転生をしたらそこはゴミ山。ゴミ山から始まる友情 作:板前さん
三十になった年の春、ハンター協会を通じて、一通の依頼が届いた。
差出人は、ミザイストム。クライムハンター、とあった。
肩書きの欄には、もう一つ、短い言葉が添えられていた。十二支ん、丑。
「犯罪専門のハンターだ」
季節の変わり目に山小屋を訪ねると、シンは依頼状を眺めながら言った。
「ブラックリストハンターが、手配書に載った個人を追うのが仕事だとすりゃ、クライムハンターは、犯罪そのものを追う。組織だの、流通網だの、手口だの。協会の中でも、法律だの捜査だのに一番うるさい連中だ」
シンは、依頼状の肩書きの欄を、指で叩いた。
「それに、十二支んときた。ネテロ会長が直々に選んだ、協会の幹部連中だ。十二人いて、それぞれ干支の名前を背負ってる。こいつは丑だな。会長の懐刀みてえなもんだよ。そんな大物が、駆け出しのお前に、わざわざ声をかけてくるとはな」
「なんで、俺に」
「さあな。お前、ここ二年で人買いを片っ端から潰してたろ。目をつけられたんじゃねえか」
シンは、依頼状をアッシュに放り返した。
「ミザイストムって名前は、聞いたことがある。堅物だが、腕は確かで、筋は通すやつだって評判だ。リッポーよりは、だいぶましだろうよ」
指定された場所は、ある国の首都の警察本部の一室だった。
窓のない会議室。壁一面に、地図と写真と書類が貼り付けられている。
その前に、一人の男が立っていた。
三十前後の、牛のコスプレをしたような男がいた。背筋がまっすぐで、立ち姿に隙がない。物静かな目が、アッシュを見て、わずかに細められた。
「ミザイストムだ。来てもらって、感謝する」
丁寧な口調だった。差し出された手を握ると、指先まで、無駄な力が一つも入っていなかった。念の使い手だ。それも、相当な。
「アッシュだ。……用件は」
「これの件で今日はきた」
ミザイストムは、机の上の小さな透明の袋を指差した。
中に、白い結晶のような粉が、ほんの少しだけ入っていた。
「去年から、裏の市場に出回り始めた新しい麻薬。売人たちの間では、D²と呼ばれものだ。」
アッシュは、袋を見つめた。白い粉。トリックタワーの独房で、白いやつ、白いやつ、と繰り返していた男の顔が浮かんだ。
「依存性が、異常に高い。一度使えば、ほぼ確実に抜け出せなくなる。そして、使い続けた者は」
ミザイストムは、壁に貼られた写真の一枚を示した。
痩せこけた男が、病院のベッドに座っていた。目の焦点が合っていない。看護師が差し出した匙を、言われるままに口に運んでいる。
「自分で考えることを、やめていく。言われたことに、ただ従うだけの人間になる。意思が、少しずつ溶けていくだ」
アッシュの背筋に、冷たいものが走った。
言われたことだけを、言われた通りに。
「この一年で、確認できただけで、十二の国で、数千人の中毒者が出ている。それなのに、製造元も、流通の元締めも、何一つ分かっていない」
ミザイストムは、アッシュを見た。
「アッシュ。君がこの二年、人身売買の組織を追ってきたことは知っている。そして、その組織のいくつかが、この麻薬の流通にも関わっていることが分かった。記録のない人間を運ぶ道は、記録のない荷物を運ぶ道にもなる」
「……手を貸せ、ってことか」
「そうだ」
ミザイストムは、まっすぐに頷いた。
「ただし、一つだけ、条件がある」
「条件」
「この捜査は、法の手続きに則って進めたい。証拠を積み上げ、令状を取り、関わった者を一人残らず、法廷に立たせる。私刑は一切認めない。たとえ相手が、どれほどの悪党であっても」
アッシュは、ミザイストムの顔を見た。物静かな目の奥に、譲る気のない、硬い芯があった。
「俺は、捕まえた相手を殺したことは一度もない」
「知ってるよ。だから、あんたに声をかけた」
ミザイストムの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
「よろしくな、アッシュ」
捜査は、末端から始まった。
街角で、D²を売りさばいている売人を捕まえる。それは、難しくなかった。
ミザイストムが警察と組んで張り込みを指揮し、アッシュが逃げ足の速い者を追う。
ひと月で、二十人近い売人が捕まった。
だが、そこから先が、どうしても繋がらなかった。
「仕入れ先は」
取調室で、ミザイストムが穏やかに尋ねる。売人の男は、怯えた顔で首を振った。
「知らねえ。本当に知らねえんだ。決まった日の決まった時間に、決まった場所に行くと、荷物が置いてある。俺は、それを取って、売って、売り上げを、また決まった場所に置いてくる。それだけだ」
「荷物を置いていくのは、誰だ?」
「見たことねえよ。見ようとしたやつもいたけどな。そいつは、次の週から、荷物が来なくなった」
どの売人も、同じだった。
知っているのは、自分の一つ先だけ。荷物を受け取る場所と、金を置いてくる場所。
それ以外は、何も知らされていない。誰が上にいるのかも、何人で動いているのかも。
一人を捕まえても、その上の誰かは、受け渡しの場所を変えるだけだった。
捕まった売人の穴は、一週間もしないうちに、別の誰かが埋めていた。
ある夜、アッシュは、ミザイストムの宿の部屋で、壁に貼られた地図を眺めていた。
このひと月で集めた情報を、すべて書き込んだ地図だった。受け渡しの場所。
日時。売人の担当区域。金の流れ。
赤と青の線が、街中に網の目のように張り巡らされている。
「……無駄がない」
アッシュが、ぽつりと言った。
ミザイストムが、資料から顔を上げた。
「どんな無駄がないんだ?」
「受け渡しの場所だ。どれも、次の場所までの道のりが短い。売人が、一番少ない手間で、一番多くの客に売れるように並んでる。それに、どの線を一本切っても、隣の線が、すぐにその穴を埋められるようになってる」
アッシュは、地図の上の線を指でなぞった。
「誰かが、全部、計算して並べてる。どこに何を置けば、全体が一番速く回るか。どこが壊れても、止まらないか。一つ一つの売人は、自分が何の一部なのかも分からないまま、決められた順番で、決められた場所に運んでるだけだ」
ミザイストムは、しばらく黙って地図を見ていた。
「……確かに。これほど整った流通網は、俺も見たことがない。大きな組織が、時間をかけて作り上げたものとしか思えない」
「組織、か」
アッシュは、地図から目を離さなかった。
組織が作ったにしては、どこか、癖があった。一人の人間の頭の中で、全部が組み上がっているような。現場の動線を、上から一目で見渡して、どこに何を置けば一番速く回るかを、迷わず決めていく。そういう頭の使い方を、どこかで見たことがある気がした。
レンガの山を、小さく分けて並べておく。積み手の手が届くところに。そうすると、はやい。つかれない。みんな。
アッシュは、小さく首を振った。
考えすぎだ。十九年も前の、過去の話だ。
仕組みづくりが上手い人間など、世界中にいくらでもいる。
「何か気になったか?」
「……なんでもない」
アッシュは、地図から目を逸らした。
「それより、上に辿る方法を考えよう。末端をいくら捕まえても、きりがない」
ミザイストムは、地図の一点を指差した。赤い線が、何本も集まっている場所。港の倉庫街だった。
「金の流れは、最後にここへ集まってる。この街の売り上げを、まとめて外へ送り出す中継点が、この辺りあると考えている」
中継点を突き止めるのに、さらにひと月かかった。
港の倉庫街の外れに、小さな貿易会社の倉庫があった。
扱っているのは、遠い国から輸入した、天然素材の品々。茶葉。干した薬草。香辛料。手織りの布。
表向きは、健康志向の金持ち相手に、自然の恵みを売る、まっとうな商売だった。
その倉庫に、毎週、街中の売人が置いていった売り上げが集まっていた。
ミザイストムが令状を取ったのは、月のない夜だった。
「警察の突入部隊は、表から入り、俺とアッシュは、裏から」
「念の使い手は、いると思うか」
「いる。これだけの金が動く場所に、素人だけを置いておくはずがない」
ミザイストムの読みは、当たっていた。
裏口の扉を開けた瞬間、闇の中から、何かが飛んできた。
アッシュは、身を沈めて躱した。頭の上を掠めたのは、細い鉄の鎖だった。
先端に、鉤爪のような重りがついている。
鎖は、生き物のようにうねって、空中で向きを変え、再びアッシュに襲いかかってきた。
操作系だ。自分と同じ。
倉庫の奥の暗がりに、男が一人立っていた。両腕に、何本もの鎖を巻きつけている。その鎖の一本一本に、男のオーラが通っているのが見えた。
「ハンターか。運が悪かったな」
鎖が、四本、同時に襲いかかってきた。
アッシュは、積み上げられた木箱を蹴って跳んだ。鎖が、木箱を粉々に砕く。二本目、三本目を空中で躱し、四本目を、堅で固めた腕で受けた。鉤爪が、腕に食い込む。
鎖が、アッシュの腕に巻きついた。
男の口元が、歪んだ。
「捕まえた」
アッシュは、とっさに、腕に巻きついた鎖へ念を流し込もうとした。
届かなかった。
流し込んだオーラが、鎖の表面で弾かれる。鎖の中には、すでに男のオーラが隅々まで通っていた。水で満たされた器に、もう一杯の水は入らない。
先に誰かの念が通っているものには、後から命令は届かねえ。
操作系同士なら、早い者勝ちだ。
山小屋の焚き火の前で、シンにそう教わったことを思い出した。
鎖が、締まった。腕の骨が軋む。男が、鎖を手繰り寄せようとしていた。
引き寄せて、残りの鎖で、とどめを刺すつもりだ。
なら、引き寄せられてやる。
アッシュは、踏ん張るのをやめ、逆に、床を蹴った。
男が鎖を引く力に、自分の脚の力を上乗せして、一直線に跳ぶ。
鎖に繋がれた体が、男の想定よりもずっと速く、ずっと近くまで飛び込んでいった。
男の目が、見開かれた。慌てて残りの三本の鎖を振るう。
だが、間合いが近すぎた。長い鎖は、懐に飛び込まれると、振り回す空間がない。
アッシュは、宙に浮いたまま、もう片方の拳で、男の足元の床を念を込めて殴りつけた。
砕けた床の破片が跳ね上がった。
これは、アッシュ自身の念で砕いたものだ。他の誰のものでもない。
「飛べ」
破片が、至近距離から、男の両腕に叩きつける。
鎖を操っていた男の手が、一瞬だけ、痛みに縮こまったその一隙を逃さず、アッシュは、男の鎖がない右手首を掴んでいた。
鎖ではなく、男の体そのものに。
込められるだけの念を、込めた。
「止まれ」
男の右腕が、凍りついたように止まった。
右腕に巻きつけていた鎖が、腕ごと固まる。
左手で残りの鎖を振るおうとした男の手首にも、アッシュは触れていた。
「止まれ」
両腕を封じられた男の鎖が、空中でうねるのをやめて、床に落ちた。
アッシュの腕に巻きついていた鎖も、男のオーラが途切れて、緩んだ瞬間にアッシュは、緩んだ鎖を振りほどきながら、男の顎に拳を叩き込んだ。
男の体が、木箱の山に倒れ込んで、動かなくなった。
倉庫の表側からも、騒ぎが収まる音が聞こえてきた。
アッシュが表側へ回ると、ミザイストムが、三人の男を床に組み伏せていた。
どの男も、念の使い手らしかった。ミザイストムは、息一つ乱していなかった。
「……念は、使ったのか」
「念は使ったが、能力は使う必要はなかった」
ミザイストムは、淡々と答えた。それから、アッシュの腕の傷を見た。
「鎖の男か。見事だ。相手の鎖を奪えないと分かった瞬間に、その鎖を逆に使って懐へ飛び込む。あの判断は、なかなかできるものじゃないな」
倉庫の奥に、木箱が山のように積まれていた。
天然茶葉、と書かれた箱だった。蓋を開けると、乾いた茶葉の、青い香りが立ち上った。
その茶葉を掻き分けると、底板が二重になっていた。その隙間に、白い粉を詰めた小袋が、びっしりと並んでいた。
「自然の恵み、か」
アッシュは、小袋の一つを手に取った。
どの木箱にも、小さな焼き印が押されていた。
一枚の木の葉を、簡素な線で描いた印。
どこの会社のものなのか、どこの国のものなのか、何も書かれていなかった。
事務所の金庫から、帳簿が見つかった。
金の流れは、そこでも、きれいに整理されていた。
この倉庫に集まった売り上げは、三つの国の、三つの会社を経由して、どこかへ送られている。三つの会社の名前を、ミザイストムは手帳に書き写した。
「いずれも、マフィアンコミュニティの息のかかった会社だ。つまり、この麻薬は、マフィアが流通を請け負っている。だが、製造元は、マフィアではない。マフィアは、運び屋に過ぎない」
ミザイストムは、帳簿の最後の頁を開いた。
金が最終的に送られている先の欄は、空白だった。
捜査は、そこで止まった。
帳簿に載っていた三つの会社のうち、一つは、倉庫に踏み込んだ翌週に、跡形もなく消えた。事務所はもぬけの殻になり、登記も、いつの間にか抹消されていた。
二つ目の会社の社長は、自宅の浴室で死んでいるのが見つかった。
事故死として処理された。
三つ目の会社には、ミザイストムが令状を取ろうとした。
だが、その国の裁判所は、令状を出さなかった。理由は、示されなかった。
数日後、十二支んであるミザイストムのもとにさえ、協会の別の筋を通じて、遠回しな連絡が届いた。この件からは、手を引くように、と。
「マフィアンコミュニティは、いくつもの国の政府に、深く根を張っている」
警察本部の会議室で、ミザイストムは、壁の地図を一枚ずつ剥がしながら言った。
「彼らが本気で守ると決めたものには、法の手が届かないこともある。悔しが、それがこの世界の現実だ。クソみたいだ」
「……諦めるのか」
ミザイストムの手が、止まった。
「諦めない」
静かな声だった。
「ただ、今は、証拠と捕まえるための時間が足りない。それを認めるだけだ。証拠は、全部残してく。いつか、こ向こう側に手が届く日のために」
ミザイストムは、剥がした地図を丁寧に畳んで、鞄にしまった。
その夜、二人は、港の近くの安い食堂で、最後の食事をとった。
「一つ、気になっていることがある」
ミザイストムが、箸を置いて言った。
「金の最終的な行き先だ。三つの会社を経由した後、どこへ行ったのか。俺は、マフィアの本拠地のどこかだと思っていたが。どうも、どうも違う気がする」
「違う?」
「これだけ大きな流通網を作り上げて、これだけの金を集めているのに、その金が、どこにも使われた形跡がない。豪邸も、武器の調達も、賄賂の跡も。まるで、どこにもないように」
アッシュの箸が、止まった。
「この世界には、外部を一切受け付けない国が、いくつかある。法も、記録の仕組みも、俺たちの世界とはまったく違う国。そういう場所に製造元があるなら、俺たちには、手の出しようがない」
ミザイストムは、湯呑みを両手で包んだ。
「木の葉の焼き印。茶葉の箱。天然素材の貿易会社。自然の恵み。偶然かもしれないが、どれも、同じ方向を向いている気がする」
「……自然、か」
「ああ。それも、ただの勘だけどな」
ミザイストムは、少しだけ笑った。それから、真顔に戻って、アッシュを見た。
「アッシュ。あんたのことは、会長に直接、報告しておくよ。この二か月、アッシュの働きには、何度も助けられた。あんたほどの使い手が、ずっと一人で人買いを追っているのは、正直、もったいないと思う」
「……買いかぶりだ」
「そうは思わない」
ミザイストムは、手帳の切れ端に、何かを書いてアッシュに渡した。連絡先だった。
「この件で、何か掴んだら、必ず知らせてくれ。俺もそうする。法の手が届く日が来たら、その時は、一緒に」
アッシュは、切れ端を受け取って、外套の内ポケットにしまった。リオの葉書の隣に。
宿に戻ってから、アッシュは、ミザイストムに頼んで写させてもらった流通網の地図を、机の上に広げた。
赤と青の線が、網の目のように張り巡らされている。
受け渡しの場所が、次の場所までの道のりが一番短くなるように、整然と並んでいる。
どの線を一本切っても、隣の線が、すぐに穴を埋める。
アッシュは、その地図を、長いあいだ見つめていた。
レンガの山を、小さく分けて並べておく。
積み手の手が届くところに。まわりみち、しない。むだ。
八つの子どもが、誰にも教わらずに、現場全体の動線を組み替えていた。
自分が楽をするためではない。全体が一番速く回るように。
まさか、と思った。
アッシュは、地図を畳んだ。
まさか。あの子が、こんなものを作るはずがない。人に迷惑をかけるな。
あの子は、あの言葉を、何よりも大事にしていた。
こんな、何千人もの人間の意思を溶かすようなものを。
けれど、あの子は、最後の夜に言った。
とうさんは、それしか、おしえて、くれなかった。……それも、ぜんぶ、うそ、だった。
アッシュは、畳んだ地図を、鞄の一番底にしまった。
それ以上、考えるのをやめた。
考えるのをやめなければ、眠れそうになかった。