしすぎるところがある」
「気をつけます」
「本当か?」
「……努力します」
「まったく。昔から変わらんな」
相手は苦笑した。
「話だけは通してやる。そこから先はお前次第だ。健闘を祈る、ゴードン少将」
「はい。ありがとうございます」
通信が切れた。
ゴードンは、黒くなった画面をしばらく見つめていた。
話を通すことはできた。
だが、それだけだ。
許可が下りたわけではない。相手が中立政策を曲げてくれるわけでもない。ここから先は、サンサルバシオン政府に、こちらの要求を受け入れるだけの理由を示さなければならない。
それに、ゴードンにもわかっていた。
FCUの抵抗が一日でも長く続くことは、サンサルバシオンにとっても利益になる。ソトアがFCUを短期間で屈服させれば、その軍事力と政治的影響力は一気に拡大する。そうなれば、次に圧力を受けるのがどの国なのか、幼子でもわかることだ。
FCUが持ちこたえている限り、ソトアは戦力と資源を西へ向け続けなければならない。サンサルバシオンは、その時間を稼ぐことができる。
相手も、その計算をしているのだろう。
中立政策を守りながら、FCUの抵抗が続くことを望む。直接的な軍事支援は避けつつ、限定的な補給によって船団を維持させる。それは、サンサルバシオンの国益にも合致する。
……まぁ、そうだろうな。
ゴードンは、内心で小さく息を吐いた。
こちらも、それをわかったうえで支援を求めている。
自分たちが助かることが、相手の利益にもなる。その構図を利用している以上、こちらだけが清廉な立場にいるわけではない。
結局、同じ穴のムジナか。
そんな考えが頭をよぎったが、ゴードンはすぐに切り替えた。
今は、立場の清廉さを競っている場合ではない。
船団を生かすために、できることをする。それだけだった。
彼は、額の汗をハンカチで拭った。
「……さて」
ゴードンは、手元の書類を引き寄せた。
「どうしたものかな」
____
サンサルバシオン外務省との面談が設定されたのは、それから間もなくのことだった。
政治家との連絡を終えたゴードンは、机上の資料を整理し直した。船団の構成、損傷艦の状態、必要な物資。ここから先は、艦橋で命令を出すのとは違う。相手の事情を読み、譲れるものと譲れないものを見極め、こちらが必要とする条件を引き出さなければならなかった。
会議室に入ってきた外務省の担当官は三名。代表を務める男は、挨拶もそこそこに資料を閉じた。
「まず、我が国の立場を改めてお伝えします。サンサルバシオンは、この戦争において中立を維持します。特定の交戦国に軍事的な便宜を図ったと受け取られる行為は、可能な限り避けなければなりません」
「承知しています」
ゴードンは、相手の言葉を遮らずに聞いてから答えた。
「我々も、貴国を戦争に巻き込むつもりはありません。今回お願いしたいのは、デルファイムの民間港を利用した限定的な補給です。軍港への入港も、軍事施設の使用も要求しません」
「軍艦に燃料や物資を供給すれば、それ自体が軍事支援と見なされる可能性があります。民間港であっても事情は変わりません」
「その懸念は理解しています。ですから、品目と数量を事前に定め、使用する岸壁も指定していただきたい。必要なら、貴国の監督官に補給作業を確認していただいて構いません。滞在時間も、補給と航行に必要な応急処置が終わるまでに限定します」
「それでも、軍艦の活動を支えることには変わりありません」
「ええ。軍艦が航行できなければ、護衛されている民間船も危険にさらされます。その関係を否定するつもりはありません」
ゴードンは、別の資料を相手側へ滑らせた。
「こちらは船団の航海計画です。次の安全な寄港地までの距離、海況、各艦の損傷を反映しています。まずは、民間船への補給と、航行を維持するための燃料を分けて検討していただきたい」
「分けて考えたところで、同じ船団への支援です」
「同じ船団であることは変わりません。ただ、必要性も危険性も同じではありません。避難民を乗せた民間船に食料や水を渡すことと、軍艦に戦闘用の物資を渡すことは、区別できるはずです」
代表は、すぐには答えなかった。
ゴードンは、相手の反応を待った。最初から譲歩を求めすぎれば、相手は中立政策を盾にして話を打ち切るだろう。まずは、拒否しにくい部分から話を進める必要があった。
「避難民船には、食料と飲料水が不足しています。医薬品も足りません。これらについては、軍艦への補給とは切り離し、人道支援として検討していただけないでしょうか」
「供給量と滞在期間を制限する必要があります。物資を渡すために船団が長く滞在するようでは、事実上の拠点を提供することになりかねません」
「その条件は受け入れます。必要量は事前に申告し、補給記録も提出します。許可された範囲を超える物資の搬入や、軍事施設の使用は求めません」
「避難民の上陸については、別の問題です。補給を認めることと、国内に避難民を受け入れることは同じではありません」
「その点も理解しています。ただ、船上での治療を続けられない負傷者や、健康状態が悪化している者がいます。全員を無条件に受け入れてほしいとは申しません。まずは、緊急性の高い患者と、船内での生活を続けることが難しい民間人について、上陸を認めていただきたい」
「受け入れ先の確保も、医療体制の調整も必要です。港湾当局だけで判断できる話ではありません」
「ですから、人数と状態を明記した一覧を提出します。貴国が受け入れ可能な人数と条件を決めてください。こちらはその条件に従います」
代表は隣席の担当官と小声で協議した。
「人道上の緊急性が高い患者については、医療当局に照会できます。その他の避難民についても、港湾当局と自治体の受け入れ能力を確認する必要があります。今ここで、全員の上陸を約束することはできません」
「全員を一度に上陸させる必要はありません。受け入れ可能な人数から段階的に移送する方法もあります。少なくとも、上陸の可否を検討するための協議を、今日から始めていただきたい」
「……その要請は持ち帰ります。受け入れ枠と手続きについて、関係機関との調整を始めることは可能です」
「ありがとうございます」
ゴードンは、それ以上を急がなかった。最初の壁は越えた。ここで上陸人数まで押し込もうとすれば、相手は再び防御に回る。
彼は話題を燃料へ戻した。
「次に、軍艦への燃料供給についてです。対象は二隻に限定します。空母エンデュランスと、護衛のイージス艦ステルウォートです」
代表の眉がわずかに動いた。
「空母とイージス艦を指定するのですか」
「はい。船団の指揮と輸送能力を担うエンデュランス、そして防空と対潜警戒を担うステルウォートです。どちらか一隻でも航行不能になれば、避難民船を安全に先導することが難しくなります」
「我が国が、貴国の艦隊運用に責任を負う理由はありません」
「そのとおりです。艦隊運用を支援してほしいとは申しません。次の安全な寄港地まで、船団を航行させるための最低限の燃料をお願いしています」
「空母への燃料供給は、軍事支援と受け取られるでしょう」
「その可能性は否定できません。だから、作戦行動に必要な燃料は求めません。必要量は、貴国の技術担当者と我々の機関科が共同で算定してください。海況と船体の損傷を考慮し、安全航行に必要な予備分を含めた量だけを申請します」
「申告量が過大でないと、どう確認するのですか」
「共同算定に加え、補給作業には貴国の監督官に立ち会っていただきます。出港時には燃料残量と航路を報告し、到着後も必要な報告を提出します。武器や弾薬、航空機用燃料など、戦闘能力を直接回復させる物資は今回の申請に含めません」
「それでも、ソトアが我が国の行為を軍事支援だと主張する可能性は残ります」
ゴードンは、すぐには答えなかった。
「ええ。結果を保証することはできません。ですが、貴国が何を許可し、何を許可しなかったのかは、記録に残せます。軍港を提供したわけでも、作戦基地を認めたわけでもない。指定した二隻に、航行に必要な燃料だけを供給した。その条件を貴国自身が管理できるようにします」
「記録を残せば問題がなくなる、と?」
「いいえ。問題がなくなるとは申しません。ただ、貴国が選んだ措置を説明するための根拠にはなります」
代表は黙り込んだ。
ゴードンは、相手に考える時間を与えた。中立を守りたいという相手の意志を否定しても、何も得られない。彼らが必要としているのは、支援を認める理由だけではない。支援を認めたあと、自国民と他国に説明できる枠組みだった。
「もし、軍艦への燃料供給を一切認めないのであれば、我々はその判断を受け入れるしかありません」
ゴードンは静かに続けた。
「ただ、その場合、燃料不足によって二隻の航行能力が落ちれば、避難民船を安全に送り届けることも難しくなります。貴国に救助の義務があると言っているのではありません。拒否した場合に何が起きるのか、その可能性も含めて判断していただきたいのです」
「こちらを責めているように聞こえます」
「そう聞こえたのなら、申し訳ありません。責任を押しつけたいわけではありません。ただ、こちらには状況を正確に説明する義務があります」
副長は、隣で黙っていた。ゴードンは相手の懸念を認めながら、拒否した場合に生じる結果を一つずつ机上に置いている。中立を守るために拒否する判断は理解する。だが、その判断によって危険にさらされるのは、軍艦だけではなかった。
避難民船と、そこに乗る民間人だった。
「……仮に検討するとして、我が国が軍艦の燃料を供給することに、どのような制限を設けられますか」
代表の問いに、ゴードンは答えを用意していた。
「対象はエンデュランスとステルウォートの二隻のみ。燃料は次の安全な寄港地までの航行に必要な量に限定し、双方の技術担当者が共同で算定する。補給作業には貴国の監督官が立ち会う。滞在は補給と応急処置に必要な時間だけとし、指定された岸壁以外は使用しない。出港時には燃料残量と航路を報告します」
「必要量の算定結果によっては、供給を認められない可能性もあります」
「承知しています。ただし、安全航行に必要な量をさらに削れば、補給したという事実だけが残り、船団が次の港へ到達できなくなるおそれがあります。最低限の量を、技術的な根拠に基づいて決めていただきたい」
担当官たちは、再び資料に目を落とした。今度は先ほどよりも長く協議している。
やがて代表が顔を上げた。
「軍艦への燃料供給については、現時点で正式な許可を出すことはできません。ただし、エンデュランスとステルウォートの二隻に限り、次の安全な寄港地までの航行に必要な燃料を共同算定すること、ならびに監督と報告の条件を詰めることについては、関係機関との調整を進めます」
「ありがとうございます」
「まだ供給を認めたわけではありません」
「ええ。ですが、検討の条件が明確になりました」
ゴードンは、資料をもう一枚差し出した。
「では、民間船への補給と避難民の上陸について、確認させてください。食料、飲料水、医薬品は人道支援として扱い、数量と滞在時間を限定する。上陸については、緊急性の高い患者を優先し、その他の民間人も受け入れ可能な人数から段階的に移送する。そのための受け入れ枠と条件を、関係機関と協議していただく。これでよろしいでしょうか」
代表は、すぐには答えなかった。
「……上陸の許可は、医療当局と自治体の判断が前提です。ですが、港湾当局の管理下で民間人の上陸を認める方向で調整します。医療上の緊急性が高い患者については優先し、その他の避難民についても受け入れ可能な人数を確認したうえで、段階的な上陸を認める案を検討します」
「案の検討、ですか」
「我が国の手続きを無視することはできません。しかし、今日の協議を受けて、関係機関にはその方針で調整を進めるよう伝えます。民間船への限定的な補給についても同様です」
ゴードンは、代表の表情を見た。
相手は、軍事支援を認めたくない。その姿勢は最初から変わっていない。だが、避難民への支援を拒み続けることにも、限界を感じ始めているようだった。
「わかりました。必要な資料はすぐに提出します。患者の氏名、症状、必要な処置、民間人と軍人の区別。補給品目と数量も、貴国の担当者が確認できる形にまとめます」
「こちらも、関係機関との調整を急ぎます。ただし、正式な決定までは時間が必要です」
「手続きを省略してほしいとは申しません。判断に必要な情報をそろえ、できるだけ早く決定できるよう協力します」
代表は、資料を閉じた。
「本日の協議内容を持ち帰り、外務省、港湾当局、医療当局、関係自治体と調整します。民間船への限定的な補給、避難民の段階的な上陸、そしてエンデュランスとステルウォートへの最低限の航行用燃料について、それぞれ条件を詰めます」
「ありがとうございます」
「ただし、軍艦への燃料供給は、最終的な算定結果と承認手続き次第です。上陸についても、受け入れ可能な人数や移送方法には制限がつくでしょう」
「承知しています。こちらも、貴国が受け入れられる条件を守ります」
ゴードンは立ち上がり、相手側に一礼した。
「回答をお待ちします。船団の状況に変化があれば、すぐに共有します」
会議室を出ると、副長が隣に並んだ。
「軍艦への燃料供給だけでなく、民間船への補給と避難民の上陸についても、調整を進めさせましたね」
「まだ確約ではない。だが、何をどう判断するか、相手に道筋を示させた」
「最初は、軍艦への補給そのものを拒否していたはずです」
「拒否の理由を、条件に変えただけだ」
「条件に変えられれば、あとは一つずつ詰めていける」
ゴードンは、副長を見た。
「そういうことだ。もっとも、最後まで相手の手続きに付き合う必要はあるがな」
「……これまで、艦長のことを誤解していたようです。人脈と運で、危機を切り抜けているのだと思っていました」
「今も、人脈は使っている。あとは、相手がこちらの話を聞く気になってくれるかどうかだ。運にも期待しているさ」
「ですが、助けを引き出す方法を知っている」
ゴードンは、わずかに眉を上げた。
「それは褒めているのか」
「はい」
「なら、受け取っておこう」
会議室へ戻ったゴードンは、すぐに通信端末を取り出した。
「艦に連絡する。エンデュランスとステルウォート、それぞれの必要燃料を別計算でまとめさせろ。機関科には、次の安全な寄港地までの航海計画を、海況と損傷を考慮して再計算させる。作戦予備は削れ。だが、安全航行に必要な分は一滴も削るな」
「承知しました」
「民間船の補給計画と、上陸を希望する避難民の一覧も更新だ。医療上の緊急性、家族構成、移送に必要な支援を整理しろ。許可が出た瞬間に動けるようにする」
「はい、艦長」
廊下の窓の外には、避難民を乗せた船団が待っている。
まだ、正式な許可は出ていない。だが、最初は閉ざされていた扉が、条件付きとはいえ、開く方向へ動き始めた。
それだけでも、大きな前進だった。
「艦長」
副長が呼びかけた。
「何だ」
「本当に、二隻だけで足りるでしょうか」
ゴードンは、窓の外を見た。
空母とイージス艦。最低限の燃料。最低限の航路。最低限の時間。
それは、勝つための条件ではない。
誰も失わずに、次の海域へたどり着くための条件だった。
「足りるようにする」
ゴードンは、静かに言った。
まだ、解決した問題よりも、残された問題の方が多い。それでも、船団が次へ進むための道筋は、確かに見え始めていた。
____
最終的な回答が届いたのは、長い調整の末だった。
デルファイムの民間港における、限定的な補給を認める。
食料、飲料水、医薬品は、人道支援として事前に申告した数量を供給する。使用できる施設は指定された範囲に限り、滞在期間にも制限を設ける。港湾当局の指示に従い、補給が完了すれば速やかに出港すること。本格的な軍事施設の使用や、戦闘能力を回復させるための整備は認められない。
避難民の上陸についても、条件付きで認める。医療上の緊急性が高い患者を優先し、その他の民間人についても、受け入れ可能な人数から段階的に移送する。受け入れ先と移送方法はサンサルバシオン側の関係機関と調整し、船団側は必要な名簿と健康状態を提出すること。全員の一斉上陸ではないが、少なくとも上陸そのものを拒否する方針は撤回された。
そして、もう一つ。
空母エンデュランスとイージス艦ステルウォートの二隻に限り、次の安全な寄港地までの航行に必要な燃料の補給を認める。供給量は双方の技術担当者による算定に基づき、航海上必要な予備分を含む最低限に限定する。補給作業にはサンサルバシオン側の監督官が立ち会い、両艦は出港時に燃料残量と航路を報告すること。
その条件をもって、民間船への補給、避難民の段階的な上陸、そして二隻への燃料供給が正式に確約された。
ゴードンは、回答を最後まで聞いてから、深く息を吐いた。
「……ありがとうございます。こちらは提示された条件に従います」
通信が終わった。
ゴードンは椅子の背もたれに体を預けた。
「よし……」
小さな声だった。
派手な勝利の宣言も、拳を突き上げるような仕草もない。
ただ、これで船団は補給を受けられる。
民間船には食料と水、医薬品が届く。エンデュランスとステルウォートには、次の安全な寄港地まで航行するための燃料が供給される。少なくとも、船団がこのまま海上で消耗し続け、航行能力まで失う事態は避けられる見通しが立った。
中立国の立場を尊重しながら、必要な支援を引き出した。
軍艦への補給を無条件に認めさせたわけではない。対象を二隻に限定し、数量を共同で算定し、監督と報告の義務を受け入れた。それでも、当初は軍艦への燃料供給そのものを拒まれていたことを考えれば、十分に大きな成果だった。
ゴードンは目を閉じ、しばらく動かなかった。
ようやく、一つ片づいた。
そう思ったとき、机の上に残された資料が目に入った。
避難民の受け入れ。
上陸の許可は得られた。だが、実際に誰を、どこへ、どの順番で移送するのかは、まだ決まっていない。受け入れ先を確保し、輸送手段を用意し、生活物資や医療体制を整える必要がある。上陸できる人数にも段階的な制限があり、船団側が提出する名簿と健康状態をもとに、関係機関との調整を続けなければならなかった。
地方自治体や医療機関、民間の輸送業者まで巻き込んだ調整が必要になるだろう。軍艦の補給とは別の意味で、厄介な仕事だった。
「……まだ残っているのか」
ゴードンは額を押さえた。
大きな仕事を一つ片づけたはずなのに、目の前には次の問題が待ち構えている。
「艦長」
副長が、資料を手に声をかけた。
「補給の確約が取れたことは、間違いなく大きな成果です。これで、船団が次の寄港地を目指すための最低限の条件は整いました」
「そうだな」
「ですが、避難民の受け入れ先や移送手段については、まだ調整が必要ですね」
「そうだな……」
ゴードンは、机上の資料から目を離さなかった。
副長は、そんな彼をしばらく見ていた。
「ただ……そのあたりは、空母艦長の仕事というより、外交官の仕事なのではありませんか?」
半ば本気で、半ば冗談めかした口調だった。
ゴードンは黙っていた。
副長は、嫌な予感がした。
この男がこういうときに黙るのは、何も考えていないからではない。ろくでもないことを考えているときも、同じ顔をする。
やがて、ゴードンはひどく疲れた顔で答えた。
「本艦は人手が……足らない」
副長の目が、わずかに見開かれた。
それは、戦争が始まって以来、副長が何度となく口にしてきた言葉だった。
人員が足りない。時間が足りない。予算も、物資も、休息も足りない。
足りないものを数え上げればきりがなく、そのたびに副長は胃を痛めながら、現場に無理を頼んできた。
その言葉を、普段あまり働いてこなかった艦長が、今になって口にする。
冗談のつもりなのだろう。
だが、副長にとっては、笑える冗談ではなかった。
「……艦長」
「何だ」
「今のは、私の口癖を真似したつもりですか?」
「そう聞こえたか」
「聞こえましたとも」
副長は、こめかみを押さえた。
ゴードンは、必要な場面で指示を出してはきた。だが、日々の人員配置を組み替え、当直を調整し、疲弊した乗員の休息時間を確保し、専門外の仕事まで誰に担わせるかを決めてきたのは副長だった。
誰かが倒れれば、残された人間の負担が増える。
誰かを休ませれば、別の誰かが穴を埋める。
無理を頼まなければ船が止まり、無理を頼めば人が壊れる。
その間で胃を痛め、部下の限界を見極めながら、どうにか現場を回してきた。
だからこそ、「本艦は人手が……足らない」という言葉は、副長にとって苦い口癖だった。
それを、艦長が口にする。
「……笑えませんよ」
「冗談だった」
「分かっています。だから笑えないんです」
ゴードンは、わずかに視線を逸らした。
副長は、深く息を吐いた。
この男は、悪びれていないわけではない。
ただ、これまで自分がどれだけ働いていなかったのかを、あまり自覚していないだけだ。
副長は、何度もその尻拭いをしてきた。
そして、そのたびに、現場の人間へ無理を頼んできた。
その象徴の一つが、レイだった。
レイは、もともと英雄ではなかった。
空軍のパイロットとして、ソトアとの地獄の三か月を生き延びた猛者ではある。FCUをほぼ横断するように戦場を渡り、何度も死線をくぐり抜けてきた。だが、その名が国民に知られていたわけではない。軍の広報に掲げられるような、華々しい戦果を持つ英雄でもなかった。
彼は、ただ生き残ってきた。
それだけで十分に卓越した技量と経験の証明だったが、戦争は必ずしも、そうした人間を英雄として扱うわけではない。
コープは、違った。
シーヴの翼。
その呼び名は、コープが首都シーヴからの撤退戦で見せた一度の戦闘を、海軍と政府が徹底的に膨らませて作り上げた英雄像だった。
撤退する味方の時間を稼ぐため、コープは単騎で敵の大軍を引きつけ、翻弄した。
それは、疑いようのない事実だった。
圧倒的に不利な状況で、彼は敵の攻撃をかわし、進路を乱し、追撃部隊を自分へ引き寄せた。その結果、味方は撤退の時間を得た。
だが、そこから先はプロパガンダだった。
単騎で敵の大軍を打ち破った。
首都を守り抜いた。
シーヴの空に舞い降りた奇跡。
シーヴの翼がある限り、FCUは屈しない。
実際には、コープは敵を倒し尽くしたわけではない。味方が逃げるための時間を稼ぎ、どうにか生還しただけだ。それでも、戦況が悪化し、敗北の報が積み重なる中で、軍と政府はその事実を英雄譚へと作り替えた。
国民に必要だったのは、勝利の報告ではなかった。
まだ負けていないと信じるための象徴だった。
コープは、その象徴に選ばれた。
英雄という存在は、戦場で生まれる。
だが、英雄という物語は、戦場の外でも作られる。
大陸戦争におけるメビウス1も、そうした存在だった。
ISAFの反攻を支え、エルジア軍を相手に数々の戦果を挙げたパイロット。彼の名は、戦場で積み重ねた実績によって広く知られるようになった。
メビウス1が戦う限り、ISAFには勝機がある。
その存在は、劣勢に立たされた兵士たちにとって、単なる一人のエースパイロット以上の意味を持っていた。
彼が飛び続けることそのものが、まだ戦えるという証明になった。
メビウス1は、実際に戦い、勝利を積み重ねることで伝説になった。
コープもまた、戦場で確かな功績を残した。
だが、二人の置かれた状況は違っていた。
メビウス1の伝説は、彼自身が戦い続けることで更新されていった。一方、コープの伝説は、戦況の悪化とともに、本人の実像から離れていった。
撤退戦で敵を引きつけ、味方を逃がす時間を稼いだ。
それだけでも、十分に価値のある戦果だった。
しかし、軍と政府が必要としたのは、その事実を正確に伝えることではなかった。
コープが敵の大軍を打ち破った。
シーヴの空を守り抜いた。
彼が飛び続ける限り、FCUは屈しない。
事実は少しずつ形を変え、やがて、敗北が続く国民に希望を与えるための物語になった。
メビウス1のような英雄が必要とされたのは、彼が実際に勝利を重ねていたからだ。
だが、FCUに必要だったのは、勝利を重ねる英雄ではなかった。
敗北が続いても、まだ負けていないと信じさせてくれる英雄だった。
その違いは、戦争が追い詰められるほど大きくなっていった。
彼が空にいる限り、FCUはまだ戦える。
彼が飛び続ける限り、シーヴは倒れていない。
そういう物語が、何度も繰り返し放送された。
その結果、コープは敵にとっても特別な存在になった。
高脅威目標。
あるいは、賞金首。
敵のパイロットたちは、シーヴの翼を見つければ、他の機体を後回しにしてでも追いかけた。彼を撃墜すれば、戦果として大きく宣伝できる。逆に言えば、コープとして飛ぶ者は、最初から集中的に狙われることになる。
英雄の名を背負うということは、栄誉だけを受け取ることではない。
敵の照準まで、まとめて引き受けることだった。
普通に考えれば、貧乏くじだった。
コープが死んだとき、失われたのは一人のパイロットだけではなかった。
海軍が作り上げた物語そのものが、崩れかけた。
シーヴの翼が折れた。
FCUの最後の希望が消えた。
そう受け取られれば、前線だけでなく、国内の士気まで崩れかねない。
海軍上層部は、コープの死を公表できなかった。
いや、正確には、公表することを許さなかった。
彼は戦死していない。
コープは、まだ飛んでいる。
そう見せなければならなかった。
最初に候補に挙がったのは、コープの二番機を務めていたバクスターだった。
彼なら、コープの飛び方を知っている。長く同じ編隊で戦い、互いの癖も、判断の間合いも理解している。コープの代わりに飛ぶという意味では、これ以上の人間はいないように思えた。
だが、バクスターには別の問題があった。
彼はすでに、海軍内では名の知れたベテランエースパイロットだった。
戦果も、顔も、経歴も知られている。コープの影武者として飛ばせば、すぐに別人だと気づかれる。そもそも、バクスター自身が一人の英雄として扱われており、コープの名を被せるには存在感がありすぎた。
コープの代わりにするには、有名すぎた。
そこで、別の候補が探された。
海軍内で名を知られていない者。
コープと同じ部隊の出身ではなく、過去の戦歴も広く知られていない者。
それでいて、前線で生き残れる技量を持ち、戦闘機を操れる者。
その条件に当てはまったのが、元空軍パイロットのレイ大尉だった。
レイは、ソトアとの三か月を生き延びていた。
FCUをほぼ横断しながら、崩壊していく戦線を渡り歩き、補給の途絶えた基地から基地へ移り、何度も敵の攻撃をくぐり抜けてきた。彼は、戦場を知らないわけではない。むしろ、知りすぎているほどだった。
ただ、その名が知られていなかった。
それが、影武者としては都合がよかった。
レイなら、コープとして飛ばせる。
コープの名を背負わせても、すぐには別人だと疑われない。
そうして、レイはコープの影武者に選ばれた。
メビウス1なら、どうしただろうか。
副長は、ふとそんなことを考えた。
彼ほどのパイロットなら、誰かの代わりを演じる必要はなかっただろう。彼自身の戦果が、彼の名を支えていた。少なくとも、別人を用意してまで、その存在を維持する必要はない。
だが、メビウス1でさえ、戦場の外では一人の人間にすぎない。
周囲が彼に何を期待し、どれほどの希望を託したのか。その重さを、本人がどこまで望んでいたのかは、また別の問題だった。
英雄であることは、本人の意思だけでは決まらない。
戦果を挙げれば、周囲はその人間に期待する。
期待に応えれば、さらに大きな期待が寄せられる。
やがて、その人間が何を望んでいるのかよりも、周囲が何を必要としているのかが優先されるようになる。
コープは、まさにその場所にいた。
そして、彼が死んだ後、その場所を空けておくことさえ許されなかった。
必要なのは、コープ本人ではない。
コープが生きていると、誰もが信じられることだった。
そのために、レイが選ばれた。
だが、計画の担当官は、レイに英雄らしく振る舞えとは言わなかった。
むしろ、逆だった。
「航空無線では、なるべく発言しないでください」
担当官は、資料から目を上げずに言った。
「コープ中佐の声を知っている者が聞けば、違和感を持つ可能性があります。余計な会話は避けてください。必要な報告と指示だけで結構です」
レイは、しばらく黙っていた。
「つまり、喋るなと」
「正確には、コープ中佐ではないと気づかれないようにしてほしい、ということです」
「敵にですか」
「敵にも、味方にもです」
それは、影武者としての役割を端的に示していた。
レイは、コープのように戦えと命じられたわけではない。
コープとして存在しろと命じられたのだ。
声を出さず、余計な癖を見せず、必要なときだけ姿を現す。
敵にとっては高脅威目標であり、賞金首に近い存在として狙われる。
味方にとっては、まだ生きている英雄として士気を支える。
その両方を、レイが引き受ける。
レイが撃墜され、生死の境を彷徨った後、彼をコープの代わりとして戦闘機に乗せるよう命じたのは、副長自身だった。
病み上がりのレイを、再び戦場へ戻す。
しかも、ただの補充要員としてではない。コープの代わりを務めるために、コープの名を背負い、コープの位置に立ち、コープが担っていた役割を引き受けさせる。
それがどれほど酷な命令なのか、副長には分かっていた。
分かっていたからこそ、命令を下した瞬間から、内心では罪悪感で死にそうだった。
医師の懸念も、レイの身体がまだ完全には戻っていないことも、本人がどれほど消耗しているかも知っていた。それでも、戦況が悪すぎた。
コープの穴を埋められるファイターパイロットが、他にいなかった。
いや、正確には、コープの穴を埋めるだけでは足りなかった。
海軍が必要としていたのは、コープの戦力だけではない。
コープが生きているという事実そのものだった。
彼が空にいる。
彼がシーヴの翼として飛んでいる。
それを、前線にも、国内にも、信じさせなければならなかった。
今の船団において、ファイターパイロットは同じ重さの純金よりも遥かに貴重だった。
機体があっても、飛ばせる人間がいなければ戦力にはならない。経験があり、判断力があり、極限状態で機体を操れる者となれば、なおさらだ。
その一人を失えば、単に一機分の戦力が減るのではない。
編隊が崩れ、護衛範囲が狭まり、他のパイロットに負担が集中する。やがて別の誰かが限界を迎え、さらに穴が広がる。
そして、コープのように象徴として扱われたパイロットを失えば、戦力だけでなく、軍全体の士気まで揺らぐ。
だから、副長は命じた。
レイに、コープとして飛べ、と。
命令を出したのは副長だった。
ゴードンではない。
誰かに責任を押しつけられたわけでもない。副長自身が、レイの顔を見て、コープの名を背負えと命じた。
レイは従った。
拒むこともできたはずなのに、彼は戦闘機へ戻った。
その背中を見送りながら、副長は、自分が一人の人間を戦場へ押し戻したのだと理解していた。
しかも、ただ戦場へ戻したのではない。
死んだ英雄の代わりに、英雄として振る舞えと命じたのだ。
コープの飛び方を真似ろ。
コープの声は、できるだけ使うな。
コープが生きていると、誰もが信じられるようにしろ。
その役割は、レイ自身の名前を消すことに等しかった。
人手が足りない。
その一言で、誰かが無理を引き受ける。
誰かが、まだ休めない者を現場へ戻す。
誰かが、別の誰かの代わりになる。
そして、その命令を下す人間もまた、無傷ではいられない。
副長は、あのときからずっと、レイに対する罪悪感を抱えていた。
それでも、命令を撤回できなかった。
戦況が悪すぎた。
船団を守るためには、レイの技量が必要だった。
そして、FCU海軍が最後の希望を失っていないと見せるためにも、彼が必要だった。
必要だったからこそ、余計に苦しかった。
レイを一人の人間として見れば、休ませるべきだった。病み上がりの身体を戦闘機に乗せるべきではなかった。コープの影武者などという役割を背負わせるべきではなかった。
だが、指揮官として見れば、彼を飛ばさなければならなかった。
その二つの判断が、どちらも正しく、どちらも間違っているように思えた。
副長は、今でもあの命令を思い出すたび、胃の奥が締めつけられる。
「……メビウス1も、同じだったのでしょうか」
副長が、ぽつりと言った。
「何がだ」
「英雄であることです。本人が望んだかどうかに関係なく、周囲が勝手に期待を寄せて、その期待に応え続けることを求められる」
ゴードンは、しばらく考えていた。
「少なくとも、彼が戦果を挙げるたびに、周囲の期待が大きくなったことは間違いないだろう」
「ええ。彼は、その期待に応え続けた。だからこそ、伝説になった」
副長は、机上の資料に目を落とした。
「でも、コープ中佐は違った。彼が死んだ後も、軍は彼が飛び続けることを必要とした。そのために、レイ大尉を使った」
「レイ大尉自身にも、戦う理由はあったはずだ」
「そうです。彼は自分の意思で戦闘機に戻った。命令に従っただけではなく、彼自身も必要とされることを理解していたのでしょう」
副長は、一度言葉を切った。
「だからといって、何を背負わせてもいいわけではありません」
「……そうだな」
「メビウス1が本物の英雄だったからといって、彼に何を要求してもよかったわけではない。コープ中佐が英雄に仕立て上げられたからといって、レイ大尉にその代わりを務めさせていいわけでもない」
副長は、静かに続けた。
「英雄が必要だということと、英雄に何をさせてもいいということは、別の話です」
ゴードンは答えなかった。
「私たちは、レイ大尉が必要だった。戦力としても、士気を支える存在としても。彼が飛ばなければ、困る人間が大勢いた。それは事実です」
副長は、ゆっくりと息を吐いた。
「でも、その必要性を理由にして、彼が一人の人間であることを忘れてはいけなかった」
「君は、忘れていたと思うのか」
「いいえ」
副長は、首を横に振った。
「忘れていなかったから、苦しいんです」
レイを休ませるべきだと分かっていた。
それでも、飛ばした。
彼が必要だったから。
そして、その判断が正しかったかどうかを、今でも答えられない。
「……艦長。英雄が必要なことは、私にも分かります。戦争では、戦力だけでは足りない。人間は、勝てると信じるための何かを必要とすることがある」
「そうだな」
「でも、その希望を維持するために、誰か一人の人生を使い潰すことまで、当然だとは思いたくありません」
ゴードンは、ゆっくりと視線を上げた。
「私も、そう思う」
「では、どうして私たちは、同じことを繰り返すのでしょう」
ゴードンは、すぐには答えられなかった。
必要だから。
ほかに方法がないから。
失えば、もっと多くの人間が危険にさらされるから。
理由はいくつもあった。
どれも間違いではない。
だが、どれも、レイに何を背負わせたのかという問いへの答えにはならなかった。
ゴードンは、無茶を言っている自覚がないわけではない。
だが、無茶を引き受ける側の痛みを、実際に背負ってきたわけでもない。
その違いを、副長は知っていた。
知っているからこそ、腹が立った。
「……まったく」
副長は、長く息を吐いた。
「本当に、人手が足りませんね」
「そうだな」
「艦長が言うと、余計に腹が立ちます」
「それは悪かった」
ゴードンは、珍しく素直に謝った。
副長は、言いかけた言葉を飲み込んだ。
腹は立つ。
無茶ぶりにも、仕事を増やされることにも、誰かが限界を超えるまで働かなければならない状況にも。
そして何より、自分がその無茶を引き受けるしかないことにも。
元来、放っておけない性分だった。困っている人間がいれば手を差し伸べるし、現場の人間が理不尽な負担を背負わされていれば、上に掛け合ってでも何とかしようとする。
それが姉御肌と呼ばれるような性分なのだろう。
だが、この戦争では、その性分が自分自身を追い詰めることもあった。
誰かを守ろうとすれば、別の誰かに負担が回る。負担を減らそうとすれば、別の場所に穴が開く。すべてを救おうとすれば、どこかで無理が生じる。
正解のない判断を繰り返し、その結果に責任を持つ。
それが副長の仕事だった。
「……分かりました」
副長は、手元の資料を抱え直した。
「避難民の上陸について、関係機関との調整案を作ります。受け入れ人数、医療支援、輸送手段、滞在期間。必要な部署を洗い出して、交渉に必要な情報を整理します」
「助かる」
「ただし」
副長は、ゴードンをまっすぐ見た。
「もう少し普段から働いてください」
ゴードンは、少しだけ目を細めた。
「分かっている」
「本当ですか」
「……努力する」
「その返事が一番信用できないんです」
副長は、今度こそ苦笑した。
ゴードンも苦笑を返す。
その短いやり取りの間だけは、二人とも、ほんの少しだけ肩の力を抜くことができた。
しかし、机の上には、まだ処理すべき書類が残っている。
窓の外には、補給を待つ船団がいる。
そして、その船団には、帰る場所を失った人々が乗っていた。
その中には、ソトアとの地獄の三か月を生き延び、今は別人の名を背負って戦闘機に乗るレイもいる。
彼は英雄ではなかった。
英雄に仕立て上げられた男の代わりに、英雄として狙われているだけだった。
敵にとっては高脅威目標であり、味方にとっては希望の象徴。
そのどちらも、レイ自身が望んだものではない。
それでも、彼が飛び続ける限り、FCU海軍はまだ敗北していない。
少なくとも、そう見せなければならない。
仕事は、まだ終わらない。
____
短いコーヒーブレイクを取っていた二人のもとに、来客があった。
「お取り込み中のところ、失礼します」
会議室の入口に立っていたのは、DDだった。
副長は、内心で小さくため息をついた。
DDのことは知っている。
エンソー・オーダーの職員として艦内に出入りしており、現場でも何度か顔を合わせたことがある。礼儀正しく、物腰も柔らかい。仕事の話をすれば、必要な情報を手際よくまとめ、こちらが頼む前に手配を済ませていることさえあった。
有能なのは間違いない。
だからこそ、どうにも胡散臭かった。
何より、艦内を歩き回る姿が、まるで自分の船であるかのように自然なのだ。艦の構造や乗員の動きにも妙に詳しい。広報担当官という肩書きだけでは説明のつかない場面を、これまで何度も目にしていた。
もちろん、エンソー・オーダーはFCU海軍最大のスポンサーだ。艦艇の整備や装備の調達、細々とした物資の供給に至るまで、その支援は海軍の活動を支えている。DDが艦内で活動すること自体、正式に認められたものだった。
彼を無下に扱うわけにはいかない。
それに、レイの件もある。
医師からの報告によれば、レイが撃墜された後、エンソー・オーダーが何らかの処置に関与したという。詳細は医師にも明かされていなかった。どのような技術が使われ、何が行われたのか。副長にも分からない。
ただ、瀕死だったレイが回復できたことには、その処置が関わっているらしい。
命を救ってくれたことには感謝している。
しかし、何をされたのかも分からない相手を、無条件に信用できるかといえば、それは別の話だった。
副長は警戒心を表に出さず、いつもどおりの態度でDDを迎えた。
一方、ゴードンにとって、DDは初対面だった。
艦長室にいることの多いゴードンは、DDの名前も活動も、これまで又聞きで知っている程度だった。
「初めまして、ゴードン少将。ルーカス・ディエス・ドニファンです。DDと呼んでいただいて構いません」
DDは、何でもないことのように名乗った。
副長は、内心で首を傾げた。
……こいつ、そんな名前だったのか。
普段はDDとしか呼ばないため、本名を意識したこともなかった。聞いたところで、特に思い当たることもない。
だが、ゴードンの反応は違った。
ルーカス・ディエス・ドニファン。
その名を聞いた瞬間、ゴードンの頭の中で、ある情報が結びついた。
ドニファン財団。
世界規模で事業を展開する巨大財団。その後継者が、確かそんな名前ではなかったか。
ゴードンは表情を変えなかった。
驚きを顔に出すことも、露骨に警戒することもない。ほんの一瞬、DDの顔に視線を留めただけで、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「これは、ご丁寧に。私はジョン・ゴードンです。エンソー・オーダーには、日頃から大変お世話になっています」
「いえ。こちらこそ、FCU海軍の皆様には、いつもお世話になっております」
「艦艇の整備から細かな物資の調達まで、貴組織の支援には助けられています。エンデュランスも、さまざまな場面で恩恵を受けている。改めて感謝します」
言葉は丁寧だった。
だが、ゴードンの目の奥は笑っていなかった。
DDも、それに気づいているのかいないのか、変わらぬ笑みを浮かべている。
「その件で、少しお役に立てるかと思いまして」
DDは、手元のタブレットを操作し、資料を差し出した。
「デルファイムにもエンソー・オーダーの支部があります。現地の調達網を利用すれば、船団に必要な物資の確保をお手伝いできるはずです」
「それはありがたい。具体的には、どの程度の量を?」
ゴードンが尋ねると、DDは画面に数字を示した。
その量を見て、ゴードンは一瞬、言葉を失いかけた。
こちらが想定していた必要量を上回っている。
しかも、少し余裕を持たせて見積もった数字だ。損傷した艦艇と、相当な規模に膨れ上がった避難民船団。その両方を支えるために必要な物資を、即日で用意できるという。
ゴードンがサンサルバシオン側に提出した要求量は、最初から無理を承知で送ったものだった。民間港の調達能力を考えれば、すべてを満たせるとは思っていない。必要量を示し、交渉の結果として少しでも多くを確保できればよい。そう考えていた。
ところが、DDが示した数字は、その要求をさらに上回っていた。
「……これは、ずいぶんと助かりますね」
ゴードンは、表情を崩さずに答えた。
「必要な物資の一覧と、港湾当局との調整事項はこちらから渡します。手配をお願いできますか」
「承知しました。現地支部を通じて、できる限りのことをいたします」
「ありがとうございます」
ゴードンは、にこやかに微笑んだ。
内心では、別のことを考えていた。
さすが、世界規模の企業だ。
FCU海軍最大のスポンサーというだけではない。サンサルバシオンにも、これほど深く根を張っているとは。
現地に支部があること自体は不思議ではない。だが、これだけの量を即日で確保できる調達網があるというのは、相当な規模だ。
いや、規模だけの問題ではない。
調達先との関係。在庫。輸送手段。港湾当局との調整。これだけの量を短時間でまとめるには、現地に相当な基盤が必要になる。単に金を積めば済む話ではない。
……なら、ソトアではどうなのだろう。
一瞬、そんな考えがよぎった。
これほど広い活動範囲を持つ組織なら、ソトアにも拠点や取引先を持っている可能性はある。
だが、それだけで何かを疑うのは早計だ。複数の国で事業を展開している企業など珍しくもない。今ある情報だけで、何かを結びつけることはできない。
……いや、材料が足りなすぎる。考えすぎだ。
ゴードンは、その考えを頭の隅へ押しやった。
今は、目の前の船団をどうにかすることが先だ。
「それにしても、エンソー・オーダーの支援体制には驚かされますね」
ゴードンは、笑顔のまま言った。
「これほどの物資をすぐに用意できるとは。現地支部の方々にも、よろしくお伝えください」
「ええ。皆、できる限り協力したいと申しております」
「それは心強い」
二人は笑顔で言葉を交わした。
その間、副長は黙って様子を見ていた。
DDが何を考えているのかは、相変わらず分からない。
そして、ゴードンが何に気づいたのかも分からなかった。
ただ、二人の間には、表面上の友好的な会話とは別の何かが流れているように感じられた。
互いに笑顔を崩さない。
互いに礼儀を守る。
だが、その笑顔の下では、相手の言葉を一つずつ確かめるような、静かな緊張があった。
「……DD」
ゴードンは、ふと思い出したように口を開いた。
「一つだけ、確認しておきたいことがあります」
「何でしょうか」
「レイ大尉の件です。彼の命を救うために、貴組織が何らかの処置を行ったと聞いています。あの状態から回復できたことについては、感謝しています」
DDは、静かに頷いた。
「それは何よりです」
「ただ、本人の今後にも関わることです。医師にも詳細が明かされていないと聞きました。何が行われたのか、こちらが把握できていないことについては、少々気になっています」
声は穏やかだった。責めるような口調でも、問い詰めるような態度でもない。
しかし、言葉の意味は明確だった。
助けてもらったことには感謝する。だが、何が行われたのかを知らないまま、すべてを任せるつもりはない。
DDは、ほんの一瞬だけ黙った。
「ご懸念は理解できます。ただ、あのときはレイ大尉の命を救うことが最優先でした。詳細については、私からお話しできることにも限りがあります」
「そうですか」
ゴードンは、それ以上追及しなかった。
「少なくとも、彼が回復したことについては感謝しています。今後も彼の状態について、必要な情報があれば共有していただきたい。それだけです」
「承知しました。可能な範囲で対応いたします」
「お願いします」
短い会話だった。
だが、ゴードンはDDの反応を見ていた。
彼が何かを隠していると断定できる材料はない。ただ、話せることと話せないことの境界が、あまりにもはっきりしているように感じられた。
しかも、その境界を決めているのは、現場の医師でも、治療を受けた本人でもない。
エンソー・オーダーだった。
ゴードンは、そのことを覚えておくことにした。
DDが、少しだけ声を落とした。
「それから、もう一つ」
「何でしょう」
「今回の補給についてですが」
DDは、タブレットの画面を消した。
「我が社の力を使えば、もう少しお役に立てるかもしれません」
ゴードンの笑みが、わずかに止まった。
隣で聞いていた副長も、DDへ視線を向ける。
「……と、言いますと?」
「サンサルバシオンとの協定では、搬入できる物資の量や種類に制限があるのでしょう。ですが、我が社の調達網を使えば、その枠を超える量を用意することも可能です」
DDは、まるで追加のコーヒーを勧めるような口調で言った。
「もちろん、表向きの手続きとは別の形になります。港湾当局との調整も、我々の方で対応できます」
一瞬、会議室の空気が変わった。
副長は、思わず言葉を失った。
ゴードンも、すぐには返事をしなかった。
物資の追加調達。
それは、今の船団にとって喉から手が出るほど欲しいものだった。食料も水も医薬品も、余裕があるわけではない。損傷した艦艇の修理に必要な資材も不足している。避難民の数を考えれば、補給は多ければ多いほどいい。
しかも、正規の協定で認められた量を超えて用意できるという。
魅力的な提案だった。
あまりにも、魅力的すぎた。
DDは、二人の反応を見てから、さらに声を落とした。
「……もちろん、食料や医薬品だけではありません」
副長の眉がわずかに動いた。
「艦載機用のミサイル。ジェット燃料。必要であれば、イージス艦用の対空ミサイルも」
その言葉は、会議室の空気を一段冷やした。
ゴードンは、DDの顔を見た。
DDは、まるで機密情報を扱うように口元へ手を添え、囁くように続けた。
「正規の補給では、軍用装備の搬入は難しいでしょう。ですが、我々なら調達先も輸送経路も用意できます。表向きには、別の貨物として扱うことも可能です」
副長は、反射的に会議室の扉へ目を向けた。廊下に人影はない。それでも、声を潜めなければならない話であることは明らかだった。
「……それは、単なる物資の融通という話ではありません」
副長が低く言った。
「承知しています」
DDは、穏やかに答えた。
「だからこそ、ゴードン少将にだけお伝えしています」
その言い方に、ゴードンの目が細くなった。
「私にだけ、ですか」
「少なくとも、今この場では」
DDは否定しなかった。
「エンソー・オーダーは、必要なものを用意できます。艦載機の運用を維持するためのミサイルも、飛行を続けるための燃料も。イージス艦の防空能力を補う対空ミサイルも、数量次第では手配可能です」
「数量次第では、というのは?」
「必要量と、納期と、対価の問題です」
DDは、淡々と答えた。
「金銭だけとは限りません。輸送の安全。受け取り側の秘匿。場合によっては、我々が指定する窓口を通していただくこともあるでしょう」
ゴードンは、黙ってDDを見つめた。
食料や医薬品の不足とは、意味が違う。
ミサイルも燃料も、船団を守るために必要なものではある。艦載機が飛べなければ、偵察も護衛もできない。イージス艦の対空ミサイルが尽きれば、船団全体が空からの攻撃にさらされる。
だが、それらは同時に、戦争を継続するための軍需品でもある。
中立国の協定を迂回して持ち込めば、単なる補給違反では済まない。サンサルバシオンの中立性を損ない、FCU海軍そのものを国際的な非難にさらす可能性がある。
「……それが発覚した場合、どうなるかは理解されていますか」
ゴードンは、先ほどと同じ問いを繰り返した。
「もちろんです」
DDは、即答した。
「ですから、こちらで対応すると申し上げているのです」
「軍用装備の密輸を、貴組織が処理できると?」
「密輸という言葉は、少々刺激的ですね」
DDは、わずかに笑った。
「我々は、必要な貨物を、必要な場所へ届けるだけです。どの国の法に触れるかは、貨物の名目と手続きによって変わります」
「それを密輸と呼ぶのではないですか」
ゴードンの声が、初めてわずかに硬くなった。
DDは、しばらく彼を見つめた。
「ゴードン少将。私は、あなたに違法行為を勧めているつもりはありません」
「では、何を勧めているのです」
「選択肢をお伝えしているだけです」
DDは、静かに言った。
「正規の補給だけでは、いずれ不足するでしょう。艦載機のミサイルも、ジェット燃料も、イージス艦の対空ミサイルも。必要になったとき、手配できる組織がある。その事実を知っておいていただきたいのです」
副長は、DDの言葉を聞きながら、背中に冷たいものが流れるのを感じていた。
この男は、今すぐ受け取れと言っているわけではない。
ただ、必要になったときに頼れるよう、選択肢として提示している。
だが、その選択肢を一度知ってしまえば、次に弾薬が尽きかけたとき、燃料が不足したとき、誰もがそれを思い出すだろう。
そして、そのときには、断ることが今より難しくなる。
「……それは、サンサルバシオン政府の承認を得ずに、という意味ですか」
ゴードンは、慎重に言葉を選んだ。
「承認という言葉をどう捉えるかによりますね」
DDは、微笑んだままだった。
「我々は政府間の協定そのものに手を加えるつもりはありません。ただ、物資の調達や輸送には、さまざまな方法があるということです」
「つまり、協定で定められた枠の外から搬入する、と」
「そのように表現することもできるでしょう」
副長は、DDの顔を見つめた。
この男は、何を言っているのだろう。
中立国が、交渉を重ねた末にようやく認めた限定的な補給だ。軍艦への燃料供給に至っては、対象を二隻に絞り、数量を算定し、監督官の立ち会いと航路の報告まで条件に付けられている。
それを、民間企業の調達網で迂回する。
しかも、悪いことを提案しているという自覚があるのかないのか、DDは終始穏やかな表情を崩さない。
ゴードンは、DDを見据えた。
「ありがたい申し出です。ですが、我々はサンサルバシオン政府との協定に基づいて行動しています。先方が認めた範囲を超えて物資を搬入することは、こちらとしても看過できません」
「そうですか」
DDは、残念そうに眉を下げた。
だが、落胆しているようには見えなかった。
「船団の状況を考えれば、少しでも多くの物資が必要だろうと思ったのですが」
「そのとおりです。正直に言えば、非常に魅力的な提案です」
ゴードンは、そこで一度言葉を切った。
「しかし、我々が必要としているのは、物資だけではありません。次の寄港地へ向かうまで、船団の安全を確保することも必要です。中立国との信頼関係を損なえば、今後の航行にどのような影響が出るか分からない」
「なるほど」
「それに、貴組織がどのような手段で協定の枠を超えるのか、私は把握していません。その状態で、船団を巻き込む判断はできません」
ゴードンは、穏やかな口調を保っていた。
「お気持ちには感謝します。しかし、その提案はお受けできません」
DDは、しばらくゴードンを見つめていた。
その目に、失望も怒りも浮かんでいない。
ただ、相手がどう判断する人間なのかを確かめるような静けさがあった。
「承知しました。ゴードン少将のご判断を尊重します」
あまりにもあっさりした返答だった。
食い下がることも、説得することもない。
まるで、断られることまで最初から想定していたかのようだった。
「では、協定の範囲内で、可能な限りの物資を手配いたします。それでも、正規の補給だけでは不足するものが出てくるかもしれません。その際は、改めてご相談ください」
「ええ。正規の手続きで可能な支援については、ぜひお願いしたい」
「かしこまりました」
DDは、いつもの笑顔に戻った。
「それでは、私は手配に入ります。必要なことがあれば、いつでもお声がけください」
「よろしくお願いします」
ゴードンも頭を下げた。
DDが会議室を出ていく。
その背中が見えなくなっても、二人はしばらく口を開かなかった。
先に沈黙を破ったのは、副長だった。
「……艦長。今の提案は、受けるべきではなかったと思います」
「私もそう判断した」
「ですが、物資は必要です。あれだけの量を追加できるなら、船団にとっては大きな助けになったはずです」
「そうだな」
ゴードンは、机上のタブレットに目を落とした。
「だからこそ、危険なんだ」
「危険、ですか」
「我々は、何を差し出すことになるのかも分からないまま、物資を受け取ろうとしていた」
ゴードンは、ゆっくりと顔を上げた。
「サンサルバシオン政府は、我々に条件を提示した。何を認め、何を認めないのか。どこまでなら協力できるのか。それを交渉したうえで、ようやく補給を認めたんだ」
「はい」
「だが、DDは、その条件を超える方法があると言った。しかも、どうやって実現するのかは説明しなかった」
ゴードンは、空になったカップを見つめた。
「できることと、やっていいことは違う。それに、何が起きたとき、誰が責任を負うのかも分からない」
「エンソー・オーダーが責任を負う、と言うかもしれません」
「そうだな。だが、もし発覚して、サンサルバシオンが我々の入港を拒否したら? 協定を破ったのは我々ではないと説明して、誰が信じてくれる?」
副長は、返事をしなかった。
「我々は、この船団を次の安全な寄港地まで運ばなければならない。今だけ物資が増えても、その先の航行が危険になれば意味がない」
「……おっしゃるとおりです」
副長は頷いたが、表情は晴れなかった。
必要なものを目の前にして、手を伸ばさなかった。
それが正しい判断だと理解していても、物資が足りない現実は変わらない。
ゴードンも同じだった。
あの提案を受け入れれば、船団の状況は大きく改善したかもしれない。避難民に行き渡る食料も水も増え、医療物資にも余裕が生まれたかもしれない。艦載機の運用を維持し、イージス艦の防空能力を補うこともできたかもしれない。
それでも、断った。
必要だからという理由だけで、相手の提示する条件も、その背後にある意図も分からない取引に応じるわけにはいかなかった。
「……それにしても」
ゴードンは、静かに呟いた。
「彼は、どういうつもりであんな話を持ち出したのだろうな」
「船団を助けたい、ということではないのですか」
「そうかもしれない」
ゴードンは否定しなかった。
「だが、善意だけで説明できる話とも思えない」
DDの笑顔が脳裏に浮かぶ。
ルーカス・ディエス・ドニファン。
ドニファン財団の後継者。
その人物が、エンソー・オーダーの広報担当官として、戦争中の空母に出入りしている。
瀕死のレイに対して、医師にも説明できない処置が施された。
サンサルバシオンでは、正規の協定を超える物資の搬入が可能だと、何のためらいもなく告げた。
しかも、その中には艦載機のミサイルやジェット燃料、イージス艦の対空ミサイルまで含まれていた。
それぞれを個別に見れば、説明がつくのかもしれない。
だが、すべてが同じ組織、同じ男の周辺で起きている。
ゴードンは、その事実を頭の中で並べた。
まだ、何も断定できない。
DDが何を知り、何を目的としているのか。エンソー・オーダーがどこまでの力を持ち、何を望んでいるのか。
今の段階では、判断材料が足りなかった。
「……艦長」
副長が、少し考え込むような顔で口を開いた。
「DDについて、艦長はどう思われますか?」
ゴードンは、すぐには答えなかった。
「どう、とは?」
「現地での調達能力もそうですが、彼は艦内をずいぶん自由に歩き回っています。エンソー・オーダーの職員として認められた立場なのは分かっていますが……どうにも、普通の支援担当者という感じがしません」
「そうか」
ゴードンは、カップを持ち上げた。
「君も、そう感じていたのか」
「はい。もっとも、私の考えすぎかもしれませんが」
「考えすぎかどうかは、今のところ分からないな」
ゴードンは、静かに答えた。
「エンソー・オーダーが我々を支援してくれているのは事実だ。レイ大尉の命を救うために、彼らが何らかの処置を行ったことも事実だろう。だが、それだけで彼らのすべてを理解したつもりになるのは危険だ」
「……はい」
「だからといって、最初から疑ってかかる必要もない。今は、彼らの支援を受ける。受けた支援には感謝する。そして、分からないことについては、分からないままにしておくのではなく、必要に応じて確認していく。それでいい」
副長は、ゆっくりと頷いた。
「承知しました」
彼は、DDの提案を断った。
だが、断ったからといって、エンソー・オーダーの力が船団から遠ざかったわけではない。
むしろ、あの男は、協定の範囲内で支援を続けると言った。
必要な物資はきっと届くだろう。
その一方で、エンソー・オーダーが何をどこまでできる組織なのかは、ますます分からなくなっていた。
副長は喉の渇きを覚え、手元のコーヒーカップを口元に運んだ。
官給品のコーヒー。これも、エンソー・オーダーから仕入れたものだろう。
すっかり冷めていた。
____
DDが会議室を出てから、しばらく時間が経っていた。
副長は、机の上に広げていた書類を一枚ずつ確認し、必要なものと不要なものに分けていた。デルファイムでの補給計画、避難民の上陸先、損傷艦の状態。どれもまだ確定していないことばかりで、片づけているはずなのに、仕事が減っている気はしなかった。
書類の束をまとめたところで、副長はふと思い出したように手を止めた。
「……ところで、艦長」
ゴードンは、机の上の書類から顔を上げた。
「何だ?」
「以前は、海軍中央で勤務されていたのですよね?」
「そうだが」
「作戦計画と情報評価を担当されていたと伺いました。今回の交渉を見ていて、少し気になりまして」
ゴードンは、眉を上げた。
「何がだ?」
「なぜ、これほどの経験をお持ちの方が、エンデュランスの艦長をされているのか……と」
口にしてから、副長は少しだけ言葉を選んだ。
失礼な質問だったかもしれない。
だが、純粋に気になったのも事実だった。
ゴードンは、しばらく副長の顔を見つめた後、苦笑した。
「なるほど。そういうことか」
彼は、冷めたコーヒーのカップを机に置いた。
「まあ、少し昔の話をしようか」
ゴードンは、以前、FCU海軍中央で作戦計画と情報評価の仕事をしていた。
現場から集まってくる情報を整理し、何が起きているのか、何が起きる可能性があるのかを分析する。そうして、作戦や戦略を決めるための材料を上に上げる仕事だ。
情報を集める工作員ではない。あくまで、集まった情報を読み解き、軍上層部の判断を支える側だった。
その仕事をしていた頃、ゴードンはソトアの軍備拡張に違和感を覚えていた。
ソトアは、決して小国ではない。
国土も人口も相応の規模があり、軍事力を拡張するだけの基盤がまったくなかったわけではない。何より、ソトアは超大国ユークトバニアとの軍拡競争を続け、実際に戦争まで経験していた。
しかし、ユークトバニアとの力の差はあまりにも大きかった。
ソトアが正面から競い合ったところで、勝ち目は薄い。軍備を増やし続ければ、ただでさえ疲弊している経済が、さらに追い詰められる。
そして、実際にソトアの経済は苦境にあった。
強制的な工業化政策は、国の経済に大きな負担をかけていた。国土の砂漠化は進み、水不足は深刻化し、民間経済は疲弊していた。
国民生活が豊かになっているとは言い難い。むしろ、国家全体が無理を重ねながら、どうにか形を保っているような状態だった。
それにもかかわらず、ソトアの軍事力は急速に拡大していた。
「国の経済があれほど苦しいのに、軍備だけは不自然なほど増えていく。普通に考えれば、どこかで無理が出るはずだ。実際、無理は出ていた。なのに、軍事力の拡張は止まらない」
ゴードンは、指先で机を軽く叩いた。
「私は、その不釣り合いが気になっていた」
「ソトアがFCUに侵攻してくると考えていたのですか?」
「いや。そこまで具体的な予測をしていたわけじゃない。侵攻計画を示す証拠があったわけでもない。ただ、あの国の状況は、どう考えても釣り合っていなかった」
ゴードンは、淡々と話した。
「経済が崩れかけているのに、軍事力だけが増え続ける。そんな状態が長く続くはずがない。ならば、どこかで何かが起きる可能性を考えておくべきだ。私は、そう主張した」
「上層部の反応は?」
「芳しくなかったな」
ゴードンは肩をすくめた。
「証拠が足りない。ソトアが軍備を増強していること自体は知られていたが、それが何を意味するのかはわからない。情報が不十分な段階で、特定の国を重大な脅威と決めつけるわけにはいかない。そういう判断だった」
それ自体は、間違っていない。
情報分析という仕事では、可能性と事実を区別しなければならない。危険そうだからという理由だけで、すべての懸念を最優先に扱うことはできない。
国家には、限られた予算と人員しかない。情報を集めるにも、部隊を動かすにも、時間と資源が必要だ。
確かな根拠のない懸念に過剰な資源を割けば、別の場所に生じた危機に対応できなくなる。
だからこそ、ゴードンは当時の上層部を、単純に無能だったとは考えていなかった。
「それに、当時のFCUが何を警戒していたかを考えれば、彼らの判断も理解できる」
ゴードンは、地図に目を落とした。
「我々にとって、最大の脅威と考えられていたのはエルジアだった。過去にFCUやサンサルバシオンへ侵攻してきた相手だ。再び侵攻してくる可能性を警戒するのは当然だろう」
「メビウス1がいた時代、ということですね」
「そうだ」
ゴードンは頷いた。
「前の大陸戦争で、敗戦寸前だったISAFを勝利へ導いたメビウス1。彼の存在は、確かに大きかった。だが、あの戦争でエルジアが失ったものも大きかった」
ゴードンは、少し間を置いた。
「エルジアは大陸の広い範囲を占領したが、最後にはISAFの反攻を受け、占領地を失った。戦況は一変し、メビウス1の活躍によってエルジア軍は追い詰められ、首都ファーバンティまで陥落した。国土の相当部分を失ったことは、エルジアにとって大きな屈辱だっただろう」
「敗戦で、すべてが終わったわけではなかったのですね」
「そうだ。むしろ、問題はそこからだった」
ゴードンは、冷めたコーヒーに目をやったが、口はつけなかった。
「敗戦を受け入れられなかった軍人や強硬派は、自由エルジアを名乗って武装蜂起した。彼らは再び戦争を起こそうとしたが、結局、メビウス1によって鎮圧された。だが、それで彼らの思想まで消えたわけではない」
副長は黙って聞いていた。
「エルジアでは、その後も共和制への不満が高まり、王政復古を求める動きが強まった。最終的には国民の支持を背景に王政が復活したわけだが、それで国が安定したかといえば、そう単純な話でもなかった」
「王政に戻れば、国民の不満が解消されるわけではない、と」
「その通りだ。政治体制が変わっても、敗戦の記憶も、経済的な問題も、周辺国との対立も残る。実際、自由エルジアは再び武装蜂起し、鎮圧されている。エルジアは一度敗れただけで、完全に大人しくなった国ではなかった」
ゴードンは、副長を見た。
「そして、二〇一九年。今度はオーシアとの戦争だ」
「灯台戦争ですね」
「そうだ。エルジアは開戦初期、オーシアに対して大きな戦果を挙げた。だが、オーシア側も激しく抵抗し、戦争は次第に膠着していった。そして、戦争の最中に起きた衛星網の破壊合戦が、戦場の外にまで深刻な影響を及ぼした」
衛星通信が途絶えれば、軍事作戦だけでなく、民間の通信や物流、社会インフラにも影響が出る。
戦争を続けていた両国ですら、戦争そのものだけに集中できないほどの混乱が広がった。
「ユージア大陸全体が混乱した。軍も政府も、これまで当たり前に使っていた通信手段を失い、各地で連絡や調整が困難になった。戦争の当事国だけの問題ではなくなったわけだ」
「我々FCUも、その対応に追われました」
「もちろんだ。あの混乱を収めるため、FCUは大陸各国との調整に奔走した。あのとき、我々が大陸の安定に向けて主導的な役割を果たしたことは、その後のFCUの立場を強める大きな要因になった」
ゴードンは、ゆっくりと言葉を選んだ。
「それに、FCUがまとまる理由は、あの混乱だけではなかった。大陸戦争のときもそうだったが、エルジアのような大国が再び周辺国へ侵攻してきた場合、個々の国がばらばらに対抗するのでは限界がある。安全保障の面でも、協力する必要があったんだ」
「共通の危機が、統合を後押ししたわけですね」
「そうだ。大陸戦争では、共通の敵と共通の勝利があった。灯台戦争では、通信網の崩壊という大陸全体の危機があった。そうした経験が、国家同士の協力を進め、FCUを大きくしていく原動力の一つになったのだろう」
ゴードンは、そこで少しだけ表情を曇らせた。
「だが、戦争が終われば、現実が戻ってくる」
勝利の熱狂が冷めると、国民の目は別のところへ向かうようになる。
構成国間の経済格差。地域ごとの発展の違い。中央政府への不満。統合によって得られる利益と、失われる自治権。戦時中には後回しにされていた問題が、再び表面化してくる。
一つの国家としてまとまったからといって、すべての地域が同じように豊かになるわけではない。戦争で大きな損害を受けた地域もあれば、比較的被害の少なかった地域もある。統合によって利益を得た者もいれば、負担ばかりが増えたと感じる者もいる。
そして、時間が経つにつれて、戦時中の連帯感は薄れていく。
「英雄がいた時代を知っている人間ほど、あの勝利を特別なものとして記憶する。だが、後の世代にとっては、過去の戦争で勝ったという事実だけでは、目の前の生活の不満を解決してくれない」
ゴードンは、静かに続けた。
「メビウス1が退役し、時間が経つにつれて、あの戦争を直接知らない世代も増えていく。そうなれば、統合を支えていた熱狂も、少しずつ冷めていく。経済格差や地域間の不満が再び大きくなれば、統合そのものに反発する勢力が出てくるのも不思議ではない」
「戦争に勝ったからといって、国が安定するとは限らない……」
「そういうことだ」
ゴードンは頷いた。
「灯台戦争の後、エルジアは再び敗れ、王女は王権を返上した。ユージア大陸の主導権は、事実上、FCUが握ることになった。だが、エルジア国内には、今も自由エルジアを名乗る愛国主義勢力が蠢いている」
「つまり、エルジアの脅威は、今も消えていない」
「そうだ。軍事的な脅威だけではない。国内が不安定になれば、周辺国との関係にも影響する。だから、FCUがエルジアを警戒していたこと自体は、おかしな判断じゃないんだ」
ゴードンは、少しだけ息を吐いた。
「メビウス1がいた時代には、あの英雄が何とかしてくれるという期待もあったかもしれない。だが、もう彼はいない。次にエルジアが動き出したとき、同じ奇跡が起きる保証はない」
彼は、海図に目を落とした。
「FCUには、構成国間の不安定さもあった。軍事力をどこに集中させるかという問題は、単純に地図上の距離だけでは決められない。エルジアに備えて北西方面に戦力を配置するのは、当時の状況からすれば、十分に合理的な判断だった」
ゴードンは、そこで小さく息を吐いた。
「一方、ソトアは海の向こうにいた。あの国の第一仮想敵国は、ユークトバニアだ。FCUに侵攻するより、まずユークトバニアとの対立をどうにかするのが先だろう。そう考えられていたのも、無理はない」
「では、問題は……」
「ソトアを警戒しなかったこと、そのものじゃない」
ゴードンは、副長の言葉を引き取った。
「ソトアの状況が、あれほど危うくなっていたことを、もっと真剣に考えるべきだったんだ」
彼は、ゆっくりと指を組んだ。
「経済が崩壊しかけている国が、軍事力だけを拡大し続ける。そんなことをいつまでも続けられるはずがない。なら、どこかで軍備拡張を諦めるか、国内の負担をさらに増やすか、それとも――外に向かって何かを奪いに行くか」
ゴードンは、口元をわずかに歪めた。
「破産寸前の人間が、破産の猶予を伸ばすためになけなしの金で買った銃を持って隣家に押し込み強盗をする。国家が同じようなことをしないという保証はない。私は、そういう可能性をもっと重く見るべきだったと思っている」
その可能性を指摘することと、実際に侵攻を予測することは違う。
ゴードンは、ソトアがFCUを攻撃すると断言できる材料を持っていたわけではない。まして、現在の戦争で使用されているような超兵器の存在を知っていたわけでもなかった。
軌道上からの大規模攻撃。陸上戦艦。巨大な空中輸送機。
そんな兵器が実戦投入されることを、当時の情報だけで予測するのは困難だっただろう。
エンソー・オーダーがソトアにどの程度関与していたのかについても、ゴードンは知らなかった。
「兵器のことまで予測できなかったのは、仕方がない部分もある。あれほどのものが実際に使われるとは、普通は考えないだろう。だが、あの国が無理を重ねていたことは、わかっていたはずなんだ」
ゴードンは、静かに続けた。
「軍事力の拡張が、国の経済によって支えられていない。いずれ破綻する。そのとき、ソトアがどんな選択をする可能性があるのか。そこを、もっと真剣に検討しておくべきだった」
「それを主張した結果、中央を離れることになったのですか?」
「直接の理由とまでは言わないさ」
ゴードンは苦笑した。
「ただ、私の意見が採用されることはなかった。大きな成果を上げたわけでもない。人事上の都合もあっただろう。気がつけば、エンデュランスの艦長になっていた」
副長は、少しだけ表情を変えた。
エンデュランスは、長く運用されてきた艦だ。最新鋭艦のような華やかさはない。配属先として見れば、海軍中央での仕事に比べて地味に映ることもあるだろう。
だが、ゴードンはその艦を軽んじているようには見えなかった。
「気を悪くしないでほしいのだが……左遷、という形になるのかな」
ゴードンは、少し困ったように笑った。
「もちろん、この艦や乗員に不満があるわけじゃない。エンデュランスにはエンデュランスの役割があるし、ここで働いてきた人間たちにも、それぞれの仕事がある。私が言っているのは、あくまで人事上の扱いの話だ」
「……わかっています」
副長はそう答えた。
長年この艦に乗ってきた身としては、艦長の言い方に思うところがないわけではなかった。だが、ゴードンが艦そのものを侮辱しているのではないことは、伝わっていた。
「私はもうすぐ五十になる。中央で若い連中と競い合うより、ここで艦を預かっている方が性に合っているのかもしれないな」
ゴードンは、冗談めかして言った。
その表情は、どこかくたびれていた。
経験を積み、数々の判断を下してきた男の顔だった。若さと勢いで押し切るのではなく、限られた材料から現実的な選択肢を探し、失敗したときの責任も含めて引き受ける。そんな種類の老練さがあった。
「それでも、今の状況であれば、中央にいた頃の経験が役に立つこともある。使える伝手があるなら使う。交渉できる相手がいるなら交渉する。そうやって、目の前の問題を一つずつ片づけていくしかない」
ゴードンは机の上の書類を引き寄せた。
「英雄が何とかしてくれるのを待つわけにもいかないからな」
副長は、すぐには返事をしなかった。
彼は、ゴードンが中央から送り込まれてきた、体裁だけの艦長なのだと思っていた。
出世競争に敗れ、艦隊の片隅に回された年配の将校。現場の苦労を知らず、上からの指示を読み上げるだけの人物。そういう人間なのではないかと。
だが、メリトンへの入港を拒否された直後、ゴードンは迷わず進路変更を命じた。許可が下りる保証もないまま交渉を始め、サンサルバシオンの中立政策を理解したうえで、相手が受け入れられる条件を組み立ててみせた。
そして今、彼が語った過去には、単なる失敗や不遇という言葉では片づけられないものがあった。
この男は、何を見てきたのだろう。
何を知っていて、何を知らなかったのだろう。
そして、なぜ今、エンデュランスの艦長をしているのだろう。
副長は、ゴードンの横顔を見つめた。
「……艦長」
「ん?」
「いえ。何でもありません」
ゴードンは一度だけ副長を見たが、特に追及はしなかった。
「そうか。なら、デルファイムでの補給計画を詰めておいてくれ。DDから物資の見通しが届いたら、こちらの計画と照らし合わせる。避難民の受け入れ先と移送手段も、関係機関と調整しておいてほしい」
「了解しました」
「それから、船団の状態をもう一度確認してくれ。補給ができるからといって、全員が無事に港まで辿り着けるとは限らない。損傷艦の状態は特に注意してほしい」
「わかりました」
副長は敬礼し、艦橋へ戻って行った。
一人になったゴードンは、冷めたコーヒーのカップを見下ろした。
まだ仕事は残っている。
避難民をどの受け入れ先へ、どの順番で移送するのか。損傷艦の本格修理をどこで行うのか。船団がこの先どこへ向かうのか。まだ決まっていないことは多い。デルファイムで補給を受けられるようになっただけで、状況が好転したと考えるのは早すぎる。
それでも、船団は前へ進める。
今は、それで十分だった。
ゴードンは書類を手に取り、再び目を通し始めた。
エンデュランスの艦橋では、航海科が新しい針路を確認し、通信士が各所への連絡を続けている。
船団は、ゆっくりと進路を変えていた。
海の向こうにあるデルファイムで、どこまでの支援が得られるのかは、まだわからない。
それでも、少なくとも今は、進むべき方向がある。
そして、船団の人々は、その方向に希望を託すしかなかった。
戦闘シーン無いと4万文字あっという間にかけてしまった…。むしろ推敲の方に時間かかりました。公式本編には無い場面オンリーですが、あってもいいシーンだと思い書きました。
原作では空気だった艦長を活用して歴史や政治の説明をした結果別人になりました、もうほとんど原作風味がないですね。
普段役に立たないけど非常時に輝くおっさんが好きです。
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