クソボケもノンデリも偉大な称号
「おっそい!」
「いや、まだ間に合う時間だろ……」
「そういう問題じゃない! 朝はもっと余裕を持って行動するべき!」
「はいはい、朝からご苦労なこって」
玄関で待っていた彩葉は、腰に手を当てて頬を膨らませていた。
相変わらず元気なやつである。
こっちはまだ眠気が抜けていないというのに。
「……ん?」
ふと、彩葉が俺の顔を覗き込んできた。
「なに?」
「いや、なんか今日の朔、ぼーっとしてない?」
「そうか?」
「そうだよ。いつも以上に目つき悪いし」
「だから目つきは関係ねえだろ!」
「お、いつもの朔だ」
こいつ、絶対わざとやってるな。
俺はため息をつきながら靴を履いた。
「ほら、行くぞ。遅刻するんだろ?」
「あ、ちょっと。たくっ……誰のせいだと思ってんの」
悪態をつきながら彩葉が、俺の隣に並ぶ。
朝の住宅街には、通学する学生や仕事へ向かう人々の姿があった。
自転車のベル。
遠くから聞こえる電車の音。
コンビニの前で、何を買おうか悩んでいる学生。
ありふれた光景だ。
俺がこれまでの人生で何度も見てきたような、人々の営み。
……いや。
前世の記憶というものは、どうにも曖昧なところがある。
誰かを守るために戦っていた記憶。
見知らぬ土地で、見知らぬ人々と暮らしていた記憶。
それらは確かに俺の中に存在している。
けれど、その一つ一つが本当に自分の人生だったのかと聞かれれば、うまく答えられない。
夢を見ているときの感覚に近い。
自分のものなのに、どこか遠い。
それでも。
――たった一つだけ。
どうしても、思い出せないものがあった。
「……朔?」
「ん?」
「またぼーっとしてる」
「悪い悪い」
「んー。最近、何かあった?」
彩葉が心配そうにこちらを見上げた。
「別に。ちょっと夢見が悪かっただけだよ」
「夢?」
「ああ。なんか、昔の夢? みたいな」
「昔って、何、前世的な?」
「……まあ、そんなところ」
適当に答えると、彩葉は少しだけ考え込むような顔をした。
「そっか、あんた疲れてるのね」
「おいまてや」
確かにこんなことをいきなり言った俺もどうかしていると思う。
けど、聞いてきたのはコイツだし、勉強もして、働いて自分の学費と生活費を稼いで自分の全てを管理している超絶エラエラ苦学生に言われたくねえなあ??
※(褒めてます)
「そんなお前も、多少マシになったけど……まだ無理なスケジュール組んでんだろ?」
俺はそう言って、目の下にあるクマを撫でる。
少しクマは薄くなったが、前はもっと酷かった。化粧をしても見えるくらいだったが、俺がご飯を作ったり、なるべく生活で支えられる点を重視してサポートしている。
……別にここまでしてやる義理はないと思う。ただ、出会いが出会いだったが為にほっとけなくなってしまった。
ま、この話は追い追い……
「ん……まあ、朔のおかげでだいぶ楽はできてるけどね」
彩葉は俺の撫でる指をくすぐったそうにそう答える。
「あれでだいぶ……? 感覚だけ生まれる頃に落としてきたん?」
こいつ超人か何か? みたいに引いた顔を向けるが、当の本人は「これくらい普通」みたいな顔でこちらを見ているので、「あ、そういう星の人なんだ」と思って納得した。
「失礼な……それに、今週頑張ったら土日はバイトなし!! 久しぶりに六時間寝れる……はっ!?」
彩葉はまずいと言った顔で慌てて自分の口を塞ぐ。
ちょっと待て……今コイツ、久しぶりに六時間と言ったか?
「ねえ」
俺は静かに、冷静に彩葉に尋ねる。
「は、はい!」
「ちゃんと寝てるんじゃないの? いつも何時間寝てるの?」
「え、ええっと……」
「俺との約束は?」
冷や汗をかきながら彩葉は天才的頭脳をフル回転させる。
ーーしかし、彩葉は知っている。付き合いが長い朔に、どれだけ状況に適している言い訳、嘘を吐いてもすぐに見破られるのだ。
「(こうなった時の朔って普段の口調と打って変わって全然違うから……お母さんより怖いかも……)」
「こんな時に考え事……?」
「(ひいいいい、なんでわかるのよ……)ええええっと、その……ごめんなさい」
観念した彩葉は素直に謝る。
それを聞いて朔は小さく、短くため息を吐き、先程の雰囲気とはがらりと変わっていつもの口調に戻した。
「まあ、なんでまた無茶してるのか大体予想付くけど、一応聞く。なんで?」
最後の言葉は少し語気が強い気がしたが、今回はコイツが悪いし、約束を破ったのだからこちらとしても理由を聞く権利がある。
まあ、先程も言った通り、予想……は付くけどな。
「えっとですね……近々、開催される推しの握手権付のチケットが販売されてまして……当然ファンとしてはほしくてですね……はい……」
「で、その過程でお金をだいぶ使った、そして当たらなかった、と」
「あ、あはははは……なんでわかるのよぉ……」
彩葉は泣きながら笑っているが、相当にショックだったのだろう。
まあ、所謂やけ酒ならぬやけバイトだな。
……いや、だとしてもやけバイトなんて意味わかんねえけど。
しっかり自分の生活の面倒を見て、どっかのT‐ウイルスでゾンビになる手前まで頑張っている親友を応援はしたい。
ーーけど、
「お前が何に金を使おうが自由だぜ? でもぶっ倒れられたら心配する奴がいるってことはわかってくれ」
俺は溜息を吐き、先程との声のトーンは少し優しめに彩葉を諭す。
「多分、芦花や真実は泣くと思うぜ」
俺とは他にもう二人の親友の名前を出すと彩葉は肩をビクッとさせた。
どうやらそうなった時の想像でもしたのだろう。
「さ、朔は……?」
「あ?」
彩葉が何やら小さい声で何かを尋ねているようだ。
何だ、何言ってるんだコイツ。小さくて聞こえん。
あと何でそんなに顔赤いんだ。
「朔は、私が倒れたら心配してくれるん……?」
ああ、なるほど。
なんだ、そんなこと今更聞くなってんだ。
俺は最大限、彩葉に俺の気持ちが伝わるようにとてもいい顔でこう伝えたのだーー
「三転倒立しながら体温計口に咥えてもらって限界まで体温上げてもらおうかなって考えてた」
「早口!? ほんで倫理観んんんんっ!!」
*
この女、ホンマにありえへん……っ!!
さっきも素直に心配するよとか言うてくれたらええのに、時代錯誤も甚だしい発言しよったわ……
この女ーー天城朔は小学校時代からの幼馴染だ。
小学校時代の朔は、何というか今よりも取っ付きにくい感じだった。
特に、誰かにケンカを売るわけでもなく、誰かに嫌がらせをするわけでもない。
口も悪……くはなったと思う……多分。
じゃあ、何が取っ付きにくかったかというと、朔には絶対に譲らないという信念が確立していたのだ。
納得がいかなければ意見をして、間違っていればそれは違うとはっきりと物申す子だった。
小学校時代、良くも悪くも流されやすい時期だ。
特に交友関係は学校生活で送るには必要不可欠であり、意見の対立でその子とは疎遠になるし最悪クラス内での嫌がらせの対象になりかねない。
だから、子どもは悲しいことに無意識に顔色を窺う術を身に着けるのだ。
多感な時期であり、まだ自己の確立が定まっていない少年少女らにとって己の意見をはっきりと言う天城朔という存在はとても異質に見えたのだろう。
いうまでもなく、朔はクラスの輪から外され孤立していた。
でも、私にとって朔の生き方は、とてつもない憧れを抱いたのだ。
「(ま、蓋を開けたら……ただのノンデリだったんだけど)」
「ん? どうした」
「クソボケが」
「え、急に何」
「細かいことは気にしない!」
「ええ……」
思わず苦笑する。
そのときだった。
ポケットの中で、何かが指先に触れた。
古びたお守り。
朝、部屋で眺めていたものだ。
何となく取り出してみる。
「……?」
表面に刻まれた模様。
擦り切れて、ほとんど判別できなくなっているはずのそれが。
一瞬だけ、妙に鮮明に見えた。
見覚えのない紋様。
けれど、知っている。
確かに、俺はこれを知っている。
ずっと昔。
誰かに渡した。
いや、違う。
誰かに――。
「朔? どうしたの?」
「……いや」
気がつけば、模様は元のぼやけた状態に戻っていた。
俺はお守りを握りしめる。
「何でもない」
そう答えたものの、胸の奥には、説明のつかないざわめきが残っていた。
まるで。
遠く離れた誰かが、こちらを見つけたような。
そんな気がした。
「やっば、時間ない……ちょっと朔!! 走るよ」
そんな俺の心情はよそに、彩葉は学校まで猛ダッシュをかますのだった。
「ちょっ……待っ……はええんだよおおお体育10!!」
「さっきのお返しよ~ほら早く早く~」
「ぜえっ……はっひっ……
全くーー
よくわからんな、人の子は」
*
同じ頃。
月明かりの差し込む、静かな部屋。
棚の上には、古びた小さな箱が置かれていた。
何度も開けられ、何度も閉じられた箱。
その中には、一つの古びたお守りが収められている。
誰かが大切にしていたもの。
誰かが、いつか戻ってくると約束したときに残していったもの。
箱のそばで、一人の少女が目を覚ました。
「…………」
少女はしばらく天井を見つめたあと、ゆっくりと身体を起こした。
夢を見ていた。
懐かしい夢。
遠い昔の夢。
夕焼けに染まる森。
小さな手のひら。
そして、自分を見つめる誰かの顔。
けれど。
「……誰、だっけ」
呟いた声は、静かな部屋に溶けて消えた。
思い出せない。
大切な誰かだったはずなのに。
自分にとって、何よりも大切な人だったはずなのに。
その顔は、もうはっきりとは思い出せなかった。
ただ一つ。
最後に聞いた言葉だけが、耳の奥に残っている。
――絶対、戻ってくるから。
「…………うそつき」
少女は小さく呟いた。
それから、棚の上の箱に目を向ける。
箱の中には、あの日からずっと大切にしているものがある。
何千年経っても、捨てられなかったもの。
何千年経っても、手放せなかったもの。
少女はそれを取り出し、胸元に抱きしめた。
「……ねえ、サク」
返事はない。
当然だ。
ここには、自分しかいないのだから。
「かぐや、ずっと待ってるんだからね」
その声は、少しだけ震えていた。
それでも少女は、笑おうとした。
いつかまた会えると信じて。
何千年も前に交わした、たった一つの約束を胸に。
――今度こそ、絶対に離さない。
*
翌日。
俺は、妙な夢を見た。
白い砂浜。
波の音。
そして、誰かの声。
――サク。
聞き覚えのある声だった。
いや。
聞き覚えがあるなんてものじゃない。
ずっと昔から知っている。
何度も呼ばれた。
何度も、その声に救われた。
なのに。
顔が思い出せない。
「……誰だよ」
夢の中で、俺は手を伸ばした。
目の前にいるはずの誰かへ。
けれど、その指先は何も掴めなかった。
波の音が大きくなる。
視界が白く染まっていく。
そして最後に。
小さな声が聞こえた。
――おかえり。
「……っ!」
目が覚めた。
見慣れた天井。
いつもの部屋。
窓の外からは、朝の光が差し込んでいる。
俺はしばらく、何も言えなかった。
胸が痛い。
理由もわからないのに、泣きそうだった。
ポケットに手を伸ばす。
そこに、お守りがあることを確かめる。
「…………」
そして、なぜか。
行かなければならない。
そんな気がした。
理由なんてない。
ただ、行かなければ。
きっと。
――誰かが、待っているから。
ーー行こう
ーーツクヨミに