影、喰らい泣け、泣月路   作:浮月 愁

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【16】千血盤

夜風が肌を撫でる。美しい星空。白く輝く月。

空飛ぶゲロ……ではなくエクトプラズマの上は快適だ。

しかし、セイヤの機嫌はすこぶる悪かった。

 

「……どうして止めてくれなかったんだよ」

 

膝を抱え込み、セイヤは唇を震わせていた。

空を飛べるはずのコクズメもなぜかエクトプラズマの上であぐらをかいて座っている。

 

「セイヤ。……その、止めなかったのには理由が……」

「ぼくが話そうか」

 

キセルを取り出したカブロにセイヤはギロリと睨んだ。カブロは咳払いすると気まずそうにキセルを帯に戻す。

 

「セイヤくんはこれから千血盤(せんけつばん)に入る」

「……うん」

「千血盤(せんけつばん)は妖怪の街。人間が入るとすぐにバレる。想像できるかい?」

 

セイヤはふいと顔を背けた。

話を逸らされた。そう思ったのだ。

全身から怒りのオーラを放つセイヤに、コクズメがオロオロとしている。

が、カブロはまるで気にも留めていない。

 

「人間同士の見た目はそう大きく変わらない。しかしだ。妖怪同士の見た目というのは個体差が大きい」

 

今までに会った妖怪を思い出す。

確かに、それぞれ見た目が大きく異なっていた。

 

「中にはゴンジュのようにほとんど人間と姿が変わらない妖怪だっている。じゃあ、妖怪はどうやって、そいつが人間か妖怪か判断するか」

 

セイヤは少し考えた。思い当たる点といえば……

 

「……妖力?」

「その通り」

 

カブロは声を弾ませた。

 

「そして、セイヤくん。妖力というのは交わることで多少の循環が発生する」

「お、おい……」

「"交わり"。あ、わからないか」

 

カブロが何かジェスチャーを始めようとしたが、それをコクズメが鬼の形相で止めた。

確かにあまりに下品なジェスチャーだ。

セイヤはコクズメに「今のでわかったよ」と伝え、宥めた。

 

「でね、ゴンジュとの『接吻(キス)』でセイヤくんの身体に若干の妖力が宿った」

「え!?」

 

セイヤは慌てて自身の身体を確認した。

しかし、何も変わっていることはない。

 

「さすがはゴンジュ。あんな軽い交わりで妖力を与えるんだから」

 

ひどく混乱した。

知らぬ間に、同意も無いまま、妖力を与えられただなんて。

 

「や、やだ。そんなの怖いよ。俺、妖怪になっちゃうの?」

 

ふふふとカブロが肩を揺らして笑った。

 

「人間と妖怪がどんなに深く交わっても、人間は人間。妖怪になることは無いし、セイヤくんは妖術を使えない」

 

深い安心と若干の落胆。

 

「ヤー!」と叫んで手のひらから火の玉を出し、妖怪を撃退する自分の姿を想像し、一瞬だけセイヤは胸をトキめかせていた。

 

「これで千血盤(せんけつばん)に行っても、セイヤくんが目立つことは無いだろうね」

「そう……なんだ……。え、でも、ゴンジュに会ってなかったら、俺、千血盤(せんけつばん)でどうなってたの? この流れって偶然なんだよね?」

 

カブロが意味深ににたりと笑って、指先で膝をトントンと叩く。

 

「そりゃ〜、もちろんセイヤくんを花街に連れて行って……」

 

凄まじい殺気。

瞬きもせず至近距離でカブロを見抜き、コクズメが槍の穂先をカブロの喉元に当てた。

 

「コクズメくんはジョークが通じないねえ」

 

カブロは緩慢な動作で両手を上げ、余裕そうにコクズメを見返す。

 

「セイヤをどこに連れて行くって? ん? もう一度言ってみろ」

「コクズメ! ダメだって! 危ないってば!」

 

セイヤがコクズメの腕を押さえつける。

危機感もなくヘラヘラと笑うカブロ。

 

エクトプラズマは騒々しく進む。

妖怪の街 千血盤(せんけつばん)へ。

 

 

 

 

 

 

白蜜山(しろみつやま)を下り切ると乾いた土と枯れた木が続いていた。

視界は開けており、遠くに千血盤(せんけつばん)の入口が見える。

 

どこか空虚で寂しい風景だ。

 

千血盤(せんけつばん)の入口に近づき、エクトプラズマはゆっくりと降下していった。

 

高く積まれた白灰色の石壁。

外壁をぐるりと囲むように、幅の広い水路が巡っている。

その水路に一本の橋。

 

一行はその橋の手前で降りた。

 

「到着」

 

エクトプラズマから降りると、それはまた白くどろりとした塊に変わり、地面へ吸い込まれるように消えていった。

 

長く、緩やかな反りを持つ石橋。

欄干には古びた灯籠が並び、ぼんやりと橙の火を灯している。

 

「あーああ。疲れた。今日は僕の家で休もう」

「馬鹿か。貴様の家は今ごろ黒影衆(こくえいしゅう)が見張っているだろう。私の家に行く」

 

カブロとコクズメの声に緊張感はなかった。

我が街に帰ってきた。

そんなどこか安心したような口ぶりでもある。

 

しかし、セイヤの心臓は痛いくらいに鼓動を強めていた。

妖怪の街。

踏み入れたことのない場所。

妖力が宿っているとは言え、人間だとバレたらどうなってしまうのか。

 

極限の緊張から、口の中の水分が完全に干からびていく。

ごくりと音を立てて喉を鳴らすと、その微かな異変に、カブロが気づいた。

 

「セイヤくん」

「え、え?」

「おじいさんはここにいる。もうすぐ会える」

 

優しい声だ。

不安を取り除こうとしているのだろう。

祖父に会える。祖父を救える。万香堂(ばんこうどう)を取り戻す。

セイヤは深く息を吐き出すと頷いた。

 

 

 

 

 

 

石橋を渡り、門をくぐる。

千血盤(せんけつばん)の街。

碁盤の目のように張り巡らされた通り。

石畳はどこかしっとりと濡れているようだった。

 

通りの両脇には、低く連なる木造の建物。

格子戸は半分ほど閉じられ、内側から灯る行灯の光が、細い隙間からこぼれている。

 

思っていたより人影は少なかった。

 

ぽつり、ぽつりと歩く者がいるが、こちらを気にする様子もない。

 

静かで、地味だ。

寂しくて、虚しい。

 

夜中とは言え、泣月路(きゅうげつろ)の方がもっと音と香りに溢れている。

 

「……もっと賑やかだと思った」

 

セイヤがそう呟くと、カブロも静かな声で応える。

 

「昔はもっと賑やかだったけど、住みにくくなっちゃったからね。人口は減る一方さ」

「……私だけのせいじゃないっ」

 

カブロの責めるような視線にコクズメは慌てて言い返す。

確かに、黒影衆(こくえいしゅう)のせいで治安は最悪だとカブロが言っていた。あれは真実だったのだろう。

 

「……って言っても、街の中心はもっと賑やかだよ。ここは外れだからね」

「……コクズメの家はどっち?」

 

コクズメは首でくいと指し示した。

 

「早く行くぞ。黒影衆(こくえいしゅう)がどこに潜んでいるかわからない」

「コクズメの家にもいるかもよ?」

 

カブロが漏らした言葉は、この後的中することとなる。

 

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