赤い提灯が風に揺れ、石畳の通りには屋台がぎっしりと並ぶ。
ここは華やかに栄える中華街――
その一角に、香辛料専門店「
扉をくぐると、中は薄暗く、壁はすべて棚になっている。その棚には無数の瓶。天井近くまで整頓され並んでいる。踏み込めば、香りが重なるように押し寄せてくる。
店先の風鈴が鳴ると、作業場から象牙色の髪の少年が顔を出した。
「いらっしゃい!」
朗らかで優しいが、少し低めの声。
中性的な柔らかい瞳が笑って客を迎える。
彼が
客が希望の香辛料を伝えれば、セイヤは迷いなく棚から最適なものを選び出す。
「まいどー」
客が店を出ると、セイヤはすぐに作業場へ戻った。
「じいちゃーん、『
「おう」
じいちゃんと呼ばれたのは店主ハクフ。
セイヤには父と母もいるが、材料集めのため年に数回しか帰らない。
その間、店はハクフとセイヤの二人で守っている。
「セイヤ、
「あー、あるけど……最近一気買いする人が増えて、すぐ無くなっちゃう」
「そうか。こっちも余分に作っておくか」
セイヤはハクフの手元をじっと見つめた。
薬研、乳鉢、薬匙、天秤――どれも長年使い込まれ、手に馴染んだ艶がある。作業台には調合途中の香辛料が小さな山をつくっていた。
使い方は理解しているし、調合も何度も練習した。
だが、ハクフに言わせると、まだ店棚に出せるレベルではないらしい。
(いつか俺も、じいちゃんみたいな香辛料調合師になるんだ)
心の中で呟いたちょうどそのとき、店先の風鈴が鳴る。
「いらっ――」
セイヤが店に出ると、そこには見慣れない男が立っていた。
赤褐色の髪が肩にかかり、涼しげな瞳は琥珀色。笑っているのにどこか冷たく見える。深い墨色の羽織を肩にかけ、薄手の黒い着物をゆるく着崩している。帯には複数のキセル。歩くたびに布が揺れ、細い足首がのぞく。総じて、どこかだらしない印象の男だった。二十代半ばほどだろう。
(
見ていると、男はヘラヘラと笑いながらセイヤに近づき、ぽんと頭に手を置いた。
「君、可愛いねえ。いくつ?」
「十四」
「あ、男の子か。ここの店の人?」
「そう。何をお求めで?」
「探し物があるんだ」
「探し物?」
少し高い声に歌うような喋り方。
ふふふと笑い、両手をセイヤの前に差し出した。
「
出た。一気買いだ。
ここ数ヶ月、旅人らしき一見客が
セイヤは怪訝そうに男を見つめた。
「……なに? ダメ? 品切れ?」
「いや、あるよ」
棚から
「今日はこれで全部」
「うーわぁ、これが
「三六〇〇陣です」
男は着物の裾から金の入った布袋を取り出し、セイヤに渡そうとしたが、直前で袋を高く持ち上げた。
「……兄ちゃん、この香辛料、よく売れるだろ」
「まぁね。なんで?」
「噂になってる」
男は口端を上げ、やっと袋を手渡した。
清涼感のある爽やかな香りと鼻を抜ける辛味、また、食中毒を防ぐ効果がある。
販売しているのは
「噂って、どこで?
「
狙っている――?
意味がわからず、セイヤは眉をひそめた。だが男はそれ以上何も言わず、満足そうに包み布に瓶をしまって店を出ようとした。
「待って!!」
「んー?」
「一〇〇陣足りない!」
袋を開いて見せると、男は「あちゃー」と額に手を当て笑った。
それから数日。
ある晩、食器を洗いながらセイヤは言った。
「じいちゃん、
「んー」
「一気買いする人多いし、前に言われたんだ。気をつけろって」
書物を読んでいたハクフが老眼鏡を外し、顔を上げた。
「……どういう意味だ? 誰に言われた?」
「旅人……かな。
「そうか……」
ハクフは再び老眼鏡をかけ、書物に目を落とした。
今日はたくさん香辛料が売れて、祖父の機嫌が良かった。
言うならこのタイミングだ。
セイヤは恐る恐る口を開いた。
「俺、手伝うから」
「そうだな。そろそろいいかもな」
その言葉にセイヤの胸が踊った。
ついに販売用の香辛料作りを手伝える。
「作業場行って練習してくる!」
「おう」
セイヤは作業場で乳鉢を並べ、木箱から「
混ぜる順番、時間――教えられたとおりに。
香りが飛ばないように丁寧に粉砕していく。
しばらく集中していると、天井から激しい物音と争う声が聞こえた。
「じいちゃん……?」
不吉な予感に背筋に悪寒が走った。
作業を止め、セイヤは慌てて二階へと駆け上がった。
「じいちゃん、入るよっ!」
寝室に入った瞬間、セイヤは目を見開いた。
散乱したシーツ、倒れた椅子。
ベッドの上には、ぐったりとうつ伏せたハクフ。
その周囲には二体の妖怪。
一体は、腹だけ膨れ、手足は骨と皮だけの薄汚い爺の妖怪。窪んだ顔にぎょろりと赤い目玉が動いた。
もう一体は真っ白な顔に長い黒髪、痩せて火傷で爛れたような胸をむき出しにしている女の妖怪。顔には大きな口が一つだけ。にたりと笑っている。
「な、な、なんだ!! お前たちは!!」
セイヤが叫ぶと、妖怪たちは叫び返した。
「逃げるぞ!」
「逃ゲルワ!」
二体はハクフを抱え、割れた窓から飛び出した。
「待て!!」
セイヤが窓へ駆け寄ると、妖怪たちは屋根を伝い、遠くへ逃げていくところだった。
(なんだ、今の……)
「じいちゃん……」
力なく呟き、セイヤはその場に膝から崩れ落ちた。