五時間目の授業中、俺はノートの端に投球フォームの図を走り書きしていた。
昨日の放課後に見た、城ヶ崎投真のあの送球が頭から離れない。
斜め前の席に座る本人は、そんな俺の期待など知る由もなく、いつものように所在なさげに背中を丸めている。
あの手投げで、あの球。
ちゃんと身体を使わせたら、どうなる?
……早く放課後になれ。
不意に、斜め前の城ヶ崎がびくっと肩を跳ねさせた。
後ろからの俺の視線を感じ取ったのか、恐る恐る振り返ろうとしては躊躇い、首筋を真っ赤にして姿勢を正す。耳の先まで赤みが広がっているのが、切り揃えられていない黒髪の隙間から見えていた。
本当に落ち着きのない奴だ。人に見られるのが苦手なのだろうか。それとも、昨日の放課後にいきなり二の腕を掴んで詰め寄ったことをまだ警戒しているのか。友達づきあいの少なそうな彼にとっては、他人にいきなり腕を掴まれたこと自体が非常事態だったのかもしれない。少し強引すぎた自覚はあるが、放課後に逃げられさえしなければそれでいい。
俺は城ヶ崎の後頭部に向けて、逃がさないぞという無言の圧力を送り続けた。
やがて、待ち焦がれていた放課後のチャイムが校舎全体に鳴り響いた。
終礼の号令が終わると同時に、俺は鞄のストラップを掴んで席を立った。教室の出口へ向かいながら城ヶ崎の席を横目で確認すると、彼は机の上の教科書を片付ける手を止め、気まずそうに視線を泳がせていた。逃げる様子はない。よし、まずは用具の確保だ。
階段を駆け下り、一階の渡り廊下を抜けて体育教官室へと向かう。
放課後の教官室は、各運動部の顧問たちが部活動の準備に追われて慌ただしく出入りしていた。奥のスチール机で腕組みをしている中年男性の体育教師を見つけ、俺は息を整えてから小走りで歩み寄った。
授業用の軟式グラブとボールを貸してほしいのだと、丁寧に頭を下げて頼み込む。普段は生徒指導で怒鳴り声を上げている厳格な教師だが、丁寧に頭を下げられるとあっさりと目元を緩めて用具庫の鍵を手渡してくれた。
今世ではスポーツの駆け引きのために心理学の専門書を読み漁ったからか、お願いの成功率が上がっている気がする。前世では考えられないほどの手続きの滑らかさに、俺は内心でほくそ笑んだ。やはり勉学は身を助ける。
薄暗い用具庫の棚から、授業用の軟式グラブを二つ選び出した。
一つは右投げ用の標準的な大人用サイズで、もう一つは手の小さい俺の左手にも収まりそうな小ぶりのものだ。棚の隅のプラスチックケースから、山吹色に変色して溝がすり減った軟式球を三つ掴み出す。
グラブを鼻先に近づけると、古びた牛革と埃の混ざった、どこか懐かしい匂いが鼻をくすぐった。前世の記憶が鮮明に蘇る。毎晩のように手入れ用の油を塗り込み、木製のボールを入れて紐で縛り、球を収める部分の形を追い求めていたあの頃。肘が砕け散る前の、野球のことだけを考えて生きていた日々の熱が、手のひらを通じてじわりと身体の奥へ染み渡っていく。
鍵を返却し、用具を両腕に抱えて約束の場所へと急いだ。
目指す場所は、テニスコートの裏手と体育館の側壁に挟まれた、細長い空き地だった。
普段は体育の授業で使うハードルや石灰の袋が置かれているだけの死角で、放課後になっても生徒の往来はほとんどない。地面の土も適度に踏み固められており、十数メートルのキャッチボールをするには申し分のない広さだった。
角を曲がると、すでに城ヶ崎の姿があった。
コンクリートの壁に背中を預け、足元に学生鞄を置いて、ぼんやりと空を見上げている。制服のネクタイを少しだけ緩め、所在なさげに佇むその姿からは、やはり怪物の気配は感じられない。
本当に逃げずに待っていたのだ。口ではあれほど嫌がり、帰宅部でのんびり過ごしたいと言っていたのに、こうして律儀に約束を守る。その素直さと誠実さは、指導者の言葉を受け止め、地道な練習を積み重ねていくアスリートとして、何よりも得難い素質の一つだった。
「城ヶ崎君、待たせてごめんね!」
声をかけながら駆け寄ると、城ヶ崎は飛び上がるように身体を震わせ、慌てて背筋を伸ばした。
「あ……姫宮さん。本当に、来たんだ……」
「当たり前でしょ。ボクが言い出したんだから。ほら、これ使って」
抱えていたグラブのうち、大きい方の右投げ用グラブと軟式球を一つ差し出す。
城ヶ崎は引き攣ったような笑みを浮かべ、おっかなびっくりそれを受け取った。左手をグラブに差し込もうとするが、手首のバンドの留め具に引っかかってまごついている。指を五本全部の穴にぎこちなく押し込み、手首の締め方もよく分からないまま、右手で持ったボールをぽんぽんとぎこちなく落としそうになりながら弄んでいた。
まったくの素人だ。体育の授業でたまに触ったことがある程度で、グラブの使い方すらろくに身についていないのが一目で分かった。
「……本当にキャッチボールだけでいいんだよな? 俺、運動全然ダメだし、コントロールも悪いから……変なところへ投げて姫宮さんに怪我でもさせたら困るし……」
「心配しすぎだよ。ボク、こう見えても球を捕るのには自信があるんだから。怪我なんて絶対にしないよ」
「そうは言ってもさ、相手は女の子だし……」
城ヶ崎は困惑したように眉尻を下げながら、俺から十メートルほど離れた位置へと後ずさりしていった。
相手は女の子、という言葉に、俺は胸の奥で苦笑した。外見こそ小柄な女子高校生かもしれないが、中身は野球に骨を埋めかけた男のままだ。骨格の頑丈さや絶対的な瞬発力こそ女子の限界に阻まれているものの、飛んでくる打球の回転を見極め、グラブの芯で衝撃を殺す技術は身体の奥底に刻み込まれている。高校生の未経験者が投げる球の捕球で後れを取るはずがなかった。
「じゃあ、投げるぞ。危なかったら無理に捕らなくていいからな」
城ヶ崎が申し訳なさそうに声をかけ、右腕を軽く振った。
放たれた白球は、ふわりと大きく弧を描く山なりの軌道で飛んできた。球速など測るまでもない、四十キロか五十キロ程度のスローボールだ。女の子相手だからと、極限まで手加減をして、胸元へ優しく届くように置きにいった投球だった。
パシッ、と乾いた音がして、俺のグラブのポケットにボールが収まる。
俺はボールを右手に持ち替え、ステップを踏んで城ヶ崎の胸元へ素早く投げ返した。綺麗な回転で真っ直ぐに返った送球に、城ヶ崎は少し目を見張りながら、両手を使ってぎこちなくグラブで受け止めた。
「城ヶ崎君、手加減はいらないよ」
俺は両足を肩幅に開き、腰を少し落として構え直した。
「昨日の放課後にグラウンドへ返したみたいな、あの腕のしなりを使って投げてみてほしいんだ。ボクが捕れそうにない球だったらちゃんと避けるから、思い切り腕を振っていいよ」
「思い切りって言われても……狭い場所だし、後ろは壁だしさ。もし暴投して壁にぶつかったら、跳ね返って危ないだろ?」
「そんな心配はいいの! ボクが後ろに逸らさなければいいだけでしょ? 君がどんな球を投げるのか、ボクはそれが知りたいんだ」
城ヶ崎は困り果てたようにため息をついた。だが、俺が一切引く気がないことを察したのか、諦めたように視線を落とし、グラブの中でボールを握り直した。
「……わかったよ。じゃあ、少しだけ強く投げるからな。本当に危なかったら逃げてくれよ」
城ヶ崎が立ち位置を整え、ぎこちなく横を向いた。
右足に体重を乗せ、左足を前へと踏み出す。昨日の放課後に見せたあの鞭のような腕の振りを再現しようと、彼なりに力を込めて右腕を振り抜いた。
だが、投げ出された球は、昨日の放課後のそれとは程遠いものだった。
腕の振りこそ速くなっていたが、ボールは高めに大きく浮き上がり、俺の頭上を越えそうになった。俺は反射的に背伸びをしてグラブを掲げ、かろうじてポケットの先で引っかけた。バシッという鈍い捕球音が響く。
「あ、ごめん! やっぱり高めに抜けちゃった……!」
城ヶ崎が慌てて駆け寄ろうとするのを、俺は左手を上げて制した。
「大丈夫、捕れてるから問題ないよ」
表面上は笑顔で応えながら、俺は内心で小さく唸った。
うーん、やはり完全な素人の手投げだな。
昨日の放課後は奇跡的な肩の柔らかさでたまたま低空の鋭い球になったが、下半身の使い方を何も知らない以上、少し力んで腕を振ればこうやって高めにすっぽ抜けるのも無理はない。
こんな手投げの状態でいくら球を投げさせても、あいつの持っている本当の肩の力を正当に評価することなんてできやしない。それに下手をすれば、あの天賦の肩や肘を痛めかねない。
キャッチボールを続けるより先に、まずはフォームの指導だな。
ちゃんとした投げ方の基本を身につけてもらってからだ。
そう判断した俺は、ボールを左手に収めたまま城ヶ崎を手招きした。
「城ヶ崎君、ちょっとこっちに来て」
手招きすると、城ヶ崎は首を傾げながら近づいてきた。
「え、なに? やっぱり手、痛めたのか?」
「違うよ。君のフォームの調整。ちょっと横を向いて、投げる前の構えを取ってみて」
「構え? こうか?」
城ヶ崎が左肩を俺に向け、軽く足を広げて立つ。
俺は迷わず一歩踏み込み、城ヶ崎の身体の至近距離に滑り込んだ。そして、城ヶ崎の左肩に右手を添え、左手を彼の右腰のあたりにしっかりと当てた。
「ひ、ひめみ……っ!?」
城ヶ崎の喉から、空気が抜けるような奇妙な声が漏れた。
身体全体が硬直するのが、触れている手のひらを通じて生々しく伝わってくる。鼻先が触れそうな距離。俺の黒髪が夕風に揺れて、城ヶ崎の胸元をかすめていた。城ヶ崎の視線が激しく泳ぎ、一瞬で顔面から首筋、耳の裏までが鮮やかな朱色に染まっていく。
近い、と叫びたそうな顔をしているが、フォームの指導は身体の使い方を理解している人間が直接触れながら教えるのが一番効率がいい。指導なら当たり前の距離感だし、慣れてもらわねば困る。
「いい、城ヶ崎君。足を踏み出すとき、この左肩を相手に向けたまま、ぎりぎりまで開かないように我慢してみて」
「え、あ、肩……?」
「そう、胸の壁を作るんだ。腕を振る直前まで、相手に自分の背中を見せつけるくらいのイメージ。身体を開かずに下半身から先に踏み出せば、上半身が引っ張られて勝手に腕がしなるから」
俺は城ヶ崎の腰を軽く前方へ押し出しながら、背中へ指先を滑らせた。胸を張って、腕を後ろに残す感覚を覚えてもらう。
筋肉の緊張が凄まじい。触れているだけで熱が伝わってくるほどだ。城ヶ崎は息を止め、歯を食いしばって全身を震わせていた。
「わ、分かった、分かったから! やってみるから、ちょっと離れて……!」
悲鳴のような声に、俺は満足して手を離した。
「うん、その感じを忘れないでね。左肩を残して、相手に背中を見せる。そこから一気に腰と上半身を回すんだ。思い切り振っていいからね」
元の位置へ小走りで戻り、グラブを構え直す。
城ヶ崎は大きく息を吸い込み、乱れた呼吸を整えるように何度も胸を上下させていた。顔の赤さはまだ引いていなかったが、その瞳には先ほどまでの戸惑いとは違う、強い集中が宿り始めていた。
言われた言葉の意味を、自分の身体の中で懸命に咀嚼している。その真剣な横顔に、俺の期待は最高潮に達していた。
城ヶ崎が動いた。
右足にしっかりと体重を乗せ、左足をゆっくりと引き上げる。そして、前へと踏み出した。
左足が土の地面を捉えた瞬間、城ヶ崎の左肩は微動だにしなかった。相手に向けられたまま、胸の開きが完全に我慢されている。下半身の腰だけが鋭く先行して回転を始め、上半身との間に強烈な捻じれが生み出された。
引き絞られた和弓のようなしなり。
城ヶ崎の背中が大きく弓なりに反り、遅れて右腕が信じられない速さで上がってきた。肘が耳の横をかすめる。力みなどどこにもない。腰が回り、その勢いに肩も腕も引っ張られて、最後に指先が走った。
そして、インパクト。
バチンッ!
空気が破裂したような鋭い破裂音が、細い路地に轟いた。
城ヶ崎の指先から撃ち出された軟式球は、十メートルの距離を一瞬にして消し去った。
浮き上がっている。猛烈なバックスピンのかかった白球が、重力に逆らうように低空から鋭く伸び上がりながら、一直線に俺の胸元めがけて迫ってくる。軟式球特有の空気抵抗による減速など、初速の圧倒的な暴力によって完全にねじ伏せられていた。
速い。本物の剛速球だ。
俺は反射的に腰を落とし、グラブの芯をボールの軌道へと差し出した。
ズドォォンッ!
グラブ越しに、鉄の塊でも撃ち込まれたかのような凄まじい衝撃が突き抜けた。
手首が軋み、衝撃が腕から肘、肩へと突き抜ける。乾いた銃声のような捕球音がコンクリートの壁に反響し、グラブの革越しに手のひらへ熱い痺れが広がっていった。
重い。あまりにも重く、鋭い一球だった。
「うわっ……!?」
投げた城ヶ崎自身が、目を丸くして自分の右手を見つめていた。
「な、なんだ今の……!?」
信じられないといった様子で、手のひらを開いたり握ったりを繰り返している。指先に残る強烈なリリースの感触。ボールの溝を切り裂いた瞬間の手応えに、彼自身の感覚が激しく揺さぶられていた。
俺はグラブの中でジンジンと脈打つ左手の痛みに耐えながら、息を呑んだ。
手のひらが痺れている。痛い。だが、そんな痛みなど吹き飛ぶほどの歓喜が、胸の奥からマグマのように噴き上がってきた。
今の一球は確実に百三十キロ台に達していた。それだけの球を投げられる身体能力を、彼はすでに備えている。胸の開きを我慢しろというたった一度のアドバイスで、その力を投球に乗せてみせたのだ。一流のアスリートになり得る素質は十分にあった。
「城ヶ崎君!」
俺はグラブからボールを掴み出し、震える声で叫んだ。
「その球、もう一回! もう一回投げてみて!」
「えっ……でも、姫宮さん、これ危ないって……!」
「いいから! ボクの手のことは気にしないで! 今の感覚、消えないうちに身体に刻み込むんだ! 早く!」
俺の鬼気迫る表情に圧倒されたのか、城ヶ崎は小さく息を呑み、慌ててポジションへ戻った。
俺はボールを力強く投げ返した。城ヶ崎が両手でぎこちなく受け止める。その瞳には、先ほどの驚愕の奥に、隠しきれない熱情の炎が灯り始めていた。自分が投げた球の凄まじさを、指先に残るあの快感を、彼自身がもう一度味わいたがっている。投げたいという本能が、彼の中で目覚めかけていた。
「いくぞ……!」
城ヶ崎が構え直す。
先ほどよりも迷いのないステップ。左肩を残し、相手に背中を見せるようにして胸の壁を維持する。下半身の先行、上半身の捻れ、そして遅れて振り抜かれる右腕。
バチンッ!
再び空気を切り裂く鋭い音が響き、白球が一直線に伸びてくる。
ズドンッ!
グラブに収まったボールの重み。初球と同じ、いや、それ以上に力強く回転する美しいストレートだった。
「もう一回!」
「おう!」
三球目、四球目。
投げ込むごとに、城ヶ崎のフォームから余分な力みが抜け、動きが洗練されていく。足の着地位置、グラブの引き込み、リリースの高さ。俺が細かな修正を指示するたびに、城ヶ崎の身体はまるで乾いたスポンジが水を吸い込むようにその指示を吸収し、即座に次の球へと反映させていった。
路地に響き渡る乾いた捕球音。
夕暮れの茜色の空の下、二人の間で白球が激しい風切り音を立てて往復する。城ヶ崎の額には大粒の汗が浮かび、荒い息が漏れていたが、その顔には生まれて初めて自分の才能に触れた者だけが見せる、純粋な歓喜の笑みが浮かんでいた。
楽しいのだ。自分の身体が思い通りに連動し、唸りを上げるような球が手元から放たれることが、楽しくてたまらないのだ。
その姿を見ているだけで、俺の目頭が熱くなった。
前世で自分が愛し、すべてを捧げ、そして失ってしまった野球の歓びが、今、目の前の少年の身体の中で確かに息を吹き返している。自分がマウンドに立てなくてもいい。この怪物が、この才能が、眩い光を放ちながら羽ばたいていく姿を見られるのなら、それ以上に価値のあることなどこの世界に存在しない。
十数球を投げ終えたところで、城ヶ崎が膝に手を突いて荒い息を吐いた。
「はぁ……はぁ……すげえ……なんだこれ……」
肩で息をしながら、城ヶ崎は自分の右手を呆然と見つめていた。指先は赤くなり、手のひらからはうっすらと湯気が立ち上っているようだった。
「俺……本当に、あんな球を投げてたのか……?」
「投げてたよ」
俺は歩み寄り、城ヶ崎の前に立った。
左手のグラブを外すと、手のひらは真っ赤に腫れ上がり、じんじんと熱を持っていた。だが、俺はそんな痛みなど微塵も気にならなかった。むしろ、この痛みが誇らしかった。
「城ヶ崎君、君の右腕は本物だよ。百三十五キロ、下手をすれば百四十キロ近く出てた。高校に入ったばかりの帰宅部が投げていい球じゃないよ」
「百四十……そんな馬鹿な……」
城ヶ崎は信じられないといった様子で首を振ったが、その声には先ほどのような完全な否定の響きはなかった。指先に残る確かな手応えが、彼自身の常識を根底から覆していた。
「たまたまじゃないよ。君の肩の柔軟性、そして指示をすぐに再現できる身体の感覚……どれをとっても特級品だ。君が今まで野球をやってこなかったのが信じられないくらいだよ」
俺は一歩踏み込み、城ヶ崎の大きな両手を、俺の小さな両手でぎゅっと包み込むように握りしめた。
城ヶ崎がびくっと肩を跳ねさせ、顔を一瞬で真っ赤にする。だが、今度はやめさせようとはしなかった。
「城ヶ崎君、ボクと一緒に野球部へ行こう」
まっすぐにその瞳を見つめ、心を込めて告げる。
「君のその才能を、こんな路地裏で終わらせちゃいけない。ちゃんとしたマウンドの上で、真新しい白球を握って、大勢の観客の前で腕を振るべきだ。ボクが全力でサポートする。身体のケアも、トレーニングの計画も、フォームのチェックも、全部ボクがやるから」
「姫宮さん……」
城ヶ崎の瞳が激しく揺れていた。夕暮れの光の中で、彼の頬を伝う汗が一筋、黄金色に輝いている。
戸惑い、恐れ、そして生まれて初めて心の奥底に灯った野心。様々な感情が渦巻く中、城ヶ崎は握られた俺の手を、おずおずと、しかし確かな力強さで握り返してきた。
「……体験入部、だけなら」
掠れた声で、城ヶ崎は言った。
「見に行くだけなら……行ってもいいよ。姫宮さんが、そこまで言うならさ」
「本当!?」
「ああ。でも、本当についてきてくれるんだろうな? 俺一人じゃ、絶対に途中で逃げ出すからな」
「もちろん! 絶対についていくよ!」
俺は満面の笑みを咲かせ、城ヶ崎の手を上下に激しく振った。
やった。第二段階も大成功だ。
明日はいよいよ野球部への乗り込みだ。顧問の指導体制や部員たちの実力を見極めつつ、城ヶ崎をスムーズに部の中に溶け込ませてやらなければならない。急に新入生が剛速球を投げ込んで先輩たちの反感を買わないよう、立ち回りも計算しておく必要がある。
城ヶ崎はまだ顔を真っ赤にしたまま、手首のあたりをぎこちなく押さえて俯いていた。急に激しく動いて、胸がドキドキしすぎたのだろうか。投げる前には身体を温め、長く動けるよう走る練習も入れてやらなければならない。
夕闇が迫る空き地に、涼やかな春の風が吹き抜けていく。
握りしめた手のひらに残る熱い感触と、グラブ越しに受け止めた白球の重み。胸の奥で、かつてないほど強大な炎が、パチパチと音を立てて燃え盛っていた。