季節が巡った。
春が来て、夏が過ぎ、秋が訪れ、冬が来る。
何度も。
何度も。
俺たちは集落の人々と暮らし、ときには別の土地へ移り、ときには誰かとの別れを経験した。
親しくなった人が年老いていく。
その子供が大人になり、さらにその子供が生まれる。
俺は、そのすべてを見届けた。
そして、あるとき気づいた。
「……なあ、かぐや」
「んー?」
「俺、全然変わってなくないか?」
小川に映った自分の顔を見ながら、俺は呟いた。
出会った頃と同じ顔。
同じ背丈。
同じ声。
何年経っても、何十年経っても。
何百年という時間が流れても、俺は変わらなかった。
「そだね!! 目つきの悪さから何も変わってないね!」
「目つきのことは今カンケーねえだろ!!」
「あ、気にしてた? ごめーん!」
何の悪びれもなく笑いながら謝るかぐやだが
「でもさーサクはサクだし、目つき含めて全部大好きだし! まったく問題なし!」
と、こちらに満面の笑みでそう言ってきた。
「いや、そういう話じゃなくて……」
「じゃあ、どういう話?」
「……俺、人間じゃないのかもしれない」
冗談めかして言ったつもりだった。
けれど、かぐやは笑わなかった。
俺の手のひらに乗った彼女は、じっと俺を見つめていた。
「サクが何なのか、かぐやにはわからない」
「……」
「けどさ!」
かぐやは、俺の指先に身体を寄せた。
「かぐやが一人の時も、お腹空いてる時も、寝ている時も」
俺の指先を優しく撫でながら
「あの時から今日まで、ずーっと……かぐやのこと守ってくれてたでしょ?」
こいつと何年も過ごしているんだ。 だから、何となく今、どういう表情をしているのか不思議とわかる。
「だからね」
ーーきっとかぐやは今
「かぐやのことが大好きで、かぐやも大好きな……すっごくすーーっごく! 頼りになって、強くて、可愛くて、これから先もずっと一緒にいたいと思える人なんだよ!!」
誰かを思い浮かべて、泣きたい顔をグッと堪えている顔をしているのだろう。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が妙に痛んだ。
まるで、ずっと昔にも同じことを言われたような。
誰かに、何度も。
何度も。
――忘れないで。
そんな声が、記憶の底から聞こえた気がした。
「……大事な人がいるんだな」
かぐやには聞こえない声で呟く。
「そういう訳で、本日二度目!! まったく問題ナッシング!!」
「ちょっと変わってるじゃねえか……フフ、まあそうだな」
俺は、かぐやをそっと持ち上げた。
「お前も、何百年経っても変わらないな」
「ふふん! かぐやは特別なの!」
「はいはい、てか地球産じゃないもんな」
「宇宙産の美少女だよ~? ドヤァ!」
「ハイハイ、宇宙産のウミウシ」
「もう! ちゃんと聞いてよーっ!」
俺たちは、また笑った。
この時間が、いつまでも続くと思っていた。
本当に。
*
それから、さらに長い年月が過ぎた。
俺たちは、いくつもの土地を旅した。
人々の暮らしは変わり、集落は大きくなり、見たことのない道具が生まれた。
言葉も変わった。
景色も変わった。
けれど、俺たちの関係だけは変わらなかった。
俺が目を覚ませば、かぐやがいる。
かぐやが腹を空かせれば、俺が食べ物を探す。
俺が一人で考え込めば、かぐやが騒がしく話しかけてくる。
それだけでよかった。
それだけで、十分だった。
――だからこそ。
その日が来るなんて、思ってもいなかった。
*
「サク」
夕暮れの森。
かぐやが、いつもより静かな声で俺を呼んだ。
「ん?」
「最近、変なこと起きてない?」
「変なこと?」
「うん。身体が透けたり、知らない声が聞こえたり……」
「……」
心当たりはあった。
ここ数日、妙な夢を見る。
見たことのない場所。
見知らぬ人々。
そして、何度も俺を呼ぶ声。
夢の中で、俺は何かを守ろうとしていた。
誰かに手を伸ばしていた。
そのたびに、世界がひび割れていく。
「……少しだけな」
俺が答えると、かぐやは不安そうに身体を揺らした。
「ねえ。何かあったら、ちゃんと言ってね」
「わかってるって」
「本当?」
「本当だよ」
俺は笑って、かぐやを手のひらに乗せ直した。
その瞬間。
視界が、歪んだ。
「……っ!?」
空気が震える。
足元の地面に、見覚えのある刻印が浮かび上がった。
あの石に刻まれていたものと同じ紋様。
何百年も前に見た、あの不思議な模様。
そして、頭の奥に声が響いた。
――輪廻より外れし者。
――幾度生まれ、幾度死に、それでもなお終わらぬ者。
――お前は、何を望む。
「……は?」
身体が、透け始めていた。
指先から、光の粒子になって消えていく。
「サク……?」
かぐやの声が震えた。
「おい、待て。なんだよ、これ……!」
俺自身にもわからない。
死ぬのか?
いや、違う。
何度も死んだ記憶があるからこそ、わかる。
これは死ではない。
俺という存在そのものが、この世界から切り離されようとしている。
「サク!!」
かぐやが叫んだ。
小さな身体で、俺の手のひらにしがみつこうとする。
俺は必死に指を曲げた。
せめて、最後まで彼女を離さないように。
「かぐや、落ち着け! 俺も何が起きてるのかわからない!」
「落ち着けるわけないじゃん……っ!!」
そうだよな。
そりゃ、そうだ。
何千年も一緒にいた相手が、突然消えようとしているんだ。
落ち着けるわけがない。
俺だって、怖かった。
初めてだった。
何度生まれ変わっても、どんな人生を歩んでも。
自分が消えることよりも。
目の前のこいつを置いていくことのほうが、ずっと怖かった。
一人なったあと、かぐやはどうなる?ちゃんとご飯たべるのか、前は料理得意とか言ってたけど今ウミウシだし……そんな思考が頭を駆け巡り考えがまとまらない。
「……ごめん」
「謝らないでよ!」
「いや、でも……」
「嫌だ……!」
かぐやの声が、かすれた。
「嫌だよ、サク……! 行かないでっ! また一人になるのなんて……!」
かぐやの悲痛な声に、また脳にピリッとした感覚が走る。
――ああ。
思い出せそうだった。
銀色の髪。
柔らかな笑顔。
俺を見下ろす、誰かの瞳。
そして。
――もう、絶対逃がさないからね?
「……かぐや」
俺は、彼女を見つめた。
「俺、たぶん……」
言葉が途切れる。
もう、身体の大半が消えていた。
「絶対、戻ってくるから」
「……っ!」
「だから、そんな顔すんなよ」
笑おうとした。
いつもみたいに。
くだらない冗談を言って、こいつを安心させようとした。
でも、声は震え、うまく笑えなかった。
「……約束、だからな。これお守り……持っていてくれ」
いつしか俺がオレだった時に持っていた物だ。
少し傷が入り、模様が見えなくなった年季の入ったお守りだ。
「(よかった……間に合った)」
かぐやは、何かを叫んでいた。
けれど、その声はもう聞こえなかった。
最後に見えたのは、夕焼けの空。
そして、俺の手のひらに残された、小さなウミウシの姿だった。
次の瞬間。
俺は、世界から消えた。
*
――それから、何千年もの時間が流れた。
文明が生まれ、国が生まれ、街が生まれた。
人々は海を越え、空を飛び、やがて月へと手を伸ばした。
世界は、あの日とは比べものにならないほど変わった。
それでも。
ーーは探し続けた。
森を。
海を。
ーーと過ごした場所を。
ーーの声を。
ーーの笑顔を。
ーーーのいない世界で、何度も。
何度も。
そして、現代。
月明かりの差し込む部屋で、一人の少女が目を覚ました。
淡い銀色の髪。
長い前髪。
少しだけ眠たそうな瞳。
「……夢?」
少女――天城朔は、ぼんやりと天井を見つめた。
何か、大切な夢を見ていた気がする。
誰かと一緒にいた。
ずっと、ずっと長い間。
けれど、その相手の顔だけが思い出せない。
「……ま、いっか」
朔はベッドから起き上がった。
今日も、いつもと変わらない一日が始まる。
「朔~起きてる?」
そう思っていた。
「ああ、起きてるよ。ーー彩葉」
この世界のどこかで。
何千年も待ち続けた誰かが、ただ一人の女の子を探していることなど。
まだ、知らないまま。
――物語は、ここから始まる。