気がつけば、もう夜だった。
辺りは真っ暗で、
「ごめんなさい!」
周囲にはカブロの妖術で浮かぶ火の玉がいくつも漂い、暗闇を明るく照らしていた。
土下座するセイヤを、水面からカワラジがじっと見つめている。
怒りを押し殺したような声が低く響いた。
「……許せるか」
「まあまあ、命は救ってあげただろ。ぼくに免じて許してあげてよ」
コクズメも、ちらちらとセイヤを見ながら援護する。
「そ、そうだ。こうして素直に謝っているだろう」
「カワラジの誇りは地に落ちた。死んだも同然……取り返したいのは、カワラジの誇りだ」
セイヤはおずおずと立ち上がった。
「どうすれば、カワラジの誇りを取り戻せる?」
「それは……」
言いかけたカワラジの言葉は、突如現れた巨大な影に遮られた。
カワラジの三倍はあろうかという巨大なタガメの妖怪が、背後から飛び出してきたのだ。
山が崩れ落ちてきたかのような大迫力の叫びが、空気を震わせる。
「あんたーーーーーー!!」
凄まじい水しぶき。
視界のすべてがタガメで埋まる。
(でっか……)
セイヤは目を見開いた。
「ご飯の時間だよーーーーーー!!」
耳をつんざく大声とともに、規格外のタガメがカワラジにのしかかり、そのまま水中へ沈んでいく。
ごぼごぼと空気が弾ける音がしばらく続き、やがて静寂が戻った。
「な、何今の!?」
全身びしょ濡れのセイヤが叫ぶと、カブロがにやりと笑った。
「カワラジの奥さんだ。ナイスタイミングじゃない」
コクズメは呆れた顔でカブロを睨んでいた。
(結局、カワラジの誇りってなんだったんだろう……)
ぐぅ、とセイヤの腹が鳴った。
「俺もお腹空いたな」
「飯にしよう」
カブロが指で銃の形を作り、「バァン」と地面を撃つ真似をすると、そこから火種が生まれ、あっという間に焚き火が立ち上がった。
「セイヤくんは身体乾かしてて」
コクズメの前だというのに、カブロは気にする様子もなく着物を脱ぎ、ふんどし一丁になる。
そのままするりと
地面で跳ねる魚たちを見て、セイヤは思わず拍手する。
「カブロ、すごい」
その横で、コクズメが静かにセイヤに顔を寄せた。
「人間。今のうちに行こう」
「……え?」
「カブロは貴様を騙している。私と来い。トウロのところまで連れて行く。痛い目にも、辛い目にも遭わせない」
セイヤはコクズメの土色の瞳を見返した。
凛とした眼差し。どこかカブロより信頼できそうにも見える。
だが――
「……コクズメは
「そうだ」
「俺を連れて行く目的は?」
「それは……」
水音がした。
身を震わせ水気を切りながら、カブロが川から上がってくる。
二人の様子を見て、何かを察したように笑った。
「コクズメくん。君もそろそろどっか行きなよ。暇なの?」
挑発するような言い方に、コクズメの顔に薄く怒りが滲む。
だが、コクズメが口を開くより先に、セイヤが真っ直ぐにカブロを見つめ、責めるように突きつけた。
「カブロも
一瞬の沈黙。
カブロは息を吐き、困ったように笑うと、焚き火の前に座った。
「……食いながら話そう」
焚き火の前には、焼き魚が並んでいた。
空腹が限界だったセイヤは「マイマイ塩」を振り、一心不乱に齧りつく。
「美味いかい?」
「うん。こんな美味い魚、初めて食べた」
カブロはその様子を見て目を細めて魚を齧った。
しかし、そんなカブロにコクズメが疑うような目線を向けている。
「セイヤくん。食べながら聞いて。ぼかぁ
「今は……?」
カブロは静かに頷く。
「昔は
「ん? 私は、女に溺れて衆に迷惑を掛け、クビになったと聞いた」
「へぇ。そんな色っぽい話になってるのかい」
自分の話なのにどこか他人事でへらへらと笑っている。
セイヤは不信感を隠さず睨むと、それに気がついたカブロが咳払いをして誤魔化した。
「
セイヤは少し考えてから、首を横に振った。
「矛盾はない……けど、信用できない」
「バクドウからも、カワラジからも守っただろ? それでも?」
言い返せない。
押し黙るセイヤを見て、コクズメが声を荒げた。
「見ろ! 貴様のことを胡散臭いと思っている顔だ!」
「うそーん」
「コクズメは? どうしてここにいるの?」
セイヤの問いに、コクズメは真剣な顔で答えた。
「攫ってきたじじいが、貴様の安否を気にして
その言葉に、セイヤの胸に爆発的な安堵が広がった。
やはり、祖父は生きている。
カブロの言葉は推測だった。
ずっとどこかでもう死んでいるかもしれないと疑っていたのだ。
大きく息を吐き、肩の力を抜くセイヤを見て、コクズメは眉を寄せる。
「安心するな。
セイヤは考えた。
カブロと行くか。コクズメと行くか。
どちらも向かうは
きっと安全なのはコクズメと行く道だろう。
けれど――
「俺はカブロと行く」
コクズメは顔を歪め、カブロはにんまりと笑った。
「ふざけるなっ! ならば力ずくで……!」
「おっと」
立ち上がるコクズメを、カブロが手で制する。
コクズメは首を反らせると、鋭い目つきでカブロを睨んだ。
「行こうとしてる場所は同じ
「……なんだと!?」
カブロは魚の骨を口から抜き、指先でくるくるともてあそぶ。
「もちろん断ってもいい。ただし、無理やりセイヤくんを連れて行こうとするなら――
琥珀色の瞳が鋭く光った。 自信に満ちた挑発的な光だ。
コクズメも不敵な笑みを見せると、ゆっくり羽を広げた。地面に黒色の羽が舞う。
「望むところだ……」
このままではどちらかが怪我をする。
セイヤも慌てて立ち上がり、二人の間に割って入った。
「食事中でしょ! 行儀悪いよ!」
「うるさい、人間! 妖怪に行儀もクソもあるか!」
コクズメに突き飛ばされ、セイヤは尻もちをついた。
手から魚が落ちる。
「あ」
「あ」
「……イテテ」
食べかけだった焼き魚が地面に落ち、土がついてしまった。
食べられなくなった焼き魚を悲しげに見つめるセイヤにどこか気まずい空気が流れた。
コクズメは咳払いし、セイヤに手を差し伸べる。
「すまない」
セイヤはしゅんとしながら、その手を取る。
コクズメはセイヤを引っ張り起こした。
「悪かった」
「平気だよ」
見上げたセイヤの顔を、コクズメはじっと見つめ、ぽつりと呟く。
「それにしても……可愛いな……」
切れ長で美しい土色の瞳の中にセイヤが映っている。肌は白く、陶器のようだ。引かれた唇の紅がそれを引き立たせている。
「……コクズメの方が美人だよ」
思わずセイヤがそう応えると、コクズメの頬はみるみるうちに真っ赤になり、頭上で何かが爆発した。
羽までふくらませて硬直したコクズメを見て、カブロは肩を震わせて笑った。
「セイヤくん。君、悪い男になりそうだね〜」
「え? なんで?」
結局、コクズメの戦意は失せ、彼女はセイヤとカブロに同行することになった。