茶の間でちゃぶ台を囲み、三人は座っていた。
ちゃぶ台の真ん中には瓶が一つ。
そのラベルには『
中の香辛料もまだ半分以上残っていた。
セイヤは俯いたまま、ジッと膝の上の握りこぶしを見ている。
シンと静まり返った茶の間。
カブロはちゃぶ台の上で片肘をつき、目を瞑って話を整理していた。
「……セイヤくんは殺すことをためらい、妖怪の弱体化を期待して、この香辛料をシキダマにふりかけた」
「そうだ。だが、シキダマは弱体化するどころか、私が与えた傷も全て癒えてしまった」
「傷が癒えた上に妖力も跳ね上がったシキダマはセイヤくんの背負い袋を引っ手繰って窓から外に飛び出した……なんかおかしくないかい?」
カブロが片方の瞼を持ち上げた。
「シキダマの身体には脚しかない。どうやってセイヤくんの背負い袋を引っ手繰ったわけ?」
問われたコクズメは、不可解そうに眉を寄せた。
「シキダマに腕が生えたんだ。それが香辛料の効果かどうかはわからない」
カブロが小さくため息を吐く。
「……不思議だねぇ」
「俺が、俺が殺さないでって言ったから……」
セイヤのきつく結ばれていた唇から震える声が漏れ出す。
「折角コクズメが戦って……痛い思いして」
「私は一度も痛い思いなどしていない。あんな雑魚」
「コクズメ」
「それに、じいちゃんが一生懸命作った香辛料。あんな妖怪なんかに奪われるなんて、俺、馬鹿だ」
セイヤはあまりの悔しさに膝を強く叩いた。
白く貧弱な拳だ。
こんな拳では妖怪などとは到底戦えない。
唯一祖父の作った香辛料が妖怪と戦う時の鍵となっていたのに、それも奪われた。
「俺が甘ちゃんだから。あんな妖怪、ころ……!」
『殺してしまえばよかった』
その言葉は喉につかえ、最後まで言えなかった。
吹き出す血飛沫。激痛の叫び。木っ端微塵に吹き飛ぶ身体。
カブロの青ざめた顔。額に浮かぶ脂汗。虚ろな瞳。
残酷なまでに胸の中にこびりついて離れない。
苦痛と苦悶の全て。簡単には口に出来ない。
「……セイヤくん?」
カブロの声が優しく鼓膜を揺らした。
セイヤは動揺を隠すように首を振った。
「……なんでもない」
コクズメが沈痛な眼差しをセイヤに向ける。
「自分ばかり責めるな。私がセイヤに殺すかどうか聞いた。それに、生かすことで役に立つ場合もあることを私は学んだ。ゴンジュで」
コクズメの判断でゴンジュを殺していたとしたら、カブロの腕は切断されたままだったし、セイヤのことも救出出来なかった。
生かすという判断は全てが間違いにはなるわけではない。
カブロがソッとセイヤの縮こまった頭に手を置いた。
爪が当たらないように指先は浮かしている。
「大事な香辛料を奪われたことは残念だったね」
「……うん」
「どうする?」
「……え?」
出た。カブロの「どうする」だ。
この言葉をセイヤに尋ねるときは、すでに良策がある場合だ。
「と、取り返す!!」
セイヤが身を乗り出すと、カブロは低く笑った。
「どうやって?」
「えーっと……追いかけて?」
「どこに?」
「え?」
カブロは帯からキセルを抜くと、クルクルと回した。
「ぼかぁね。ずっと考えてたのさ。セイヤくんは香辛料作らないのかなって」
「お、俺が?」
「そう」
キセルの先がセイヤの鼻先へ向けられた。琥珀色の瞳がチカリと光る。
「セイヤくんが香辛料を作る。
妖怪の街、
材料をすりつぶす時の手のひらへの振動。
心地よい音。乳鉢から香り立つその瞬間。
全てが好きだ。
胸が高鳴る。
先程までの暗く沈んでいた気持ちが払拭される。
「
コクズメは口をあんぐりと開けながらその話を聞いていた。
「妙なこと考えるな、貴様は」
「妙案だろ?」
「……でも、時間も材料も無いよ」
カブロが口端を上げる。
「明日の朝、市場に行けばなんらかの材料は揃うはずだ。香辛料を作る道具も買おう」
「俺、お金無いよ」
「
ポンポンとカブロがセイヤの薄い背を軽い調子で叩いた。
「どうする?」
それは文字通り、背中を押す行為だった。
まだ未熟者だという自覚はあるが、やれる自信はあった。
セイヤが顔をカブロに向けると、彼は見透かしたように笑って目を細めた。
「ああ。やるって顔だね」
「……うん!」
カブロはふふふと笑うと、組んでいた両腕を上に思い切り伸ばして大きなあくびをした。そのまま、畳の上にごろりと無作法に転がり、横になる。
「あー、もうぼかぁ、疲れたよ。寝たい」
「待て、待て、カブロ。話がある」
「え? まだ?」
「この辺りか」
すでに深夜。辺りは真っ暗だ。
カブロとセイヤは
カブロが火の玉を出し、コクズメが書いてくれた地図を照らしていた。
シキダマにコクズメがセイヤを連れ歩いていることがバレた。
今宵はコクズメと共にいるのは危険すぎる。
コクズメの提案で、コクズメが信頼する恩師の元へと身を寄せ、一晩の宿を乞うため、こうして夜の路を彷徨う羽目になったのだ。
「……迷ってないよね?」
「んんん。大丈夫だと思うけど」
カブロは地図に顔を近づけながら首を傾げる。
不安だ。
セイヤにも疲れが溜まっていた。
つい大あくびをしてしまう。
「あらら。大丈夫? セイヤくん」
「んー」
目をこするセイヤの肩にカブロが腕を回した。
「……コクズメに内緒でこのまま花街に行こうか?」
わざと低く、空気を揺らすようないやらしい言い方だ。カブロをジロと睨みあげると、すぐに顔を逸らした。
「……でも、妖怪の花街なんでしょ? 楽しいのってカブロだけじゃないの?」
「へぇ。何する場所かは知ってたんだ? ん?」
セイヤはカブロの腕を振り払うとそのまま脚を進めた。
「いいから! その恩師さんの家はどこ?」
「探してるのは俺様かや?」
返ってきた声はカブロではない。
砂糖菓子のように甘く、大人の男の低い声。
「楽しそうな話しとるね。俺様も混ぜてちょ」
空から音もなく降りてきたのは、鉛色の羽の生えた精悍な顔つきの美少年だった。