影、喰らい泣け、泣月路   作:浮月 愁

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【6】カワラジ

セイヤが黙って横たわっていると、ぼっと小さく爆ぜる音がした。

続いて、ちりちりと何かの焼ける音が聞こえる。

 

「ワハーーーーーーァ!」

 

(吸ってる……)

 

どうやら、カブロがまた星火散(せいかさん)を吸い始めたらしい。

風に散って香りははっきりしないが、薄く冷たい匂いがかすかにセイヤの鼻先をかすめた。

 

「あ゛あ゛ーー。脳が気持ちい゛ーーー」

 

汚いうめき声を漏らしたかと思えば、そのまま鼻歌まで歌い始める。

人の気も知らないで呑気なものだと、セイヤはむっとしながら寝たふりを続けた。

 

不意に大きな羽音が近づいてきた。

次いで、凛とした、よく通る女の声が響く。

 

「カブロ」

「ん?」

 

音の近さで、上空でカワラジと並走しているのだとわかる。

 

「貴様、何をやっている」

「んぁ、コクズメ? なんで?」

「何をやっているのかと聞いている!」

「見りゃわかるだろ。一服さ」

 

怒気をあらわにした女に対して、カブロはいつものひょうひょうとした調子だ。

思わずセイヤが目を開けようとすると、カブロの手がスッとその目元を覆った。

 

「こら、こら」

 

見たい。見なくてはならない。

新しい妖怪に違いない。しかも、きっと敵だ。

 

恐怖がじわじわと全身を支配していく。

息が浅くなる。

目を閉じていて何も見えないぶん、余計に怖い。

 

「このっ……」

「おいおい、んな物騒なもん出すな。危ねぇだろ」

「バクドウが、貴様の裏切りを共有して回っているぞ!」

 

その言葉に、カワラジまで会話に加わった。

 

「え? カブロ、お前、黒影衆(こくえいしゅう)を裏切ったのかい?」

 

今の一言で、セイヤは完全に理解した。

カブロは黒影衆(こくえいしゅう)の一員だったのだ。

 

やはり、騙されていた。

 

目を開けたい。

足が震え、身体がキュッと縮こまる。怖い。

 

「……なんのこと? 裏切るも何も、ぼかぁ黒影衆(こくえいしゅう)とは関係ない」

「ふざけるな!」

「……っと」

 

ひゅん、と風を切る音がした。

女の妖怪が何かを仕掛けたのだ。

 

もう限界だった。

 

「カ、カブロォ……んぐ」

 

カブロに口を塞がれる。

 

「その人間を寄越せ!! 私がトウロの元まで連れて行く!」

「わかった、コクズメ。そう熱くなるな。言うこと聞くから、こっちに降りてきて」

 

静寂の中、羽ばたきの音が近づいてくる。

どうやらカワラジの上に降り立ったらしい。

 

「……寝ているのか?」

「ああ。妖術で眠ってる」

 

声が近い。

すぐそばに、新しい女の妖怪がいるのがわかる。

 

鼓動が早まり、息苦しい。

このままこの妖怪に引き渡されてしまうのだろうかと思うと、鼻の奥がつんとし、目のまわりが熱くなった。

 

カブロは、最初から手助けするつもりなどなかったのかもしれない。

なぜセイヤを連れて回っていたのか。

もしかすると、葵星草(きせいそう)の場所を知りたかっただけなのか。

バクドウに手柄を渡さないため、追い払っただけなのか。

 

わからない。

だが少なくとも、「騙していない」は嘘だ。

「嘘はつかない」も、きっと嘘なのだろう。

 

もう、どうでもいい。

 

セイヤは目を開けた。

 

そこには、吊り目に赤い紅を引いた女がいた。

頭頂は黒く、毛先だけが白い長髪。背には大きな羽。下半身は鳥、上半身は人。

妖怪にしては、息をのむほどの美女だった。

 

目が合った瞬間、その女――コクズメの瞳がわずかに見開く。

 

「……なんだ、可愛いな。泣いているのか」

「可愛いでしょ、セイヤくん。泣いてるの?」

「な、泣いてないよ」

 

セイヤは鼻をすすった。

 

「泣いてるじゃないか」

「泣いてるじゃないの」

 

カブロとコクズメの声が重なった、直後。

まるで巨大地震でも起きたかのような激震が走る。

 

「おおおおおお!! 人間に見られたあああ!!」

 

地響きのようなカワラジの雄叫びだった。

三人の身体が一斉に放り出される。

 

コクズメは即座に羽を打って空へ舞い上がったが、カブロは水面へ落ちていき、セイヤはカワラジの背から宙へと投げ出された。

 

「わあああああ!!」

 

宙から見えたカワラジは、巨大なタガメのような姿をしていた。

背の一部を除いて全身が苔に覆われた、異様な妖怪だ。

どうやら、ずっとカワラジの背に乗って移動していたらしい。

 

水面から顔を出したカブロが叫ぶ。

 

「コクズメ!!」

「任せろ!」

 

セイヤの身体が水面へ叩きつけられそうになった瞬間、コクズメの鉤爪がそれを捉えた。

身体がふわりと浮く。

 

「コ、コクズメ。ありがとう……」

「……ああ」

 

カワラジはぐるりと旋回し、カブロと向き合う。

 

「カブロ! おのれ、許さんぞ!!」

「……コクズメの声がうるさくて目が覚めちゃったの。仕方ないじゃない。悪いのはコクズメさ」

 

悪びれもせずそう言い放つカブロに、カワラジは怒りで身体を震わせた。

 

「カワラジの誇りを踏みにじる奴に生きる価値なし!」

「おいおい、やめろよ。カワラジとは戦いたくない」

「黙れ!」

 

カワラジは身を起こし、前脚を高く掲げると、そのまま水面を叩きつけた。

水面が大波のようにうねり、カブロを丸ごと飲み込む。

 

水中へと消えていくカブロに、思わずセイヤは叫んだ。

 

「カブロが!!」

「人間、落ち着け。カブロはイタチの妖怪だ。泳ぐことしか取り柄はない」

 

コクズメはそう言ったが、セイヤの胸はざわついたままだ。

 

カワラジはきょろきょろとあたりを見回し、カブロの姿を探している。

だがそのころ、カブロは波の陰に紛れ、すでにカワラジの背に張り付いていた。

 

そして、セイヤとコクズメの姿を見つけるなり、大声で叫んだ。

 

「コクズメ! とりあえずセイヤくんを離さないで!」

「承知した」

 

その声に反応して、カワラジが再び身体を大きく揺らす。

 

「許さないぞ、カブロ!!」

「おっと。セイヤくーん、まだアレあるー?」

 

激しい振動でまた身体を弾かれ、カブロは頭から水面へ落ちていく。

 

アレ――おそらく「扇毛糖皮(せんもうとうひ)」。

カワラジの記憶を曖昧にしろという指示なのだろうか。

けれど、あれは葵星草(きせいそう)畑ですべて使い切ってしまった。もうない。

 

一か八かだ。

 

セイヤは背負い袋に手を突っ込み、一本の瓶を掴んだ。

 

「コクズメ。カワラジの頭の上を旋回できる?」

 

コクズメはしばらく黙っていたが、戸惑いながらも「承知した」と答えた。

その下で、カワラジが怒りの叫びを上げる。

 

「うおおおお!! カブロ!! 出てこい!!」

 

コクズメはカワラジの頭上すれすれまで飛び、その場を旋回する。

 

瓶のラベルには「マイマイ塩」とある。

マイマイの木の根と塩を混ぜた混合香辛料だ。

肉の臭みを取るのによく使われる。

 

セイヤはごくりと唾を飲み込むと、カワラジの頭上からその香辛料を振りまいた。

 

ぴたり、とカワラジの動きが止まった。

 

「ぎゃああああああ!!」

 

突如、カワラジが苦しみ始めた。

水面から顔を出したカブロが、はっとした顔でセイヤを見上げる。

 

「やめろ! セイヤ!!」

 

初めて聞くカブロの切羽詰まった叫び。

その声にセイヤは手を止めた。

 

水面をのたうち回るカワラジ。

カブロはすぐに再び水の中へ潜る。

 

「え? え? なんで? 何かまずかったの?」

「あー。カワラジはタガメの妖怪。塩かけたら死ぬ」

「え!?」

「顔に似合わず、残酷なやつだな」

 

カブロがまた水面から顔を出した。

大きく息を吸い込むと、口から勢いよく水を吐き出す。

カワラジにかかった塩を洗い流しているのだ。

 

それを何度も、何度も繰り返した。

カワラジの苦しみが落ち着くまで。

 

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