――それから、俺たちの生活は続いた。
最初に困ったのは、食料だった。
いや、正確には食料そのものよりも。
「サクー! おなかすいたー!」
「さっき食べただろ!」
「あれはおやつ!」
「じゃあ今から食うのは何だよ!」
「ごはん!」
「便利な言葉だな、おい!」
……こいつの食欲、どうなってんだ?
俺は手のひらに乗ったかぐやを見下ろした。
小さな白い身体。頭から生えた触角のようなものが、ぴこぴこと揺れている。
見た目だけなら、かわいらしい生き物だ。
見た目だけなら。
「お前、そんなに食べて大丈夫なのか?」
「大丈夫!」
「太ったりしねぇの?」
「…………」
「…………」
「サク、ちょっとそこに置いて」
「なんでだよ」
「いいから!」
「めんどくせえ」
俺はかぐやを手のひらに乗せたまま、そそくさと森の奥へ歩いていった。
背後から、抗議の声が響く。
「サクのばかーっ!!」
はいはい。
今日も平和だ。
*
森での生活は、思っていたよりも悪くなかった。
水を確保して、食べられる木の実を探し、寝床を整える。
前世の記憶が役に立つこともあれば、まったく役に立たないこともあった。
特に、食べられる植物の見分け方については困った。
薬草に詳しかった前世もあったはずなのだが、いかんせん記憶が曖昧なのだ。
「……これ、食えたっけ?」
「食べてみようよ!」
「お前なぁ……。毒だったらどうすんだよ」
「サクなら大丈夫!」
「俺を何だと思ってんだ」
「頼れるサバイバルマスター!」
「初めて聞いたわ、そんな肩書き」
とはいえ、かぐやの言うことも、あながち間違いではなかった。
俺はこれまで、何度も違う人生を生きてきた。
剣を握ったこともある。魔法を使ったこともある。
見知らぬ土地で、ひとりで生き延びた記憶だってある。
だからだろうか。
この程度の環境なら、そこまで苦労はしなかった。
……まあ、手のひらにウミウシを乗せながら生活するのは初めてだけど。
「よし、今日はこれでいいか」
「おおっ! ごはん!」
「まだだ。火を通してからな」
「えーっ! 早くー!」
「お前、さっきからそれしか言ってねぇぞ」
そんなやり取りをしながら、俺たちは毎日を過ごしていった。
*
季節が巡った。
森の木々は緑に染まり、やがて色づき、葉を落とした。
何度も雨が降り、何度も晴れた。
その間、俺たちの生活にも変化があった。
小屋は少しずつ立派になった。
道具も増えた。
食料を保存する方法も覚えた。
そして、かぐやはというと。
「サクー!」
「ん?」
「ひまー!」
「知らねぇよ!」
相変わらずだった。
いや、むしろ悪化している気がする。
最近では、俺が作業を始めるとすぐに暇だと言い出す。
手伝わせようにも、そもそもウミウシに何ができるというのだ。
本人はやる気満々なのだが。
「かぐやも手伝う!」
「じゃあ、この木の実を集めてくれ」
「任せて!」
数分後。
「サクー! 集めたよー!」
「お、早いな」
「えへへ!」
「…………」
俺は、かぐやの隣に転がる木の実を見た。
五個。
いや、五個だけならいい。
問題は、そのうち三個が明らかに食べられない色をしていることだった。
「……お前、これどこで拾った?」
「あっち!」
「食べられるやつを集めろって言ったよな?」
「うん!」
「これ、絶対食べられないやつだろ!」
「えっ!? そうなの!?」
「なんで驚いてんだよ」
俺は深々とため息をついた。
かぐやはしゅんと触角を垂らす。
「う~……ごめんなさい」
「えっ……いや、まあ。次から気をつければいいよ」
「うん!」
復活が早い。
もう少し反省してほしい。
……いや、可愛い生き物に落ち込まれると、それはそれで罪悪感すごいし調子が狂うんだけどさ。
俺は拾った木の実を仕分けながら、小さく笑った。
こうして誰かと暮らすのも、悪くない。
そんなことを思ったのは、いつ以来だろう。
*
ある日、俺は小屋の前で自分の手を眺めていた。
別に、深い意味はない。
ただ、木を削っていたら、ふと気になったのだ。
「……なあ、かぐや」
「なーに?」
「俺って、今いくつくらいに見える?」
「えっ?」
かぐやは俺の手のひらで、くるりと身体を傾けた。
「うーん……十六歳くらい?」
「……まあ、そんなもんか」
「なんで?」
「いや、別に」
俺は自分の顔に触れた。
この身体になってから、どれくらい経っただろう。
最初は、いろいろと戸惑った。
声も違う。身体も違う。
鏡がないから、自分の顔だって最初はよくわからなかった。
それでも、今ではすっかり慣れてしまった。
……慣れって怖いな。
「そろそろ背、伸びてもいい頃だと思うんだけどな」
「サク、まだ大きくなりたいの?」
「そりゃあな。今のままだと、いろいろ不便だし」
「でも、今のサクもかわいいよ?」
「…………」
不意打ちだった。
「……お前、そういうことサラッと言うよな」
「えー? だって本当だもん! サクめっちゃかわいいよ!!」
「はいはい」
俺はかぐやを指先でつついた。
「あっ、なにするのー!」
「うるさい」
「横暴だー! ってサク顔赤いよ~? もしかして照れてる~?」
表情は読み取れないが、絶対むかつく顔をしているので少し強めにつついてやった。
「あイターーーっ!!」
いつも通りの騒がしい時間。
俺はそれ以上、深く考えなかった。
背が伸びないことだって、まだ成長期の途中なのだろう。
そう思っていた。
そのときは、まだ。
*
さらに、季節が巡った。
森の景色は何度も変わった。
俺たちの小屋も、いつしか最初のものとは比べ物にならないくらい立派になっていた。
それでも、変わらないものが二つあった。
ひとつは、かぐや。
そして、もうひとつは。
「…………」
俺は、水面を覗き込んでいた。
そこに映っているのは、見慣れた顔。
銀色の髪。
少し長めの前髪。
まだ幼さの残る顔立ち。
最初にこの身体で目覚めたときと、ほとんど変わらない姿だった。
「……おかしくね?」
「なにがー?」
「いや……」
俺は水面から顔を上げた。
まさかとは思う。
けれど、もう何度目だろう。
背丈が変わらない。
顔つきも変わらない。
体力だって、衰えた気がしない。
普通、人間は成長する。
いつか老いて、弱っていく。
それくらい、俺だって知っている。
何度も生まれ変わってきたのだから。
「……なあ、かぐや」
「んー?」
「お前、俺と初めて会ったときのこと覚えてるか?」
「もちろん!」
かぐやは、ぴょこんと跳ねた。
「サクが裸で海から出てきたんだもん!」
「そこじゃねぇよ!!」
「えへへ! あの時は驚いたけど、今思うとキレイな体だなーって思ったよ!」
「……っ」
……だめだ。
こいつに真面目な話をしようとした俺が間違っていた。
俺は額を押さえた。
けれど、ふと気づく。
かぐやの言葉。
初めて会ったとき。
あれから、どれくらいの時間が経った?
半年?
一年?
いや、もっとか?
季節が何度も巡ったことは覚えている。
小屋も、道具も、生活も変わった。
それなのに。
俺だけが、何も変わっていない。
「…………」
「サク?」
「……いや」
俺は、もう一度水面を覗き込んだ。
そこに映る自分の顔は、何も答えてくれなかった。
――おかしい。
そう思ったのは、これが初めてだった。
そして俺は、まだ知らない。
この違和感が、単なる成長の遅れなんかではないことを。
俺が、いつか死ぬという当たり前のことさえ許されない存在になっていることを。
その理由が、遠い遠い過去に置き去りにしてきた何かと、深く結びついていることを。
……まあ。
「サクー! おなかすいたー!」
「今いいところなんだから、ちょっと待て!!」
少なくとも、今はまだ。
そんなことを考えている場合ではなかったらしい。