翌朝。
目を覚まして、しばらく天井を眺めていた。
「昨日のこと、夢じゃないんだよな」
ゆっくりと身体を起こす。
昨日、突然蘇った前世の記憶。
それまで普通に生きていたはずなのに、頭の中へ一気に流れ込んできた別の人生。
映画を見ていた自分。
そして、その映画とよく似た世界で暮らしてきた今の自分。
今の俺は、この世界で生まれ、この世界で育った。 学校に通い、一人暮らしをしている。 ……とはいっても、何もかも自分一人で賄っているわけじゃない。生活費の一部は親に頼っている。
一方で、前世の俺の記憶では、この世界についての知識があった。
酒寄彩葉。
月見ヤチヨ
そして、かぐや。
映画の内容も、全部ではない。それでも、印象に残っている場面や人物、物語の大まかな流れくらいなら覚えている。
それから…かぐやが月へ帰っていくところ。
俺は、その結末を変えるためにどうしたらいいんだ?
「……まあ、今考えてもしょうがないか」
ベッドから降り、制服に着替え、鞄を持って部屋を出た。
◇
廊下に出ると、ちょうど隣の扉が開く。
「あ」
「おはよう、司」
「おはよう、彩葉」
酒寄彩葉。
昨日までと何も変わらない。同じアパートに住んでいて、同じ学校に通っている。普段から顔を合わせるし、学校でも話す。
なので、こうして一緒に学校へ向かうのも珍しいことではなかった。
「今日も一緒に行く?」
彩葉が聞く。
「うん。行こう」
二人で階段を下りる。
外へ出ると、朝の空気が少し冷たかった。
歩き始めてすぐ、彩葉が小さく欠伸をする。
「眠そう」
「そうかな」
「うん」
「昨日、バイトが少し遅くなったから」
「そっか」
彩葉は勉強だけをしているわけじゃない、学校へ通いながら、バイトもしている。 しかも、ただ遊ぶためのお金を稼いでいるわけじゃない。自分で生活を支えるためだ。 俺だって一人暮らしではある。でも、俺には親の支援がある。 家賃や生活費まで、全部自分で背負っているわけじゃない。それを考えると、彩葉の生活はかなり無理をしている。高校生なのに。
勉強して、働いて、全てを一人で済ませている。
「…エリートって言葉だけじゃ、片付けられないよな」
「何か言った?」
「ううん。何でもない」
思わず口に出ていた。
「彩葉」
「ん?」
「ちゃんと休んでね」
「大丈夫だよ」
即答だった。俺は思わず苦笑する。
「そう言うと思った」
「心配してくれてる?」
そう言って、彩葉が少し笑う
「少しだけ」
「ありがとう」
「どういたしまして」
それ以上は言わなかった。
しばらく歩いていると、彩葉がスマホを取り出した。
「そういえば、昨日ヤチヨの配信見た?」
「月見ヤチヨ?」
「うん」
「見たよ」
それは今世の俺も知っている。彩葉がずっと追いかけている、ツクヨミの人気ライバー。
仮想空間ツクヨミ。
自分の分身を作って、好きなことをして、誰でも自由に活動できる場所。彩葉はそこでヤチヨの配信を見るのが、日々の楽しみの一つだった。
「歌ってみた、よかったよね」
「うん。彩葉、喜んでるな〜って」
「なんで?」
「隣から聞こえたきたからね、彩葉の歓声が」
「…そんなにうるさかった?」
「冗談だよ」
彩葉が恥ずかしそうに笑う
「今度、時間があったらツクヨミで一緒に何かやってみる?」
あ、話題変えたな。
「私、ゲームそんなに上手くないよ?」
「大丈夫。私もそこまでじゃないから」
「でも、彩葉ってゲームでお小遣い稼いでるんじゃなかった?」
「細々とね」
「十分すごいと思うけど」
「そう?」
「うん」
彩葉は少し照れたように笑った。
そうして話しているうちに、学校へ着いた。
「じゃあ、また後で」
「うん。またね」
教室へ入り、俺も自分の席についた。
授業が始まった。
午前中は特に何も起きなかった。
彩葉は眠そうにしながらも、授業中は真面目にノートを取っている。先生から当てられれば、きちんと答える。やっぱり、こういうところは変わらない。
◇
昼休み。
俺は自分の席で弁当を食べていた。
しばらくすると、彩葉がこちらを向く。
「司」
「ん?」
「こっちで食べない?」
「いいの?」
「うん」
「じゃあ、行く」
弁当を持って席を移動する。
「どうぞ」
芦花が少しだけ席をずらしてくれる。
「ありがとう」
真実もこちらを見る。
「司、最近彩葉と一緒にいること多いね〜」
「同じアパートだからね」
「そうだったね」
真実はそれだけ言って、昼食に戻った。
「今日の数学、難しくなかった?」
彩葉が聞く。
「ちょっと難しかった」
「ここ分かった?」
彩葉がノートを見せる。
「一応」
「じゃあ、ここは?」
「……これは分からない」
「じゃあ、食べ終わったら教えてあげましょう」
「お願い」
昼食を終え、ノートと睨めっこしながら教えてもらう。芦花と真実は別の話をしている。時々、彩葉が問題について説明してくれる。
◇
午後の授業が終わる。
放課後。
教室を出ると、彩葉が廊下で待っていた。
「帰る?」
「うん」
「じゃあ、一緒に帰ろ」
「うん」
二人で学校を出る。
朝と同じ道を歩く。
「今日はこの後バイト?」
「うん」
「大丈夫なの?」
「また心配してる」
「してるよ」
「そっか」
彩葉は嬉しそうに笑った。
「ありがとう」
「どういたしまして」
彩葉はいつも通り、何でもない顔をしている。だからこそ、少し心配になる。
「ねえ、司」
「なに?」
「なんかあった?」
「え?」
「なんとなく」
彩葉がこちらを見る。
「前より私のこと、よく見てる気がする」
「……そうかな」
「うん」
返事に困る。
「気のせいじゃない?」
「そうかな?」
彩葉はそれ以上追及しなかった。
「まあ、いいけど」
「いいんだ」
「うん」
また前を向く。
夕方の道を二人で歩く。
「明日も一緒に行く?」
彩葉が聞いた。
「うん。いいよ」
「じゃあ、決まり」
「また明日」
「また明日」
彩葉が歩いていく。俺も家へ向かった。
◇
部屋に戻り、鞄を置いて、ベッドに腰を下ろす。
「……疲れた」
今日一日のことを思い返す。
朝は彩葉と学校へ行き、昼は一緒にご飯を食べた。
帰りも一緒だった。
明日の約束までした。
昨日より、ほんの少しだけ距離が近くなった。
それでいい。
焦って無理に何かを変える必要はない。彩葉が限界なのに何も出来ないのは悔しいが、それを変えるのは、かぐやの仕事だ。今はまだ、普通の日常で良いんだ。
ベッドに横になり。しばらくして、スマホをいじってると、あることに気がつく。
「…そういえば、今週三連休じゃん」
俺は起き上がった。
そして思いだす。七色に光るゲーミング電柱。 そうだ──あれが、物語の始まりだった。もうすぐ、かぐやがアパートにやってくる。
俺の知ってる物語が始まる日。
彩葉も、かぐやも、そして俺も。 これから始まる物語の中にいる。