影、喰らい泣け、泣月路   作:浮月 愁

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【9】殺生

朝になった。

セイヤは木々のあいだで膝を抱え、二人に背を向けていた。

 

「悪かった、セイヤ。こっちを向いてくれ」

「セイヤくーん。もう行くよー」

 

妖怪の死体は、コクズメがどこか遠くへ運んで捨てたらしい。

返り血で真っ赤に染まった身体も、近くの水辺で綺麗に洗い流したようだ。

 

だが、セイヤの恐怖はまだ洗い流せていない。

目を閉じれば、脳裏にあの赤黒い雨が降る。

もう、あんな凄惨な戦いを目の当たりにはしたくない。

貝のように口を閉ざしたまま、ぴくりとも動こうとしなかった。

 

「……甘ちゃんだな、セイヤくんは」

 

沈黙を破ったのは、カブロの呆れたため息だった。

 

「貴様、カブロ!」

「もうやめる? 泣月路(きゅうげつろ)に帰るかい? なんのためにここまで来たんだっけ?」

 

祖父を助けるためだ。

カブロの言う通り、セイヤは甘ちゃんだ。

妖怪の世界に足を踏み入れる覚悟を持って泣月路(きゅうげつろ)を出てきたはずだ。

祖父を取り返すためには、この程度で心を折っていては駄目なのだ。

 

セイヤは震える脚を叩き、ゆっくりと立ち上がった。

 

「……帰らないよ」

「偉いぞ、セイヤ」

「何も偉くないでしょ。甘えさせないの」

 

ふくれっ面のまま顔を上げた視界の先に、息をのむほど幻想的で美しい白蜜山(しろみつやま)の全貌が広がっていた。

 

「うわぁ……きれい……」

 

白い。真っ白だ。

だが、それは雪ではない。木々の葉が白いのだ。

白蜜山(しろみつやま)を覆う特殊なガスが、葉の色素を抜いて白くしているらしい。

コクズメが、どこか得意げにセイヤへ説明した。

 

「……行くよ」

 

カブロがひらりと手を振って、再び先頭に立って歩き出した。

 

 

 

 

 

 

歩き始めてしばらく経っても、セイヤは無言のままだった。

昨日の衝撃がまだ身体の芯に残っている。

とてもではないが、いつも通りに振る舞うことなどできなかった。

 

それに気づいたのか、カブロは歩きながら木に生っていた果実をぷつりともぎ取り、セイヤへ差し出す。

 

「セイヤくん。ぼかぁ、今までたくさんの妖怪を殺してきた」

 

果実にかじりつこうとしたセイヤの手が止まる。

 

「カブロ!」

「コクズメ、君も同じだろ」

 

コクズメは反論の言葉を失い、ぐっと言葉を詰まらせた。

 

「弱い妖怪は淘汰される。当然のこと。黒影衆(こくえいしゅう)で生きるには、強くなきゃいけない。……おっと。今のセイヤくんには、こっちの姿のほうがいいかな」

 

カブロは人の姿に変化した。

セイヤと同じ、人間の姿のほうが話を受け入れやすいと思ったのだろう。

ずるい妖怪だ。

 

「セイヤくん。これは約束だ。ぼかぁ、今から妖怪を殺さない」

「……え?」

「だから、殺されそうになったら死ぬよ。ぼくもコクズメも」

「おい、巻き込むな」

 

コクズメがぴしゃりとツッコミを入れるが、カブロの表情は変わらない。

 

カブロは不意に振り返ると、至近距離からセイヤの顔をじっと覗き込んできた。

どくりと心臓が嫌な音を立てて跳ねる。

 

「意味、わかるよね。君のせいで死ぬ。……ただし、セイヤくんが『殺せ』と言えば、その時は相手を殺す」

 

琥珀色の目が妖しくちかりと光り、まっすぐセイヤを射抜いた。

カブロの声は、軽薄だがひどく冷たかった。

するりと耳から入り込み、そのまま心臓を冷やしていく。

 

「もう一度言おうね。ぼかぁ、妖怪を殺さない。これで満足かい?」

 

ふふふ、と笑ってカブロが前を向く。

 

ずるい妖怪だ。

これから先の戦いで、殺生の責任をセイヤに握らせた。

 

手にしていた果実を落としそうになって、セイヤは我に返った。

食欲はすっかり失せていた。

動揺したまま、果実を背負い袋へ押し込んだ。

 

コクズメが心配そうに隣を歩いていたが、そちらを見る余裕はなかった。

 

(俺のせいにしないで)

 

そう言いたかった。

けれど、言葉は喉につかえて出てこない。

ひたすら臆病な自分が情けなくて、セイヤは唇を噛んだ。

 

 

 

 

 

 

白い砂。白い土。

白い幹。白い葉。

 

色を失ったその世界は、まるで死後の国のようだった。

もちろん、死後の世界など見たことはない。

けれど、もしあるのなら、きっとこんな景色なのだろうと思わせる光景だった。

 

山道を、さくさくと音を立てて登っていく。

 

「峠を越えるのか?」

 

コクズメは道中の険しさを知っているようだ。

尋ねられた前を歩くカブロの横顔に、露骨な嫌悪が浮かんだ。

 

「まさか。何日かかると思ってんの。ゲロ天狗に足を借りる」

「ゴンジュのことをゲロ天狗なんて呼ぶのは、貴様くらいだ」

 

その言葉の直後、頭上から跳ねるような声が降ってきた。

 

「だーれがゲロ天狗だってー?」

 

三人が揃って顔を上げる。

真っ白な木の上に、目が痛くなるような輝きを放つ男が立っていた。

 

美しく巻かれた金の長髪。

金色の衣。

はだけた胸元には、ぎらぎらと宝石をあしらった数珠がいくつも重なり、背には孔雀の羽のように色鮮やかな大きな羽団扇を背負っている。

 

派手すぎる。

 

男は高笑いしながら木から飛び降り、三人の前に優雅に着地した。

体躯のいい、がっしりとした長身。

細身で地味な着物のカブロとは、まるで正反対だ。

 

「ゴンジュ。久しぶりだ」

 

まず、あっけらかんとした口調でコクズメが挨拶をした。

その様子から、敵対する妖怪ではないのだとわかり、セイヤは張り詰めていた肩の力を少しだけ抜く。

 

「はっはーん! 久しぶり、コクズメ! カブロも久しぶりだね! どーして人間に化けているのかなっ!」

「うるせえ」

 

カブロは明らかに不快そうに顔をしかめている。

 

ゴンジュと呼ばれたその天狗は、鼻が短く、顔も赤くない。

セイヤはおそるおそる、その天狗を見上げた。

 

ゴンジュがセイヤの姿を捉えた。

 

「う〜ん。この人間……」

 

ゴンジュは長身を屈め、セイヤの顔をじっと覗き込んできた。

 

「すーーんごい、可愛いじゃないのーーー!」

 

たちまち、天狗の顔が赤らみ、まるで生き物のようにぐんぐんと鼻が伸びていった。

あまりに突飛。あまりに奇怪。

その変化にセイヤは青ざめ、小さく悲鳴を漏らした。

 

「めっちゃめっちゃ! かーーーわいいーーー!」

 

ゴンジュは空を仰いで絶叫する。

鼻は二十センチほど伸びたところで止まった。

 

「ハッハッハッハッハ!! ハーッハッハッハッハ!!」

 

豪快な笑い声に腰が抜けそうになり、セイヤは縋るようにコクズメの腕を掴んだ。

カブロは冷ややかな顔のまま、セイヤへ視線を送った。

何か喋れ、と合図しているようだ。

セイヤの声は誰が聞いても男声。

男であることを伝えろと言っているのだろう。

しかし、声を掛けることすら恐ろしい。

セイヤはぶんぶんと首を横に振って拒絶した。

 

「ゴンジュ、この人間は男だ」

 

代わりに、コクズメが至極冷静に伝えると、ゴンジュは、ぴたりと止まった。

 

「そうなの」

 

顔色はすぐ元に戻り、鼻も元の長さへ縮んだ。

声だけが、ひどく残念そうだった。

 

カブロがひとつ咳払いをする。

 

「ゴンジュ、頼みを聞いてくれないか」

 

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