カブロはセイヤに背を向けているため、どのような表情をしているかは窺えない。
セイヤは咄嗟に腰にぶら下げた『
これを使ってカブロの妖力を解放すれば、この状況をうまく切り抜けられるかもしれない。
「セイヤくん」
張り詰めた空気の中、カブロの声に顔を上げる。
「それは使わないで。ぼかぁ、それは嫌いだよ」
カブロは一度身体を引くと、大鎌を振り上げ、襲い来る巨大な蛇を頭から両断した。
蛇の身体は小さく痙攣すると、煙を上げて縮まり、そのまま火が消えるように無くなった。
(こ、殺した……)
しかし、今までの妖怪と異なり、切った後は何も残らない。出血もしない。妖怪ではないのだろうか。
立ち尽くすセイヤにカブロが振り返った。
垂れ布から薄く見えるその顔はいつもより真剣だ。
「違うな。かっこつけてしまった。ぼかぁ、怖いのさ」
カブロはやっといつも通りの表情に戻り、フッと鼻を鳴らして、腰に手を当てた。
「あんなマハトの姿を見てしまったらね。自分がどうなるかわからないし、その姿をセイヤくんに見せたら、きっと怖がるだろ? 泣かせてしまうかもしれない」
セイヤはマハトの姿を思い出した。
カブロが巨大化し、怪物のような姿になるところを想像する。恐怖を抱くだろうか。
確かに怖いかもしれない。
しかし、正気を失うわけではないし、カブロはカブロだ。
「……あれは、突然で驚いたから涙が出たんだ。わかっていたら泣いたりしなかったよ」
「そう」
軽くいなされた。
カブロが歩き出す。
「今のは、ジャノメの偵察の蛇だね」
「ジャノメ……」
「
「う、うん」
先程の立ち回りでカブロの胸の位置が大幅にズレていたが、そんな些細なことはもうどうでもいい。
急ぎ足でマハトの道場へと戻る。
女装姿で戻ってきたカブロとセイヤを見て、マハトは「そういう趣味があったのかや?」と困惑していた。
使ってもいいと言われた和室に戻ると、襖も壁も畳もすっかりキレイに片付けられていた。
香辛料調合の準備をしていると、コクズメがその部屋に入ってきた。先程まで生徒に槍術の稽古を付けていたらしい。
「どんな香辛料を作るんだ」
セイヤは布の上に材料を並べた。
植物の種、実、樹皮。ハーブ、花弁……。
作れる香辛料は三種類
『
すごく辛い。ピリピリした辛さ。ほんの少しでも料理の味が劇的に変わるから、気をつけて使わなくちゃいけない。虫除けにもなる。
『
これも辛いけど、子供でも食べられる辛さ。身体を内側から温めたり、薬膳によく使われるすごくポピュラーな香辛料。ほとんどの家庭にある。
『
珍しい樹皮のスパイス。甘くて柔らかい香りがするからお酒や菓子の香り付けに使われる。
どれも今までの戦闘では使ってこなかったものだ。『
「でも、
「セイヤ。セイヤ、わかった。少し落ち着け」
興奮して話し続けるセイヤをコクズメが制止した。
購入した材料を並べ終わるとカブロが立ち上がった。
「さて、ぼかぁ、暇だから外で
「おい、手伝わないのか」
「ぼくが手伝って失敗したら材料の無駄になるだろ。コクズメも、邪魔したら悪いから出よう」
そう言って二人は和室を出ていってしまった。
ぽつんと一人残されたセイヤ。
一人きりになるなんて久しぶりだ。
「……なんか、寂しいな」
一日に三種類の香辛料を調合する。
一種類の量も少ない。夕方までには全て調合出来るはずだ。セイヤは腕をまくった。
『
思いの外時間はかかってしまったが、満足するものは出来た。
しかし、『
これに関しては、難しかった。
簡単に甘みを出すことが出来る分、他の食材の邪魔をしないようにある程度香りを抑えなくてはいけない。
だが、あまりにも香り高い。
夕方までにと思っていたが、それまでに完成しなかった。
集中して調合を続けていると、コクズメが心配して部屋に入ってきた。
「セイ……」
襖を開けるなり、鼻を両手で抑え、後ずさる。
「な、なんだこの匂いは……」
「コクズメ?」
「ん?」
その後ろにカブロがいたらしく、部屋に顔を覗かせる。
一瞬の間。
部屋の匂いを嗅ぐなり顔をしかめた。
「……セイヤくん、よくこの中にいられるね」
セイヤの鼻はすっかり馬鹿になっていた。
祖父は言っていた。
定期的に換気して嗅覚をリセットしなくてはいけないと。
集中しすぎていた。
「コクズメ、向こうに」
「……ああ」
おぼつかない足取りでコクズメが廊下の奥へと消えていった。
「……はぁ」
「ご、ごめん。気分悪くなるような匂いなの?」
「悪くなるというか……」
カブロは和室の奥まで行き、縁側の障子を開けた。爽やかな夕方の涼風がフワッと和室の中に入ってくる。
いつの間にか空も夕焼け色。
温かく切ない茜色。
セイヤはその心地よさに深呼吸する。
「その香辛料は使い所が難しいかもしれないね」
「え? ……まだ完成してないけど」
「未完成でそれなのかい。こう……なんていうか、すごく変な気分になる」
言葉の意味を考えていると、カブロは付け足した。
「恐らくは媚薬に近い効果がある」
「媚薬!?」
「妙だね。こんな匂い程度で」
確かに香辛料の匂いだけでは効果は出ないはず。
香辛料自体を吸い込むか、燻した煙を直に肺に取り込まないと効果は出ない。
しかし、『
きっと、この香辛料だけは特殊なのだろう。
カブロも外の空気を胸いっぱいに吸い込む。
「マハトにそれは見せないほうがいい」
「そう……だね……」
そんな不健全なものを作っていたという自覚はセイヤには無かった。
むしろ楽しみながら調合していた。
そう。
香辛料を調合できることを喜んでいたが、妖怪にどう作用するのかは未知なのだ。
(完成させないほうがいいのかな……)
セイヤが瓶を見つめて調合を躊躇していると、カブロが振り返りニヤリと唇を吊り上げた。
「ああ、でもちゃーんと完成させてよ。個人的には? わりと? 興味がある」
カブロの琥珀色の瞳が夕日の赤を受け、妖しく光る。
セイヤはため息を吐くと、カブロの背中を押してそのまま外へと追い出した。
「悪用厳禁!」
閉められた障子の向こうでカブロは「冗談さ」と笑っていたが、セイヤは無視をした。