影、喰らい泣け、泣月路   作:浮月 愁

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【2】カブロ

翌日、万香堂(ばんこうどう)の入口には「臨時休業」の張り紙が貼られていた。

作業場の奥からは、セイヤのすすり泣く声がとめどなく響いている。

 

「ぐっ……じいちゃん……うっ……」

 

昨晩、ハクフが妖怪に攫われてから、セイヤの頭は真っ白だった。

不在が多い両親の代わりに、自分を育ててくれたのはハクフだった。

 

新しい材料を覚えるたび、道具を正しく扱えるようになるたび、

「偉いぞ」「この店はそのうちお前のものになる」「頑張れよ」

そう言って大きな手で頭をぐりぐりと撫でてくれた。

 

尊敬していた。

いつか祖父のようになりたいと、ずっと思っていた。

 

(あの妖怪に……殺されてしまったのかな)

 

絶望が胸を締めつける。

祖父がいつも座っていた座布団を撫でながら、セイヤは涙を拭った。

 

――風鈴の音。

 

「おーい、臨時休業って本当ー?」

 

聞き覚えのある、気の抜けた高い声。

振り返ると、以前、店に来た旅人の男が作業場の入口から顔を覗かせていた。

着崩した着物、腰に何本も差したキセル。あの男だ。

 

セイヤが目を丸くすると、男も少し驚いたように口をすぼめた。

 

「どーしたの? 泣いちゃって」

「……り、臨時休業だから、店はやってない」

 

祖父はもういない。

店を再開できるのかすら分からない。

そう思うと、また涙が溢れた。

 

しゃくりあげるセイヤを見て、男は数度瞬きをすると、作業場に入ってきて隣に座った。

しばらく黙って見つめ、それから優しい声で言った。

 

「……泣き顔も可愛いねぇ。何があったのか、教えてよ」

「な、なんで……?」

「星火散(せいかさん)、売ってほしいから」

「もう……む、無理だよ」

「無理?」

 

セイヤは涙を飲み込み、昨晩の出来事を話した。

 

「……だから、この店はもう続けられないし、星火散(せいかさん)もあなたに売れない」

 

はたはたと涙をこぼしながら話すセイヤに、男は気の毒そうに眉を下げ、腕を組んだ。

 

「それは困るねぇ」

「……」

「どうする?」

「……どうしよう」

 

セイヤは涙を拭った。

どうすることもできない。

祖父はもういないのだ。

けれど、いつまでもここに座って泣いているわけにはいかない。

きっと祖父はそれを望まない。

一人前の立派な香辛料調合師になるのだ。

 

胸にうっすらと沸いた思いを決意するように、あえてその男に伝えた。

 

「俺、まだ未熟なんだ。香辛料の調合はまだ完璧にできない。けど、この店を守りたい。じいちゃんがいなくなっても、万香堂(ばんこうどう)は続けたい」

 

男は一瞬きょとんとしたあと、ふふ、と小さく笑った。

琥珀色の瞳がやわらかく細まる。

 

「兄ちゃん、いいねぇ。気に入った。この店も気に入った」

 

男はふうと息を吐くと、落ち着いた声でセイヤに言った。

 

「君のおじいさんは、死んでない」

「……え?」

 

男は立ち上がり、一歩下がると薄く笑った。

 

「……よぉく、見てて」

 

店内の灯りがわずかに揺らいだ気がした。

肩にかかる赤褐色の髪がふっと逆立ち、琥珀色の瞳が細く伸びる。

丸い瞳孔が縦に変わり、頬には柔らかな毛が浮かぶ。

耳の位置が頭頂へと移動する。徐々にそれは、獣のような丸い耳へと変わっていく。

 

「……え?」

「まだだよ」

 

背中の線がしなり、肩甲骨が盛り上がる。

長い指が反り、爪が鋭く伸びる。

足首からふくらはぎにかけて筋肉が締まり、体毛が覆う。

影が獣の形に伸び、彼の本性を告げていた。

その姿。半人半獣。

 

「よ、妖怪!?」

「その通り。ぼかぁ、イタチの妖怪さ」

 

声は変わらないが、喉の奥に獣の響きが混じる。

セイヤが逃げようとすると、妖怪は手のひらを出して制した。

 

「待て、待て。教えてあげるよ。何が起きてるのか。兄ちゃんのおじいさんがなぜ連れ去られたか」

 

妖怪は腰からキセルを一本抜き、指先でくるくる回し、咥えた。

彼の話はこうだ。

 

泣月路(きゅうげつろ)から北へ行ったところに、妖怪の街「千血盤(せんけつばん)」がある。

この妖怪――カブロもそこから来た。

 

千血盤(せんけつばん)では星火散(せいかさん)が話題になっている。

口にするとあっという間に妖力が回復するのだ。

だから多くの妖怪が人間に化けて買いに来ていた。

 

そして千血盤(せんけつばん)には「黒影衆(こくえいしゅう)」という妖怪の勢力がある。

ハクフを攫ったのも恐らくそいつらだ。

 

星火散(せいかさん)を独占するため、ハクフを生かしたまま捕らえているのだろう。

 

「やだやだやだねぇ。独占なんて。反対だよ」

 

カブロは迷惑そうに手を左右に振ると、琥珀色の瞳を冷徹に光らせた。

獣じみた鋭い光。

セイヤは震えそうになる手を、自らの手で押さえ込む。

 

「黒影衆(こくえいしゅう)。千血盤(せんけつばん)の治安は奴らのせいで最悪なんだ。みんなキライなんだよ。兄ちゃん、君はどう思う?」

 

さっきまでのヘラヘラとした表情が消え、静かな声だ。その声、その目はセイヤの反応をジッと待っている。

セイヤは一度躊躇ったが、意を決して叫んだ。

 

「き、キライ! じいちゃんを攫った! この店から! 俺から!」

 

カブロは満足そうにニヤリと笑った。口元からキセルを外し、またクルクルと指先で回す。よく見ると銀の装飾が施され、吸い口には小さな牙の跡のような傷がある。

 

「だーよねぇ。さあ、どうする?」

 

二度目の「どうする?」だ。

もうセイヤは答えられる。

 

「……じいちゃんを取り返したい」

「そうそう。星火散(せいかさん)はみーんなのもの。だろ?」

 

カブロは爪が当たらないように指先を浮かせ、セイヤの頭に手を置いた。

 

「名前は?」

「セイヤ」

「セイヤくん。一緒に千血盤(せんけつばん)に来れる? 君のおじいさんと星火散(せいかさん)を取り返そう」

 

すぐに返事は出来なかった。

目の前にいるのは妖怪だ。昨晩ハクフを攫ったのとは別の妖怪だとしても、信じていいのか分からない。足が震え、唇も強張る。

――しかし。

 

「……行く」

 

暗く沈んでいたセイヤの胸に、光が差した。

琥珀色のカブロの瞳に、頷くセイヤの真剣な表情が映っていた。

ふふ、とカブロは満足そうに微笑んだ。

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