バクドウは身体をみしみしと軋ませながら、細い糸のような声で笑った。
「トウロに言われて来た……
「めでたくねえよ、馬鹿野郎」
「
バクドウが呟くと、カブロの身体にもツルが巻きついた。
だが、カブロがぐっと全身に力を込めると、ツルはいとも容易く引きちぎれる。
「ああ。さすが、妖力満タン」
不愉快そうに顔を歪めたバクドウは、そのまま地面へ沈み込んで消えた。
その隙に、カブロはセイヤを縛るツルを引きちぎる。
「カブロ!! カブロ、逃げよう!」
「逃げてどうするの。負ける相手じゃあない。落ち着いて」
手が震える。耳鳴りがする。吐き気まで込み上げてきた。
セイヤは必死に深呼吸し、どうにか頭を働かせようとする。
このままでは殺される。
背負い袋に手を伸ばし、袋の中の瓶に指先が触れた、その瞬間――
「
背後から、小さな声。
空高く伸びたツルがセイヤの身体を一瞬で絡め取った。
「ああああ!!」
セイヤの身体が、宙へと吊り上げられる。
絶叫するセイヤを見上げ、カブロは額に手を当てると、どこか楽しそうに笑った。
「おお。高いなぁ」
「邪魔するな……カブロ」
地面から生え出たバクドウが、忌々しげにカブロを睨んでいる。
それを受けて、カブロの声が冷たく走った。
「うるせえ。クソが。邪魔はてめぇだろ」
カブロは鎌を振り上げ、バクドウへ斬りかかる。
刃はたしかにバクドウの身体へ食い込んだ。だが、それ以上は振り抜けない。
「んっ?」
「痛い……痛い……痛いよぉぉぉ! ハハハハハ! 馬鹿め!」
バクドウの身体から、黄色い樹液のような粘液がどろりと噴き出し、カブロの全身を覆った。
たちまち、カブロは指一本動かせなくなる。
「はああああ!? なんだこれ!!」
「……さて。ここに咲いている
「こらっ!! クソ! やめろ!!」
地面から無数のツルが伸び、舞うようにゆらゆらと揺れる。
それらはぴたりと止まると、一斉に
「やめろ!!」
「ふふ……ふふ……くはは……ん……?」
「ん?」
空気の中に、甘い匂いが漂っていた。
腐る寸前の果実を思わせる、濃厚でねっとりとした甘い香り。
「んー?」
「ん……」
「んー」
「うん」
カブロとバクドウは途端に戦意を失った。
それぞれ、ここがどこなのか、なぜ自分がここにいるのか、目の前の相手が誰なのか……。
何も分かっていない顔だ。
カブロとバクドウは、そろって首を傾げた。
セイヤは叫んだ。
「た、助けて!! ここから下ろして!!」
二人は見上げる。
視線の先のセイヤはツルに掴まれたまま。
ずっと空中でもがいていたのだ。
「あーららー。なんか大変そうだなぁ。下ろしてあげたら?」
「……そうだな。……そうしよう」
「ぼかぁ、なんでネバネバにされてるんだ?」
「それはわたしのネバネバ……お湯……掛けたら、溶ける」
「おまえのネバネバか」
ようやくセイヤは地上へ降ろされた。
胸には空になった瓶が抱え込まれている。ラベルには「
果物の皮を乾燥させた香辛料だ。
瓶の口からは、まだわずかに甘い匂いが漂っている。
心臓はまだどくどくとうるさい。
それでもセイヤは、どうにか笑顔を貼り付けた。
カブロがその顔を覗き込む。
「君、可愛いねえ。名前は?」
「俺は、俺は、セイヤだよ」
「ああ、男の子か」
初めて
「わたしは……誰だ……?」
「君はバクドウ。えーっと、たしか
喉が緊張で締めつけられる。
それでも、できるだけ明るい声で言った。
バクドウはしばらくきょとんとしていたが、やがて納得したようにツルをすべて引っ込め、そのまま地面へ沈んで消えた。
妖怪の気配が完全に消え、畑にはカブロとセイヤだけが残る。
張りつめていた緊張が一気にほどけ、セイヤはその場に崩れ落ちた。
カブロはそんなセイヤをじっと見つめ、不思議そうに呟く。
「ところで……ぼかぁ、誰だ?」
「カ、カブロでしょう!! この、ポンコツ!!」
妖怪が消えた安堵と気の緩みで、セイヤは半ば泣きそうな声で叫んだ。
しばらく、ポンコツになったカブロと間の抜けた会話を続けていたが、やがて甘い匂いは薄れ、カブロもようやく正気に戻った。
樹液はお湯を掛ければ溶け、カブロは少し火傷しただけで済んだ。
「それにしても、よくやったな〜。セイヤくん」
「もう駄目かと思った……な、なんだったの?」
バクドウ――
そして、彼が口にしていた「トウロ」こそ、
「トウロに言われて来たって言ってたから、もうここもダメだねぇ」
「……え?」
「バクドウもそのうち正気に戻る。またここへ戻ってくるかもしれない。
風が吹いた。
「ね、根こそぎ?」
「そうさ。献上なんて考え、あいつらには通じない。とんだ甘ちゃんだね、セイヤくんは」
セイヤは
「い、嫌だよ。じいちゃんも奪われて、そのうえ大切な香辛料の材料まで奪われたくない!」
「だよねぇ。さあ、どうする?」
今すぐどこかへ移すことも、完全に隠すこともできない。
何も思い浮かばない。
「……どうしよう」
「一つ案がある」
カブロは腕を組み、にやりと笑った。
「こ、これでいいの?」
セイヤは
祖父が作った大切な香辛料。
土に直接撒くことには抵抗があったが、いまはカブロの言うとおりにするしかない。
撒かれた香辛料の上をカブロが撫でるように歩くと、粉はふわりと浮き上がり、畑を覆うようにドーム状に広がっていった。
「わぁ……」
「言ったでしょう。物を浮かせるなんて朝飯前だって。ぼくの妖力が尽きるまでは維持できる。この中に入った妖怪は、みーんなポンコツになるはずさ」
さっきのぼくみたいにね、とカブロは肩を竦めて笑った。
セイヤが両手を組み強く願ってると、横からカブロの気の抜けた大あくびが聞こえた。
呑気なものだ。
(カブロの妖力が尽きないように……
「さあ、行こう。
そう言って歩き出すカブロの背を、セイヤは慌てて追いかけた。