昼休み。
アンディは会社の休憩所で、紙コップの珈琲を飲んでいた。
少し離れたところでは、部長が煙草を吸っている。
四十代後半。
妻子持ちで、会社では何人もの部下をまとめている人だ。
仕事中はもちろん上司と部下。
けれど、昼休みにこうして同じ休憩所にいることは多かった。
そもそも、この二人がFF14の話をするようになったきっかけは、少し恥ずかしい出来事だった。
ある日のこと。
アンディが作った報告書を、部長がチェックしていた。
「ここ、数字合ってるか?」
「あ、はい。えっと……」
資料を覗き込む。
そのとき、アンディは何気なく口にした。
「そこ、三十万ギルくらいです」
「……ギル?」
「はい」
「なんで報告書でギルなんだ?」
「…………あ」
一瞬、アンディの頭が止まった。
「……円です」
「だよなw」
部長が笑う。
「今、完全にギルって言ったぞ」
「すみませんw」
「お前、FF14やってるだろ」
「……やってます」
「やっぱりかw」
それがきっかけだった。
「俺もやってるよ」
「えっ?!」
思わず顔を上げた。
「ナイト」
「俺、戦士です」
「じゃあ今度、ID一緒に行くかw」
「会社でそれ言うのやめてくださいw」
そんなやり取りからだった。
それ以来、仕事の合間にFF14の話をするようになった。
「昨日、極行ってたんですよ」
「まだ極やってんのか」
「部長もでしょうw」
「俺は家に帰ってからだからな。嫁に怒られない程度にしてるよw」
そんな、仕事では絶対にしないような話もする。
今日も、そんな昼休みだった。
「……部長」
「ん?」
「ちょっと相談していいですか」
部長が煙草を持ったまま、アンディを見る。
「仕事?」
「いや、FF14です」
「ああ」
部長が少し笑った。
「聞くよ」
「今、固定組んでるんですよ」
「うん」
アンディは珈琲を一口飲んだ。
「最近、ちょっと難しいなって思ってて」
「何が?」
「みんなが同じ気持ちじゃないんですよ」
部長は黙って聞いている。
「攻略を頑張りたい人もいるし、楽しく遊べればいいって人もいる。仕事とか家庭とかで、毎回同じようには集まれない人もいる」
「うん」
「俺がリーダーなんで、できるだけみんなが楽しめるようにしたいんですけど」
アンディはそこで言葉を止めた。
「……正直、何が正解なのか分からなくなるんですよ」
部長はしばらく煙草を吸っていた。
それから、ゆっくり言った。
「会社でも、似たようなことあるぞ」
「……ですよね」
「むしろ、似てないほうがおかしい」
部長は笑った。
「人間が集まってるんだから」
その言葉に、アンディも少し笑った。
「でもな」
部長が続ける。
「リーダーが全員を同じ気持ちにする必要はないと思うぞ」
「……」
「仕事でも、やる気がある奴もいれば、生活を優先したい奴もいる。早く出世したい奴もいれば、今の仕事を丁寧に続けたい奴もいる」
「はい」
「それを全部、同じ方向に向けようとしたら、どっかで無理が出る」
アンディは黙って珈琲を見つめた。
「じゃあ、リーダーって何をすればいいんですかね」
部長は少し考えてから答えた。
「全員を引っ張ることじゃないだろ」
「……」
「誰かが先に行きたければ、行かせればいい」
「はい」
「誰かが遅れたら、待てばいい」
「……」
「ただ、誰も置いていかないようにする」
アンディは顔を上げた。
部長は煙草の煙を吐きながら、続ける。
「それがリーダーの仕事じゃないか?」
その言葉が、胸の奥に落ちた。
アンディは、ずっと「自分が何とかしなきゃ」と思っていた。
予定を決めるのも。
みんなに声をかけるのも。
欠席が出たときにどうするか考えるのも。
誰かが不満を抱えていないか気にするのも。
固定がうまくいくようにするのも。
全部、自分が背負わなければいけないと思っていた。
だから。
みんなの「楽しい」が違うことが、怖かった。
誰かを優先したら、別の誰かが我慢するかもしれない。
攻略を進めれば、ゆっくり遊びたい人が疲れるかもしれない。
逆にゆっくりしていれば、もっと進みたい人が物足りなくなるかもしれない。
そんなことばかり考えていた。
「……俺、考えすぎてたのかもしれないです」
「そうかもな」
部長はあっさり言った。
「でも、それだけ考えてるってことは、ちゃんと大事にしてるんだろ」
「……」
その一言に、アンディは少し言葉を失った。
「全員を同じように満足させるなんて、無理だよ」
「はい」
「でも、全員がそこにいていいと思える場所を作ることはできる」
部長はそう言って、煙草を灰皿に押しつけた。
「それで十分じゃないか?」
アンディは何も言えなかった。
十分。
その言葉が、妙に嬉しかった。
自分はずっと、もっと上手くやらなければいけないと思っていた。
誰も不満を持たないように。
誰も寂しい思いをしないように。
誰も置いていかないように。
でも。
そんなことは、きっとできない。
それでも。
「ここにいていい」と思える場所を作ることなら。
自分にもできるかもしれない。
「……ありがとうございます」
「別に礼言われるようなことじゃないぞ」
部長が笑う。
「ただ、会社でもゲームでも、人間相手なら同じってだけだ」
「……それ、結構救われました」
「そうか?」
「はい」
アンディは笑った。
「俺、ちょっと疲れてたのかもしれないです」
「たまには部下に任せろ」
「部下じゃなくて固定メンバーですけどw」
「似たようなもんだろw」
「全然違いますよw」
二人で笑った。
その日の夜。
アンディがログインすると、すでに何人かが集まっていた。
「こんばんはー」
「お、アンディ来た」
「お疲れー」
いつもの声が聞こえる。
それだけで、少し肩の力が抜けた。
「今日はどうする?」
アンディが聞く。
「攻略したい!」
すぐに声が上がる。
「私はちょっと雑談してからでもいいよ」
別の声が返ってくる。
「じゃあ、少し話してから行く?」
「それがいいー」
誰かが笑う。
いつもなら、アンディはここで「じゃあ○時から攻略ね」と細かく決めていたかもしれない。
でも今日は、それ以上は決めなかった。
みんながそれぞれ好きなことを言っている。
そのままでいい。
「じゃあ、もうちょっとしたら行こうか」
「はーい」
VCに笑い声が広がる。
アンディは、その声を聞いていた。
この8人には、この8人の生活がある。
仕事がある。
家族がある。
友達がいる。
やりたいことも、疲れる日もある。
それでも。
毎週、ここに集まってくれる。
それだけでも、十分すごいことなんじゃないか。
アンディはそう思った。
自分は、この8人を完璧にまとめたいわけじゃない。
誰一人として不満を持たない固定にしたいわけでもない。
ただ。
こいつらと、できるだけ長く遊びたい。
攻略で笑って。
失敗して悔しがって。
誰かが休む日は、残ったメンバーで遊んで。
また次に集まったときには、「おかえり」って言える。
そんな場所にしたい。
そのためなら、自分が少し考えるくらいは苦じゃない。
むしろ。
この8人とこれからも歩いていくなら。
それくらいは、リーダーとして背負いたい。
「アンディ?」
「ん?」
「今日なんか静かじゃない?w」
「そうか?」
「なんか考え事してるw」
「ちょっとな」
「珍しいw」
「俺だって考え事くらいするわw」
また笑い声が起きる。
アンディも笑った。
昼間、部長に言われたことを思い出す。
全員を走らせる必要はない。
誰も置いていかないようにすればいい。
その言葉が、今は少しだけ分かる気がした。
先に進みたい奴がいるなら、一緒に進めばいい。
ゆっくりしたい奴がいるなら、少し待てばいい。
誰かが休む日があっても、また戻ってこられるようにしておけばいい。
それでいい。
それが、今の自分にできるリーダーなのだと思う。
「じゃあ、そろそろ行くか!」
アンディが言う。
「はーい!」
8人の声が返ってくる。
その声を聞きながら、アンディは思った。
この人たちと、まだまだ遊びたい。
攻略もしたい。
笑いたい。
失敗したら、また挑戦したい。
だから。
無理に同じ歩幅にするんじゃなくて。
それぞれの歩幅のまま、同じ場所を目指せばいい。
もし誰かが遅れたら、待てばいい。
もし自分が疲れたら、誰かに頼ればいい。
一人で全部を背負う必要なんてない。
8人いるのだから。
アンディは、そんなことを考えながらフレンドリストを開き
オンライン表示の Bucho San という、ひねりのない名前を見て
「あざまっす!」
笑顔で呟いた。