俺はようやく両手の拘束を解いてもらい、これからのことについて話し合うことにした。
「で、かぐ……ヤチヨは、この先のことについて知ってるんだろ?」
つい先ほどのことだが、かぐやではなくヤチヨと呼んでほしいと、本人から頼まれた。
どうやら、一年後くらいに月からかぐやが彩葉のもとへやって来るらしい。そのときに備えて、今のうちからヤチヨという呼び名に慣れておいてほしいのだとか。
「うん。ただ、朔がいるのはヤッチョ的に予想外! なので、正直、私が知っている未来にたどり着けるのかわからないのです」
ヤチヨは「ヨヨヨ」と、わざとらしく泣き真似をした。
けれど、その手はかすかに震えていた。
俺が介入したことで、本来たどるはずだった未来が変わってしまうかもしれない。
その不安は、きっと俺には想像もつかないほど大きいのだろう。
「なあ、ヤチヨ」
「うん? なんだい?」
俺がいることで、本来の筋書きから外れてしまうのなら。
いっそのこと、潔くここから姿を消して、大人しくしていたほうがいいんじゃないだろうか。
そんな考えが頭をよぎり、俺はそれを伝えようとした。
すると、ヤチヨの目つきが鋭くなり、勢いよく俺の肩を掴んできた。
……痛い。
「お、おい、ヤチ――」
「ねえ、朔」
少しだけ声のトーンが下がり、俺の名前が呼ばれる。
まずい。
何か地雷を踏んだか。
「もう二度と、消えるなんて言わないで……」
その声は、ひどく弱々しかった。
肩を掴むヤチヨの手には、相変わらず力がこもっている。正直、ちょっと痛い。いや、かなり痛い。
けれど、それを指摘できるような雰囲気ではなかった。
「……ヤチヨ」
「私ね、ずっと待ってたんだよ」
ヤチヨは俺の肩から手を離さなかった。
「いつかまた会えるって。今度こそ、もう一度会えたらって。何度も、何度も……」
俯いた彼女の顔は、前髪に隠れてよく見えない。
「でも、どこを探しても朔はいなかった。名前を呼んでも、返事はなかった。私の知ってる場所にも、知らない場所にも……どこにも」
「…………」
「だから、もう会えないんだって。そう思おうとしたこともあったよ」
言葉が途切れる。
俺は何も言えなかった。
8000年前。
あの頃の俺は、確かに彼女と一緒にいた。
くだらない話をして、笑って、時には喧嘩をして。
そんな日々が、当たり前のように続いていくと思っていた。
なのに、俺は突然いなくなった。
理由も告げず、別れの言葉さえ残さずに。
そして今、ようやく再会した俺は、また同じことをしようとしている。
「……ごめん」
「謝ってほしいんじゃない」
即答だった。
ヤチヨが顔を上げる。
その瞳には、今にもあふれそうな涙が浮かんでいた。
「謝ってほしいんじゃないの。理由を説明してほしいわけでもない。だって、そんなこと今さら聞いたって……」
彼女は一度、唇を噛んだ。
「……またいなくなったら、意味がないじゃん」
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられた。
ああ。
そうか。
俺は、何も変わっていないんだ。
誰かを守るためなら、自分がいなくなればいいと思ってしまう。
自分が関わることで誰かの未来が変わるのなら、最初から関わらなければいいと考えてしまう。
それが正しいことだと、どこかで信じている。
だけど。
「……俺は」
口を開きかけて、言葉に詰まった。
何を言えばいい?
未来を知っている彼女にとって、俺の存在がどれほど不確かなものなのか。俺自身、よくわかっているつもりだった。
けれど、そんなことは彼女にとってどうでもいいのかもしれない。
彼女が恐れているのは、未来が変わることじゃない。
また、俺がいなくなることだ。
「……俺がいたら、ヤチヨの知ってる未来が変わるかもしれないだろ」
「うん」
「かぐやが彩葉のところに来ることだって、どうなるかわからない。俺のせいで何かが変わって、取り返しのつかないことになるかもしれない」
「うん」
「だったら、俺は――」
「それでも!」
びくりと肩が跳ねた。
ヤチヨが俺の言葉を遮る。
「それでも、私は朔にいてほしい!」
部屋の中に、彼女の声が響いた。
ヤチヨ自身も、思わず声を荒らげてしまったことに驚いたらしい。
けれど、もう遅かった。
彼女の目から、ぽろりと涙がこぼれ落ちる。
「……もちろん、彩葉のことも大好きだよ。かぐやも大好き。ずっとずっと、みんなと一緒にいたいと思ってる……でもね、朔……その中に君も入ってるんだよ……?」
「ヤチヨ……」
「だって、私がどんな未来を知っていたって、そこに朔がいなかったら意味がないんだもん」
涙を拭おうともせず、ヤチヨは俺を見つめていた。
「私はね、朔。もう一度、君と会いたかったんだよ」
その言葉に、心臓が跳ねた。
「また一緒にお話ししたかった。くだらないことで笑って、喧嘩して、仲直りして……そういう、なんでもない時間を過ごしたかったの」
ヤチヨの手が、俺の肩からゆっくりと滑り落ちる。
そして今度は、俺の両手を握った。
「だから……お願い」
ぎゅっと。
痛いくらいに、強く。
「今度こそ、私のそばにいて」
――ずるい。
そんなことを言われたら。
そんな顔をされたら。
俺に、何が言えるというのだろう。
「…………はぁ」
俺は大きく息を吐いた。
「……わかったよ」
「……え?」
「少なくとも、俺から勝手にいなくなるようなことはしない。約束する」
そう告げると、ヤチヨは目を丸くした。
それから、何度か瞬きをして。
「……ほんと?」
「嘘ついてどうするんだよ」
「……ほんとに、ほんと?」
「二回も聞くな。俺だって、一応は約束くらい守る人間なんだぞ」
「一応なんだ……私だけじゃなくて、彩葉の前からも消えたくせに?」
「ああ、あの時か……。あれはそういう役割だったんだから仕方ねえだろ」
「勝手に人の仮面剝がしといて、急にいなくなるなんて罪な女だね、君も」
ヤチヨが、ほんの少しだけ笑った。
その笑顔を見て、ようやく肩の力が抜ける。
……なんだ。
やっぱり、こいつには笑っていてほしい。
8000年前も、今も。
それだけは、きっと変わらない。
そう思った、その瞬間だった。
「じゃあ、約束の証拠!」
「は?」
ヤチヨが俺の手を両手で包み込む。
そして、にっこりと笑った。
先ほどまで涙を流していたとは思えないほど、見慣れた悪戯っぽい笑顔だった。
「これから朔は、私と一緒に行動すること!」
「……は?」
「勝手にどこかに行かない! 何かあったらちゃんと相談する! 自分だけで全部解決しようとしない!」
「いや、待て。最後のはともかく、最初の二つは――」
「あと、私のことはちゃんとヤチヨって呼ぶ!」
「それはもう呼んでるだろ!」
「じゃあ問題なし!」
なんだこいつ。
情緒の切り替えが早すぎるだろ。
さっきまで泣いていたくせに、もういつもの調子に戻っている。
……いや。
もしかしたら、戻ったように見せているだけなのかもしれない。
俺がまた困った顔をして、逃げ道を探さないように。
「……わかった。できる限りは協力するよ」
「できる限りじゃなくて、絶対!」
「はいはい」
「はいは一回!」
「はいはい」
「増えてる!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐヤチヨを見て、俺は思わず笑ってしまった。
すると彼女も、つられたように笑う。
その顔を見て、俺は心の中で小さく呟いた。
――今度こそ。
今度こそ、こいつを一人にしない。
未来がどうなるのかなんて、俺にはわからない。
俺がここにいることで、何が変わるのかも。
それでも。
少なくとも今は、彼女の隣にいることを選ぼう。
そんなことを考えていると、ふいにヤチヨが俺の顔を覗き込んできた。
「……ところで、朔?」
「ん?」
「今、何か一人で納得してたでしょ」
「……別に?」
「嘘だぁ。朔って、そういうときすぐわかるんだから」
そう言って、ヤチヨは俺の手を握り直した。
そして、今度こそ心から嬉しそうに笑う。
「ふふっ。これからよろしくね、朔」
「ああ。よろしく、ヤチヨ」
――こうして俺は、8000年ぶりに再会した幼馴染と、奇妙な共同生活……ではなく、未来を変えるかもしれない日々を始めることになったのだった。
……いや、待て。
「ところでヤチヨ」
「なあに?」
「俺、いつまでここにいればいいんだ?」
「ん?」
「いや、だってここ、仮想空間だろ? 俺、現実の身体のほうもあるわけで……」
「…………」
ヤチヨの笑顔が、ぴたりと止まった。
「……朔?」
「はい」
「もしかして、帰るつもり?」
「いや、帰るというか、現実のほうもいろいろあるだろ。生活とか、食事とか、睡眠とか」
「…………」
ヤチヨはしばらく黙っていた。
それから、ゆっくりと俺の手を握り締める。
「……そっかぁ」
「お、おう」
「現実の朔も、ちゃんと存在してるんだもんねぇ」
「当たり前だろ!?」
「うんうん、わかってるよぉ」
絶対わかってない。
そう確信した俺の前で、ヤチヨは再び満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ、現実の朔のお家にも遊びに行かなきゃね!」
「……は?」
……どうやら俺は、未来を変えるかもしれないという問題以前に。
8000年ぶりに再会した幼馴染に、これから一体どれだけ振り回されることになるのか。
そっちの心配をしたほうがいいらしい。