カブロ一行は、森の奥へと向かった。
このまま水辺にいては、またいつカワラジが現れるかわからない。
他の
火の玉の明かりを頼りに、奥へ、奥へと進んでいく。
だが、先ほど腹を満たしたばかりだ。
歩調が徐々に遅れ、とうとう深いあくびを漏らしてしまった。目尻に涙が浮かぶ。
「カブロ、人間が眠そうにしている」
「いや、まだ大丈夫だよ」
「セイヤくん、眠い? 今日中に
その名を聞いた瞬間、コクズメがぴたりと足を止めた。
「
「……セイヤくん、眠い?」
「大丈夫」
「誤魔化すな!」
コクズメが、わなわなと震え始める。
「やはり、私は同行を拒否する!」
立ち止まったコクズメにカブロとセイヤが振り返る。カブロは腰に手を当てると、やれやれと言わんばかりに肩をすくめた。
その口元に呆れたような薄笑いを浮かべた。
「ぼかぁ、提案しかしていない。コクズメが言ったんだろ? 監視のためについて行くって。嫌だって言うなら、好きにすればいい」
再びカブロとコクズメの視線がぶつかり、火花が散る。
また二人が揉めるのは避けたい。
険悪な空気を散らすようにセイヤはそっとコクズメのそばへ寄った。
「その、バイバイガって何? 妖怪?
「
セイヤは苦笑した。
それはたしかに嫌だろう。
「カブロ、どうしてもその妖怪のところに行かなきゃいけないの? 別のルートはないの? コクズメがかわいそうだよ」
思いがけず味方をされたせいだろう。
コクズメの帯びていた怒りの熱がシュッと消えた。
瞬きを繰り返し、信じられないものを見る目でセイヤを凝視している。
一方、カブロは露骨に嫌そうな顔をした。
「
「貴様、ゴンジュのことをゲロ天狗と呼んでいるのか」
セイヤはカブロに歩み寄り、その肩をぽんと叩いた。
「こういうときは男が我慢するんだ。じいちゃんが言ってた。
そう言ってにこりと微笑むと、その背後でコクズメの息の呑む音が聞こえた。
表情は然程変わらないが、羽だけがぶわりと膨らんでいる。
「人間……いや、セイヤ。貴様のことは私が守ろう」
「行きたくないな〜」
ぶつぶつと不満を漏らしながらも、カブロはセイヤの決定を受け入れた。
しばらく歩くうちに、どうやら
真夜中のため景色はよく見えないが、カブロがここを今夜の野宿場所にすると決めた。
「セイヤ、寒くないか? この羽の中で眠れ。抱いて寝てやろう」
コクズメが羽を広げながら、無表情のままずいずいと距離を詰めてくる。
だが、セイヤは慌てて首を振った。
「い、いいよ。なんか緊張しちゃうし」
「遠慮するな」
「コクズメ。交代で寝よう。
コクズメは力強く頷く。
「セイヤの身に危険が及ぶ前に、排除だ」
「……言われなくても」
口にすることは物騒でも、どうやらコクズメは完全にセイヤの味方になってくれたらしい。
そのことに少し安心して、セイヤは木々のあいだで身体を丸め、眠りについた。
どれほど眠っていたのか。
喧騒に引き上げられるように、意識が浮かび上がった。
目を開けると、少し離れた場所でコクズメと見知らぬ妖怪が戦っている。
――いや、この妖怪。
見たことがある。
祖父を攫った、あの女の妖怪だ。
顔の中心にある大きな赤い口が、不気味に蠢いていた。
「ゲゲゲ。子ドモガ起キタ。ソイツワタセ」
「断る!」
コクズメは身の丈ほどもある大きな槍を振るい、女の妖怪の動きを牽制している。
あの晩、祖父の部屋で見た光景が脳裏によみがえり、セイヤの身体がかたかたと震え始めた。
咄嗟にカブロを探し、身体を揺する。
「カブロ!! 起きて!!」
「……かー」
起きない。
「裏切リ者。コクズメ。トウロニ報告スル」
「ほぉ。生きて帰れると思っているのか?」
コクズメは羽をはためかせ、闇の空へ舞い上がった。
槍を構え、狙いを定め、そのまま女の妖怪へ突っ込む。
だが――
「ブルン!!」
女の妖怪が真っ赤な唇を膨らませ、顔を縦に振った。
ぶるん、と大きく揺れる唇。
その唇が、槍の穂先を弾く。
「ガア!!」
続いて、その口がコクズメの身長よりもはるかに大きく開かれた。
不規則に並ぶ鋭い牙が、喉の奥までびっしりと生えている。
その姿に、セイヤは短い悲鳴を漏らした。
あれに噛まれたら、ひとたまりもない。
必死でカブロを揺さぶる。
「カブロ!! 起きてよぉ!!」
「……かー」
起きない。
しかし、コクズメは怯まなかった。
大きく開いたその口の中へ槍を縦に押し込み、そのままつっかえ棒のように固定する。
「ガッ!? ガガ!?」
「これだけ得物を見せてるのに、口を開ける馬鹿がどこにいる」
コクズメは勢いよく、女の妖怪の上唇へ飛び乗った。
そこからさらに跳躍する。
次の瞬間、槍が女の妖怪の上顎を突き破った。
串刺しだ。
「ガアアアアア!!??」
上顎に空いた穴から、血が勢いよく噴き出し、赤黒い雨を降らす。ばたばたと音を立てて地面をその黒で染めていく。
セイヤはその光景を見ていられず、ぎゅっと目を閉じた。
心臓がどくどくとうるさい。
掴んだズボンが、手汗でじっとりと湿っていく。
「ガア!? アガガガ!?」
「御免!」
コクズメのその言葉を最後に、女の妖怪の悲鳴は聞こえなくなった。
目を開けることができない。
どうやって仕留めたのかも、わからない。
だが、死んだのだろう。
天に向かって噴き出すような血飛沫など、今まで生きてきて一度も見たことがなかった。
先ほどの光景が頭から離れない。
恐怖と混乱で、セイヤの目から涙があふれた。
「う……うう……」
涙がカブロの顔に落ち、ようやくカブロが目を覚ました。
「え? セイヤくん?」
「う……くっ」
「ん? なに? なんで?」
足音が近づいてくる。
コクズメだ。
「あらら。血まみれ」
「すべて返り血だ。あー、生臭いな」
「う……う……」
まだ目を開けられない。
セイヤは袖で涙を拭うと、声を張り上げた。
「ど、どうして早く起きてくれなかったんだよ!! カブロのバカ!」
「セ、セイヤくん?」
「コクズメも! なんで殺しちゃうんだよ!!」
「ん?」
今まで、ここまで死を身近に感じたことはなかった。
なんて残酷なんだ。
胸が苦しい。
「殺さないで!!」
セイヤが叫ぶ。
「もう……誰も殺さないで!!」
その悲痛な叫びに、カブロもコクズメも言葉を失った。
夜の静寂にセイヤの嗚咽。
二人は何も返すことができず、ただ顔を見合わせることしか出来なかった。