「いやー、すごかったねぇ」
ボロボロになった和室の中。
元の姿に戻ったマハトは全裸で豪快に笑っていた。着衣していた道着は身体が膨らんだ際に引きちぎれてしまった。そして、その顔は元の美少年に戻っている。
セイヤは一つも笑えなかった。
怖かった。
このままこの巨大な妖怪に殺されてしまうのではないかという本能的な恐怖がセイヤの身体をガタガタと震わせていた。
両の目から涙が溢れ、止まらない。
一方のカブロもやはりいつもより強張ってはいるものの、なんとかひょうひょうとした薄笑いをその顔に取り戻していた。
「ほらー、セイヤくん、泣いちゃったよ。怖かったねぇ?」
「ハハハ、ごめんごめん」
でも、とマハトの表情に少しだけ真剣さが戻る。
「これ、妖力増幅じゃにゃあね。解放の効果だわ」
「か、か、解放?」
マハトが言うには鍛錬されていない妖怪ほど、自身の潜在的な妖力に気がついていない。
本来は百ある妖力も六十程度しか使いこなせないのだという。
その潜在的な妖力を強引に解放させるのが『
「無理やりだなんて、俺様ゾクゾクしちゃうよ」
マハトはうっとりと目を細めた。
セイヤは納得していた。
『
あれがシキダマの潜在妖力の百パーセントだったのだろう。
多少の妖力増幅と思っていたのに、マハトが怪物並みにデカくなったので、変だと思っていたのだ。
つまり、マハトの潜在妖力は怪物並みだということだ。
ゾワリと背筋が寒くなる。
と同時に、カブロやコクズメにふりかけたらどうなってしまうのか。
ピンチのとき、この香辛料が役に立つのではないだろうか。
そんな考えが頭を過ぎる。
セイヤが黙っていると、カブロがちらりとセイヤを覗き見た。
「妖怪って怖いねえ」
「……え?」
「さて、『
カブロが立ち上がる。
「ちょっと待ちぃて」
腰を上げかけたセイヤをマハトが止めた。
「その香辛料作りはこの和室を使ってやってええ」
ボロボロの和室。だが、
「その代わり……」
マハトが頬を甘ったるく赤らめ、にこりと笑った。
「その香辛料の効果、ぜーんぶ俺様で実験してちょね」
セイヤは頬を引きつらせた。
カブロが呆れた声を残して足早に和室を出ていった。
「ここの師範は強めのマゾだねぇ〜」
「ま、ま、待って、カブロ、待って」
「おーい。約束だよぉ〜」
半分腰を抜かしつつ、逃げるように和室を出るセイヤの背にマハトは手を振った。
道場の玄関先にはすでにコクズメが立っていた。
「コクズメ!!」
セイヤが走り寄ると、コクズメは一瞬だけホッとした顔を見せる。
「無事だな」
「コクズメも無事で良かった! すごく心配してた!」
セイヤが至近距離でコクズメを見上げると、彼女の羽がぶわりと広がった。
なにか言いたげに口を開いたり閉じたりしているが、その唇からは一向に言葉が出てこない。
玄関の廊下をゆっくりとした足取りでカブロが歩いてくる。
「コクズメくん。マハトに会わないの? お礼とか言わないの?」
ニタニタとしたその顔に、コクズメは目を据わらせた。
「黙れ。なんだ、その笑みは」
「……これ何?」
玄関先に置かれた女性用の着物と市女笠が二笠が視界に入る。
「市場に行くのなら、これに着替えていけ」
「ま、また女装?」
思わずセイヤの声が裏返った。
コクズメ曰く、妖術で外見を変化させると『変化している妖怪』だということは妖怪同士ですぐにわかるため、逆に目立つのだという。
ちなみに、ヘドロの妖怪ドクリョクは変化特化型の妖怪なので、感知しにくい例外中の例外だ。
「変装の方が目立たない。カブロは垂れ布から顔を出すな。声も出すな。男だとバレる」
カブロが、うへぇ、と嫌そうに顔を歪めている。
「セイヤもなるべく声を出すな。わかったな。顔は出していい。可愛いから問題ない」
セイヤも、うへぇ、と嫌そうに顔を歪めた。
道場から稽古が始まる声が聞こえ始めた。
コクズメが懐かしそうにその声を聞いてるその背後でカブロとセイヤは女物の着物に着替えた。
薄紫の着物を着たカブロ。
桃色の着物を着たセイヤ。
二人並んで市女笠を被った。
垂れ布から顔を出し、互いに姿を確認し合うと、くさすように鼻で笑いあった。
しばらく険しい顔で眺めていたコクズメが、カブロの脱いだ着物を丸め、その胸元に容赦なくぐいぐいと詰めた。
やや不格好ながらも、カブロに立派な胸が出来た。
「……ここまでする必要ある?」
「ないよりあったほうがいいだろ」
強引なコクズメに背を叩かれ、二人の女装した男たちがマハトの道場を出た。
市場まで歩く。
その道程は夜中に見た
一目で妖怪だとわかるものもいれば、人間とそう変わりない姿の妖怪もいる。
まさに多種多様。
その混沌とした中に混ざれば、市女笠を被ったカブロとセイヤはさほど目立つ存在ではなかった。
「カブロ、
「……いる。でも……ぼくたちを探している風には見えない」
顔を近づけ、カブロは声をひそめる。
念のためキョロキョロしないようにと、カブロから注意を受けた。
市場に到着した。
カブロに案内され、八百屋のような店や花屋のような店、薬屋のような店など順番に見ていく。
全部歩き回って見たところ、材料を揃えることが出来、作成可能な香辛料は三種類だけだった。
少ない。
だが、セイヤは内心興奮していた。
妖怪の街でも材料が揃えられ、香辛料を調合することが出来るのだ。
両手に材料が入った風呂敷を二つ持ち、道場へと帰る。市場から離れ、人気も減った。近くに
ふと、
『初めては誰でも怖い。でも、一歩踏み出せば、なんでもなかったなんて笑えるもんさ』
その通りだ。
初めての街、
いつの間にかこの異様な環境に適応し、慣れ始めている。
カブロが隣りにいて、一緒に歩く。
人間の姿ではない。もうカブロもずっと妖怪の姿だ。
恐怖心が減っている。
そして、今は香辛料を作ることを想像してワクワクしている。
セイヤは背筋を伸ばした。
どこか自分が強くたくましくなった気がした。
「カブロ」
「ん? 疲れた?」
「明日じいちゃんに会えるかな」
「……会えるさ。きっとね」
セイヤは嬉しくなって胸いっぱいに空気を吸い込んだ。
明日にはじいちゃんに会えて。
明後日には
そして、
いつもの日常に戻る。
前向きで、明るい希望がセイヤの心を満たしていく。
足取りが軽くなり、歩調が速まる。
「カブロ……」
横を向いた瞬間、隣りにいたカブロが消えていた。
「え?」
後ろを振り返ると、カブロが鎌を構えていた。
大きく開いた口。そこから伸びる二本の白く尖った牙。牙の先からポタポタと茶色い液が滴っている。
先が二口に割れたピンク色の舌。
それ以上セイヤに近づかないように、カブロが鎌で抑え込んでいる
蛇だ。蛇の妖怪だ。