影、喰らい泣け、泣月路   作:浮月 愁

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【1】万香堂

赤い提灯が風に揺れ、石畳の通りには屋台がぎっしりと並ぶ。

ここは華やかに栄える中華街――泣月路(きゅうげつろ)。

 

その一角に、香辛料専門店「万香堂(ばんこうどう)」がある。

 

扉をくぐると、中は薄暗く、壁はすべて棚になっている。その棚には無数の瓶。天井近くまで整頓され並んでいる。踏み込めば、香りが重なるように押し寄せてくる。

 

店先の風鈴が鳴ると、作業場から象牙色の髪の少年が顔を出した。

 

「いらっしゃい!」

 

朗らかで優しいが、少し低めの声。

中性的な柔らかい瞳が笑って客を迎える。

彼が万香堂(ばんこうどう)の店番――セイヤだ。

 

客が希望の香辛料を伝えれば、セイヤは迷いなく棚から最適なものを選び出す。

 

「まいどー」

 

客が店を出ると、セイヤはすぐに作業場へ戻った。

 

「じいちゃーん、『朱龍椒(しゅりゅうしょう)』がもうすぐ無くなるよ」

「おう」

 

じいちゃんと呼ばれたのは店主ハクフ。万香堂(ばんこうどう)の香辛料をすべて調合している、セイヤの祖父だ。作業場はまるで巨大な香炉のようで、肺いっぱいにスパイスの香りが染み込む。

 

セイヤには父と母もいるが、材料集めのため年に数回しか帰らない。

その間、店はハクフとセイヤの二人で守っている。

 

「セイヤ、星火散(せいかさん)はまだあるか」

「あー、あるけど……最近一気買いする人が増えて、すぐ無くなっちゃう」

「そうか。こっちも余分に作っておくか」

 

セイヤはハクフの手元をじっと見つめた。

薬研、乳鉢、薬匙、天秤――どれも長年使い込まれ、手に馴染んだ艶がある。作業台には調合途中の香辛料が小さな山をつくっていた。

 

使い方は理解しているし、調合も何度も練習した。

だが、ハクフに言わせると、まだ店棚に出せるレベルではないらしい。

 

(いつか俺も、じいちゃんみたいな香辛料調合師になるんだ)

 

心の中で呟いたちょうどそのとき、店先の風鈴が鳴る。

 

「いらっ――」

 

セイヤが店に出ると、そこには見慣れない男が立っていた。

 

赤褐色の髪が肩にかかり、涼しげな瞳は琥珀色。笑っているのにどこか冷たく見える。深い墨色の羽織を肩にかけ、薄手の黒い着物をゆるく着崩している。帯には複数のキセル。歩くたびに布が揺れ、細い足首がのぞく。総じて、どこかだらしない印象の男だった。二十代半ばほどだろう。

 

(泣月路(きゅうげつろ)の人じゃない……旅人かな?)

 

見ていると、男はヘラヘラと笑いながらセイヤに近づき、ぽんと頭に手を置いた。

 

「君、可愛いねえ。いくつ?」

「十四」

「あ、男の子か。ここの店の人?」

「そう。何をお求めで?」

「探し物があるんだ」

「探し物?」

 

少し高い声に歌うような喋り方。

ふふふと笑い、両手をセイヤの前に差し出した。

 

「星火散(せいかさん)。たーっくさん、頂戴」

 

出た。一気買いだ。

ここ数ヶ月、旅人らしき一見客が星火散(せいかさん)を大量に買っていく。この男も同じだ。

 

セイヤは怪訝そうに男を見つめた。

 

「……なに? ダメ? 品切れ?」

「いや、あるよ」

 

棚から星火散(せいかさん)の瓶を四本取り出し、男に渡す。

 

「今日はこれで全部」

 

星火散(せいかさん)を見るなり、わかりやすく男の琥珀色の瞳が輝いた。

 

「うーわぁ、これが星火散(せいかさん)!」

「三六〇〇陣です」

 

男は着物の裾から金の入った布袋を取り出し、セイヤに渡そうとしたが、直前で袋を高く持ち上げた。

 

「……兄ちゃん、この香辛料、よく売れるだろ」

「まぁね。なんで?」

「噂になってる」

 

男は口端を上げ、やっと袋を手渡した。

 

星火散(せいかさん)は泣月路(きゅうげつろ)でしか採れない「葵星草(きせいそう)」を使った特別な香辛料だ。

清涼感のある爽やかな香りと鼻を抜ける辛味、また、食中毒を防ぐ効果がある。

販売しているのは万香堂(ばんこうどう)だけ。

 

「噂って、どこで? 泣月路(きゅうげつろ)?」

「泣月路(きゅうげつろ)じゃあない。気をつけな。これを狙ってる連中は大勢いる」

 

狙っている――?

 

意味がわからず、セイヤは眉をひそめた。だが男はそれ以上何も言わず、満足そうに包み布に瓶をしまって店を出ようとした。

 

「待って!!」

「んー?」

「一〇〇陣足りない!」

 

袋を開いて見せると、男は「あちゃー」と額に手を当て笑った。

 

 

 

 

 

それから数日。

星火散(せいかさん)の一気買いは止まらなかった。

 

ある晩、食器を洗いながらセイヤは言った。

 

「じいちゃん、星火散(せいかさん)もっと作ったほうがいいんじゃない?」

「んー」

「一気買いする人多いし、前に言われたんだ。気をつけろって」

 

書物を読んでいたハクフが老眼鏡を外し、顔を上げた。

 

「……どういう意味だ? 誰に言われた?」

「旅人……かな。泣月路(きゅうげつろ)の人じゃないよ。多分、売り切れないように気をつけろって意味だったのかも」

「そうか……」

 

ハクフは再び老眼鏡をかけ、書物に目を落とした。

今日はたくさん香辛料が売れて、祖父の機嫌が良かった。

言うならこのタイミングだ。

セイヤは恐る恐る口を開いた。

 

「俺、手伝うから」

「そうだな。そろそろいいかもな」

 

その言葉にセイヤの胸が踊った。

ついに販売用の香辛料作りを手伝える。

 

「作業場行って練習してくる!」

「おう」

 

セイヤは作業場で乳鉢を並べ、木箱から「葵星草(きせいそう)」「粒々緑里(りゅうりゅうえんり)」「馬音豆(ばねず)」を取り出し、腕をまくった。

混ぜる順番、時間――教えられたとおりに。

香りが飛ばないように丁寧に粉砕していく。

 

しばらく集中していると、天井から激しい物音と争う声が聞こえた。

 

「じいちゃん……?」

 

不吉な予感に背筋に悪寒が走った。

作業を止め、セイヤは慌てて二階へと駆け上がった。

 

「じいちゃん、入るよっ!」

 

寝室に入った瞬間、セイヤは目を見開いた。

 

散乱したシーツ、倒れた椅子。

ベッドの上には、ぐったりとうつ伏せたハクフ。

その周囲には二体の妖怪。

 

一体は、腹だけ膨れ、手足は骨と皮だけの薄汚い爺の妖怪。窪んだ顔にぎょろりと赤い目玉が動いた。

もう一体は真っ白な顔に長い黒髪、痩せて火傷で爛れたような胸をむき出しにしている女の妖怪。顔には大きな口が一つだけ。にたりと笑っている。

 

「な、な、なんだ!! お前たちは!!」

 

セイヤが叫ぶと、妖怪たちは叫び返した。

 

「逃げるぞ!」

「逃ゲルワ!」

 

二体はハクフを抱え、割れた窓から飛び出した。

 

「待て!!」

 

セイヤが窓へ駆け寄ると、妖怪たちは屋根を伝い、遠くへ逃げていくところだった。

 

(なんだ、今の……)

 

「じいちゃん……」

 

力なく呟き、セイヤはその場に膝から崩れ落ちた。

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